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ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 399号(2021年7月9日便)

ひとつぶ便り 399号(2021年7月9日便)
 いつもありがとうございます。僕らの住むあたりも雨がよく降っています。特に7月2日から3日にかけては大雨が降って、この近くでも、水路から水があふれたり、水によって道路が一部はがれたり、というような細かい被害が色々あったようです。でもそれ以上大きな被害の話は特に聞かないし、僕らのやっている田んぼとか畑も特に今のところ大きな問題は無さそうです。今回は熱海で大きな災害がありましたが、佐久穂町でも一昨年の台風で甚大な被害が出ているし、毎年、全国のどこかで大きな災害が起きています。今回の熱海の土石流に関してはかなり人災の部分も大きいようだし、人が、浅く短絡的な考えで行っていることが災害をよりひどいものにしています。原発なんて最たるものだけど、世界各地で生きる場所を奪われている「先住民」と呼ばれる人たちは、自然への深い畏敬と、採り尽くさない知恵を持って、自然の中で生きてきたのだと思います。現在の文明の中で生きる僕らは、ただ暴力によって誰かから、自然から見境なく奪ってきた、深く考えない知恵のない人の集団です。
災害への備えはとても重要だと思う一方で、何よりも大切なのは「何が起こるかわからない」という心構えと、今生きているこの瞬間を大切にすることだと思います。あと、日本の社会はやたら「死」ということをタブー視していて、すごく日常から遠ざけようとしていますが、もっと日常で当たり前に、かつ大切に扱われるべきテーマだと思います。普段、「死」を社会が遠ざけ、時に忌み嫌っていることが、災害による人の心のダメージを大きくしている気がします。よく言われる「死んだらおしまい」というのも間違いです。僕のこの体も心も、食べたものとか誰かの言葉とか意識とか、たくさんの「死んだもの」によってできています。例えば遠い昔の人とか、遠い昔のお米とか。何千年前のどこかの誰かが「この草、美味しそうだな」とか「この実、食べられそうだな」とか思って色々試した先に、今ここに野菜とかお米というものがあります。その人たちがとった種が、絶えることなく現在まで続いてきています。その人たちの思いもここにあるということ。一粒のお米の中に、何千年も、何億年もの歴史が詰まっているし、そこには微生物や人や動物や、他の植物の存在だって見えます。稲わらは、稲が熟して枯れて、言うなれば死んだ状態だけど、それは大地を覆い、土の上や中で暮らす生き物たちの住処となり、食べ物となり、様々な動植物を育て、やがてまた土になり、それがまた稲や他の植物になります。また、例えば森で倒れた一頭の鹿は、どれだけの生き物を生かすでしょうか。とても言葉で言い尽くすことのできないダイナミックな命の折り重なり。畑で生きる野菜も他の生き物たちも、どこからが始まりでどこからが終わりかとか、お互いの境界も、見れば見るほどわからなくなります。それぞれの生き物たちはそれぞれに依存して、お互いの命を支えています。花とミツバチのように明らかに共生、というふうに見えるケースもあるし、それが一見敵対するように見える場合だってそう。一つの命の中に、他の全ての命が見えます。太陽とか風とか水とか石とか、命だけではないものも。人もまた、人以外の全てからできています。かつて、僕はこの意識がいずれ終わり、それが「死」だと思って、小学生の頃からとても怖れていたけど、2年前くらいに「わかった」瞬間を体験して、それ以来怖れなくなりました。「この意識」が、そもそも「僕」と呼ぶもの自体が、他の全てからできているし、そして、「僕」は例えば畑で何かをしたりする行動という形で、髪の毛や汗が落ちたりして物質として、こうやって何かを書くことで言葉として、一瞬ごとほかのものに影響を与え、ほかのものになっています。よく見つめてみれば、地球の歴史の全てを自分の中に見ることも、世界のあらゆる場所に自分を見つけることもできます。 健
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ひとつぶ便り 398号(2021年7月2日便)

ひとつぶ便り 398号(2021年7月2日便)
 いつもありがとうございます。梅雨らしく雨が多い天気です。それでもずっと降っているわけではないし、小雨ということも多いし、土手の草刈りとか田んぼの草取りとか、やれることはいくらでもあります。天気としては「雨」と同じように表記されるものでも、降りの強さだけ見ても様々だなと思います。雨が多く、雨に弱いレタス類はどんどんコンディションが悪くなっていきますが、どんどん育ってきているものもあります。暖かい地域ではもう夏野菜もどんどん採れている時期かと思いますが、僕らの住んでいるここは標高が高くて寒いところなので、トマトなどは順調にいって7月の後半に採れるかという感じです。そんな中、先日ズッキーニが採れ始めました!6月26日が今年初めての収穫でしたが、畑で食べられそうなズッキーニを見つけた時の喜びは大きかったです。その時の自分にしかわからないその気持ちは、どうやってもお金では買えないし、言葉で正確に表すこともできないし、その時そこにいる自分にしか味わえないもの。畑のある暮らしの贅沢は、こういうところにあるなぁと今回も思いました。早く帰ってゆっこさんとか子どもたちに見せてあげたいと思うのと同時にこの、「最初に発見した喜び」みたいなものを僕だけが持っていることに、何かうしろめたさのようなものも感じたりしている自分がいました(笑)。そんなふうに感じるほどに、こういう時には贅沢さを感じるし、嬉しい気持ちがあります。季節はどんどん変わっていき、採れるものもどんどん変わってくるので、割と日常的にこういう瞬間は訪れるわけですが、どれも1年ぶりとか、その前の年にうまくいかなかったら2年ぶりとかの「再会」だったりするので、日常的にとても大きな喜びを感じる機会があります。本当に贅沢な暮らしをさせてもらっているなと思います。初採りの野菜を持って帰ると、みんなでワーッと喜びます。
 5月20日頃にひどく痛めていた腰の調子はますます良くなってきていますが、まだ痛みはあります。ヘルニア(なのかもわかりませんがたぶんそう)のことをネットで少し調べていると、完治するものだとしても「3か月」だの「6か月」だのという数字も出てくるので、気長に見ていくものなんだろうなと思います。ここ2週間くらいはもう農作業にはほぼ問題がない状態ですが、大好きなダンス(アフリカン)を踊るのはまだちょっと難しい感じでした。目いっぱい全身を使う踊りだから、日常生活とか農作業では動かない部分も動くようで、痛みが出たりします。でも本当に最近、だいぶ踊っても大丈夫な感じになってきて、体が弾むようになってもきました。「踊れない状態」とか書くと自分が残念な気持ちになるのでこれまで書いていませんでしたが、踊ることは僕の生活の一部で、それはとても重要な部分なので、踊れるようになってきたのはとても嬉しいです。仲間たちとも踊りたい気持ちになっています。
 ここ一週間は、友人が彼の家で「台所ライブ」をやったり、うちも来客が色々あったりして、僕らとしては結構たくさんの人に会っている感じです。歌ったり踊ったりはとても好きですが、話すのはゆっくりじっくりなのが好みだし、人数も数人とか、多すぎない方が好みです。今日(30日)は次女・花野(かや)ちゃんの誕生日。9歳になりました。産まれてきて、今生きていてくれて、本当にありがとう。小さい子とか、動物とか、友達にも優しく、愛情深い人です。意志が強いです。やりたいことはとことんやるし器用だけど、やりたくないことはとことんやりません。コミュニケーション能力はうちの誰よりも高く、何かととても賢いけど、素直な部分を損なうことなく大きくなっていて、素敵な人だなぁと感じます。うちは誰の誕生日でも、ご馳走とケーキを作って祝います。お祝いでなくとも毎日家族と、時には友人も交えて食卓を囲み田畑で採れたものを食べます。豊かな暮らし。日々幸せを感じます。健

ひとつぶ便り 397号(2021年6月25日便)

ひとつぶ便り 397号(2021年6月25日便)
 いつもありがとうございます。1か月前は腰の激痛で立ち上がれなくなり、その後も短時間しかたっていられないような状況がありましたが、最近はかなり良くなって、刈り払い機を使って広い土手の草刈りとか、それなりにハードな仕事もできるようになってきました。という感じで専ら腰のことが自分の頭を占めている重要事項だったので、お便りも毎回そんな内容が多くなっていましたが、気が付けば野菜が色々できてくれていて、食卓も豪華な感じになっていて嬉しいです。僕が腰を痛めて動けない間にも、時間とか自然とか、そこにある命は一瞬も留まることはありません。あとまぁ、体に何も問題を抱えていなくても作業が滞ることは色々な理由であるし、田んぼや畑でものが育つかどうかは人がどうこうできない天候とか次第の部分も大きいです。毎年天気も気温も全く違い、その年その年で自分たちの状況も違い、そもそも何も比較できないし、することに意味もないようなことばかりですが、それでも少し去年のこの時期と比べてみると、野菜はだいぶよくできてくれています。去年は春先の野菜がことごとくうまく育たず、そのあとは8月までずーっと雨、みたいな感じでした。晴天率が高いのとか土質とかの関係で、ここは基本的に土が乾燥しやすい土地ですが、今年はここまでは割といいタイミングで程よく雨が降ってくれている印象です。梅雨入りして、ここのところは雨が多いですが、去年ほど晴れていないわけでもありません。あと、腰を痛めていてもなんとかなったのは、ゆっこさんが踏ん張ってくれたからだし、それが可能だったのは麦ちゃんが去年と違って新生児ではなかったから。あと友人たちにも色々助けられました。と、書いていて思ったけど、去年は去年で春から友人家族がたくさん遊びにきてくれて、手伝ってもくれてたなぁ(今年は埼玉)。まぁほんと、何もかも比較なんてできないし、どうでもいいですね(笑)。この後の天候がどうなるかなんてもちろんわからないし、自分を取り巻く状況が、腰とかも含めてどうなるかなんて誰にもわからないし、わからないことを心配することより、今目の前に野菜が育って、それを食べられることの喜びとか、家族がこうして楽しく暮らしている幸せを感じることの方が遥かに重要です。腰が激痛だったり余裕がないと見えなくなることもあるけど、割としょっちゅう、なんというか、「恵まれている」と感じます。こうして暮らしているそのものが恵みです。
 去年の1月末に産まれた麦ちゃんはもうすぐ1歳5カ月になります。元気にすくすく育っています。この前、はるちゃん(5歳)が通うようちえんのブランコに乗せていたらやたら揺れが大きくて、僕が押しすぎたか、と思ったら自分でこいでいてびっくりしました。しかも、足を全く動かさず、お腹を動かしてブランコをこぐ、ということをしていました。そんなこぎ方があったのか!後ろから見ているとただ座っているようにしか見えません。言葉を真似するのもますます上手になってきました。「だいこん」らしい言葉も言えます。カブを見ても「だいこん」と言います。色々と何もかも、この時期だけのかわいさとか、おもしろさがあると思います。言葉が喋れるのはまたすごいことですが、言葉がまだほとんど喋れないこの時期のこの人たちの素敵さは、なんとも言えません。まぁ出せる言葉は少ないけど、聞く方はかなりバッチリで、自分に必要なことはたいてい聞き取っているのではないかと思います。上の3姉妹もそれぞれ元気にやっています。見た目も含めて性格は本当にそれぞれです。同じ親で、似たような環境で育ってもこんなに全然違うのだから、「子どもは〇〇」みたいなことを言う人はたぶん、よほど目が曇っています。それぞれが全然違うし、それぞれの人も時と場合によって全然違います。互いに関わり合い、影響し合いながら生きている、それぞれのその時だけの命を、見逃さないでいたいです。 健

ひとつぶ便り 396号(2021年6月18日便)

ひとつぶ便り 396号(2021年6月18日便)
 いつもありがとうございます。14日に関東甲信地方も梅雨入り(したとみられる)の発表があって、ここのところ毎日のようによく降っているし、これを書いている今(16日夜)も雨が降っています。雨が続くと特にレタスなどの状態がだいぶ悪くなってくるし、(野菜も成長しますが)土手の草も畑の中の草もどんどん伸びます。見ていたら分かるくらいのスピードで伸びているのでは、とさえ思います。1日で畑の景色が変わります。緑の勢いの盛んな時期です。田んぼでも畑でも毎日色々な作業がありますが、草刈り、草取りに追われています。草取りとか、農作業の中でかなり好きではあります。
5月の3週目からこの野菜セットの出荷が始まったので、今日で1か月。ちょうど最初の出荷作業の日に、激しい腰痛というか下肢痛で、布団から立ち上がることもできなくなっていました。その前日書いたお便りに「昼間は動けます」とか書きましたが、その日は昼間も動けず。そのあたりがピークで、その後は徐々にですがどんどん良くなっていっています。友人とかから「腰はどう?」と聞かれてもう何週間も「だいぶ良くなった」と言っていますが、全部違う段階の「だいぶ良くなった」です。ここのところは治りが横ばいな感じもしていましたが、先週よりもだいぶ楽だなと今日思いました。今は強い痛みは出ないし、可動域も広がり、ほぼ不自由なく1日働いています。しかしこう、だいぶ状態が良くなってくると、寝たきりの最悪の状況と比べないで、痛みの無い万全な状態と比べている自分がいたりして、自分のことだけど贅沢なものだなと思います。症状が悪化していく時とか激痛に苦しむ時、動けない時、動けるようになっても数分しか立っていられない、とかそんな状態のときは、体の痛みで心もやられて、「どんどん悪くなるんじゃないだろうか」とか、「このまま動けなくなるんじゃないだろうか」とか、「ずっとこんな状態じゃないだろうか」とか心配になっていたし、その時からすれば、多少不自由があってもどんなこともできる今の状態は夢のようなものなのに、そんなことは忘れて「まだ痛い」ということだけに心を向けていたりします。まぁ忘れることは自然なことだしそれはそれで大事だけど、「まだ痛い」と言うより「だいぶ良くなった」と言う方が確実にいい感じです。社会全体が不安をあおってくるし、今現在を不幸とか不満だと思わせることによって大半の商売が成り立っているし、僕を含め多くの人がたぶん、自分の不安や心配に注目するのは得意でも、目の前にある喜びとか幸せを見つけるのが苦手です。激痛に見舞われたときには、もう痛みのことしか考えられないし、その時喜びや幸せを見つけに行くのではきっと遅い。普段から、自分の内にも周りにもある喜びや幸せを、意識的に見て、育てていることが重要だと思います。そもそも、今回のも日常の心身への優しさが足りなくて起こった激痛かもしれません。あと、周りに助けを求めることも人を助けることも、「平常時」においていつもやっているくらいでないと、いざ困難に直面したときできません。本当に困難な時は、人に助けを求めることは難しいような状態です。歩けもしなかったり、気力がなかったり。今回、言うまでもなくいちばん助けてもらったのは連れ合い、ゆっこさんだし、助けるのも助けられるのもお互いに常にやっているからできること。それと、僕が寝込んでいるとき、「診療」しに来てくれ、ゆっこさんはその時畑にいたのでついでに洗濯物まで取り込んでいってくれた整形外科医の友人は、いつものように唐突に現れて、そして帰っていきました。すごくありがたかったし、こんなふうに人を助けられるのっていいなと思いました。日常に既にあったものが、今回も僕を助けてくれています。自分の心身を大切に、家族や友人たちを大切に、今目の前にあるこの暮らしの一つ一つを大切に、全ての瞬間を丁寧に生きたいです。健
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ひとつぶ便り 395号(2021年6月11日便)

ひとつぶ便り 395号(2021年6月11日便)
 いつもありがとうございます。鳥とかカエルとか虫とか時々鹿とか、色々と声が聞こえて、外の昼間はうるさいくらいにぎやかです。家の中は子どもたちがにぎやかです。1年で最も日が長い時期ですね。午後の7時でもかなり明るくて、この時期は自然と田んぼや畑にいる時間が長くなります。3週間前くらいにひどく痛めていた腰(ヘルニア疑いで、痛むのは左下脚)もだいぶ具合が良くなってきて、辛い体勢とかはあるものの、ほぼどんな作業もできるようになりました。いちばんひどい時は完全に寝たきりだったし、その後も短時間しか立っていられないような状況がありましたが、僕の体も心もなかなかいい仕事をしているようで、毎日回復していっているのを感じます。遅れ気味だった田んぼの準備もできて、6日に機械で田植えをしました。3週間前くらいの先が見通せない状況では田植えまでこぎつけられるかわからなかったので、できるようにまで回復していて本当に良かったなと思います。機械で植えたあとは、苗の出来とか田んぼの状態とかでうまく植わらなかったところに手で追い植え(補植)をしていきます。前屈が辛い今の状態だとその体勢はまだきついかと思いましたが、意外とできています。とれる体勢はある程度限られているので速度は出ないし、まだ少し残っていますが、助っ人に来てくれた友人のおかげもあって、追い植えももう少しで終わりそうです。田んぼにいるの、とても好きです。
畑の葉物野菜たちはどんどん「とう」が立ってきています。小松菜とかチンゲン菜とか、ホウレンソウなどもそうですが、真ん中に一本茎が伸びてきて、やがて花が咲きます。1週間前よりもだいぶ進んできた感じです。「とう」自体は菜花として食べられるし、それはそれで美味しいものの、下の方から固くなってくるので葉物野菜としてはたちまち食べられなくなってきます。お金に換えられることなく、食べられることもなく畑で花を咲かせる野菜がこの時期、結構あります。春に菜の花が咲くのはとても自然なことだし、それはやがて土にも還るし、黄色とか白とかのお花畑もとてもきれいですが、「売る」とか「食べる」という立場からするとなかなかもったいない感じはします。大きな変化にせよ小さな変化にせよ、毎週、畑の様子はどんどん変わっていて、先週はとても美味しく食べられた野菜が今週は食べられないこともあるし、先週はまだまだ小さかったのに今週は一気に大きくなって食べられるようになったりもします。味が落ちたり、逆に乗ったり、みたいなこともあります。色々な時がありますが、その時の「ベストメンバー」をお送りしています。日々、刻一刻、今この瞬間も、野菜も、僕らの命も、どんなものも同じ形にとどまってはいません。スーパーに並んでいる野菜は、例えば小松菜ならこの大きさ、この形、大根ならこの大きさ、この形というのが厳密に決められていますが、同じ大きさ、同じ形しか認めない思想とかそれに基づく仕組みはとても多くの問題があると思います。多様であることこそ生物を生かし、生命を支えているのに、それを同じような形と大きさに押し込めることは、不健全です。その不健全な思想と仕組みの中で世の中のほとんどの農作物が育っているし、同様の思想と仕組みに僕ら人間も支配されて生きています。でも、どれだけ人間が頭で考えて間違えようとも、現実は変わりません。命はいつだって多様。例えば性別とかだって。ホウレンソウに5つの性があると言われ、ヤギは生殖をしない「中性」もいる、とか本にふつうに載っています。この国の多くの人と自民党のほとんどの議員が、人間の性別は男か女かしか無いと思っているようだけど、実際は人の数だけ性別は違うはず。他の誰とも違う、その人だけの性がある。「色々なやつがいる」とか「みんな違う」ということは思想ではなく現実です。現実に基づいた考えとか仕組みはきっと、誰もが生きやすく、楽しいです。健