ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 184号

こんばんは。今日もお越しいただきありがとうございます。

先週は友達の大工さんに入ってもらって台所のリフォームをしていましたが、無事完了!すっごくいい部屋になりました。キッチンも広くなってすごく使いやすい!うちにはサイズ的に入らないキッチンをもらえることになったことからの今回のリフォーム。思いのほかいい部屋になり、部屋が一つ変わると家全体が変わるものなんだなと感動しております。大工さん、設備屋さん、ガス屋さんはもちろんのこと、ご飯を食べに行かせてもらった友達みんなもありがとう。

では先週のひとつぶ便りっす。

ひとつぶ便り 184号(2014年9月26日便)
 いつもありがとうございます。昼間はそれなりに気温が上がるのですが、朝晩の冷え込みがすごいです。19日、東京などもかなり冷えていたみたいですが、こちらもかなりの冷え込みで、4℃くらいまで下がりました。で、知り合いからの情報によれば日陰は(弱めだけど)霜が降りたようです。かなり早いです。ひぃぃ。まぁ特に農作物に霜にやられた痕跡は無いし、前の日、だいぶ遅くまで友達と喋っていて朝起きるのがいつもより遅かったので僕は実際に見ておりませんが!まぁ、毎日よく冷えます。天気はよく晴れていて、ここのところはスカッとした晴天が続いています。
 晴天も続いていたし、八千穂でも稲刈りシーズン真っ盛り。毎日どこかで刈っています。そして稲架(はざ)掛けされていてきれいです。最近は全国的にコンバインで刈って機械乾燥、というのが一般的のようですが、僕らの住む佐久穂町やお隣の佐久市あたりでは稲架に掛けて天日乾燥させる方法をとっている農家もまだたくさんいます。そういうブランドで売っているところもあるし、ただ毎年のこととして、普通のこととしてやっている人も多いのかなと思います。小さい農家も多いし。うちは10月に入ってから刈ります。今年の出来は、どんなもんでしょう。

今週の野菜セット
 人参、ゴボウ、カボチャなど、今週も入ってなかなか秋っぽい感じ。カブは今回初登場!夏野菜は今年はもう終わりかなという感じになってきましたが、ズッキーニがここへきてなかなか元気です。熱帯夜がある地方では熱帯夜がきてしまうと全くとれなくなったりするらしいし、涼しいの好きなんですね。オカノリは毎年この時期は作っていませんが、今年は夏に種をつけたのが畑に落ちて、大根をまいた畑に大根より元気よく生えてきたので(笑)それを収穫してお届けします。

リフォーム!
 現在、我が家は台所のリフォーム中。近くに住む友達の実家が、建て直しをするということで、そこで使っていたシステムキッチンを頂けることになりました。しかし、うちの台所ではそのキッチンが入るスペースがなかったので、柱を取ったり壁を壊したり、っていう作業が必要だったわけです。システムキッチンはもらってきて、とりあえず家の横の屋根のあるスペースに置いてあります。で、22日から大工さんに入ってもらって改装中。壁を壊せばとりあえずキッチンは入りそうでしたが、床も結構ボコボコしたりしていたので、ゆっこさんとこれを機に張り替えてもらおう、という話になって、台所と隣の部屋の壁をとり、床を剥ぎ、床を張り替える作業を現在やってもらっています(23日現在)。
 頼んだのは友達の大工のIさん。僕らは佐久のアースデイ(地球環境を考える一日)の実行委員会で一緒にやっている人です。佐久アースデイは僕らの研修先だった織座農園の典子さんが言いだしっぺのイベントで、典子さんはずっと関わっています。今年で12回目でした。で、織座の研修生は断りでもしない限り自動的にアースデイは手伝うことになるので、僕もゆっこさんも研修時代から手伝っていました。最初はそれほど思い入れのあるイベントではもちろん無かったけど、そこにいる実行委員会の仲間たち一人ひとりの魅力と、イベント当日の素敵な空気は、今では代えがたいものとして僕の中にあります。今回工事を頼んでいるIさんはその実行委員長。研修時代からのつながりなので、僕が長野に来てから最も古い友人の一人です。そんな彼に仕事を頼めることが嬉しいなと思います。仕事を頼むのはこれが初めてですが、今回僕らは彼に頼むことにすぐ決めました。信頼できる友達に頼みたかったから。5人のお父さんでもあるIさんには花野ちゃん、葉菜ちゃんもすぐ懐き、仕事の合間にちょっと相手してくれるだけなのになんだか2人とも満足していておもしろいなと思いました。もう1人、手伝いで来てくれていたSさん(Iさんは彼の孫弟子らしい)も、似たような空気感があって、やっぱり子ども達は懐いていました。ゆっこさん曰く「フラットな感じ」の空気感。何かをしようとせず、しないわけでもない自然な感じ、2人の経験云々の話もあるだろうけど、もともと持っているものなのかもなと思います。仕事も2人が無理なくいい関係でやっているように見えました。
 そして24日の午前中で壁撤去と床の張り替え終了。かなり素早く、そしてたぶん結構安く、やってくれたんじゃないかと思います。台所、すごくいい部屋になりました。まだキッチン自体は入っていませんが、杉板のきれいな板の間になりました。ほんと、全く別の部屋に生まれ変わった感じ。素敵です。ありがとうIさん!!

 台所のリフォームなので、台所が使えません。なので、外で薪で調理したりして、なんちゃってキャンプ生活みたいなことをしています。夕飯はキッチンが入るまで基本的に友達の家に押しかける計画です(笑)。台所とその隣の部屋の床の張り替えの作業なので、その2部屋の物全てを他の部屋に移しています。冷蔵庫と食器がリビングにあったり、廊下に食器棚があったり、なかなかすごい状態です。もともと花野ちゃん(2歳2か月)や、僕(30歳2か月(笑))がいるので、結構散らかりやすい家ではありますが、そういう問題じゃなくすごい状態なので、ゆっこさんは「心が荒む」と言っています(笑)。でも外での煮炊きは楽しんでいます。味噌の大豆を煮る時にも使う、友達から借りるオンボロ時計ストーブを使って、ご飯を炊いたりしています。美味しい。改装の際に出る色々な木っ端が非常によく燃えて、なかなか具合がいいです。現在、台所の水道は使えませんがお風呂場の水は出ます。が、洗面所の台は食器洗いには狭いし、そこまで行く廊下も食器棚により半分以上塞がれ、横歩きしないと通れない幅になっているので、外で、雨水をためたもので洗ったりしています。そもそもお皿を使わないでおにぎり食べるだとか、食器自体を使わない工夫、みたいなこともするようになりますね。こういう環境だと。
 家もあるし電気も使えるし、お風呂沸かす灯油もあるし、水道も使えるものがあるので災害時を想像するにはちょっと甘すぎる環境ですが、それでもちょっと想像したりもするし、生きるのに大切なものが何なのか、ちょっと確認できます。薪ストーブと薪があれば、暖がとれるし煮炊きもできます。食べ物、水は必須ですが、この辺だと水の確保が難しいなと思います。前に住んでいた地区は、湧き水がジャージャー湧いていましたが、ここはそんなこともなく。まぁ、災害時は歩いて汲みにいけばいいのか。
 まぁでも、サバイバルな状況で何より大切なのは人とのつながりかなとも思います。そういう状況下だけじゃなく、いつものことですねたぶん。今回のIさんもそうですが、信頼し合える人がいるというのは本当にありがたいことだと思います。僕にとっては、まず家族がそういう存在です。       健
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ひとつぶ便り 183号

どうも。今日もお越しいただきありがとうございます。
現在うちはキッチンをリフォーム中。キッチンが使えない為、外で薪の火でご飯炊いたりしています。結構楽しいし、ご飯も美味しく炊けるし、なかなか良いです。

長野に来た頃から付き合いのある友達の大工さんに頼んでやってもらってます。知り合いからシステムキッチンをもらったんだけどうちのキッチンじゃ入らないので、隣の部屋との間の壁を壊そうってことになり、それなら床も張り替えるか、ってことですごく素敵なキッチンになりそうでござる。キッチンにあるもの全て他の部屋とか廊下に移動、ということで、冷蔵庫がリビングにあったり、廊下に食器棚があったりして、なかなか前衛的なお家になっています。トイレに行く廊下が食器棚で半分以上埋まっているので、トイレに行く際は横歩きをしなければなりません(笑)。

では先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 183号(2014年9月19日便)
 いつもありがとうございます。ここ一週間は晴れが続いて、昼間は気温もそこそこ上がっています。晴れていても秋の涼しい風が吹いています。朝晩は10℃近くまで下がるようになってきて、かなり肌寒く感じます。日が落ちるのも早くなってきました。6時くらいには暗くなり、6時半にはもう真っ暗という感じ。夏至からもう3か月ですか。夏至の頃は7時半くらいまで明るく、それまで畑で仕事ができるので、それと比べるとだいぶ昼が短く夜が長くなってきた感じがします。必然的に子ども達と過ごす時間も増えてきて、嬉しいです。
 この時期になるともう種まきも植え付けもほとんど終わっていますが、ニンニクは毎年9月15日頃に播きます。今年はちょうど15日にやりました。ニンニクはこれから芽を出し、長い長い冬を越え、収穫は来年の初夏。たくましい!冬を越えるのは小麦も似たような感じ。小麦は10月に入ってから播く予定で、今は畑の草を機械でバラバラにしたりして、播くところを準備中。今年は、去年に比べてだいぶ不作だったので、来年はたくさんとりたいなと思っています。たくさん使うので。パンも焼くし、おやつも作るし、料理にも使うし。たくさんとれたらうどんに加工してもらったりだってできて、皆さんにお届けすることもできます。がんばるぞー。

今週の野菜セット
 ゴボウとか人参とか、大根葉とかカボチャとか、先週と比べてがらっと秋っぽいセットとなりました。季節によって、食べたいものが変わってくるのはおもしろいなと思います。今はビニールハウスでの栽培があるからで年中どんな野菜も食べられますが、そういうちょっと無理のある栽培をされた野菜と、旬の野菜とでは味が全然違うし、栄養価もだいぶ違うようです。その季節の旬のものを食べる、というのがいちばん贅沢なことだと思います。

子どもたちのこと
 葉菜ちゃん(はな・5歳)も花野ちゃん(かや・2歳2か月)も、当然のことながら着実に成長しているのを感じます。葉菜ちゃんの物事の理解力がだいぶ育ってきて、よりスムーズに会話できるようになったなと感じます。2人で会話するのが楽しいです。今まで楽しくなかったとかいうわけではありませんが、すんなりわかってくれたり、わかりやすく話してくれたり、ということができるようになってきたので、より楽しく話せるようになったと感じます。
 最近少し、驚いたのですが、井上雄彦さんの書いている車いすバスケなどが題材の『リアル』というマンガを読み返していて、今まで主人公3人(18~19歳男子)に共感することしかなかったのに、この前読んでいたらその親たちに共感を覚えました。その視点から見えたというか。主人公の一人、高橋君の、小学校時代の回想とかを、そのお父さん視点で見ているっていう感覚。なんか、葉菜ちゃんが成長してきて、小学生の葉菜ちゃんとかも想像できるようになってきたからこその感覚かと思います。もともと、読み始めた頃はこの主人公たちと同じくらいの年齢だったし、野宮君は結構体質とか性格とか似てる部分を感じるし、高橋君は誕生日が一緒だし(笑)、戸川君は兄に似てるなって思ったりで、この物語の中で彼らにしか興味はなかった。その頃の自分には、高橋君のお父さんに感情移入できるような日が来るとは思ってもみませんでした。もともとすごくいいマンガだと思っていたしもともと大好きだけど、新しい見え方がして、ますます好きになりました。ちなみに『リアル』は一年に一冊だけ出ます。主人公たちとはどんどん年が離れる(笑)。既にたぶん、主人公達と僕の年齢差と、主人公達の親と僕の年齢差、ほぼ同じくらいになってきたのではないかと思います。そしてどんどん親たちの年齢に近づくってわけですね。学生としても、親としても感情移入できるような人物の描き方、作者の井上さんの力量というか、人としての深みというかを感じます。
 回想シーンの中だけでなく、18歳くらいの主人公達すら「子ども」として見えてくるのがまた、おもしろい。新鮮な感覚。別に普段、例えば葉菜ちゃんの将来を想像したりすることはないし、しようとも思わないけど、赤ちゃんの時や、もう少し言葉が拙かった時よりも、将来の姿は想像しやすくなっているのだろうなと思います。だから、18歳の子を持つ親の気持ちも想像できるようになったのかなと。まぁわかりませんが、おもしろいなと思います。
確かなことは、産まれた時から5年も一緒にいる葉菜ちゃんには、それだけ特別な思いが湧いています。親も子もそれぞれ感じ方は全く異なると思うし、それは誰にでも共通の、普遍的な感覚でもないだろうと思います。あと、そこに血のつながりがあるとかいうこととは全然関係ないと思います。例えば今、何らかの理由で彼女と自分の血が繋がっていないと告げられても、葉菜ちゃんに抱く感情は特に変わらないと思う。お腹の中で育てた経験もなく、産んだ経験もない僕ら男親たちにとっては産まれてから後の日々こそが大切なものだと思います。濃密だったり強烈だったりする体験をできない僕らは、子ども達とは他人とそう変わらないところからの関係から始まるわけですが、その距離感も悪くないなと思います。どこまでいっても他人、みたいな部分もより大きいと思うし、それもそれでいいなと思います。

 ある程度放っておいたって子どもは育つものだと思いますが、今のこの日本の社会のあり様が、無防備に送り出すにはあまりに厳しい、苦しい場所のような気がしています。直接的に、間接的に、差別も暴力も、溢れています。そしてありのままの命を認めてくれる場所なんて、本当に少ないと思う。例えば学校に行けば、勉強ができるからとか、運動ができるから、あるいは絵が上手いから、歌や楽器が上手いから、という理由で褒められ、順位をつけられ、そこに自分の価値を見出せなければ劣等感を抱きます。僕は、葉菜ちゃんたちに対して、自分に対して、全然それができてない現状がありますが、もっと、「全て」を受け入れたい。むしろ受け入れられなきゃおかしい!と思っています。環境が良かったら、子ども達はさほど苦しまず、身心共に健康で育つものだと思います。環境が良かったら、親が特に何かがんばらなくてもいいのではないかとも思います。でも今はたぶん違う。大人たちが揃いも揃って苦しんでいるような状況、3万人かもっと多くの人が自ら命を絶つこの社会において、「親」というポジションにいる人間が果たせること、果たすべきことが、たくさんあると思います。まずはありったけ、愛情を注ぐこと、伝えることが、大切だと思います。そこにあるものでも、伝えなければ伝わらないものかもしれないし。
 あと例えば、子ども達をまるごと認めるには、僕ら自身が自分をまるごと認める必要があると思います。子ども達が幸せに生きる為の力は、幸せに生きている人にしか伝えられないのではないでしょうか。自分自身を大切にすること、それはどんな人にとっても極めて重要なことだと思っています。   健

ひとつぶ便り 182号



ひとつぶ便り 182号(2014年9月12日便)
 いつもありがとうございます。このところなかなかすっきり晴れる日がありません。僕らの住む佐久地域は全国的に見てもかなり日照率が高い場所だそうで、実際毎年良く晴れている印象ですが、今年は雨が多く、雨が降っていなくても一日曇っていることも多く感じます。涼しい毎日。もう少し、残暑が欲しいところ!毎週書いていますが、野菜の育ちは非常にゆっくりだったり雨でダメになってしまったりで、すごく、うまくいっていません。ひー。残ったものたちを大事にしつつ、種のまき直しもしたり、まぁやれることをやっています。こういう天候だと、いつも以上に技術の無さを強く感じます。
 上の子、葉菜ちゃん(はな・5歳)が通う幼稚園の子ども達の間で溶連菌という菌による感染症やら、風邪やらが流行っています。肌寒かったり、ちょっと暑かったり、色々な天候の日がある時期なので、体調も崩しやすいですね。葉菜ちゃんもどうやら溶連菌感染症にかかったらしく、6日の夜に39度くらいの高熱。その時はお腹も痛かったようで、かなり苦しんでいましたが、次の日7日はだいぶ元気に。まだかなり熱はあり、食欲もやや落ちていましたが、前日とは比べられないくらい元気。8日は熱もだいぶ下がりましたが幼稚園は休んで、9日は熱も下がってかなり元気になりましたが、まだ幼稚園はお休みです。ゆっこさんが基本的に家にいてずっと看ているので、葉菜ちゃんとしてはかなり嬉しいんじゃないかなと思います。10日からまた元気に登園しています。
 8日夜くらいから、今度は下の子、花野ちゃん(かや・2歳2か月)にうつったようで、9日はかなり熱が上がりました。39度近く。当然だるそうな感じでしたが、いつも通り陽気に歌ったり遊んだりしていました。11日現在熱も下がり、元気!ちなみに僕もちょっと喉が痛いのと、妙なだるさを感じます。熱は上がっていませんが、葉菜ちゃんからもらった菌かな?皆さんもお体に気を付けてくださいませ。

今週の野菜セット
 例年ならどんどん採れている野菜たちですが、今年は細々と採れている中からお届けします。人参は僕らとしては過去最高(苦手作物なので基準は低い(笑))の立派さに育ちました。お楽しみください。
 形が悪かったり、虫食いがひどすぎたり、っていうものは僕たちが食べることになりますが、そういう野菜はたくさん出るので、全体的に採れないからといって、僕らの食卓は実は問題なく豪華です。ありがたや。

お月見
 8日は、中秋の名月。ということで、我が家でもお月見パーティーをしました。この時は葉菜ちゃんはだいぶ食欲が戻ってきていて、パーティーも満喫していました。
 いつもご飯を食べる部屋とは違う、外が良く見える部屋にテーブルをセッティングし、月を眺めながら、ゆっこさんの作ったご馳走を食べました。小豆のお団子と、お月様のようなカボチャのお団子(おはぎみたいなの)や、トウモロコシの輪切りとか黄色いズッキーニの輪切りで月を表現したり、スープの中の人参がウサギ型に切ってあったり、という月にちなんだご馳走。美味しかったです。ありがとう!
 電気の明りを消して、ろうそくを灯してのパーティー。肝心の満月は、薄い雲と厚い雲に、ちょっと見えたり隠れたりを繰り返しながら、空を昇っていました。8日は一日曇りだったので、見られないかなと思っていましたが、きれいな月が見られてよかった。出たり、隠れたり、色々な表情のある月だったので、それはそれで楽しめました。葉菜ちゃんも花野ちゃんも、「お月様でたー!!」とか言ったり歌ったりしながら、満月を楽しんでいました。時々こうして、空を眺めながら食事をするのもいいなと思いました。月に一度、満月が昇るわけだしそういう時にでも。僕らのこの家は、周りに街灯がないわけではないのですが、家に隠れたり建物に隠れたりで、ちょうど家の南側には街灯の光が届きません。だから、星や月を見る環境としては最高!こんな月のきれいな時は、南側の窓からは月明かりだけが入ってくるわけです。その素晴らしさをみんなで感じました。
 9日も、葉菜ちゃんの希望で同じ部屋で連日のお月見パーティー。十六夜(いざよい)ですね。この日の空の方が晴れていて、明るい月を見られました。月ってすごく、素敵な光ですね。すごく、すっきりした、澄んだ光って感じがします。なんとも言えないきれいさ。

ズボン作ってみました。

 最近よく踊りにいったり家とかでもよく踊っている、アフリカン・ダンスの練習用のズボンが欲しかったのと、服を作ることに興味もちょっと湧いていたので、ちょっと勇気を出して作ってみました。布は前回の練習会のときに買ってきたもの。ネットで簡単そうな作り方のものを探して、それで作ってみました。型紙いらず。僕は全く何も知らない素人かつ、そんなに器用な方でもないのでちゃんとできるのか不安はありましたが、時間はかかりましたがそれほど目立ったトラブルもなく完成にこぎつけられました。使っているうちに問題出るかもしれませんが(笑)、とりあえず完成品も問題無さそうでいい感じ。6日と7日の夜、子ども達が寝る時間くらいからが作業時間でした。ゆっこさんも子ども達と一緒に寝ていたので色々訊くこともできず、結構自力でがんばった感があります(笑)。ミシンとか、すごく久しぶり(たぶん中学校以来)でしたが、なかなか楽しかった。一つ作ればもっと色々作ってみたい気持ちもありますが、うちはもともと服を極端に買わないので(子どもも大人もほとんどもらいもの(笑))、「今まで買っていた代わりに作る」とかいうことにはなりません。なので、布を買ってまで服を作る動機づけがあまりできないので、雑巾縫うとか、小物をときどき作るとかしようかなと思います。
 
 人が暮らしの中でやってきたこと、衣・食・住における色々なことは、どれも難しいはずがない、と思っています。慣れれば、ほとんどの人ができること。それが難しいことだったら、続いてきたはずがないと思うから。例えば僕は2日に一回ぐらいのペースでパンを焼きますが、これも慣れればすごく簡単なこと。きっと、フランスとかドイツとかの、農村の一般家庭で作り続けられていたような方法。特別な設備も材料も道具もいりません。生地は小麦粉と水と塩と(酵母も同じ材料)、手とボウルがあればできるし、今はオーブンがあるからそれで焼いているけど、フライパンでだって焼けます。服を作ることもきっと同じようなこと。布と、針と、糸があればできること。やったことのないことは、すごく難しく見えたりするけど、生活に必要な全てのことは、時間と手間を惜しまなければ本来誰でもできるものだと思います。その時間と手間がかけられない世の中になっちゃっていますが。何かを育てて食べ、何かを育てて服を作り、何かを育てて家を作る。今の僕にはどれもまともにできないけど、そういう力を少しでも身に着けていけたらいいなと思います。生きるのに必要なもの作ることに、楽しさと喜びを感じます。 健

ひとつぶ便り 181号

こんばんは。今日は中秋の名月!うちは連れ合いが団子やら、トウモロコシを輪切りにしたり、黄色いズッキーニも輪切りにして、なんやら色々「お月様っぽいもの」料理を作って、外がよく見える、いつもご飯を食べる部屋とは違う部屋にセッティングして、お月見パーティー!電気は消して、ろうそくの光でご飯食べました。曇っててどうかな~と思いましたが、雲が薄いときはかなり見えて、よかった。歌を歌ったりはしゃいだりしながら子ども達も楽しんでおりました。雲の間から見えたり、雲に隠れて見えなかったり、色々な表情のあるお月さんだったので、むしろ楽しめたかも。今はよく見えてるなぁ。

さて先週のひとつぶ便りっす。

ひとつぶ便り 181号(2014年9月5日便)
 いつもありがとうございます。すっかり秋の空気で毎日すごく涼しい。このところまた雨続きで、昨日(2日)は久々に晴れました。8月の長野県内、日照率が過去最低の地点が9地点、雨量が過去最高は4地点、だそうです。ところによっては日照が平年の半分以下。僕らの住む佐久穂町も、過去最低ではないようですがかなり日照が少なく、雨が多かったです。おかげで野菜、ものすごく不作・・・。山あいの畑ばかりでもともとどこもそれほど日当たりのいい畑ではないので、余計にダメージ大きいのかも。あまり問題なく栽培できている友人もいるので、僕らの技術の問題も当然かなりの部分あるものと思いますが、この天候に苦戦している農家は僕らだけでなくたくさんいるようです。涼しいから秋の野菜たちにはいいかと思いきや、8月前半にまいた大根や葉物などが、雨でだいぶ駄目になっています。まき直そうにも雨ばかりで畑に入れる状態ではなかったので、やっと晴れた2日目の今日(3日)まき直しました。大根はもうこのあたりでは遅いので、ちゃんと大きくならないかもしれませんが、まぁそれならそれで、葉っぱを食べます。状況はだいぶ厳しいですが、やれることをやっていきます。
 例えば大根の種は、5年くらい前のものでもそれなりに発芽します。大根にとって5年くらい、厳しい気候が続いたとしても、彼らは種を発芽させず、耐え忍ぶことができます。発芽して、種を残せる状況ならば、環境に適応したり多様性を増しておくこともできます。僕らは大根が一年採れなければお金にならないのですごく困りますが、大根にとってはたいしたことはないような気がします。現在の人間の営みは、自然が持つ柔軟性を無視した、脆弱な仕組みの上にあるものだと感じます。異常気象とか言うけれど、木の種は100年単位で発芽能力を失わない、ということは、100年くらい極端な気候が続いても、命をつなげるということ。近年の、このくらいのことは、たいしたことではないのかもしれません。

今週の野菜セット
 野菜、なかなか育たず、あまり採れない状況ですが、あるものを入れさせてもらいます。例年に比べてものすごく不作の今年ですが、6月に蒔いた人参が(うちとしては)立派にできました!これだけは過去最高の出来(うちは人参苦手なので基準は低い(笑))。美味しいですよ~。

子どもたちのこと
 ここのところ子ども達の近況を、僕担当のこっちの面では全く書いていませんでしたが今回は久々に書きます。書くことはもちろんたくさんあるんだけど、他に書きたいこともあって埋まってしまってしまうのがこの頃。まぁ、家族4人、すごく楽しくやっています。おかげさまで。
 上の子、葉菜ちゃん(はな・5歳)は最近体が柔らかいことが自慢。もともと柔らかいみたいですが、幼稚園でバレエをやっている友達に教わったか何かで家でも柔軟の体操をよくしていて、いつの間にか物凄く柔らかくなりました。180度開脚で、体がペタッと地面につけられます。すごい。先月の10日に僕が一人で行ってきた「ゆとり家」の、だーさん(島田啓介さん)家族が、29日夕方から30日午前中まで一泊で、今度は僕らの家に遊びにきてくれました。で、だーさんのパートナー、さなえさんはヨガのインストラクターをやっている方で、体がとても柔軟。葉菜ちゃんには「今度来るだーさんのパートナーはたぶんすごく柔らかいよ」と言ってあったので、対抗心を燃やしたか(笑)、葉菜ちゃんはまず、だーさん一家が到着したとき玄関で開脚、そしてペターっと歓迎。さなえさんもその後色々なポーズを見せてくれて、葉菜ちゃんも真似して色々とやっていましたが、一つ、できないポーズがあって、「あ・・・」という表情に。敗北感を味わったようでしたが、今日も柔軟をがんばっている葉菜ちゃんです。
最近は、他人との違い、他人より優れているところ、あるいは劣っているところ、そういうところにすごく敏感になっている感じがします。そういう時期なのかもしれないし、そういうことを知ったり考えたりすることはきっととても大切なことですが、例えば「何かができる:ということが、自分が愛される理由だとは、決して思わないで欲しいなと思います。体が柔らかくても柔らかくなくても関係なく、僕もゆっこさんも葉菜ちゃんが大好きだということを、知って欲しいなと思います。感じて欲しいなと思います。そして、自分で自分を100%受け入れられるようになってくれたら嬉しい。「良い自分」と「悪い自分」とを分け、「悪い自分」を排除しようとすることが習慣にでもなれば、そんなに苦しいことはありません。これじゃダメ、というのが否定。これでいい、というのが肯定。自分が、これじゃダメ、というのはもちろん苦しいと思いますが、自分がこれでいい、という肯定も、何か違うなと感じることがあります。肯定は常に否定を含みます。ありのままを受け入れる、って方向性が大切だと思っています。肯定でも否定でもなく、全ての受け入れ。例えば「自分は体が硬いからダメ」でも「自分は体が硬くてもいい」でもなく、「自分は体が硬い」と、ただ受け止める。「自分は怒ってはいけない」、「自分は怒ってもいい」ではなく、「自分の中には怒りがある」とか「自分は怒っている」と、ただ見つめて、受け入れる、ということが大切だと思います。自己肯定感というか、自己受容感と言った方がこの場合はたぶん適切。そういう力を、育んで欲しいなと思います。その助けになりたい。
というか、何よりも愛情を感じて欲しいと思う。それは確実にここにあるものだから、なんとかして伝えたい。主に親に、愛情満タンでもう入りません、ってぐらい愛情を注がれたら、たぶんその子は(大人も?)自分で自分をしっかり愛せるようになるのだと思います。そうすれば、この世に何も恐いものはありません。どんな過酷な環境に置かれようとも、たとえ親が死のうが手足を失おうが、どんな自分でも愛せる力を持っていれば、大丈夫だと思います。その力を育む為にも、愛情を、注ぎまくりたい!
なんでしょう。強さって、弱い自分を否定し排除していった先にあるものではなく、弱い自分を認め、受け入れたところにあるものだと思います。「勝つ」ということが是とされる世の中だけど、勝つことより負けられることってすごいことなんじゃないかと、最近思います。

下の子、花野ちゃん(かや・2歳2か月)は、相変わらず非常にコミカル。言葉も達者。おもしろかわいい(笑)。最近はおまるやトイレでおしっこやうんちをするのが非常に上手になりました。どうやら既に「出そう」って感覚はわかっていたみたいですが、「おしめの中ではしてもいい」と思っていたのか、おしめの時はほとんど教えてくれませんでした。それが、数週間前に僕らが手が放せなかったか何かでおしめを穿かせないでお尻丸出しで放置していたら、「トイレ」と教えてくれて、大成功。その後も、おしめや分厚いトレーニングパンツを穿かせずに、お尻のまんまとか薄いパンツを穿いていればよく教えてくれます。たまにもらしちゃうこともありますが、大体大丈夫です。やるね!         健

ひとつぶ便り 180号

今日もお越しいただきありがとうございます。

先週に引き続き、マインドフルネス〈気づき〉の話が主。
先月の29日の夕方から30日午前中まで、ゆとり家の島田啓介さん(だーさん)家族がうちに泊まっていってくれました。すごく、いい時間が過ごせました。色々、勉強にもなった。確認できた、実践をする中でとても大切なことは、微笑むこと。微笑みと瞑想はセット、むしろイコール、みたいなのが、ティク・ナット・ハンの言葉に触れていると当然のこととしてあるんだけど、べつに一般的な認識ではないんですね。その効果は絶大だし、瞑想をする中で、はまり込んだり、自分の心の癖を強化したり、っていう危険もかなり少なくなりそうです。微笑んでますか?今。

更新遅くなりましたが先週のひとつぶ便りでーす。

ひとつぶ便り 180号(2014年8月29日便)
 いつもありがとうございます。ずーっと雨の予報だった割には晴れが結構続いて、葉物の種まきや白菜の苗の植え付けなどもできました。そしてその後雨も降り、作業的にはなかなか良い感じ。しかし!もうだいぶ涼しくなったからか、先々週の長雨の影響なのか、野菜たちはなかなか大きくならず、熟さず、という感じで収量がすごく少ない。毎年野菜が余って大変な時期なのに、今年は全然余らない感じ。まぁ、自分たちで食べる分には困りませんが、今年は凶作って感じです。売るものがない!という状況。なかなか・・・。今日(27日)は、昼間も20℃を超えないくらいで、肌寒かったです。

今週の野菜セット
 というわけですが、今週も採れた野菜をお届けします。
 少しジャガイモの話でも。ジャガイモは毎年たいてい種イモを買って、それを植えて育てていますが、今年のアンデスレッド(赤い芋)とオオジロは、全て去年の僕らの畑で採れたイモが種イモです。昨年、天候不順のため種イモ農家さんが思うように育てられなかったようで、いつも買っている種屋さんでほとんど扱いが無い状態でした。で、うちのジャガイモも春まであったので、じゃあうちのイモでやろうか、ということで、やってみました。毎年、自家採取の種イモを使ったりもしますが、今年ほどの量をまいたことはありません。キタアカリは買うことができたので、買って植えましたが、これがほとんど発芽せず土の中で腐ってしまう始末でした。なので、結局キタアカリも自分のところのイモを植えなおしました。そうしたらほぼ発芽。今年に限って言えばうちのイモの方が買った種イモより断然よかったです。

ゆとり家への旅 その2
さて、先週も書きましたが、毎週お送りしている方がほとんどいない為、また始めから書かなければいけないような気もしますが(笑)、前回書けなかったことを中心に書こうかな。前回と重複する内容もありますが、コピペはしないでまた書きます。書く時によって、たぶん全く異なる表現になるし。
今月10日、台風の中、神奈川にある「ゆとり家」というところへ行ってきました。そこは、僕の大好きな禅僧、詩人のティク・ナット・ハンの翻訳をよくやっている島田啓介さん(通称「だーさん」)家族の家です。その家を開放して、ヨガや瞑想会、農業体験、などなど色々なワークショップを開いている場所。僕は今回、「気づきの日 一日瞑想会」というのに参加してきました。すごくよかった!

僕が5年前に出会い、人生を救われた〈気づき〉の瞑想と呼ばれるこの手法は、仏教の最も古い教えの一つです。それは、「今ここ」を生きる実践。サティ=マインドフルネス=念=〈気づき〉という言葉は、数ある経典の中で最も多く登場する言葉の一つだそうです。それが、苦しみを少なくし、無くす為の最重要項目ということ。仏教に、四念処経(4種の〈気づき〉の確立についての経)と、安般守意経(呼吸への完全な〈気づき〉についての経〉というお経があって、それは抽象的に何かを説明したものでもなければブッダの行動などについて述べられたお経でもなく、ただ具体的な実践についてのみ述べられたもの。神様も宇宙も出てこないし、「こう考えろ」みたいな話でもありません。例えば「息を吸っている時は、息を吸っていることに気づく。息を吐いている時は、息を吐いていることに気づく。」というようなことが書かれています。
僕らが生きている一瞬一瞬、例えば呼吸をしていることに、座っていることに、歩いていることに、食事をしていることに、会話をしていることに、パソコンで文字を打っていることに、気づくということ。自覚的、無意識でなく意識的でいるということ。僕らは1%程度の自覚で何かを行えるそうですが、それを100%に近づけていくということ。また、自分の快・不快・中性(どちらでもない)という感覚や、怒っている、喜んでいる、悲しんでいる、楽しんでいる、平静である、というような心の状態に、自覚的でいる、そういう実践です。
強烈な体験を味わうような瞑想を知っている人には、この〈気づき〉の瞑想は「地味」と言われることがあるようです。現実をありのまま見るだけのことだから。でもやっていけば、「現実をありのまま見るだけのこと」が、どれだけの奇跡か、わかります。臨済宗の祖、臨済はこう言ったそうです。「奇跡とは空を歩くことではない。大地を歩くことだ」と。今、目の前にあるもの、自分、全てが奇跡です。
 と、まぁ先週と同じく〈気づき〉の説明で紙が埋まっています(笑)。とにかくまぁ、何か特別なことをするわけじゃなく、全ての瞬間を特別にする、という感じ。今回ゆとり家でやったのも15分沈黙し、食べる為だけに食べる、食事の瞑想とか、どこも目指さず一歩一歩に気づきながら歩く、歩く瞑想とか、座る瞑想とか、普段やっていることを、より自覚的に、意識的に行う、ということです。みんなで〈気づき〉の実践をすることは思いのほか楽しかったし大きな優しい力を感じました。

一日瞑想会が終わったあと、ゆとり家のだーさんとは、同じくらいの子どもを持つ親として、子どもと〈気づき〉の話で盛り上がりました。いかに子どもたちに実践を伝えていけるか、とかいう話で。
うちの子、花野ちゃん(かや・2歳)は、すごく「今ここ」を生きている感じがします。そして、すごく楽しそう。その姉の葉菜ちゃん(はな・5歳)も、楽しいし幸せだと思うけど、僕ら大人から良いことも悪いこともいっぱい学び、「今ここ」にいることに関しては既にかなりできていません。僕と同じく、よく過去や未来、ここではないどこかに、意識を飛ばします。それはべつに何も変なこととかではなく、とても一般的なことだと思います。子どもも大人もそのほとんどが、「今ここ」をほとんど自覚せず、意識せず、気づかずに生きています。でも、幸せは「今ここ」を生きる中にこそある、というのが体験からの実感。僕はこの実践においてまだまだ入口に立ったばかりの初心者だけど、それでも奇跡と呼べるくらいの良い変化を感じています。もちろん現在進行形で。だから、子どもたちにも、どういう形ででも「今ここ」を生きる実践を伝えたいと思う。それは誰もがもともと持っている力だけど、そこから引き離すものが圧倒的に多い社会です。その社会の中で生きる大人たちは、ほとんど「今ここ」を生きていません。子どもは大人から学ぶわけで、そんな大人を見ている子どももまた、「今ここ」を生きられなくなります。うちの場合は、5歳で既にそうだと感じます。僕ら大人としてはいかに、その感覚を忘れさせないか。邪魔をしないか、そういう話だと思います。僕が実践を続けることも、娘たちにとって極めて重要。
そんなことで、だーさんと「八ヶ岳〈気づき〉の瞑想会 子どもプログラム」みたいなのを来年やろうかと言っているところ。ティク・ナット・ハンのフランスの共同体「プラム・ビレッジ」には子どももたくさんいるし来るし、対子どものノウハウもどうやらすごく豊富です。そのへんも参考にしながら。健


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