FC2ブログ

ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 311号

いつもありがとうございます。まだアップしていない記事が他に3つほどあるのですが、ヤギのすみれちゃんがうちにやってきたという、生活に一つ大きな変化があったので、そのことについて書いたこの記事を先に、アップしておきます。
来てから1週間以上が経ちましたが、だいぶうちにも馴染んだと思うし、だいぶ慣れたと思います。ヤンチャな面も見られるようになってきました。では、先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 311号(2018年8月3日便)
 いつもありがとうございます。先日通過した台風12号は僕らの住んでいるあたりには、たっぷり雨は降らせてくれたものの豪雨というほどではなく、風もそれほどではなかったので、ただありがたく感じました。その前後はやや涼しい気温の日が続いて、昼間も比較的快適で夜は肌寒いくらいでしたが、ここ数日はまた猛暑です。これを書いているのは夜で、昼間に比べればだいぶ涼しいし、東京などの寝苦しさからすれば何も問題ないくらいですが、標高1000メートル近いこの場所としてはだいぶ暑く感じます。
 台風は2週間ぶりくらいの雨をもたらしてくれて、だいぶ畑もそこにいる野菜や草たちも潤いました。しかし、雨が降ったら全て解決、なんて話ではもちろんなく、その前の猛暑と乾燥の影響は色々と出ています。例えばズッキーニは、恐らく小さい実の段階であの暑さに当たったせいで受粉できなくて、きれいに育っている実が少なく今採れる量が少ないです。そうやって、2週間前とか1週間前の天候の影響が、今出てきたりします。2週間前の天候でその時採れないこともあれば、2週間前の天候のおかげで採れている場合もあります。人間のする作業にしても、例えば種を播いてから収穫するまでには時間がかかるし、草取りなども、その作業が収穫に影響するまでには時間がかかります。そういう「時間差」は、農業の醍醐味な気がします。実際は作業も天候も畑の土も、それぞれの条件が複雑に絡み合っているから、何がどう作用しているのか分からない部分が大きいし、作業的にはすごくがんばったけど天候があまりに悪くて収穫できない、とかその全く逆みたいなこともしばしば起こります。たくさん採れそうと思った野菜が獣たちに全て食べられることもあります。その部分だけ見たら、「成果」とか本当に分かりにくいですが、土の上や中に住んでいる全ての生き物たちを大切にするような農業をしていれば、目先の収穫がどうであれ土はゆっくり育っていき、生き物が数多く、多様に生きている健康な状態になっていきます。畑は常に、天候等に強く影響されるものだけど、例えば土の中の生き物たち、植物の根によって団粒構造が育てば水はけも水持ちも良くなるから、その分野菜の成長や収穫なども安定します。こういう農業をしていれば、1週間とか2週間の話ではなく、5年前の農作業の恩恵を今受けられるし、今した作業が5年、10年、20年後、もっと先への贈り物にもなります。
 ところで、うちに新たなメンバーが加わりました!ヤギのすみれちゃんです。生後3か月のメスのヤギさんで、知り合いのところで3頭産まれたうちの1頭を、お願いして我が家にもらってきました。除草とか乳とかそういう目的もありますが、ただ、ヤギと一緒に暮らしたい、というのが主な動機です。先月の29日に来てこの数日ですが、僕ら家族のそれぞれが、すみれちゃんにはとてもいいものをもらっています。特に次女・花野ちゃん(6歳)は普段しない早起きまでしてすみれちゃんの小屋(家の前の畑にゆっこさんが建てました)に行ったりして、よく一緒にいます。もともと人間にも、自分の母や兄弟たちにもたっぷり愛情を受けて育っていたから、すみれちゃんもとても人懐っこく穏やかな性格のようです。
その愛情に溢れた安心できる環境から、1頭だけ連れてくる、というのは実際にその別れのシーンの中にいて、ものすごく辛いものがありました。事前にはそこまで自分が辛い気持ちになるとは想像がついていませんでした。愛情深い人間と、ヤギの母ときょうだいに囲まれて安心して暮らしていたところに、何度かしか会ったことのないよく知らない人間がある日突然やってきて、車に載せて連れていく。なんと恐ろしいことか。元より、何かの生き物と暮らす時、最も大事なことはその生き物の幸せだと思っているし、すみれちゃんも最高に幸せに暮らして欲しいと思っていますが、今回与えてしまった恐怖と絶望はある意味では取り返しがつかないし、僕は僕自身が感じたこの痛みを、忘れないようにしたいです。家畜と呼ばれる生き物たちは特に日本においては、生きる喜びを全く感じられないような状況で生まれ育ち、そして死んでいくわけで、それはとてもひどいことだと思いますが、こうして既に幸せに暮らしていて、これからもきっと幸せに暮らしていただろう生き物を家族から引き離すというのは、それもまたとてつもなくひどいことなのだというのを感じました。すみれちゃんを軽トラ(幌付きのものを借りていきました)に載せるとき、柵に隔てられたすみれちゃんとその家族は、お互いに大きな声で呼び合っていて、本当に切なかったです。完全に僕らの都合で、なんてことをしているんだと心より思ったし、今も思います。すみれちゃんがその時感じたものもですが、母ヤギ、ユキちゃんの心情を考えても、心苦しいです。ユキちゃんはそこで産まれたヤギではなく、大きくなってからもらわれてきたのですが、そこに来る前に、何度か産まれた子どもをすぐに離されているそうです。今回、僕らが行って、「連れて行こうとしている」と感じ取ったようで、それほど強くではないものの、僕らを頭でゴンゴン押してきたり、すみれちゃんに首輪をつけようとされるのを、守って、すみれちゃんはそれに守られて、という光景がありました。今、安心して自分の子どもたちと暮らしていたのに、やはりまた見知らぬ人に連れていかれる。2頭の子どもはこれからも一緒にいるし、今はきっと、また何事もなかったように暮らしているのだと思いますが、実際は何事もなかったわけではもちろんないし、その時きっと彼女は深い悲しみのようなものを抱いたと思います。その時僕らはよっぽどのものを、踏みにじってきたのだと思うし、それは今後どんなにうちですみれちゃんが幸せに暮らすことができたとしても、どんなに良いことがあっても、正当化されるようなものではないというのは、はっきりしています。
 すみれちゃんはとても人懐っこく、かわいいです。大切にされて育ってきたからこその懐っこさだろうし、愛情深いファミリーから来てくれたのを、本当にありがたく思っています。Fさん夫妻には深く感謝しています。来てから数日経ち、だいぶこちらの生活とここにいる僕ら人間たちにも慣れてきたようで、連れてきた日とか次の日よりはかなり落ち着いている感じがします。それは来た日からそうですが、散歩をしてもロープを引っ張ることはないし、一緒にゆっくり歩きます。人がそばにいれば鳴かないし、離れると鳴きます。桑の葉が大好きで、むしゃむしゃ食べます。僕ら家族、それぞれにとって色々といいものをもらっています。他のことでは体験できないことを、すみれちゃんの存在が教えてくれます。大切に、一緒に暮らしていけたらと思います。「ヤギさんがきた!」と言えばきっと多くの人が楽しい感じに想像するし、実際にすみれちゃんがいてくれて僕らはとても楽しいわけで、それだけ書くこともできましたが、その陰で、踏みにじられたヤギさんたちの生活や様々な思いがあったことも、残しておきたいなと思ったし、忘れてはいけないことだと思ったので、書きました。
 一つ一つの別れにいちいち悲しんでいたら、動物の権利など考えていたら、(特に日本の)畜産なんて成り立たないだろうし、それは農業も似たようなことかもしれません。でも、そういう悲しみはもっと、感じた方がいいもののはず。実際はあるのに、見ていないのだから。命を食べて生きている、ということの重みを、誰もがもっと感じた方がいいし、それを感じたら自分の命ももっと深く慈しめるはずです。健
スポンサーサイト

ひとつぶ便り 307号

いつもありがとうございます。大雨の直前くらいに書いた文章ですが、このときも暑かったなぁ。

ひとつぶ便り 307号(2018年7月5日便)


 いつもありがとうございます。今日(4日)は曇っていて、弱い雨が降る涼しい一日でしたが、ここ一週間はここまで晴れが続いて、標高の高いこのあたりもかなりの暑さでした。このあたりは昼間の気温は東京などとあまり変わりませんが湿度が低いので、炎天下の中でもまだ動けます。僕は東京の練馬の出身だし、ゆっこさんは兵庫県の川西市出身で、京都に住んでいたこともあるので、そういう場所の暑さがどういうものかもよく知っています。温度が高くても湿度が低いとだいぶ過ごしやすいということを、ここに来て知りました。それと、猛暑の日でも夕方になればだいぶ涼しくなるのが、助かります。
 連日暑くて、僕もゆっこさんもだいぶバテていたし、こうして雲が出て涼しくなれば、だいぶ動きやすくなります。例えば土の中の微生物とか、パンの酵母とか、それぞれに得意とする温度帯があって、その温度だったら活発に活動して増殖するし、ある温度より高くなれば生きていけないし、低かったら活動がゆっくりになる、みたいなことがありますが、人間も全く似たような感じだなと思います。しばしば多くの人たちは人間と自然と切り離して考えたり、人間を他の生き物たちと比べて特別だと考えているように思いますが、人の活動も微生物や動植物と同様、温度と湿度だけで、かなりのことが決まっている気がします。例えば「暑いとビールがよく売れる」とかいう事実からでも、「生き物」としての人間を感じられます。ちょっとした温度、ちょっとした湿度の違いで、自分の心身の調子も、行動も言動も、違ってきます。もちろん気温と湿度だけが僕らを取り巻く環境ではなく、気圧などもすごく感じやすい要素の一つですが、そういった一つ一つの環境の要素に大きく影響されながら、僕らは今日も生きています。また、太陽の光は僕らを生かしているけど、夏の強い日差しは熱射病の原因にもなり、場合によっては命をも奪います。畑に生きる野菜たちや草や虫や微生物たちも、太陽の恵みを受けて生きていますが、直射日光のもとではカエルもヘビもミミズも微生物たちも、生きていくのは困難です。木や草の陰で、彼らは生きます。生きている草の下や、枯れて倒れた草の下にも、たくさんの命を見つけることができます。そこには、どの命も他の命に頼り合いながら生きている姿があります。この社会においてはすごく多くの人が、人間は他の生き物と違って特別なもの、と思っているように思うし、僕自身かつてはそんなふうに思っていたかもしれません。それと、アスファルトで覆われた道と、住宅、マンションばかりが立ち並ぶ中では、自然と自分の関わりを、とても見いだしにくいということもあると思います。でもそんな環境であっても実際は、周りの環境、他の生き物たちと依存しあって、誰の体も心も、そこにあります。そこには、かつて生きていたけどもう生きてはいない、全ての存在の姿もあります。例えばそこにある野菜は、収穫したときか、茹でた時か刻んだ時に、もう花を咲かせたりすることはできなくなるけど、それを食べた人のエネルギーになったり、食べた人の体や心をつくります。僕らが食べた野菜は消滅するわけではなく、違う形となって、続いていきます。そういう命の積み重ねが野菜も人も作っているし、僕らもいずれ、また違う形となって、続いていきます。田畑はそういうことを具体的に見せてくれます。僕らは自然の「現れ」の一つ。野菜やお米や、草や虫たちも、ここにあるパソコンですら、全ての自然の中の、「現れ」の一つ。この心も体も、今書いているこの文章も、他の全てのものと関わり合ってここにあります。  健

ひとつぶ便り 306号

いつもありがとうございます。久々の更新。だいぶ記事がたまっております。まぁ、もうすぐ寝るので今日はとりあえず2つあげておこうかな。

ひとつぶ便り 306号(2018年6月29日便)
 いつもありがとうございます。いつもはたいてい出荷作業の前日にお便りを書いていますが、今日は当日書いています。現在は収穫してきて大根などを洗い、お昼を食べたあとです。この、木曜日の出荷の作業は大まかに言えば2人で収穫して、袋詰めなどをして、箱詰め、という感じです。それを車で近くのクロネコヤマトさんに夜の7時までに持ち込んで、皆さんのもとに運ばれます。佐久方面には、直接お届けもしています。ゆっこさんは毎回その日にお便りを書くので、そういう作業や色々と事務作業もあります。週によって出す箱数が違うし、野菜の内容も毎週どんどん変わっていくので、例えばただ「収穫」といってもかかる時間も違えばやる作業も違います。手間がかかったり、かからなかったりも色々です。天候によっても作業が大変だったり楽だったり、何かと違います。今日の明け方は強い雨でしたが、そのあとはだいぶ弱まって、お昼過ぎの現在は雨が上がって曇りの状態。曇りの日は動きやすいし、野菜もしなびたりしにくいので、出荷の日に曇りはありがたい感じがします。子どもたちは、葉菜ちゃん(9歳)は小学校へ行き、花野ちゃんは幼稚園に、はるちゃんは近くに住むゆっこさんの父(僕の義父)に見てもらっています。幼稚園が終われば、花野ちゃんも一緒に見てもらっています。子どもたちは喜んで行くし、僕らとしても本当に助かります。葉菜ちゃんは学校から帰ってくるのが4時くらいなので、そのままうちで1人、本を読んでいたり、宿題をやったり、気が向けば「葉菜ちゃん通信」を書いたりします。
 ところで、こうして野菜を育てて売っている僕やゆっこさんは「生産者」と呼ばれることもありますが、この呼び方はものすごく違和感があります。「私が作りました」という文言と共に農家たちの顔写真が並んでいるようなカタログや、直売所も見たことありますが、僕の感覚としては自分が野菜を生んだとか、作ったとか、そんなことはとても言えません。確かに畑で何かを育てるには、そこで働く人たちの多大な労働が伴います。特に、大きな機械、よそから買ってきた肥料を使い、一面にビニールを張り、薬剤を散布しながら行う現在の一般的な農業は、「私が作った」とか「人間が作った」という錯覚を起こしやすい気がします。ひとつぶ農園の畑も、人も大きく関わって、そこにあります。畑には農家だけでなくその周りにある様々な産業に従事する人、そこで採れるものを買う人、遥か異国の地で石油を掘削する人、官僚や政治家、密接なところだけ挙げてもとても挙げきれないほど様々な「人間」が関わっています。そのように、そこには人間の存在もありますが、まず何よりそこには、土があります。虫や草、微生物、土の中、土の上で生き、死に、それぞれが関わり合い、依存しあいながら存在する命の姿があります。空には太陽があり、雲があり、雨が降ってきます。それが、その命たちを支えています。その命たちが、土になり、その営みが土そのものであり、土が野菜を育て、土が野菜そのものになります。野菜を作る、野菜を育てる、それが主に人間によるものだという考え方は、あまりに狭い物の見方だし、本当の現実と大きく異なっています。僕がお便りの中で「僕らが育てた」と書く時、その「僕ら」は、僕とかゆっこさんとか、畑を手伝ってくれた人たちだけを指しているわけではありません。土、虫、草、雲、雨、風、太陽、全ての自然を含めての意味です。この体も心も、そういう自然から、できているもの。「私が作りました」ではなく、野菜やお米に「私が作られました」という方が、遥かに現実に近い気がします。     健

ひとつぶ便り 305号

いつもありがとうございます。先々週のひとつぶ便りです。梅雨明けですってね。

ひとつぶ便り 305号(2018年6月22日便)
 いつもありがとうございます。今日(20日)は1日雨模様で、特に午前中はかなり大降りでした。ゆっこさんは朝から外で少し収穫作業をしていて、僕は田んぼの水を見に行ったりはしましたが、それ以外は特に農作業はしませんでした。ここ一週間は体をたくさん使う作業が多かったのもあって、ちょっと疲れています。今日は次女・花野ちゃんの通う「森のようちえん ちいろば」の5,6月のお誕生会があって、花野ちゃんはもうすぐ6歳の誕生日なので該当の月。ここではどういうわけか、保護者が何かしらその子のために発表する、というのが誕生会の決まりで、うちは長女・葉菜ちゃん(現在小3)の時は、歌を作って歌ったり、誕生のときの紙芝居を作ったりして、花野ちゃんは昨年、誕生したときの絵本を作って読みました。こういう場に向く表現が好きじゃない人にはすごく負担だろうし、そもそもそれぞれの家庭で祝えばいいんだし、それだったら無くてもいいイベントなんじゃないかとも思います。まぁそれはともかく去年もやったし、今年は何にしようかと思ってゆっこさんと相談し、太鼓とダンスとかいう案もありましたが、それより絵本の方が花野ちゃんがきっと喜ぶと思い、今年もまた絵本を作りました。誕生のエピソードは前回やったので、今回は何にしようか直前まで夫婦で相談していましたが、『かやちゃんがいるとうれしいな』という題名の絵本になりました。内容はタイトルの通り、花野ちゃんがただそこにいるだけでうれしい、というシーンを集めたもの。この前、僕が畑で玉ねぎを掘っていたら花野ちゃんが一人で家からやってきて、一緒に掘りました。作業を手伝ってくれることも助かりますが、そんなことよりも、足音が聞こえて、花野ちゃんの姿を見つけたときが、なんとも嬉しくなる瞬間なのです。別に、手伝ってくれようとくれまいと、ただそこにいることが、嬉しいのです。そういう嬉しさを伝えたくて、作った絵本でした。文章はゆっこさんと2人で考えて、絵はゆっこさん。過去のひとつぶ便りの、ゆっこさんイラストからの切り抜きも使いました。最初は全ての部分を描こうと思っていたのですが、もっと小さい頃の花野ちゃんを描こうとしたゆっこさんは、どう書いても今の花野ちゃんを描いてしまうことがわかり、切り抜きという方法をとりました。絵にせよ文章にせよ音楽にせよどんな表現も、その時、その場所でしかとらえられないもの、表せないものですね。このお便りも、明日にはもう今日と同じものは書けません。そもそも誰もが生きられるのは今だけだし、今の自分は今しかいません。
 花野ちゃんは、誰かと遊んだり、一緒にいる喜びを、全身で表現する人です。それはもちろん狙ってやっているわけではないでしょうが、表情や動きで、花野ちゃんが嬉しさを全開で発するので、周りの僕らも、本当に嬉しくなります。いいなぁ。すごいなぁと思います。花野ちゃんも葉菜ちゃんも、お客さんがとにかく好きで、大人でも子供でもうちを誰かが訪問してくれると、とても喜び、大歓迎します。
 例えば学校で、社会で、ものすごく限られた能力を評価される経験を積み、ものすごく限られた価値観の中で「役に立て」というメッセージに苦しんでいる人が多いように感じます。でも子どもも大人も誰もが、何をしていても、たとえ何もできなかったとしても、ただそこにいるだけで、大切にされ、生きていていいんだと強く思います。例えば子どもにそれを伝えられるかは、僕ら大人自身がありのままの自分を大切にしているかどうかにかかっています。自分を大切にすることは、何より重要だと思います。 健

ひとつぶ便り 304号

いつもありがとうございます。先々週のお便りです。暑いですねここんとこ。

野菜のまわりの草に応じる作業はとにかく好きで、収穫とかより断然好きです。この回に書いてあるような内容は、果てしなく書けるし、ものすごく多くの書きたい内容の、ごく一部。A4の紙1枚っていう分量は限られた内容しか書けないので、ある程度書き上げたあとは削ったり、書き直したりの作業が結構あります。そんなのも含めて楽しく書いてます。


ひとつぶ便り 304号(2018年6月15日便)
 いつもありがとうございます。一年でいちばん昼間が長い時期なので、必然的に田畑にいる時間も長くなります。この時期は午後7時はまだ明るいので、僕もゆっこさんも大体そのくらいまでは畑にいます。葉菜ちゃん(小3)、花野ちゃん(幼稚園年中)が、はるちゃん(2歳4か月)と遊んで、色々世話もしてくれます。一緒に畑で何かをやったりすることも最近は多いですが、今日(6月13日)は僕は一人で、田んぼで田車を押したり、大豆畑とジャガイモ畑に管理機をかけたり、手で草取りをしていました。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、という状況で、目の前のことがしっかり見えないことも多くありますが、その時の一呼吸を、その時その場所の一歩一歩を大切にすることを心がけて、農作業をしています。今この場所を大切に生きることは、田畑でも家でも、いつでもどこでも何よりも重要なことだと思います。土の上で生きている、その計り知れないありがたさを日々感じています。
梅雨時期で雨も多いですが、雨の日は雨の日でハウスの中のトマトの誘引ひもつけ作業とか、土手草刈りとか、色々仕事はあります。まぁでも、雨の日は気分的に落ち着くし、実際にゆっくりペースで過ごすことが多いです。家族みんなで図書館へ行ったりもします。ところで雨と言えば、野菜も草も様々な葉っぱをつけていますが、その形や質の違いは日の光をいかに受けるかという目的だけでなく、それぞれの植物が雨とどう付き合っているか、ということにも大きく関係しているようです。葉に雨が当たると葉から養分が流れ出ますが、流れ出るのをなるべく防ぐものもいれば、わざと流して根から吸収しやすいようにしているものもいます。葉や茎の形や質によって、それぞれの目的が達成されるようにそれぞれの植物たちが工夫しているようです。葉も茎も根も、それぞれの植物たちがものすごく長い間、積み重ねた経験によってその形があります。その経験と知恵は今日も、変化しながら多様に積み重なっています。
雨が降り、気温が上がれば、野菜も育ちますが野菜以上に草(雑草)たちが勢いを増します。野菜や稲を育てる上で、草たちの存在はとても厄介ですが、その存在なくして土は成り立たず、土が成り立たなければ野菜や稲も育ちません。実際に草に圧倒されて、野菜が育たないこともしばしばありますが、彼らは敵ではありません。草の根が耕す以上のことを、人間はできません。トラクターでいくら耕しても、ふかふかの土はできません。健康な野菜を育てる健康な土を作るのは、草の根や茎や葉や、落ち葉、それを食べたり分解するミミズや虫や微生物などの働き。土は、そこで生きる植物や大小様々な生き物たちの、生きる営みそのもの。土は物質というより生き物。土から草ができ、枯れ、土に還り、またその土が草になる。様々な草、様々な生き物、それが生きたり死んだりすることを、それぞれ深く関わり、依存しながら繰り返している状態、それが、土。畑で土に触れて、そこにいる生き物たちを見ていると、それぞれの生き物たちが他の生き物たちの存在を前提としていることが分かります。花粉を蜂に運んでもらう植物は多く野菜にも多いですが、これなどはまさに、その分かりやすい例。そうした分かりやすいことから分かりにくいことまで、他の種類の生き物にそれぞれが頼り合いながら、生きています。人もまた、他の生き物の命を前提に体も心もできています。それを意識できようとできまいと、僕らは他の生き物とも、土とも、全ての自然と深くつながっています。というか、人もどうであれ、自然の「現れ」の一つです。 健

FC2Ad