ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 155号

いま停電した!そして直った。
暴風のせいかしら。

今日もお越しいただきありがとうございます。更新遅れました。
ちなみに金曜から今日までゆっこ氏が帰省中につき一人暮らし中。うち2日は友達の家にお邪魔してご飯とお酒と楽しませてもらいました。

では今週の、じゃないや。先週のひとつぶだよりでござる。

ひとつぶ便り 155号(2013年11月22日便)
 いつもありがとうございます。今夜(20日)はなんだか暴風が吹き荒れています。僕は出荷の日以外はほぼ毎日酒蔵へ出勤しております。土日は半日であがれる日もあるので、そういうときに農作業しています。この前、僕の両親の助けを借りて(その日だけではないんです)、ようやくジャガイモを掘り終えました。ってこの時期までジャガイモを掘っているなんて他の農家さんからしたら呆れる感じかと思いますが…!ゆっこさんは漬け物やら切り干し大根やら保存食作りに奮闘中。僕が去年(スキー場の仕事)より早く働きに出ているので、農作業の負担もいつもよりゆっこさんに集中してしまっていて、なかなか大変な状況です。雪と寒さと凍結で畑がお休みに入るのはもうすぐそこ。やらなきゃ。色々。

気温と発酵
 発酵といってもお酒づくりのことはもちろんまだまだ全然わかっていないしその話ではなく、パンの話。
 相変わらず2日に1回くらいのペースでパンを焼いています。パン・ド・カンパーニュ(田舎パン)という丸くてそれなりに大きいパン。材料はうちの小麦粉とふすま、海水塩(海の精)、湧き水、というシンプル(だけど贅沢)なものです。酵母を起こした材料も小麦粉と水のみで、現在はパン生地の一部をとっておいて次のパンを作るときにそれを混ぜる、という形でかけ継いでいっています。温度を一定に保つホイロなども無く常温で発酵させているので、気温次第で発酵時間が全然違います。いちばん時間がとれるのが夜なので、夜に焼く、というのが基本です。夏場のいちばん暑い時期は、昼に仕込んで夜焼く、という感じでした。その時期は朝仕込むとちょっと夜には発酵が行き過ぎちゃう感じだったわけですが、そのちょっと後、秋の気配を感じるようになってくれば、朝仕込んで夜焼くのがちょうど良くなってきました。日によって気温が違って、それによって発酵は全然違うので、そこは焼くのをちょっと早くしたり遅くしたりで調節したりして。で、最近はまたやたらと寒くなってきたのでまた一段と発酵はゆっくりになり、今は前日夜仕込んで当日夜焼く、というスケジュールでやっています。インスタントドライイーストとかと比べればそもそもうちのパン生地にいる酵母ちゃんはだいぶ発酵がゆっくりですが、真夏は7時間くらいで一次発酵が終わるものが、現在は24時間前後経たないとちゃんと膨らんできません。ちょっと暖かい部屋とかに置いておいてもせいぜい10度台なので、ゆっくり発酵なわけです。長くやっていても夏場のように生地がダレてこないので、扱いは楽です。時間の管理もよりアバウトでいいのも楽。あと雑菌の繁殖とかから見ても、低温だとより安全なのでしょう。味は、どちらもとても美味しい。どちらが、というのは季節が違えば味の感じ方も違うから比較のしようが無い部分が大きいですが、「低温長時間発酵」をウリにするパン屋さんもあるし、その方が美味しいと主張する人もいます。酵母が最も働きやすい温度(25℃くらい?)とは程遠い温度でゆっくりじっくり生きて増えた酵母たちが美味しいパン生地を醸す。おもしろいものだなぁと思います。人間も冬、活動は鈍る時期ですが、活動が鈍るから悪い時期、というわけでは決してありません。春があって夏があって秋があって冬がある。どれが良いとか悪いとか、そんな話ではないと思います。その時その時をしっかり生きる。それは、きっととても素敵なことです。
 ところで僕はまともな発酵パンを焼けるようになるまで結構時間がかかりました。何故なんだかは今となっては不思議な感じもします。本読みながら作っても全然うまくいかなかったんです。本をちゃんと読む力が無かったということかもしれませんね。その頃からすると、だいぶパンづくりは上達しました。やっていることはそんなに違わないのに、ちょっとしたタイミングとか、力加減とかで、結果が全然違ってきます。野菜を育てることとも似ています。見えるものが最初の頃とは全然違うんですよね。その変化がおもしろい。

普通
 ところで最近「普通」という言葉について考えることがあります。誤解を招くといけないので書いておきますが特に悩んでいるとかそういうわけではありません(笑)。
 「普通」「ふつう」、もともとあまり好きな言葉ではありませんが、自分の中にすごく、この言葉に縛られている部分があることを思います。「ふつう○○するもの」とか、「ふつうに考えておかしい」とか、「ふつう」という言葉を善悪の判断の基準に使わないようにすれば、自分とか他人にかなり寛容に、優しくなれる気がします。何かの行動が「ふつう」だから、「一般的」だから、「常識」だから、という理由で起こされるものならば、間違いが多い気がします。昔はちゃんと理由があったけど、今は慣例だけが残っている、みたいなものもたくさんあると思います。慣例が大事なのではなく、どうしてその慣例ができたのか、という理由の方こそ大事。そしてその理由自体が差別的だったり暴力的だったりする場合もあるかもしれないので、そういうものから来ている慣例とか常識はどんどん破棄していくべきと思います。今いい具体例が思い浮かびませんが良かったら、自分が「ふつう」という言葉を使う状況などを、ちょっと想像してみてください。
 自分の中に「ふつう」という基準を作り、そこから上にいると思えばその人を崇め、下にいると思えば蔑み、外れていると思えば恐れたり笑ったり、というのを自分も他の人たちも、たくさんやっているように見えます。「ふつう」の基準を持っていること自体が悪いことなのではなく、そこに善悪等をくっつけていくことが問題なのかなと思います。
 「ふつう」が、自らの中の良い部分を抑えてしまう場合も多々ありそうです。「あんなにがんばれるなんてふつうじゃない」、「あんなに優しいなんてふつうじゃない」とか言って。「ふつう」に縛られないのならより優しく、より自由に、今を生きられると思います。「ふつう」かどうかではなく、自分はどう思うのか、どうしたいのかを大切にしたいです。健


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ひとつぶ便り 154号

今日もお越しいただきありがとうございます。今夜の寒さは穏やかです。

ところで今日車の中でふと思ったこと。
「普通」ってのは、あくまで「普通」であって、善悪とは別のこと。
広辞苑では「ひろく一般に通ずること」と「どこにでも見受けるようなものであること」が「普通」の意味。
「普通」だから正しいわけではなく、「普通じゃない」から間違っているわけでもない。
ひろく一般に通じているけど間違ってることもたぶんいっぱいあります。
もっと、そのままの意味で「普通」という言葉を捉えられるのなら、もっと、他の人とか自分とかに
優しくなれるような気がします。

では、今週のひとつぶ便りです!

ひとつぶ便り 154号(2013年11月15日便)

 いつもありがとうございます。11日はみぞれが降り、12日の朝は強烈な霜!マイナス5℃!!割と急にきましたね。この前思ったんですが、「春夏秋冬」の四季ってのがこのへんの地域ではちょっと当てはまらないんじゃないかと。言うなれば「春夏秋冬冬冬」みたいな感じ。冬が長い。四つのうちの一つという感じがしません。10月ぐらいから冬っぽくなってきて、段階的にどんどん厳しい冬へ。秋から冬へ。冬から真冬へ。真冬から厳冬へ。みたいな。既にかなり寒いですがこんな寒さは寒さとは感じないほどに、どんどん寒くなっていきます。さー今年はどんな冬でしょうか!

ニュース
 うちはテレビを全く見ないので、そのとき世間でホットな話題を知らないことも多いですが、今は酒蔵に働きに行っているのでそこで聞いたりもします。今は色々、食品の虚偽の表示がどうとかの問題が出てきているようですね。色々混ぜ物をしたお酒を「純米酒」として売っていたりした酒造メーカーのニュースがあったそうで、それは当然話題にのぼりました。古今東西、もともとそんな問題はあったし、今もいくらでもあるのだろうから、それが表に出てくるか来ないかはある種、流行というかブームのようなものでしかないのかなと思います。ちなみに僕の勤めている黒澤酒造は大丈夫そうです。まだ入って1ヶ月も経っていませんが、お酒を造ることにも売ることにも、誠実さと情熱を持っている会社だと感じます。会社が大きくなればなるほど、大切なものは変わってきて、そういうものは薄れるのかもしれませんね。
僕らは決してそんなことはしないしそもそも農薬の使い方とかよくわからないので出来ませんが、例えば無農薬ではない野菜を無農薬といって流通させることは、それほど難しくないと思います。別にそんなことをやる気は微塵も無い僕でもやり方を具体的に思いつくことができます。お酒で偽装するよりも、たぶんずっと簡単です。そんなことを考えて実行する農家や会社があって欲しくはありませんが、どんな手を使ってでもお金を稼ぐことが是だと思っている人にとっては、それは悪いことでも何でもないのかもしれないから、実際そういう農産物も多く出回っていると思います。僕はその道が楽しそうだとは思わないし、幸せなものだとは思いません。正義感とか倫理観とかそういうものに抑えられるということもあるしそれも大切だと思いますが、それよりも、その行動が幸せに結びついているものかどうかが重要だと思っています。

 食品の偽装も問題だとは思いますが今、テレビが貴重な放送時間を使って真っ先に報道すべきはそんなことでは無いはず。何か、注目を集めるニュースがあるときはその裏でとんでもない法律が成立しているとかいうことはよくあるみたいですが、今回もそれではないかとちょっと思います。秘密保護法のこととか、どのくらいテレビで流れていますか?「あなたは国家の秘密に触れましたので、逮捕します。どのような秘密に触れたかは、秘密です。」というような法律が、現在自民党から国会に提出されています。こんなものを通してしまっていいわけがありません。捕まって、何で捕まったかわからない、なんて法律、あっていいはずがない。言論の自由を全く否定するような法律なのだと思います。こういうものに全力で反対しない報道機関に、もはや何も期待することはできません。
 そして最近、原発のことは流れていますか?福一では4号機の今月から燃料プールからの燃料棒取り出しっていうすごく危険で難しい作業をやるそうですが、新たに問題が見つかったとか。そもそもあれほど危険な原発を「安全です」と言い続けたことは食品偽装よりも遥かに重い犯罪です。あれだけの事故を起こしておいて、東電には未だに検察が入らず政府は誰も責任を取らず、っていう事態は極めておかしいことなのだと思います。そして、それを報道しないマスコミも。おまけに現政権は原発推進。海外にも売り込む始末。
 日本の報道機関は、特にテレビは、政府の広報みたいなものだと思います。そして映像の力は強いから、本当に恐いものだと思います。無意識に、無自覚に、それを見るなら、僕らは簡単に洗脳させられてしまいます。テレビは全く見ないのがおススメ!です。

娘たちのこと
 今はほぼ毎日、朝から酒蔵に行っているので夏場よりも子どもたちと過ごす時間が短い・・・かと思いきや、意外とそうでもないかもと今思いました。朝も夜も農作業のピーク時よりかなり余裕があったりするので、夏場の7時半まで畑にいる、とかいうのと比べるとだいぶ夜一緒にいる時間がある気がします。朝は、僕が「いってきまーす」と言うとすかさず花野(かや・1歳4ヶ月)ちゃんが「ばばーい(ばいばい)」と言って送り出してくれます。帰ってきたときは玄関に来て大歓迎。「おかえりー」的なことを言うときもあります。まぁ、とてもかわいいです。また花野ちゃんはお風呂が大好き。「お風呂だ」ということがわかると自分で服を脱ごうとし始めます。湯船につかっているときに、「上がる?」と聞くと、「んーん」と首を振ることもしばしば。なかなか出たがりません。おもしろい。
 葉菜ちゃん(4歳)は、最近スキップの練習をしていて、だいぶ上手になってきました。幼稚園の友達がやってたらしく、熱心に練習してだいぶできるようになりました。それと、箸も少しずつ、ちゃんとした持ち方ができるようになってきました。色々なことをやればやっただけ上手になっていきますが、どんなことをするにせよ、楽しくやって欲しいなと思います。そして、葉菜ちゃんと花野ちゃんは、どんどん仲良くなっています。もめる時もありますが、お互いがお互いを大好きな感じ。泣いている葉菜ちゃんを「こいーこいー(いーこいーこ)」と言って花野ちゃんがなでなでするのはよく見る光景。素敵です。  健

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11/12のツイートまとめ

Komiken_

ヤフーの佐久穂町の天気予報、明日は最低気温がマイナス7℃で、最高気温がプラス2℃。うおぉぉぉぉ。まぁ、ヤフーの予報やたら辛いんだけどいつも。
11-12 22:30

今日朝マイナス5度くらいで寒い!!と思ったけどマイナス10度~15度が普通の2月とかに朝マイナス5度の日があったら「今日あったかいね」って会話をするんだよなと思った。
11-12 22:41

ひとつぶ便り 153号

今日もお越しいただきありがとうございます。霜は毎日のように降りるようになってきました。けどまだ結構暖かい気もします。
僕は出荷の日以外は酒蔵で働いています。ここで→黒澤酒造
ここ数年、全然お酒飲んでいませんでしたが、こういう仕事に就いたので、最近は少し飲んでいます。もともとは好き。でも普段から飲むわけではなかったし、飲まないなら飲まないでいいんです。でも飲んだら飲んだで楽しいもんですね。飲むのもそうだけど、色んなお酒を選ぶのが楽しい。黒澤のお酒も色々種類があるので、色々試そうと思っています。自分が造りに携わったお酒も、飲んでみたいもんです。

では今週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 153号(2013年11月8日便)
多様であること
 いつもありがとうございます。今夜(6日)もなかなか冷えています。今日も霜が降りたし、明日も降りそうです。僕らの住んでいるところでは今日の霜で4度目ですが、それほど遠くはないけどもう少し標高の低いところではまだ1度か2度しか降っていないと聞きました。ここは全国でも有数の寒いところなんじゃないかと思います。天気予報を見ると、北海道より寒いことがよくあります。
 僕らの住んでいるところは八ヶ岳の東斜面。佐久穂町は決して大きな町ではありませんが、標高は800くらいから、いちばん高いところは2000メートルを超えます。民家と畑は1200メートルくらいまで。僕らの家は標高1000メートル弱。「長野県民は標高を気にする」とか聞いたことがありますが、それはとりわけ農業や食料の問題が大きい要因だと思います。標高によってできやすいものとできにくいもの、採れるものと採れないものが顕著に違ったりします。育つお米の品種も収量なども、全然違うようです。というか田んぼが出来るのは1000メートルくらいが限界で、それ以上のところには田んぼ自体ありません。僕らが自家用にやっている田んぼ(標高約1000メートル)で育てているのは北海道の品種。あきたこまちは育つけど、こしひかりは育たないと言われる場所でございます。
標高が低く、山間ではなく平地にある畑は、採れるものの種類も豊富だろうし、収量もかなり多いことと思います。冬も寒くないだろうし、ちょっと羨ましさも感じるところですが(笑)、ここもとてもいいところだし、高冷地には高冷地の利点もたくさんあります。空気も水も景色もきれいだし、涼しい気候は雑草の伸びを穏やかにしてくれたり虫の発生を少なくもしてくれます。朝と夜の寒暖の差の激しさは、野菜を美味しくしてくれると言います。僕らが住んでいるところから5分も車を走らせれば標高は200メートルも違うし、気候は全く異なるわけなので、日本全国、極めて多様な気候があるということです。それぞれに良いところ、大変なところがあるものと思いますが、それに合わせて人の暮らし方があって、それぞれが美しいものだと思います。
全国各地、世界中から物が行き来する現在より、その土地にあるもので何かを作り、その土地で採れるものだけを食べていた昔の方が日本にも世界にもきっと、豊かな文化が存在していたわけで、それはなんだかおもしろいなと思います。情報や物が外から自由に入ってくるよりも、限られた交流と物の中でただその土地で必死こいて生きる方が、人の発想する力とか、発揮されるんでしょうね。今、地方都市はどこもかしこもコンビニとパチンコ屋とスーパーが建っている、似たような見た目になってしまっているところばかりだと思いますが、それはあまり美しくないし、もったいないなと思います。既に失われているものも多いと思いますが、食べ物ひとつとっても、つい100年、いや50年くらい前には日本各地というか各家庭に、今より遥かに個性的な世界が広がっていたのだと思います。
 よく「稲」とか「米」が日本人の魂だとか言われますが、ちょっと前まではべつにお米ばかり食べていたわけではなかったという話です。お米は商品作物として都会へ売り、自分たちは麦や雑穀や、野菜や魚や獣を食べる。というような。「パンじゃなくてお米食べろ」と主張する人もいますが、お焼きとかお好み焼きとか酒まんじゅうとか、その他各地に小麦を使ったパンみたいなものはもともと日本にもたくさんあるわけで、「小麦じゃなくて米食を食べよう」みたいな主張はちょっと違うと思っています。酒まんじゅうに至っては発酵までさせるし、パンそのもの。この場合、問題はお米を食べないことではなく、小麦がほとんど輸入ものであることと、そういう「日本のパン」が日常から忘れられそうなことかと。
 食べること、つくること、働くこと、つまり生きることは、今の僕が想像できるよりも遥かに多様で広くて楽しいものなのだという気がします。その広さも楽しさも、何でも手に入るような環境よりも、限られたものしか無いような中の方が、見つけやすいのかもしれません。

 人の意見なども、同じであったり、統一していくことが是とされることが多いような気がしますが、それは人が幸せに暮らすという目的からすると、間違った方向だと思います。「皆を同じ意見にする」ということが平和なのではなく、「皆の違った意見をそれぞれが受け入れる」ということが、平和という状態だと思います。それはすごく難しいことなのだと思いますが、今の政府も僕らそのへんの人たちも、そういうところを目指す気自体無いような気がします。極端に言えば、「これが『普通』です。『普通』じゃない人は頭が変な人です」というような差別的な、排他的な風潮が、何の違和感もなく世の中に広く浸透しているように感じます。他人の意見や行動を差別したり排除することはたぶん、自分自身の中のそういう部分を差別し、排除するのと同じこと。他人への攻撃は、自分への攻撃。他人を傷つけることは、自分を傷つける行為です。それは、苦しいことです。
 苦手な人、嫌いな人、もちろん僕にもいるし、僕のことが苦手だったり嫌いな人もいることでしょう。人と人が理解し合うことは難しいことだと思いますが、それでもその努力を怠らないようにしたいです。誰かを理解する努力をしないことは、自ら苦しみに近づき、幸せから遠ざかるようなものだと思います。
今週の野菜セット
 今夜は大根とか白菜、人参などなど色々と入った野菜鍋でしたが、それは美味でございました。どの野菜も本当に美味しく毎日食べています。白菜など、霜に当たってますます甘くなっています。お鍋もおススメですが、どんな料理で食べても美味しいこと間違いなしです。是非素材の味を前面に出して、野菜中心の食卓をお楽しみください!    健

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11/07のツイートまとめ

Komiken_

「生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失った時、人は孤立し、平和を失います」皇后さんの言葉。いいわぁ。
11-07 01:12

ひとつぶ便り 152号

今日もお越し頂きありがとうございます。本日は職場の飲み会につき、現在酔っ払いです。久しぶりに飲みましたが楽しい飲み会でございました。今、視界も聴覚もまともではありません(笑)。

というわけで何も補足はできませんが今週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り(2013年11月1日便)
 いつもありがとうございます。台風が過ぎた翌日10月27日、今年の初霜が降りました。28日はそれよりも強めの霜で、朝の景色は真っ白でした。美しい。寒いです。冬です。しかし、まだまだ序の口。
 僕は酒蔵での酒造りの仕事(冬の仕事)が先週から始まっています。最近の3度の冬は、スキー場へ働きに行っていましたが、今年は友達の紹介で酒蔵(僕らの住む旧八千穂村の黒澤酒造)で働くことになりました。初めてのことばかりだし覚えることも色々あるし、特に器用な方でもないので日々、緊張もしますがなかなか楽しいです。機械でやることも色々とありますが、体をがっつり使うことも多いです。それもなかなかいいなと思います。もともと体を動かすことは好きです。農作業もそうだし。ちなみに中学はバスケ部、高校はラグビー部。読書とか物書きとか、インドアの静かな活動も好きですけど。
瓶詰めの工場とかにも社員さんはたくさんいますが、酒造りに携わる蔵人は杜氏を含めて8人。その一員としてやっています。まだ色々とわかっていないだけかもしれませんが(笑)、皆さんとても感じがよくて、新人として働きやすいなと思っています。
 蔵人は基本的に休みは無いという中で、この定期便の出荷のある木曜日は休日をもらってやっています。土日などは半日のときもあるようなので、畑の片付けなどは主にそういうときにがんばります。あとは、早朝に。夕方は5時に仕事が終わって帰ってくるともう真っ暗な時期です。畑のことは色々と、毎年主に僕がやるような作業もゆっこさんががんばっている感じです。そして義父祐二さんにもいつも以上に協力してもらっています。本当にありがたい。うちの両親は毎週のように手伝いにきてくれて、働いていってくれますが、それも本当にありがたいです。

今週の野菜セット
 霜が降りて、だいぶ畑の様子も変化していることと思いますが、蔵人として働いているためなかなか畑に行けていません。まぁ、僕が行こうと行くまいと、この時期はそれほど草も大きくならないし、野菜たちは問題なく成長しています。霜にあたると、葉もの野菜たちは柔らかくなり、甘みも増します。葉ものがますます美味しい季節です。
 ナスなどもまだ生きてはいますが、もう実が大きくなってきません。というか、よくここまでもったというところ。ありがとう!!

娘たちのこと
 2人とも、ぐんぐん成長しています。葉菜ちゃん(4歳)は近頃、話をちゃんと筋立てて喋れるようになってきた気がします。だいぶ、自分の言いたいことを言えるようになってきた感じ。「色々と話したいけどうまく言い表せない」という状態から、前進が感じられます。すごいなぁ。それと、今日は箸の持ち方が少し上手になっていました。幼稚園の、1つ年上の友達に教わったと言っていました。子ども同士で教えたり教わったり、というのが、大人が子どもに教えるよりも効果があったりしますね。体のサイズとか、大人より参考になることが多そう。それと、何かすることの何が難しいのか、どう難しいのか、というのは、できるようになったばかりの人がきっといちばん良く知っています。箸を使えるようになって久しい大人には、箸を使うことの何が難しいのかわからない、ということがあると思います。改めて見てみると、箸の使い方って実はかなり複雑なことしてますよね。何年か前に、葉菜ちゃんに箸を教える日に備え、「初めて箸を使うってのはどういうものか」と知りたくて、利き手ではない左手で箸の練習をしてみました。かなり難しい。ふつうに物がつかめる程度には上達しましたが、右手には遠く及びません。すごく難しいことをしているということはよく分かった!「こうやって持ち方を教えましょう」とか簡単そうに書いてある本がありますが、そんなに簡単じゃございません。まぁ、難しいのでやりたいときに練習して、自分のペースでうまくなっていったらいいと思います。例えば「箸を上手に使う」ことの目的は、食べ物を美味しく食べたり楽に食べたりする為だと思います。その目的が達成できるのなら極端な話、箸が使えなくたっていい。「マナーが」という話もあると思いますが、そもそもマナーって、みんなが楽しく過ごすためのもののはず。マナーを盾に人を攻撃したり非難したり、自分が優越感を得たりする為のものではありません。マナーは手段。楽しく過ごすのが、目的。目的が達成できるのなら、手段はなんでもいいし、逆に「あの人はマナーを守っていなくてけしからん」とかなれば、マナーが原因で楽しくなくなっているわけで、これは完全に本末転倒かと。目的を忘れて手段を大事にしてしまう、というのは結構ありがちかなと思います。僕は結構やってしまっているかな。
一つ、今これを書いていてふと思い出した話。安倍首相が所信表明演説か何かの中で引用していて、その引用の仕方は違うんじゃないかと思ったけどエピソード自体は素敵だったので覚えていました。貝原益軒って人の話。益軒の大切にしていた牡丹の花を折ってしまった若者が、「怒られる」と思って謝りにいったとき、益軒は(たぶん)微笑んで言いました。「私はこれを楽しむ為に植えました。怒るためじゃありません。」と。
例えば「絵が上手になる」ということはとてもいいことだと思いますが、楽しく絵を書いていた子が「上手だね」と言われて「上手に書かなければいけない」と思って「上手に書くこと」を目的にしてしまったらそれはマズい展開だと思います。僕は、楽しむことや気持ちを表現すること、そういうものが、絵を描くことの目的であって欲しい。その為に、色々な表現を覚えたり、たくさん描いて上手になればいいし、楽しく描いているのなら上手にならなくたっていい。
「こうした方がいい」という決まりごとは世の中にたくさんありますが、もともとそれは、人と人がうまくやっていくため、幸せに生きるという目的のための手段のはず。常に見落としがちな「目的」の方に、積極的に意識を向けていくといいのかなと思います。 健

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