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ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

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ひとつぶ便り 322号

いつもありがとうございます。先週のお便りです。
だいぶ寒くなってきたけど、それでも例年と比べるとだいぶ暖かいような気がします。


ひとつぶ便り 322号(2018年10月19日便)

 いつもありがとうございます。10月としては比較的暖かい日が続いていましたが、ここのところだいぶ冷えてきました。毎年たいてい9月にも寒くてストーブを焚く日がありますが、今年はそういうこともなく、やっと数日前に今シーズン初めての火を入れました。9月からそうですが、最近も天気はすかっと晴れることが少ないです。ここは晴天率が高いと言われる地域なので、やや珍しい感じだと思います。空気がまた変わった感じで、そろそろ霜が降りそうです。ズッキーニやトマトなど夏野菜たちはもう勢いはありませんが、暖かかったおかげでまだ少しは採れたりもします。それでも霜が降りれば枯れてしまうので、そういうものたちの今シーズンの収穫はもうすぐ終わりです。夏野菜は採れる期間が短いし、冬が長く厳しいこの土地では、寒さに強い野菜も真冬には収穫することはできません。冬は冷凍した野菜とか漬物などの保存食を食べて春を待ちます。野菜が採れない冬は新鮮な野菜が恋しくなりますが、そんな気持ちが春をより豊かにしてくれます。こんな僕らの生活を「ストイック」だとか言われることがありますが、僕ら夫婦は我慢して苦しい生活をしているなんていう感覚は一切ないし、そうするつもりもありません。子どもたちも食べることが大好きだし、日々の食事を喜んでいます。スーパーなどに行けば一年中なんでも、どこのものでも買えることは、それはそれでものすごくありがたいことだと思いますが、それで失っているものもたくさんあると思います。暖かい地域で重油を燃やしてハウスを暖めれば冬にもトマトが採れるかもしれませんが、それは夏に初めて採れたトマトを食べる喜びを、味わえなくするものだと思います。健康に生きられるだけの食料は、誰にも必ず行き届く必要がありますが、あればあるほどいい、ということはありません。いつでもどんなものでも手に入ることは、「無い」ということの無い状態であって、「あり過ぎる」ということは「ある」の仲間ではなくて「無い」の仲間なのではないかとこの前ふと思いました。季節に合わせて、自然に合わせて暮らすなら必ず、手に入らない時期とか、場所とか、そういうものと常に一緒です。それは、すごく豊かなものだと思います。例えばトマトを食べられない期間、というのが、豊かさそのものだという感覚。一年中フルーツが採れるような温暖な南国の豊かさも、それはそれでいいなぁと思います。でも春は、冬のある国にしかやってこないし、それもまたすごく豊かなことだと思います。確かに冬は厳しいし、標高の高いこの場所はなおさらですが、冬そのものの豊かさというのを感じるし、冬もまた好きな季節です。春も夏も秋も、それぞれ好きです。
 今日食べるものの心配をしなくていい、ということはすごいことだし、僕らもお米でも野菜でも、できるだけたくさん獲れてほしいと思ってやっています。だから、「あればあるほどいい」という気持ちはとても自然な気持ちとしてあるものだと思いますが、それをどこかの土地から、どこかの誰かから奪ってまでやっていいはずはありません。でもこの国の政府や、そこに住む僕ら市民は、平然と世界中から水や食べ物や様々な物資を奪い続けています。差別も、搾取も、戦争も、全てオーケーだという価値観のもとに、僕らの暮らしが成り立っています。日本に暮らしていたら、誰もが世界の強盗です。世界中に貧困と争いを撒き散らし、その結果得たもので豊かになろうなんて、絶対に間違っています。そんなの、豊かさでもなんでもありません。僕の生活もそんな間違いに満ちているから、日々改めていきたいです。 健

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ひとつぶ便り 321号

いつもありがとうございます。先々週のひとつぶ便りです。稲刈りの記事。はざがけしてありますが、また現在も雨が降っているし、脱穀できておりません。なかなか晴れませんなぁ。

ひとつぶ便り 321号(2018年10月12日便)

 いつもありがとうございます。9月からずっと雨続きで田んぼが乾かずなかなか稲刈りができませんでしたが、このところ少し晴れが続いてくれたので、10月6日と8日で稲刈りと稲架(はざ)掛けをすることができました。6日はちょうど花野ちゃん(6歳)が通う森のようちえんも稲刈りの日で、ようちえんの田んぼが僕らの田んぼの隣の田んぼなので、そこでは大人と子どもとたくさんの人手で稲刈りをしていました。そちらは手刈りですが、僕らの田んぼはバインダーという機械を使ってやります。これは稲を刈って、ひもで縛ってくれる機械です。そのバインダーが刈って結束してくれた稲の束を、田んぼの中に木で組んだ稲架棒に掛けていく、というのが一連の作業です。こういう作業のとき、最近は葉菜ちゃん(9歳)や花野ちゃんもだいぶ「一人前」に働いてくれます。今回は特に葉菜ちゃんがなかなか素晴らしい働き手でした。花野ちゃんはやる気があると持ち前の根気強さと集中力を発揮しますが、今回は作業にそれは発揮してはいませんでした。稲刈りの時などは、誰か友人の予定が合えば来てもらうこともあって、今回も一週間ほど前に友人に来てもらいましたが、ちょうど台風で雨が降っていたので稲刈りは手伝ってもらうことはできず、今回はうちの家族のみでやる予定でした。が、隣のようちえんの田んぼの作業はすごい人数なので早めに終わり、なんとそこから数家族がうちの田んぼに来て稲架掛けを手伝ってくれました。ただでさえ人手はありがたいですが、それがさらに隣の田んぼで既に同じような作業をしていた人たちなので説明もほとんどいらず、非常にありがたい助っ人たちでした。僕らは3枚の田んぼをやっていて、この日は他にもう1枚の田んぼで作業しましたが、あと1枚はまだ田んぼから水がひけずにできませんでした。で、そこは2日後の8日にやりましたがその日はちょうど僕の両親が来ていて、手伝ってもらいました。それも本当に助かりました。今年はお米にとっては気候が良かったのだと思うし、草取りにたくさん入れたので、出来はいつになく良い感じです。ありがたいです。
こうして自分たちの田畑で収穫できる命を食べて暮らせることに大きな感謝の気持ちがあるし、この暮らしが好きですが、深く見ていくならこうした稲の収穫だって、心温まる事実ばかりがそこにあるわけではありません。例えば軽トラやバインダーという機械を使うことや、石油を使うということは、世界中の搾取や差別や戦争や環境破壊などを引き起こす仕組みの中にいて、それに加担しているということです。隣のようちえんの田んぼのように手刈りするにしても、その人たちは車に乗ってそこまでやってくるし、鎌一本、どうやって作られたものか分かりません。分からないけどホームセンターで売っている安い鎌の原料や生産過程が、どこかの国の搾取に加担していないはずはありません。僕らが身に着けている服も長靴も、身の回りにあるあらゆるものが、同様の問題を含んでいます。それは、実に複雑で強固な問題です。何を買うか、など、より「マシ」な選択をすることは可能だし、そういう選択はとても重要で大きな力を持つものだと思いますが、そう単純にこれでOK、というような答えや結論はあり得ません。単純な結論はむしろ様々な危険を伴います。思うのは、「どうすればいいのか」と問い続けること、考え続けること大切さと、そうすること自体が持つ力の大きさ。絶望的な状況はいたるところにありますが、その中で、今自分がこの場所でやれることが確実にあります。問い続けることもその一つです。健

ひとつぶ便り 319号

いつもありがとうございます。急に寒くなりましたね。
先々週のお便りをアップします。「田島征三 森の祭り」に行きました。という話。


ひとつぶ便り 319号(2018年9月28日便)


 いつもありがとうございます。晴れ間が出ればまだまだ暑い日もありますが、それでももう夏のようだとは感じません。日暮れもどんどん早くなっていて、いちばん日の長い6月下旬頃は午後7時半くらいまで明るかったのが、この時期になれば6時にはもう暗いです。季節は日々どんどん移り変わっています。ここからは、どんどん寒くなります。今年は夏が長かった感じがしましたがそれでももう夏は終わり、秋もすぐに終わって冬に入っていきます。僕らの住むこの土地は、標高1000メートルくらいあって、冬がとても長く、何段階にも強まりながらやってきます。春夏秋冬冬冬冬冬とか、言いたくなります。-5℃くらいでも充分寒くて冬と感じますが、-20℃もまた冬であって、それを同じくくりにはとてもできません。まだ秋、と言いたいですが、もうすぐ冬がやってくる気配があります。稲刈りの時期になりましたが、雨続きで田んぼがなかなか乾かないのでなかなかできず、やれるのは10月になりそうです。
 ところで先週の土曜日(22日)、小諸市にある「茶房 読書の森」にて、「田島征三 森の祭り」というのがあったので、僕と子ども3人で行ってきました。ゆっこさんは別の場所でイベント出店があったので、そちらに行っていました。僕らが行ったこのイベントは、ここのところ毎年この時期やっているもので、僕らは去年初めて行って、とても良かったので、今年も行くことにしました。絵本とか絵とか造形とか色々で活躍している田島征三さんとその仲間たちによる、絵とか、お話しとか、音楽とかをやるイベント。そのメンバーには、おおたか静流さんもいて、僕は彼女の歌とか声が聴きたいのが一番大きな目的でした。それと、子どもたちに本当にいいものを見せたいなということもあります。11時ごろから始まって、17時くらいまでやっているイベントでしたが、色々な面で満たされていて、うちの子どもたちはほとんど退屈することもなく楽しんでいて、終わったあとも素敵な満足感があったように見えました。出演者たちの見せてくれるものが良かったことももちろんですが、読書の森という場所の力もすごく感じました。うちと家族ぐるみで親しい友人家族がいたので、そこの姉妹とうちの3姉妹でよく遊んでいましたが、それ以外の知らない子たちとも友達になって遊んでいました。特に次女・花野ちゃん(6歳)はその場ですごく仲良しになった子がいて、2人で最高に素敵な笑顔を交換しながら遊んでいました。花野ちゃんは友達と遊んでいる時などはしばしば、これ以上顔は笑うことができないだろう、というぐらいの笑顔をしますが、今回も遊んでいるとき、音楽に触れているときによくそんな顔をしていました。最高!読書の森はステージといっても特に段が設けられたり線が引かれたりもしていないので、長女・葉菜ちゃん(9歳)はこんな時、当たり前のようにステージに乱入します。友達と花野ちゃん、はるちゃん(2歳7か月)を伴ってしれっとステージの一員になり、ものすごく特等席で音楽を聴いたり、踊ったりしていました。はるちゃんはおおたか静流さんに抱っこまでされて、それは流石に迷惑かなと思って迎えにいったら「私はここでいい」と言う視線をはるちゃんに送られ、静流さんも大丈夫そうだったので、そのまま抱っこされていました。うちの3姉妹は三者三様、その場を楽しんでいました。世界中の抑圧された民族たちの苦しみを知り、小さな声を聴き、平和への強い想いを持って歌を歌い続けているおおたか静流さんの存在とその歌は、そういうことを直接語らずとも、強く、暖かく伝わってきます。  健


ひとつぶ便り 320号

いつもありがとうございます。更新全然していないので記事がたまってます。
とりあえず先週のやつをアップしまーす。

ひとつぶ便り 320号(2018年10月5日便)

 いつもありがとうございます。台風24号はたくさん雨を降らせていって、車で5分くらいの距離にある大石川が見たことのないほどの水位まで上がっていて恐ろしい濁流になっていました。9月はとにかく雨ばかりだったので、そもそも山や田畑の保水力が飽和状態になっていて、そこに今回の台風が来たので、そういうことになったのだと思います。それでも特にどこかが決壊したとかいう話はないし、目立った人的な被害もこのあたりでは無さそうですが、畑が水浸しになって田んぼのようになっているところも多く見ました。僕らの畑では水浸しということはありませんでしたが、稲刈りのためにだいぶ前に水を切ってある田んぼにすっかり水がたまってしまって、稲刈りどころではありません。もういつもなら刈って干していますが、今年はまだできずにいます。刈れないのも困りますが、既に刈って、稲架にかけて干している人たちも雨ばかりで稲が乾かず、なかなか脱穀できないでいます。こう雨ばかりなのは何かと厄介で、直接的にも間接的にも、色々と良くない影響があります。毎年、一年を通じて気候が安定している、なんて年はそうそうありませんが、今年はまた特に天候が激しい年である気がします。
 僕らの住んでいるあたりはそれでも、大きな被害は出ていない方だと思います。天気予報で雨の流れを見ていると、山でかなり守られているような感じがします。同じ長野県でも、諏訪地方ではまた大規模な停電が起きて大変なようです。自然災害があれば、それぞれの人たちがそれぞれの困難に直面しますが、中でも農家はかなり直接的に被害を受ける仕事だと思います。一般の農家さんであれば共済などに加入していてある程度の補償があるのでしょうが、有機農家は僕らのように小さい農家がたくさんあって、うちもそうですが一般の共済などに加入するのは色々な面で無理があって、加入できなかったりしていない人も多いです。災害があって野菜やお米が採れなくても、誰も補償してくれません。実際に、以前大阪で農業をしていて今はこちらにいるある友人の大阪の仲間たちは、7月の関西の豪雨で畑が壊滅的になってその時すっかりやる気を失っていたそうです。各地にそういう人がいることでしょう。
例えば会社勤めをしていたら、農家の日々の苦労やこういう災害時の苦労は思いもよらないだろうし、農家からしたら、会社勤めの人たちの様々な苦労は思いもよりません。農家といっても色々あるし、経営も栽培もやり方によって、土地によっても全く苦労が違ってくるので、農家だから農家の苦労が分かるかといったらそんなこともありません。同じ家の中で同じものを食べている家族であっても一人一人それぞれ考えていることは違うし、抱えている問題も何を好むかも、色々とかなり違います。どのような場合でも、それぞれが「同じではない」ということを知っておくことはすごく重要だと思います。例えば葉菜ちゃんの通う小学校や花野ちゃんの通う幼稚園においても、「○○小学校の児童は」「○年○組のみんなは」とか「○○っ子たちは」みたいにその組織のメンバーはみんな同じであるかのような表現をしばしばお便りなどで目にします。分類してそこにいる人たちの傾向をつかむことで理解しやすくなることも時にはあるでしょうが、ほとんどの場合は一人ひとりに目を向けにくくなったり、その枠組みに入れない子が「自分はおかしいんだな」と感じたりするような弊害の方が遥かに大きくなっていると思います。一人一人は全然違うし、そのそれぞれの一人もまた、一瞬前とは体も心も同じではありません。   健

ひとつぶ便り 309号

いつもありがとうございます。全然更新していなくてたまっている記事を徐々にアップしています。まだ7月の記事で、暑いときです。あの時からすれば、すごく涼しくなりましたね。

ひとつぶ便り 309号(2018年7月20日便)

 いつもありがとうございます。ものすごく暑いですね毎日。そしてあの大雨が続いた時から一変して雨が降らない日が続いています。ここは標高1000メートルくらいの比較的涼しい場所ですが、気温は連日30℃を超え、今日(18日)は温度計が35℃を指していたそうです。こんな暑さは災害みたいなものだから、こんな時は色々な仕事、誰もが休んだほうがいいと思いますが、畑の野菜たちや草たちも休んではくれないので、毎日やることはたくさんあって、毎日畑に出ています。しかしまぁ、僕が育った練馬の暑さはこんなものではないし、それに比べればだいぶマシで、動けます。光化学スモッグのようなものも発生しません。あと、夜はだいぶ涼しくもなります。それと、僕らの借りている畑は半日日陰、みたいな場所も多いので、多くの時間、割と爽やかな環境で作業していたりもします。日当たりがいい、というのは良い田畑の条件と言われますが、こんなものすごく暑い時は、同じ畑の中でも日陰の時間が長い場所でしか野菜しか育たないこともあります。太陽の恵みを受けてどんな命も生きていますが、その光と熱は時として、命を奪うものでもあります。直射日光の中で、長時間生きていられる生き物は、そう多くないように思います。人間も、水分が無ければすぐにでも命の危険があります。木があれば、森があれば、そこには陰ができて、湿度も保たれ、多くの生き物が生きられます。土の露出した畑の表面は、それと逆の状態。特に小さな生き物たち、微生物たちにとっては生きることが困難な環境です。畑の上にも草が適度に生えていたり、草を刈って敷いておいたりすれば(草マルチ)、その下で小さな生き物たちが生きられます。小さな生き物たちが生きられるということは、それを食べて生活しているようなものたちも生きられるということ。そこで生きるものたちの力が、土の力。ある程度の規模をやっていると、なかなか全面に草マルチ、なんてことは難しいのですが、もっとやっていきたいし、作業的にもいろいろ工夫したいところです。と、草と小さな生き物たちの話を書いていて今、ふと「境界線」が分からなくなりました。ある程度の期間、厚く敷いておいた草をめくってみると、地面と触れているところは、菌が白く集まっていたりします。それは、どこまでが草で、どこまでが菌で、どこまでが土なのか、と。敷いてある草はあまりめくらないほうが、そこで暮らすものたちにとっていいでしょうが、その下で旺盛に生きる虫たちの姿を見たくなって時々ついめくってしまいます。そこで命が活発に生きているのを見るのは、すごく嬉しい気持ちになります。本来、目に見えないほど菌のようなものたちも、そこではそうやって集まっていて、目に見えたりもします。「土」と呼ばれるものは、ものすごくダイナミックで動的で、生きているもの、死んだもの、鉱物、様々なものの集まりです。草が虫を食べたり、虫が虫を食べたり、そうして小さくなったものを菌が分解したり、そうやって土の一粒となったら今度はまたそれが草を育て草になったり、それを食べた虫になったり、というふうに、すごく狭い範囲だけ見たとしても、そこには時間的にも空間的にも、複雑に絡み合い、頼り合い、折り重なる命たちの姿が見えます。僕ら人間の体も、そういう折り重なる命たちの存在と共にあります。僕らの体も心も食べたものでできています。お米や野菜たちはちょっと前まで草や虫や太陽の光や風や、色々なものだったし、僕の体や心はちょっと前までお米だったし、野菜たちでもありました。「いただきます」を心から本気で、言わずにはいられません。 健

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