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ひとつぶろぐ

長野県佐久穂町 ひとつぶ農園の、ひとつぶ便り

ひとつぶ便り 441号(2022年9月23日便)

 いつもありがとうございます。台風が来て、去って、一気に季節が変わりました。肌寒いです。昨日(20日)の朝は雨が降っていて、気温はまだ高めでしたが、そのあと雨は止んできて一気に気温が下がりました。9月にしてはだいぶ暑い日が続いていたのもあって、急激な冷え込みにびっくりです。半袖のTシャツ1枚でいられた気温から、その上に厚手の長袖を着て、合羽を着ないと寒い、ということになって、一気に着るものが2枚増えたような感じです。僕は季節の「空気が変わった」みたいなことにそれほど敏感ではないほうだけど、これほどあからさまだとわかります。まぁこれほどはっきりした変化がある時ばかりではないし、それが感じられなかったとしたって毎日どんどん季節は進んでいっています。一昨日まではまだまだ暑かったけど、それでも畑で聞こえる音も、景色もどんどん変化があったし、日が暮れるのはすっかり早くなりました。畑にいると、7月、8月あたりは色んな鳥や虫の鳴き声が高い密度で聞こえていて、それはもううるさいくらいですが、今はその時と比べてかなり静かになりました。空を見れば日の長さだけではなく、日差しの強さとか、雲の種類とか、そういうのも色々変化があります。毎日外に出て土の上で働いていればそれほど敏感ではない僕の感覚でも簡単に感じられる季節の変化がたくさんあります。でも、土の上ではなくても、どこにいてもそれは必ずあるもので、きちんと自覚していなかったとしても、誰の周りにも季節の変化は訪れています。そして、その変化は必ず体にも心にも、間違いなく影響しています。天気、気温、湿度、気圧、そういうものの少しの違いであったって、僕らの体や心に大きな影響を及ぼすことがあると思います。僕もよく勘違いしますが、人間は人間だけの世界で生きているわけではないし、おそらく現代社会に生きるほとんどの人が、自然が自分に及ぼしているものについて過少に見ているような気がします。自然の大きさを感じられるとき、人間が人間について、自分が自分について、コントロールできていることなんてほとんどないのではないか、とすら思います。季節が変わると、採れるものも変わってくるし、食べたいものも変わってきます。まだ夏野菜はがんばっているのでそれも食べますが、この前大根の間引き菜を食べていて体がほっと落ち着くのを感じたし、今日は寒かったからいつもの温かいお味噌汁が一層美味しく感じられました。食べ物はエネルギーとしてだけでなく、物質としても、僕らの体になり、心になっています。こうして文章を書いているのは例えば僕が1か月前に食べたお米です。つまり「僕はお米です」とか言ってもそれは全く現実の話です。それはそうと、季節の変わり目はやはり体調を崩しやすいので、体も心もより大切にしたいです。適度な運動と休養と、健康的な食べ物と瞑想と、あと人と心を通わすこと、とかでしょうか。それでも調子を崩すときは崩すので、そうなったらなったでゆっくり休んだらいいですね。
 僕らは田畑もあるしヤギも猫もいるので基本的に夏もこの時期もあまり出かけませんが、この3連休は僕の両親が遊びにきてくれていたり、友達の友達が遠く(沖縄とか)から遊びにきて、うちにも遊びにきてくれたりして、だいぶにぎやかな感じでした。自分の両親に会えるのは嬉しいし、友人たちを迎えるのも嬉しいです。それに、こうして時々誰かが来てくれて、自分の家が「密室」にならないことは、家族それぞれの健全な関係と幸せのために、とても大切なことだと思います。そして、お客さんが帰ると、やっぱり家族6人(と動物たち)のいつものメンバーが落ち着く、というのも思います。1人になる時間も好きです。外へ出かけるのもたまにはいいなと思うけど、今ここでしているこの暮らしの中で僕は幸せを感じているし、この暮らしと命を大切にすることこそ、やりたいことだなって思います。健

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ひとつぶ便り 440号(2022年9月16日便)

 いつもありがとうございます。この1週間、昼間は夏のような暑さの日が多いです。雨が多くてなかなかできていなかった種まきを、11日と12日にやっとできました。それはいいのですが、種まきの準備に、トラクターで畑を耕していたところやたらと車体が傾いて、何かおかしいなと思いつつ、前に耕したときの耕し方がよくなかったかなとか思ってだましだまし耕して、作業が終わったあと気が付きましたが、左側の後輪が思いっきりパンクしていました。僕ではどうにもできないことなのでいつもお世話になっている農機具屋のSさんに来てもらい、タイヤを外して持って行ってもらっている状態で、トラクターは現在使えません。ご時世的に何かと高騰しているということもあるし、そもそもモノがなかなか入ってこないとかそういう問題もあります。とりあえず20日頃にはなんとかなりそうとのことですが、どうなることやら。こういう時、自分たちのやっている農業とか、世の中の農業とか、もっと言えば社会全体の脆弱さも感じます。本当に、もろくて弱い。機械に頼り、石油に頼り、よその国の知らない人たちに頼り。それと、僕らは今回のように農機具屋さんにも頼っているわけですが、いつもお世話になっているSさんが「最近力が落ちちゃったから一緒に持ってくれる?」とか言っていて、手伝いながら「今おいくつなんですか?」と尋ねたら「77歳」と言われてびっくり!そして戦慄しました。もっと、あと10歳くらいは若いと思っていたので。機械に関して、農家でもなんでも直しちゃう、みたいな人もいますが、僕はあまりできないし、「機械って見ているだけでわくわくする」みたいな性格でもありません。ある程度できるようになるまでにはものすごく時間がかかりそうだなと思うし、とにかく機械についてはSさんにいつも任せきりです。S農機具店は主に夫婦で経営している農機具屋さんで、お連れ合いさんは事務をやっています。近隣の家庭菜園者とか、小さな農家とかの機械のことを一手に引き受けている存在です。色々なことに融通を利かせてくれるし、ヤンマーなどのメーカーに直接やってもらえばもっと高額の修理になるようなものでも、かなり安くやってくれているのではと思います。年齢を尋ねるのは今回が初めてでしたが、それはやっぱり頼りきりなので、引退とかして頼れなくなったらどうしよう、という思いもあったから怖くて聞けなかった、というのもあります。まさか70歳の後半とは思いませんでした。そりゃ力も落ちます。「100歳まで生きなきゃなぁ」と言っていましたが、本当に、健康に、できるだけ長く続けてくれたらなぁと思います。そして改めて感謝と敬意を感じています。
 ところで、今日は麦ちゃん(2歳7か月)と一緒にジャガイモ掘りの作業をしていました。一緒にやれるような作業はあまり多くないし、というかほとんどないので、こんな風に麦ちゃんと一緒にやるのはかなり珍しいです。麦ちゃんには掘るのはまだ力が足りなくて無理なので、僕が掘ったいもをコンテナに入れていく、というのをご機嫌でやっていました。僕が掘っていてジャガイモが姿を現すと「ふふん」と、思わず笑ったりもします。「しろいおいもがー♪」とか何やら歌っていたりもします。確かに、土を掘って何か出てくるなんておもしろいよなって思います。僕もおもしろいって思うし、出てくると嬉しいです。麦ちゃんは自分のやりたいこと、やりたくないこと、はっきり言うので、やりたくないのならすぐ家に帰りたがるわけですが、ジャガイモ掘りに関してはなんだか好きなようで、2日続けて1時間くらい一緒にやりました。それで帰ったあとは、お昼ご飯に掘りたてのジャガイモを蒸かして食べる、という感じで、畑から食べるところまで好きなこと続きで、さらに食育と言えばこれほどの食育もないよなと思います。で、ジャガイモをひたすら食べてジャガイモのような体形になる麦ちゃんです。  健
 いつもありがとうございます。この1週間、昼間は夏のような暑さの日が多いです。雨が多くてなかなかできていなかった種まきを、11日と12日にやっとできました。それはいいのですが、種まきの準備に、トラクターで畑を耕していたところやたらと車体が傾いて、何かおかしいなと思いつつ、前に耕したときの耕し方がよくなかったかなとか思ってだましだまし耕して、作業が終わったあと気が付きましたが、左側の後輪が思いっきりパンクしていました。僕ではどうにもできないことなのでいつもお世話になっている農機具屋のSさんに来てもらい、タイヤを外して持って行ってもらっている状態で、トラクターは現在使えません。ご時世的に何かと高騰しているということもあるし、そもそもモノがなかなか入ってこないとかそういう問題もあります。とりあえず20日頃にはなんとかなりそうとのことですが、どうなることやら。こういう時、自分たちのやっている農業とか、世の中の農業とか、もっと言えば社会全体の脆弱さも感じます。本当に、もろくて弱い。機械に頼り、石油に頼り、よその国の知らない人たちに頼り。それと、僕らは今回のように農機具屋さんにも頼っているわけですが、いつもお世話になっているSさんが「最近力が落ちちゃったから一緒に持ってくれる?」とか言っていて、手伝いながら「今おいくつなんですか?」と尋ねたら「77歳」と言われてびっくり!そして戦慄しました。もっと、あと10歳くらいは若いと思っていたので。機械に関して、農家でもなんでも直しちゃう、みたいな人もいますが、僕はあまりできないし、「機械って見ているだけでわくわくする」みたいな性格でもありません。ある程度できるようになるまでにはものすごく時間がかかりそうだなと思うし、とにかく機械についてはSさんにいつも任せきりです。S農機具店は主に夫婦で経営している農機具屋さんで、お連れ合いさんは事務をやっています。近隣の家庭菜園者とか、小さな農家とかの機械のことを一手に引き受けている存在です。色々なことに融通を利かせてくれるし、ヤンマーなどのメーカーに直接やってもらえばもっと高額の修理になるようなものでも、かなり安くやってくれているのではと思います。年齢を尋ねるのは今回が初めてでしたが、それはやっぱり頼りきりなので、引退とかして頼れなくなったらどうしよう、という思いもあったから怖くて聞けなかった、というのもあります。まさか70歳の後半とは思いませんでした。そりゃ力も落ちます。「100歳まで生きなきゃなぁ」と言っていましたが、本当に、健康に、できるだけ長く続けてくれたらなぁと思います。そして改めて感謝と敬意を感じています。
 ところで、今日は麦ちゃん(2歳7か月)と一緒にジャガイモ掘りの作業をしていました。一緒にやれるような作業はあまり多くないし、というかほとんどないので、こんな風に麦ちゃんと一緒にやるのはかなり珍しいです。麦ちゃんには掘るのはまだ力が足りなくて無理なので、僕が掘ったいもをコンテナに入れていく、というのをご機嫌でやっていました。僕が掘っていてジャガイモが姿を現すと「ふふん」と、思わず笑ったりもします。「しろいおいもがー♪」とか何やら歌っていたりもします。確かに、土を掘って何か出てくるなんておもしろいよなって思います。僕もおもしろいって思うし、出てくると嬉しいです。麦ちゃんは自分のやりたいこと、やりたくないこと、はっきり言うので、やりたくないのならすぐ家に帰りたがるわけですが、ジャガイモ掘りに関してはなんだか好きなようで、2日続けて1時間くらい一緒にやりました。それで帰ったあとは、お昼ご飯に掘りたてのジャガイモを蒸かして食べる、という感じで、畑から食べるところまで好きなこと続きで、さらに食育と言えばこれほどの食育もないよなと思います。で、ジャガイモをひたすら食べてジャガイモのような体形になる麦ちゃんです。  健

ひとつぶ便り 439号(2022年9月9日便)

 いつもありがとうございます。今、外は雨が降っています。雨の前に葉物などの種まきをやりたかったのですが、今日(7日)は朝から雨が降っていたので、できませんでした。僕らの住んでいるこの土地は、標高が高くて寒くなるのが早いし、冬が長いです。この時期の種まきは遅れてしまうと天候によっては野菜が大きく育つ前にとても寒い冬がやってきます。遅くとも数日中には種を播きたいところですが、まぁ天気には抗えないし、やれることをやるだけです。今日は薪割りがはかどりました。薪と言えばもうじきストーブを使う時期がやってきますが、うちは薪ストーブ一台で家全体の暖をとります。床の断熱とか天井上の断熱とか、ちょっとずつ、大工の友人に頼んで(自分たちではなかなかやれない)リフォームしたりして、10年前にこの家に住み始めたころより家自体の暖かさもだいぶ上がりました。ちなみに天井裏の断熱は、寒いときは暖かさを逃がさない役割をするし、暑いときは屋根からくる熱を防いで中は涼しくなり、冬も夏もそれぞれ快適になりました。薪ストーブには燃料として薪が必要ですが、買えば高いし買ったこともありませんが、確保がなかなか大変です。ここ数年は、林業をやっている友人が、持っていく場所に少し困る木を時々持ってきてくれて、それで1年分なんとかなっていて、ものすごく助かっています。本当にありがたいです。ちなみに、ある程度の大きさのチェーンソーを持っていてある程度使えて、薪割り機を持っているか薪割り斧での薪割りが異常に好きとかではないと薪にはできないような木が多いので、うちでは大喜びだけどどこへでも持って行って喜ばれるようなものではないようです。うちは薪割り機はありませんが、僕がとても薪割り好きです。初めのころ(10数年前)は斧の「一撃の威力」みたいなものに興味があったけど、ちょっとしてからはいかに楽に、体に負担をかけず長時間やっていられるか、みたいな部分の方が重要だと思うようになり、そこの研究に関してはとてもマニアックなものを持っています。そして、「研究」の楽しさもあるけど、とにかく淡々とやり続ける、みたいなことに楽しさとか喜びを感じる性格でもあるので、薪割りは最高です。
 自分たちだけのことではないから詳しくは書かないけど、ここ1か月くらい、困った状況に置かれていた統合失調症を持つ友人がいて、少しでも助けになれたらなと思って、主に数人の友人たちと共に、僕もゆっこさんも色々やっていました。ここ2週間くらいは特に僕はほぼ毎日会っていて、食事を届けたり、うちで一緒に食事したり、話を聴いたり。何より、その友人自身が本当にものすごくがんばって、なんとか自分を保ち周りを気遣い、1日1日を生き延びていました。昨日、自分の意志で、穏やかに入院していったようです。学びが多かった1か月です。今この瞬間も、彼の時間も僕らの時間も絶え間なく進んでいるし、入院したらオッケーとかそんな話でもないので、今後もできる形で関わっていきたいです。この1か月でも強く思いましたが、どのような状況においても、誰かに話を聞いてほしい、というの願いは誰にでもあるのではないかと思います。そして、ただ聴くことはそれだけで助けになります。でも、ただ聴くというのはとても難しいことだとも感じます。アドバイスより、気の利いた返答より、知識や何かのアイディアより、「答え」や「正しさ」を主張することより、まず何より聴くことの方が遥かに重要なのではないかと思います。話を聴かれない環境では人はどんどん不安定になるし、それは年齢も、精神障害の有無も関係ないと思います。逆に、聴いてもらえば安心するし、安定もします。僕も日々、家族や友人たちに話を聴いてもらっています。これまでもそうやって生かされてきました。僕も話を聴ける耳と心を持っていたいなと思います。大切なのは、呼吸に気づき、今ここに在ること。 健

ひとつぶ便り 438号(2022年9月2日便)

 いつもありがとうございます。もう8月が終わって9月ですか!野菜はまだまだ夏野菜たちが採れていますが、空気はすっかり秋です。秋の夜長を鳴き通す虫の声を聞きながらこのお便りを書いています。この時期、昼間は夏の圧倒的な量の虫や鳥の声からするとだいぶ静かになってきますが、夜に鳴く虫たちの数は夏よりも秋の方が多く感じます。あと、この時期は昼間より夜のほうがにぎやかだと思います。最近は、白菜を畑に植えたり、大根やカブや葉物などの種をまいたりしています。ちなみに畑では現在収穫しているものよりも、これから採れるものに手をかけていることが多いので、収穫物よりも育てている段階のものをより意識していたりします。畑には、今採れていてお届けしているもの以外のものも色々あります。日々、目の前の土と、生きている様々なものたちに向き合っています。
 ここのところ、家族以外の人ともよく会います。会いにいったり、来てくれたり。素敵な仲間たちと楽しくやっています。家族でも友人でも、それほど仲良くない人でも、いつでも「聴く力」って大切だなと思います。大切というか、最重要と言いたいくらい。とにかく、人の話を深く聴けるようになりたい、という願いが特に最近自分の中に強くあります。「話を聴いてもらいたい」という願いはきっと、誰もが持っているものだと思いますが、だからといって他の誰かの話をありのまま聴ける人はあまり多くはないように思います。話を聴いてもらうだけで人はどんどん楽になるし、ただ聴くだけで、状況自体が変わってもいきます。僕はもともと、そんなに人の話が聴けるほうではなかったと思いますが、少しずつできるようになってきていると自分で思います。でも多くの場面で、結局全然できていないことも多い。全然できていないということは、もっともっとできるということでもあります。僕の大好きな禅僧ティク・ナット・ハンや、もとをたどればブッダの言うように、いつでも呼吸に気づいているとか、今この瞬間に留まることが基本であり極意だと思います。自分が話しやすい場とか、誰もが話しやすい場とか、そういう場やコミュニケーションのあり方に興味があって、フィンランドのとある精神科病院で始まった「オープンダイアローグ」とか「リフレクティング」の本を何冊も読んだり、今はNVC(非暴力コミュニケーション)の本を読んでいて、色々おもしろいし、すごく参考になります。そして日々、実践を試みています。できていないかもしれないけど、こうして書く文章も、より非暴力的、平和的なものであれたらいいな。自分にも、読んでいる人にも。ジャッジやアドバイスをしないでひたすら聴くとか、オープンダイアローグでもNVCでも、仏教でも、似たようなことが言われるし、アプローチの仕方とかニュアンスの違いだけで、全く同じことを言っている、みたいな部分をとても多く感じます。
 今日、4人の子どものうち上から2番目の花野ちゃん(小4)が宿題にとりかかろうとしていて、「やりたくないなー!」と言っていて、割といつもは「じゃあやらなきゃいいじゃん(実際僕は宿題なんてなくていいしやらなくていいと思っている)」とか返してしまうことが多いけど、今日はもう少し花野ちゃんの気持ちに寄り添おうと思って、「そっかやりたくないのか」みたいな応答を何回かしていたら、花野ちゃんが宿題をやりだして、「じゃあやらなきゃいいじゃん」と言ったときより遥かにいい雰囲気で、結局僕も一緒に宿題をやりました。花野ちゃんはやっぱり嫌々やっている部分は大きかったけど僕はその時間が楽しかったし、宿題が終わったあと「ありがとうこみけん!」っていう言葉までもらって、嬉しいのと、驚きと。まぁ、お互いの機嫌とか色々たまたまのことかもしれない、何てことのない暮らしの一幕とも言えますが、僕の実感として、「聴く」ということの力を感じて嬉しい時間でした。   健

ひとつぶ便り 437号(2022年8月26日便)

 いつもありがとうございます。僕らの住んでいるこのあたりはすっかり秋の空気になってきました。気温が低めだったり、吹く風は必ず涼しかったり。インゲンとかズッキーニなど、勢いがだいぶ落ち着いてきていますが、ミニトマトとか大玉トマトとか、まだまだ夏野菜は元気だし、色々とお届けできます。このお便りを書いているのは夜で、この時間になれば車はほとんど通らないけど、静かな夜ということはなく、虫の声がとてもにぎやかです。様々な虫がすごい密度で音を出しています。にぎやかというより、うるさいと表現した方が適切かもしれないなぁ。それでも、頭が考え事に占められると、途端に音は聞こえなくなって、体も顔も固くなります。心も。心を開いたまま、書くことができたらいいなと思います。今は、虫の声が聞こえるかどうかでそれを確認できます。この時期、虫の声はむしろ夜の方がよく聞こえる気がしますが、昼間はセミやヒグラシが鳴いていたり、鳥も鳴いていたり、また違った様々な音でとてもにぎやかです。畑や田んぼにいれば水路を流れる音とか、風が木々を揺らす音とか、色々な音が聞こえます。雨が降っていればその音も。毎日違って毎日感動させてくれる空とか、草木とか、視覚が捉える世界もそれはそれは美しく、空気を震わせて伝わってくる様々な音もまた、いいものだなと思います。もし空が見えなくて鳥や虫の声が聞こえない環境だったら、とかあまり想像したくもないくらい、今の環境のありがたさを感じます。ありのまま、見て、聞いて、感じていたいです。
 ところで、特にこのお便りを書くのによく深夜に突入してしまうので、それはどうにか改めたいところで、早寝早起きとか、規則正しい生活の持つ力は、計り知れないものだと思っています。丁寧に暮らすことは、例えば気候危機について何かをしようと思うとき、世界平和に貢献しようと思って何かをしようと思うとき、家族や友人や自分の痛みに寄り添おうと思うとき、自らの中に幸せを探したいとき、どんな時でも基本になるものだと思います。僕らの場合は田畑とか家の中とか周りでのことだけど、仕事をすることの基本でもあると思います。早寝早起きができているかどうかで、できることは全然違います。一気にやるよりも低調にずっとやり続けるのを好む性格だからというのもあるかもしれないけど、毎日を丁寧に生きることこそ生命線だと思っています。今この瞬間に留まり続け、ありのままの呼吸に気づき、自然の音に耳を澄ませ、丁寧に暮らしていきたいです。それが多くの時、できていないのを自分が一番知っているし、できていないことの大きさは、今やれることの大きさでもあります。
 8月最後の出荷だし、「平和」のことを書いておきたい思いがあります。今年の沖縄慰霊の日(6月23日)に小学校2年生の徳本穂菜さんが読んだ平和の詩「こわいをしって、へいわがわかった」、僕は新聞で読んだけど、心震えました。自分の中の「これが平和」と分かった体験と、それをいつでも持っておくという決意表明。なんとも素敵。そう。例えば自分の中の怖れとか攻撃性とか、そういうものは割と意識しやすいし、自覚している人も多いのかなと思いますが、自分の中とか身の回りにある優しさとか仲良くなりたい気持ちとか、そういうものに対しての自覚があまりなかったり、ほとんど気がついてすらいなかったり、ということもあると思います。戦争が自分の心の中にも暮らしの中にもたくさんあるのと同様に、平和もまた自分の心の中にも暮らしの中にも確かにあるもので、それは抽象的な何かではありません。自分の命や生活の中にある平和を知って、それを常に意識して、育てていくこと、とても大切だと思います。自分や他の人の心の中の怒りや悲しみや不安の種に水をやるのではなく、優しさとか喜びとか安心の種に日々、水をやること。育てていくこと。僕も日々、やっていきたいです。  健