ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 303号

いつもありがとうございます。先々週のお便りをまだアップしてなかったので、します。


田植えのこと書いてありますが、もうずいぶんと前のことのような気がします。一日が長い時期です。

ひとつぶ便り 303号(2018年6月8日便)

 いつもありがとうございます。今日(6日)は一日雨でした。雨でもハウスの中などでやることはたくさんある時期ですが、それでも雨が降ると気分的にかなり落ち着く感じがします。それもあって、今日は友人宅に、生まれて3週間くらいの赤ちゃんを見に行きました。葉菜ちゃん(小3)は小学校に行っていたので、それ以外の4人で行きました。まぁなんとも、かわいいですね。赤ちゃん。この時期はかわいさもすごいですがむしろ神々しさみたいなものも感じます。小さくて、軽いですねぇ。なかなかこのいちばん小さい時期の、こんなに素晴らしい存在に出会えることは貴重な機会で、僕ら夫婦にとっても、花野ちゃん(ようちえん年中)、はるちゃん(2歳4か月)にとってもありがたいことだなと思いました。
 ところで、6月1日は田植えをしました。まず機械(乗用ではなく人も歩きながら使う2条用の田植え機)で植えて、機械でうまく植わらなかったりしたところを、手で植え直します。この植え直し(追い植えといいます)の作業は、暖かい場所だと稲が植わらなかったところはそのぶん隣の苗が大きく育つからいらないと言われるような作業ですが、ここは寒いので、植えたら植えただけとれるような場所のようです。で、その追い植えにもかなりの手間をかけます。機械と合わせて結局、2日半くらいかけて、終わらせました。今年は僕とゆっこさんに加えて葉菜ちゃんと花野ちゃんもだいぶ手伝ってくれて、かなり助かりました。農作業を子どもたちに強制することはありませんが、今年は結構色々、畑にきては手伝ってくれます。家から近くの畑にいて、足音が聞こえてきて、葉菜ちゃんや花野ちゃんが現れて、畑を手伝ったり畑で遊んだりしていくこともあります。今回の田植えも「やりたい!」といって楽しそうにやっていました。はるちゃんは近くに住むゆっこさんの父に預け、4人での作業。楽しかったです。
 と、「田植え」とかいう名前のついた作業は自分の意識の中でも「特別なイベント」とでもいうように特別扱いをしがちで、毎年結構気合いを入れて緊張するような作業なのですが、今回はあまり自分の中でそういう感じではなく、日々の作業の一つとして、日々の生活の一部として、そう気張らず、かといっておろそかにするわけでもなく大切に、作業できた感じがしています。なんだか、いい感じでした。田植えは一年に一度しか使わない機械を使い、一年に一度しかしない作業なので、とか言いながら特別扱いをするわけですが、一年に一度しかしない作業なんて、実際は他にもすごく多い。田植えが終わった翌々日にしたナスの植え付けだって、一年に一度のことです。もっとしっかり見るなら、あらゆる作業が、あらゆる一瞬が、一年に一度どころか、一生に一度のことです。どれが大切でどれが大切じゃないなんていう判断をするなら、一瞬一瞬の中にある生きる喜びを、すごく多く見逃すことになると思います。
また、田植えや稲刈りは、直接的で、誰が見ても何をしているかわかりやすい作業ですが、それを支えているのは間接的な、やっている人たちしかわからないような、人目にふれないような数多くの名もなき作業たちです。田植えをすることと、そのあと苗箱を洗うことは、どちらも価値に差なんてありません。どちらも大切。田植えは確かに重要な作業ですが、その前にも後にもたくさんの作業があって、しっかりお米が稔るかは、そういう一つ一つの作業の積み重ねにかかっています。なかなかできてはいないけど、目の前のこと一つ一つ、何より今この瞬間を、もっと大切に生きたいと思っています。    健
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ひとつぶ便り 302号

いつもありがとうございます。先週のひとつぶ便りです。
先週の出荷が終わり、そのあとは田植えやらなんやらいろいろやっています。

機械についてかなり否定的な内容ですが、べつにそれが嫌いとかそういうのではありません。
田植えも機械を使いますが(かなり手でも植えます)、田植え機とか、バインダーとか、稲関係の機械はほんとに
独創的なアイディアが詰まっていると思うし、特に今使っている「みのる式」の田植え機は、
考えた人ほんとに天才だと思います。機械の中でいちいちピタゴラスイッチみたいなことをやりながら、稲が植わっていきます。
エンジンという一つの動力で、いくつもの異なる仕組みを動かし、稲が植わっていく。すごいなぁと思います。
石油を使うという重大な問題は常に付きまといますが、自分の発想がいかに貧困であるかと、自分の見解の狭さを、
こういう独創的な機械はまざまざと見せてくれます。
自分がここまでしかできない、と思っていることなど、ただの勘違いだと気づかされます。
もうちょっといける、とかそんな範囲ではなく、世界は自分が思っているより遥かに広い、
ということを知るその瞬間はすごく嬉しいです。

あと足踏み脱穀機とか、唐箕とか、そういうのも機械ですが、それも本当にすごい発想だなと思うし、
何よりその場でとれる材料で作れるとか、人力で動くとか、そういう点でも最高です。
稲とか麦に使うハーベスター(脱穀機)という機械はちなみに、足踏み脱穀機、ふるい、唐箕を組み合わせてエンジンで
動くようにしたような機械で、発想自体は何ら新しくはないなと思うし、その人力機械たちの発想が、本当に優秀なんだろうなと思います。
石油とか電気とか、世界のどこかの誰かを犠牲にする大きなエネルギーを使わないという縛りがあったなら、
人はもっともっとその発想力を活かせているのではないかと思うし、わくわくするような人力の機械とか、
きっともっとあるのだろうな思います。かつてあって、今は失われた農具とかも、たくさんあるはず。
地域固有とか、その家だけのアイディア農具とか、昔は絶対もっとあったんですよね。
鍛冶屋が村に何件もある、とかだったのだから。

では前置きが長くなったけど、先週のひとつぶ便りです。


ひとつぶ便り 302号(2018年6月1日便)

 いつもありがとうございます。今日(5月30日)は一日雨模様でしたが、午前中はかなり小雨だったので、畑にカボチャの苗を植え付けたあと、田んぼの手直しをして、午後は家の前のハウスでミニトマトの植え付けをしていました。毎年このハウスでは3月から色々な野菜たちの苗や葉物野菜も少し育てますが、この時期になると片づけて、そのあと主にミニトマトの苗を植えて育てます。今日は友人が野菜セットを受け取りに来たついでにミニトマトの植え付けを手伝ってくれて、ゆっこさんと僕と3人で、楽しく作業していました。外は雨だったので、うちの3姉妹とその友人の子は家の中でわいわいやっていました。昨日は田んぼの代かきや畑を耕すのにほぼ一日トラクターに乗っていて、それが嫌いとかいうこともありませんが、今日は手と農具の作業ばかりで、こっちのが断然好きだなと体が感じていました。
 農業においても生活においても機械の力は大きいもので、とても便利です。この文章も今パソコンという機械を使って打っているものです。しかし、機械の持つ力や便利さの裏には、常にとてつもなくネガティブな要素が隠れています。基本的に車も農業機械もガソリンや軽油で動きますが、まず石油を使っている時点で、世界中の搾取、差別、戦争や虐殺、そういうものに大きく加担しています。僕らが手にした便利さの陰で、どこかの人々はその資源を得るための過酷な労働にさらされたり、生活を奪われたり、殺し合いをさせられたりしています。エンジンというものの発明は、それ自体ものすごいものだと思いますが、それがこうした構造的な暴力を伴ってしか動かないものである限り、愚かな発明としか言えません。「楽に仕事をしたい」とか思うのは自然なことで、「誰かを楽にしたい」と思うこと自体は素敵な感情だと思います。そういう思いから色々な機械も生まれてきたものと思いますが、そのために犠牲になる人たちのことを、ちっとも考えてこなかったことは確かです。僕らもトラクターや車、家事では洗濯機とか冷蔵庫とか、様々な機械に頼っているわけですが、愚かな発明、愚かな社会の構造の中にいるのを感じるし、それは自分の罪でもあります。それで、そうした便利さを受けてきた側が果たして幸せになっているのか、と思います。機械によって重労働から解放されたと喜んだ多くの農村で、今では高齢化が進んで人手は少なくなり、畑は荒れ果てました。誰かを苦しめて得た解放など、まやかしでしかありません。
また、機械はそうした構造的な暴力だけでなく、直接的にもかなり暴力的だなと思います。大きさに関わらず、機械を使っている近くに子どもは近寄らせないし、一緒に作業することなどは全くできません。今日のように、友達や家族と談笑しながら作業なんてできません。エンジン音が大きいので、鳥や虫や人の声も聞こえません。トラクターに乗っていても、より意識的に、平和的に作業することはやるべきだし、その方向を目指すことは可能で必要ですが、土の中や上で生活する生き物たちに対しても、手足や体を使う作業と比べたらどれだけ気をつけても圧倒的に暴力的です。機械が大きくなればなるほど、やっている人間は楽に作業ができるけど、周りに対してはより乱暴になります。速いスピードで走る車に乗っていたら、虫やヘビを踏んでも気がつかないし、道端に野の花が咲いているのにも気づきません。速ければ速いほうがいい、とこの社会は言っていますが、速いことよりも遅いことの方が、大きいことよりも小さいことの方が、便利なことより不便なことの方が素晴らしいことが数えきれないほどあります。健



ひとつぶ便り 301号

いつもありがとうございます。今夜は雨です。先週のひとつぶ便り、アップします。
この中ではまだ途中だったトマトハウスの移設は先日無事、完了!最後のビニール張りは友人に手伝ってもらって、できました。
家から10分くらいのところの畑にあったトマトのハウスを解体して、軽トラで運び、家の近くの畑に建て直す作業。3間×25メートルくらいのハウスで、ほぼ一人で建てましたが、もちろんそればっかりやっているわけにもいかない時期なので、なんだかんだで期間としては1か月近くかかりました。解体に関してはうちの両親が来たときに手伝ってもらって、特に父がだいぶやってくれて、助かりました。トマト苗が今か今かと植え付けを待っていたので(待っていたのは人間だけど)、やっと植えられてよかったです。このあとは、田植えがあります。あと、ナスがまだ植えていないやつと、カボチャも一種類、植え付けられていません。いろいろあって、どれも重要で、体も頭もそれなりに使いますが、それぞれの作業をしっかり大切にできる感覚は年々強まっている気がするし、楽しくやっています。
では先週のお便りです。

ひとつぶ便り 301号(2018年5月25日便)

いつもありがとうございます。今回からの方は、今年もよろしくお願いします!代かきなど田んぼの準備と、畑のことは何から何まで、やることいっぱいです。今年はトマト用に使うハウスをちょっと遠い畑から近くの畑に移設しているので、それもなかなか手がかかっています。そこに植える予定の苗はもう立派になっているので、早く完成させたいなぁ。ハウス完成はもう一息というところ。かっこうが鳴き、藤の花が咲いて、霜の心配はほぼなくなるこの時期は、それまでハウスの中にいた寒さが苦手な苗たちをどんどん畑に植えていきます。今日(23日)は、僕はズッキーニとぼたんこしょう(やや辛いピーマンのような形の在来種)を、ゆっこさんはピーマンを植えていました。雨が降る前に、と思ってやっていましたが、予報より雨が遅かったので作業的には助かりました。これを書いている今は結構降っています。僕のほかは、家族はみんな寝静まっていて、雨音が聞こえています。パソコンは開いていますが、今は無線ランのスイッチを切っていて、オフラインです。ある冊子で、無線ランの電磁波の強さについての危険性が書かれていたのを見て、最近はパソコンを使わないときは切るようにしていますが、こうして文章を書くときにも必要ないので切ったりしています。ところで電磁波もそうらしいですが、農薬なども、ヨーロッパなどに比べてものすごく日本は基準が甘いようで、単位面積当たりでは世界一の農薬使用量とも聞きます。基本的にこの国の政府は国民の健康や命を守るとか、人権を守るとかいうことに関して全くと言っていいほど関心はないし、こちらの市民の側もそれにすっかり慣らされていて、自分たちの健康や保証されているはずのあらゆる権利が守られていないことに、気づいてすらいないように思います。日本国憲法13条は、すべての国民が個人として尊重される、ということをうたったもの。僕らは誰しも個人として尊重されて、幸福を追求する権利があるし、国政は個人を尊重し、僕らに幸福を追求させる義務がある。政府はこれを守っていますか?僕らはこれを、守らせていますか?
 あらゆるところで、僕らの命も権利も軽視されています。全体のために個は犠牲になれ、というのが日本の現在の社会の在り方だし、小学校から始まる学校教育の姿です。「お国のために」と言っておびただしい数の人が殺し合い、死んでいった戦争を二度としないために、させないために、起草者たちは憲法に「個」の尊重を書き込んだのです。全体のために個が犠牲になることが戦争への道であり戦争そのものであるのだから、逆に、一人ひとりそれぞれの「個」の尊重こそが、平和の道であり、平和そのものだということ。それを、踏みにじっているのが今の政権であり、僕ら一人一人が構成するこの社会です。
 「監督に指示されて」と、アメフト部の大学生が悪質な反則をしたそうですが、どちらかと言えばあの行動を称賛するのが今の社会の在り方です。監督の指示、上司の命令、先生の言ったこと、そういうものには何も言わずに従順であることが、この社会の中で求められているもの。絶対にその方向性は、間違っています。自分の頭で考え、自分の責任で行動するとか、自分の体や心を大切にするとか、それぞれの「個」の尊重こそ、教育の現場でも、社会全体としても、必要なものだと思います。それは、本当の意味での全体の利益をもたらすものなのです。自分が自分を大切にすることが、まず何より重要なことだと思います。自分が自分を大切にできてこそ、他者や世界を大切にすることが可能になります。   健

ひとつぶ便り 300号

いつもありがとうございます。夜は結構冷えるなぁ。
先週のお便りアップします。300号ですってー。最初の頃は手書きでやってたなぁ。それはそれで、色んな意味でいいと思う。
震災と原発事故があってから、放射能の検査の結果であるとか、自分たちの立場とか考え方であるとか、そういうの色々書かなくてはいけなかったときに、パソコンで書いたのがきっかけで、それからはパソコンでのお便りに切り替えました。量を書くのが楽だし。電気や、パソコンという機械も使うというデメリットはありますが。

300号とか、何回書いたか、とかはどうでもいいことですが、このひとつぶ便りは野菜を届ける人がいなければ書いていないものだし、なんで生きているのかわからないくらいの経済状況ではあるけどそれでも農業を続けているからこその、積み重ねではあって、それはすごくありがたいことだなと思います。買って食べてくれる人たちも、友達も、田畑の生き物たちも、太陽、雨、土、全ての自然、家族、自分の命、すべてに、ありがとう。

ひとつぶ便り 300号(2018年5月18日便)
 いつもありがとうございます。今回が最初の方は、今シーズンもよろしくお願いします!また食べてもらえて嬉しいです。僕らの生活を支えてもらって、ありがとうございます。先週から出荷が始まりましたが、その収穫の日(木曜日)の午前中が前の日から続く大雨で、しかもとても気温が低くてやたら寒く、一年に一度あるかないかの大変なコンディションでした。僕らのあたりでは雨でしたが、もう少し標高が上がったところでは、みぞれだったり雪だったりしたようです。その次の日の朝は霜が降りて、あの暑かった4月からは考えられないような寒さでしたが、ここ数日はまただいぶ暑いです。天気や気温の変化がめまぐるしいですが、野菜たちは育ってくれているし、僕らも毎日畑の上で動いています。長かった冬が終わり、畑と田んぼの作業が集中するこの時期は、特に山ほど仕事があります。この5月半ばごろが、僕らの住んでいる場所ではやっと霜の心配が無くなってくる時期なので、寒さに弱い夏の実もの野菜の植え付け(それまではハウスの中で育てています)や、大豆などの豆まきなども、どんどんやらなくてはいけません。どれもこれも最優先、みたいな感じだけどもちろんいっぺんにはできないし、優先順位づけがとても難しいですが、あれもやりたい、これもやりたいとなりながら、実際に僕もゆっこさんも、あちこちちょこちょこやったり混乱しながら(笑)やっています。葉菜ちゃん(小3)、花野ちゃん(幼稚園年長)は、ときどき畑にきて、手伝ってくれたりもします。葉菜ちゃんはそれほど積極的に農作業はしませんが、やるときはすごく気合いを入れてやってくれるし、花野ちゃんはよく楽しそうに手伝ってくれます。2人とも時には大人一人分(一人前)の仕事をしてくれます。助かります。はるちゃん(2歳)は眠くならない限りは畑でもよく遊んでいます。葉菜ちゃんや花野ちゃんがいれば、家でも外でも一緒に遊んでいることが多いです。やることはいっぱいあるし、生活の中で細かいことから大きなことまで、問題がないなんてことはありませんが、僕ら夫婦も子供たちも、それぞれが毎日楽しくやっています。僕個人としても色々とありますが、個人の問題も、世界全体の問題も、それぞれのこの瞬間、この場所を、しっかりと見つめられないことや、今ここにある苦しみや幸せをくまなく感じられないことにあると思います。電子機器も交通網も発達して、僕らは「いつかどこか」へ行くことがすごく簡単になっているように見えますが、どこへ心が飛ぼうと、体が高速で運ばれようと、僕らが生きられるのは、実際は今この場所だけです。もっともっとしっかりと、畑でも家でも、どこにいても何をやっていても、「今」を大切にしたいです。今、いすに座ってパソコンのキーボードを打っているこの瞬間を。今のこの、一呼吸を。
 それは仕組まれていることだと思いますが、この持続不可能な大量消費社会の基盤は、「今を幸せと思わせない」ということにあると思います。今を幸せと思えないからこそ、人は何かを買いたがり、どこかへ行きたがり、何かをしたがります。そうやって欲望を満たすことこそ幸せだとも、多くの人が思っています。そしてそういった行動は必ず、自然環境に悪影響を与え、世界中の戦争や搾取や差別に加担し、自分の心や体を傷つけます。自分や世界のために、何かを無意識的にし続けることより、まず立ち止まって今という瞬間をよく見て、より意識的に生きることが必要だと思います。幸せも平和も、この暮らしの中にあります。暮らしそのものが幸せで、暮らしそのものが平和であることが、世界の平和への道です。健

ひとつぶ便り 299号

いつもありがとうございます。今シーズンも出荷が始まりました。今日が2回目の出荷でした。
先週のお便りをまだアップしていなかったので、アップします。
野菜を買って食べてくれる人は随時募集中なので、興味のある方は声をかけてくれるとうれしいです。なかなか、必要としている人との接近が難しいなと思います。いろんな事情で、なかなかそこに時間と労力を割けない状況がずっとありますが、必要としているところに、届くといいなと思っています。ここを読んでいるのは大体知り合いか友達だと思いますが、自分が欲しいとか、友達が欲しそうとか、贈り物にとか、定期便ではなく気まぐれに単発の注文とかもお待ちしているので、メールか電話か直接か、フェイスブックのメッセージとか、なんでもいいのでご連絡ください。

さ、今年最初のひとつぶ便りです。また、よろしくお願いします!


ひとつぶ便り 299号(2018年5月11日便)
 いつもありがとうございます。お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。今シーズンもよろしくお願いします。野菜たち(主に葉もの)がだいぶ大きくなってきて、今週から出荷を始めることにしました。我が家は基本的に自分たちの田んぼや畑で採れたものを食べていますが、僕らの住んでいる場所は標高が高く(900メートルくらい)冬が寒く長いので、春先は貯蔵していたジャガイモなども底をついてきて野菜が少なく、漬物など保存食も少なくなってきて食材が限られてきます。お米や小麦(パン)を基本として、ふきのとうやウドとかタラの芽、ヨモギなど、いろいろと山菜や野草や、冬越ししたほうれん草や冬菜、菜花を食べたりしながら、種まきした野菜たちが大きくなってくるのを待ちます。そしてやっと大きくなってきた葉ものやラディッシュが収穫できるようになってきて、それを最近僕らも食べ始めています。嬉しい。大地、空、すべての自然の恵みに心から、ありがとう。冬には冬の、春には春の、それぞれの食の良さというのがありますが、この時期になって久しぶりにたくさん食べられる葉っぱものたちはやっぱり美味しいし、本当にありがたいなと思います。田畑に仕事があふれている時期ですが、土の上で、空から爆弾が落ちてこない環境で、働いて生きていられることもまた、本当にありがたいです。
この春、長女・葉菜ちゃんは小学3年生に、次女・花野ちゃんは年長(縦割り保育なので学年はあまり関係ありませんが)になりました。はるちゃんは2月で2歳になり、ポンポコお腹で毎日元気に過ごしています。はるちゃんは一挙手一投足、すべての言葉が最高におもしろく、かわいく、楽しいです。葉菜ちゃんも花野ちゃんもそんなはるちゃんをとてもかわいがっていますが、特に花野ちゃんがよく面倒を見てくれます。はるちゃんのかなりのわがままにも丁寧に対応してくれたり、驚くほどの優しさを見せてくれたりします。花野ちゃんの笑顔はいつもものすごく素敵で、それはすごい力を持っていると感じます。彼女の存在は僕のお手本だし、尊敬しています。学ばせてもらうことが多いです。
葉菜ちゃんは基本的に楽しそうに小学校に通っていますが、毎日恐ろしい量の宿題(特に長野県の特徴なのでしょうか)が出たり、大変なことは当然のようにいっぱいあります。教育基本法とか、幼稚園とか学校とか現場でも、色々立派そうなことを言っておいて、いちばん大切なものを忘れていると思います。それは子供自身の幸せのこと。この社会では「いつか幸せになるために、今は苦労しろ」というのがきっと一般的な考えで、子供に対してもそうさせようとしているように感じますが、いつか幸せになろうとする限りいつまでも幸せはやってきません。幸せになるために学ぶのではなく、学ぶことが幸せそのものでなければいけません。ありのままを受け入れられ、安全だと思える、安心できる、愛されていると感じられる、幸せだと感じられるような時間と場所さえあれば、子供は(大人も)自ずと成長するし能力も発揮します。社会も個人もきっと、ただそういう環境を整えたらいいと思うのです。また、それは実際、現代社会の求めるような能力や成果を出すのにも効果的だと思うけれども、たとえそうではなくても、それぞれの子供(大人も)が、そのときその場所で幸せかどうかが、最も追求すべき結果であり成果だと思います。そしてその幸せは、物やお金を持つことや未来に求めるものではなく、自分の内や外で今起こっていることを深く見て、受け入れ、理解したとき得られるもの。今ここにある、暖かいもののこと。健

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