ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 192号(赤ちゃんの見ている世界)

今日もお越しいただきありがとうございます。先週のひとつぶ便りです。どうぞ~!

ひとつぶ便り 192号(2014年11月21日便)
 いつもありがとうございます。今年の11月は比較的暖かい感じでここまで来ていましたが、いよいよ大霜連発、みたいになってきました。寒いです。朝は畑など、霜で真っ白になっていてとてもきれいです。ここのところ強い風が吹き荒れる日も多く、その影響で家の前のビニールハウスの天井のビニールがビリビリに裂けてしまいました。しかしまぁ、よくここまでもってくれたなという感じです。そもそも発注を間違えた安物のビニールだったのが、6年くらいはもってくれました。今年2月の大雪にも耐えてくれたし。よくがんばってくれました。そのハウスの中で、少しだけ葉ものを育てているのと、取り入れた大豆を干していました。その大豆、全部にシートをかけるのも移動するのも大変だし、次の雨が来るまでに脱粒(さやから豆を出す)したいなと思って、酒蔵は午後の半日休みをもらい、農協で機械を借りてきて、やりました。大豆スレッシャーというこの機械、僕らは初めて使いました。農協の機械は予約制で、この時期は同じ作業をどこの人もやりたいので、なかなか予約に空きがありませんでしたが、ちょうど17日は週間予報で雨予報があった関係か、空いていました。天気予報をそんなに信頼してもいないので(笑)、その日に予約。結局17日はパラっと小雨が降った時間がありましたがほとんど降らず、無事に大豆の脱粒をすませられました。いつもはゆっこさんが冬の間、少しずつ、できる時間に作業(棒などで叩く)なのですが、2時間ほどで終了。機械恐るべし。しかし機械の中をのぞいてみれば、足踏み脱穀機みたいなもの、千歯こきみたいなもの、があるのが見えて、発想は先人にあやかっているものなんだなと思います。ちなみにお米の脱穀をするハーベスターという機械は、足踏み脱穀機と、ふるいと、唐箕を一つにしたような機械。そういう昔のものの優秀さを、機械から思い知らされたりします。実際に現在も、小規模であれば足踏み脱穀機で稲を脱穀している人もいます。よく農家の納屋に眠っていたりするし、新品でも金属製のものが売ってもいます。唐箕はもうちょっとポピュラーに使われているのではないかと思います。唐箕は義父が持っていて、うちも何かと使わせてもらって重宝しています。人力のみで動く道具は、かっこいいなと思います。石油で動く機械の力は偉大ですが、工夫された手で扱う道具や積み上げられたノウハウ、そして人の数さえ確保できるなら、割とどんなことでもできる気がします。
 今年は夏野菜がとても調子悪かったのですが、お米の出来は悪くなかったし、人参、ゴボウなどは過去最高にとれました。大豆も今まででいちばんとれて、嬉しいです。
今週の野菜
 畑がいよいよ本格的に凍り始め、葉ものやカブなど、そろそろ終わりそうです。これからは、取り入れて貯蔵しておいたものや、加工品などのセットに変わっていきますが、今週は畑の野菜たちのもうひと踏ん張り。をお楽しみください。友達とお鍋を囲むことが多いです。日々、野菜たっぷり食べまくっています。
 ちなみに今回のじゃがいもの袋は葉菜ちゃん(5歳)がせっせと作ってくれました。無理に作らせたわけではなく(笑)、ゆっこさんが作っていたら一緒に作り始めて、「もっと作る!」とどんどん作ってくれました。ありがとう~。

娘たちのこと
 と、いうように最近はよく、自発的にお手伝いしてくれる葉菜ちゃん。ほんと助かります。また、最近は平仮名ブームで、読んだり書いたりをよくしています。だいぶ前に一度、だいぶ覚えていたのですがまだそんな時期ではなかったか、忘れて、また覚えだした感じです。読むのはほとんど問題ないようで、ゆっくりならば絵本も自分で読めたりします。厚めの絵本を全部読むにはまだ大変すぎるみたいですが。僕らは特に教えもしていませんが、義父が熱心に教えてくれているようです。葉菜ちゃんも、数字とか文字とか好きなようで、どんどん吸収しています。幼稚園でも手紙をみんなで回し合うのが流行っているみたいで、それもここ最近の上達の要因でしょうか。好きであるなら、どんどんやっていけばいいと思うし、そうでもないのなら無理してやらないで欲しいなと思います。
 花野(かや・2歳4か月)はどんどん言葉が達者になっています。日々、スムーズに喋れるようになっていっています。彼女は性格が基本的に陽気で、よく笑わせてくれます。いつでも楽しませてもらっています。

 2歳ともなれば、もう完全に赤ちゃんではなく子ども、という感じです。「子ども」と呼ばれる人たちの見ている世界は大人の見ている世界とはだいぶ違うだろうけど、赤ちゃんと子ども、子どもと大人、を比べた場合、前者の方が、世界の見え方の違いが大きいのではないかと思います。赤ちゃんの見ている世界。どんなでしょうか。たぶん、見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、全ての情報が等しく存在する世界。生きていけるように、その情報を切り取り、絞り、順位をつける等々のことをしていって、赤ちゃんは子どもに成長していくのだと思います。ヘレン・ケラーの「WATER」にあたることを、誰もが経験しているのだと思います。何も手掛かりのないところから、何かを理解していくということを。覚えていますか?その感覚、今はわからなくても、僕らは忘れているだけです。
 誰が最も真実に近いものの見方をしているかと言えば、たぶん赤ちゃん。その切り取る前の情報こそが、真実に近い見え方。全くそこから離れてしまっている大人と、まだ結構覚えている子ども。僕ら大人は、子どもたちにものの見方とか考え方とか教えようとすることがあるけど、果たしてどちらが教わる方なのか。例えば言葉もそうですが、世の中を生きていく上で便利な方法がたくさんあります。その方法を教わること、学ぶことは子どもにとって大切なものだと思いますが、その方法が真実だと思ってしまったらそれは間違いです。例えば言葉は、情報を伝達する手段であって情報そのものではありません。でも誰しも常々、その手段をそのもの自体だと思い込んでいるような気がします。
 僕らの行動や言動、考え、それぞれどれも、生まれたばかりの時には知らなかったもの。できなかったこと。僕らは成長して、それができるようになったけど、その結果、切り取る前の、全てが平等に存在している、情報の本来の姿を見ること、その見方を忘れてしまっています。周りの人間を見たりして、それが必要ないと思ったから、たぶん子どもの頃にほとんどの人がその見方を忘れてしまったのではないかと思いますが、思い出すべきものだと僕は思います。僕らの目の前の世界を、いかに切り取るかは確かに大事なことですが、まず何より、「切り取っている」という事実を知った上でやった方がいいと思います。赤ちゃんの目線、大人の目線、どちらが優れているとかそういう話ではなく、どちらも大切。どちらも大切なのに、赤ちゃんの見え方は、僕らはほとんど忘れています。世界はきっともっと美しく、楽しい。健
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ひとつぶ便り 191号(お米と菌と人間と)

今日もお越しいただきありがとうございます!先週のひとつぶ便りです。どうぞ。

ひとつぶ便り191号(2014年11月14日便)
 いつもありがとうございます。毎朝畑は凍るようになってきていますが、昼間は晴れれば結構暖かいです。1月、2月の寒さはまだまだ想像できないししたくありませんが(笑)、まだまだへっちゃらな寒さです。僕がこの町に来て今季で6回目の冬。体も気持ちも慣れた部分はかなりあると思います。
 畑が凍てついて融けなくなるまでもう少し。色々と取り入れしなくてはいけないものがあり、僕が酒蔵に毎日出勤していてなかなか農作業できないのでゆっこさんがいつも以上にがんばってくれています。大豆の脱穀や野菜の種取りなど、他にも色々とやらなくてはいけないことがあります。本格的な冬はもうすぐ!というところで今朝、ハウスのビニールが破けてひどいことになってる!まぁ~!

お米と菌と人間と

 僕は基本的に毎日、冬の仕事、お酒造りに酒蔵へ出勤中。去年よりもだいぶ分かることが増えて、去年と比べて格段に楽しい。僕は「釜場」とか「釜屋」とか呼ばれる持ち場にいて、お米を洗ったり蒸したりするのが主な仕事。毎朝お米を蒸し、昼頃からはお米を洗い、という日々。お米を洗うとかいうとまぁ手でたくさんお米を洗うのをイメージするかもしれませんが、機械で洗います。一袋30キロのお米を機械に入れていくのは、人間。多い時には2トンとか3トンのお米を一日に洗います。そしてその翌日、そのお米を蒸します。毎日毎日その連続、って感じ。色々な種類のお酒があるのでお米の種類が違ったり、量が違ったり、色々です。去年はこの時期なんて特に、全く全体の流れがつかめていませんでしたが、今年はだいぶ分かるので、全然見え方が違います。蒸したお米と、麹と、酵母があればお酒はできます。という基本的な話も去年はよくわかっていませんでした。
 なんというか、お酒造りの現場は、「大きい台所」みたいなものです。お米を蒸す、米に麹菌をつけて麹をつくる、それらを容器に入れてかき混ぜる、なんてことは全部、台所でできることで、それを一つ一つ大量に、大きな道具でやる、というだけのこと。台所ではしゃもじを使うところで、酒蔵ではスコップを使います。最近、自分たちが「台所で働く小人たち」だというイメージが浮かんだりします(笑)。
一つ書いておかなければいけないと思うことは、お酒を造るためには物凄く多くの量のお米を使うということ。現代人はお米一俵、60キロくらいあれば1年間食べられるそうですが、例えば2トンのお米は33人くらいが1年食べられる量。そんな量を一日毎、使っていくわけです。いちばん小さい規模ではありませんが、それほど大きくもない酒蔵の話で。先進国の人間がお酒を少し控えるだけで、世界から飢餓は無くなる、という話を聞いたことがありますが、こうしてお酒造りに携わっていると、実感としてわかります。今僕は、お酒が売れなきゃ困る立場の人間ですが、どうかお酒を飲むときは、それが貴重な穀物から作られたものだということを少しでも意識に置いて、飲む量を減らしたり大切にお飲みください。

 お酒造りをしていると、菌たちともっと遊びたいなという思いも湧きます。具体的には麹をもっと生活に取り入れていきたいなとか、思います。ということで最近色々やっています。甘酒作ったり、酒まんじゅうを作ったり。夜準備して、早朝にやる、みたいな感じのことが多いので、酒蔵に出勤前にお米を蒸して、酒蔵に出勤してからもお米を蒸している日とか最近結構あります(笑)。
ここ1年半ぐらい、日常的に、パン酵母とは親しんでいます。パンは2日に1回くらいのペースで焼いていて、これに使っている酵母は、最初は小麦と水をスプーン一杯ずつこねて、少しずつ量を増やし、空気中の酵母が着くのを待って、1か月くらいかけてゆっくり育てていったもの。今は前のパン生地の一部をとっておいて、次のパン生地に入れる、という形でかけ継いでいますが、酵母を起こした初めから液状ではなくパン生地の状態です。林弘子さんという今は亡き、非常におもしろいおばさんが、やってみたらできた、っていうやり方で、僕はそれを参考にしています。林さんはちなみに若い頃から漬け物作ったり梅干し作ったりすることが大好きで、自分で試行錯誤しながら発酵などに独自の深め方をしている人。僕は本でしか彼女の存在を知りませんが、台所での体を張った彼女の「実験」とそこからの理解は、すごく参考になります。彼女の本はどの本もただのレシピ本ではなく、エッセイ集みたいな感じ。発酵も大好きだけど、ものを書くのも大好きだったようです。やっていることそのものも文章もおもしろいのでパン作りとか漬け物とか味噌とか発酵食色々、興味ある人はおススメです。林弘子さん。
 ちょっと話が逸れましたが最近は麹とも戯れています。これを書いている今、酒まんじゅうを蒸しています。生地は僕担当、餡はゆっこさん担当で初めて作りましたが、これ完全にパンですね。パン以外の何物でもありません。酒まんじゅうの存在は知っていましたが、日本にも昔から発酵パンあったんだなぁと、作ってみて改めて思います。蒸したお米と麹と水を混ぜておいて、ぶくぶくしてきたらそれと小麦粉を混ぜて、生地を作って、餡を入れて、蒸す。酒まんじゅう=天然酵母蒸しパン。蒸すのではなく焼いたらふつうのあんパンですこれ。実際、酒種で色んなパン焼いてる知り合いもいます。そして昔から、蒸すのではなく、いろりの灰の中とかほうろくなどで焼いていた人もいたと思う。お焼きっぽく。とか言って今ちょっとだけ調べたら木村屋が作って明治時代にヒットしたあんパン、まさに酒まんじゅうを焼いた感じのもので、米と麹を混ぜたもので酵母を育てた酒種使用のものだったそうです。てっきり明治時代の木村屋の木村さんは斬新なアイディアを出してヒットさせたのだとばかり思っていましたが、そうではなく既にあったものを高い質で表現した、という感じですね。どちらにしてもすごいことですが。
 麹とか酵母とか、楽しい世界です。目には見えないものたちと共に、美味しいものの作り方をたくさん発見し、深めてきた先人たち、かっこいいなと思います。もっと、僕も菌たちと仲良くなりたいものです。台所の中の話ではありません。土の中も、菌たちのワンダーランドです。

今週の野菜
 人参とか白菜とかカブとかジャガイモとか、色々な野菜をいれて、ゆっこさんが作るシチューが最高に美味しいです。この時期の野菜もまた、どれも味がのっていて、美味しいなと感じます。
 どんな野菜も、ものすごく長い時間の中、つながってきた種の歴史の延長にいます。まずきっと、人は食べられる草を選び、その中で美味しい草を選び、種を育てていってその結果、今のように美味しく食べられる野菜があります。とても楽しいので、時々、植物と人の関わりの歴史に思いを馳せ、感じてみてください。食べ物と僕らの出会いもまた、奇跡と呼ぶほかありません。どんな人も、動物も、植物も、長い長い歴史の中で、つながってきたものたち。そのつながりの中にいないものは、何もありません。   健

ひとつぶ便り 190号

今日もお越しいただきありがとうございます。酒蔵の同僚にアクシデントがあり、現在も入院中ですが、順調に回復しているようでよかったです。

では先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 190号(2014年11月7日便)

いつもありがとうございます。強い霜の日があって、雨の日があって、木々の葉っぱたちがだいぶ落ちました。やっと山が色づいたと思ったら、もう散っていくんですね。散った落ち葉を見て思うのは特に風流なことでもノスタルジックなことでもなく「集めたいなぁ」ということ(笑)。集めて積んでおきたい。春の苗づくりの踏み込み温床に使ったり、堆肥として使ったり、落ち葉はすごく偉大な素材。他にも色々とやることがあるのでなかなか集めてもいられませんが、道路の落ち葉って山の中より集めやすかったりするので、車で走っていると「このへんもたくさん集められそうだな」とかいうことばかり考えてしまいます。

新米!
 10月の上旬に稲刈りをして稲架(はざ)に掛けて天日干しをしていましたが、今月3日、4日で脱穀を済ませました。3日は、僕が酒蔵から帰ってからゆっこさんと2人で作業し、4日はゆっこさんが一人で機械を使って脱穀しました。僕はほとんど休みなく冬の仕事、お酒造りに酒蔵へ勤めているので、農作業の方はゆっこさんがひたすらがんばってくれています。お米は、素晴らしい出来だった去年に迫る量がとれて、また1年、自分たちのお米が食べられそうです。ありがたい!早速もみすりをして、4日の夜は新米パーティー。僕ら夫婦と子どもたち2人、全員がおかわりしました。美味しい!
 今年の稲は、苗の発芽が揃わずどうなることかと思いましたが、その後の生育は概ね順調で、元気に育ってくれました。管理も、それほど労力をかけずに、結構効果的にできたかなと思っています。1年間分食べるだけのお米がとれたのは去年が初めて。それに引き続き今年も1年食べる量がありそうで嬉しいです。もち米もちゃんととれたので、皆さんにも年末や1月、おもちをついてお届けします。

「自給自足」という言葉があって、僕らがお米や野菜を作って暮らしていることも、それに当たるものだと思いますが、よく見ていけば誰も、自分たちだけでやれていることなんてすごく少ない。なんといってもお米や野菜が育つのは太陽、土、水、動物、虫、微生物、全ての自然のおかげ。数えきれない多くの人たちのおかげ。田んぼが田んぼとして機能するのは、そこを田んぼとして拓き、使ってきた人たちがいるから。また、僕らのような超小規模の農家でも、機械は色々使います。機械を使うのならば、その機械を作った人、その部品を作った人、その燃料である石油を掘った人、運んだ人、などなど、少し想像をめぐらすだけで、膨大な知らない人たちのおかげで自分たちが支えられていることが感じられます。知っている人たちは、もっとはっきりとわかります。僕らの田んぼでお米が育つ為には、野菜を買って支えてもらっている皆さんの存在も不可欠です。
お米ひとつぶを深く見ることができたなら、そこに、お米以外のあらゆるものが関係していることがわかります。僕も、皆さんも、関係していない人は一人もいません。関係していないものは何一つありません。自分と誰か、自分と何かのつながり、それが、ただ言葉での理解ではなく、心から感じられるとき、とても嬉しい気持ちになります。直接的、または間接的に、何もかもが関わり合って、依存しあって存在しています。時間的にも空間的にも、つながっていない人もものもありません。僕らはどこかに線を引いて、これが自分、これが別の人、これがお米、これが机、これがパソコン、これが怒り、これが喜び、というふうに色々と区切っていかないとたぶんすごく不便。でもその区切りは、便宜上のものであって、本当の姿を捉えるものではありません。線を引くことで本当の姿から大きく遠ざかることも多いし、いかにうまく線を引こうと、線を引くことそのものがそもそも間違いとも言えます。全ての存在はそれぞれ、それ以外の何かに依って、また変化し続けながらそこに在ります。僕は僕以外の全てからできています。僕は常々、便宜上引いたその線を真実だと思い込んでいるけど、そうではないということをもっと感じていたいなと思います。

今週の野菜セット
畑には毎日のように霜が降りています。凍って融けなくなるのももうすぐ、といった時期ですが、まだまだ畑には野菜たちがたくましく生きています。夏場の豪華さとは全く違った豪華なラインナップをお楽しみください。うちではよく大量の野菜を蒸して、大量に食べます。味噌などつけてももちろんいいですが、何もつけなくても最高に美味しいです。うちの子ども達もたくさん食べます。
鍋とかシチューとか、温かいメニューが美味しい季節ですね。しかし意外と生で食べるのが美味しかったりもします。

パン焼き器

 僕は大体2日に1度パンを焼いていて、これまではガス台に乗せるオーブン(ピース天火)でカンパーニュという丸いパンを焼いていましたが最近、南部鉄器のパン焼き器というのを買いました。今は専らそれで焼いています。僕ら夫婦は、たぶんかなりものを買わない方で、何か買うものを明確に決めて買い物に行っても迷って迷って結局買わないような性質。これもだいぶ前から「あったらいいね」と言いながら、買っていなかったもの。このパン焼き器は、直径20センチくらいの鉄鍋。真ん中には煙突のような筒が通っていて、ドーナツ型のパンが焼けます。蓋も鉄なので、裏返して焼くこともできます。ガス台でも薪ストーブの上でもよく焼けます。ガス台に乗せるオーブンは、パンを焼くにはかなり強火が必要で、ストーブの上ではちょっと火力が足りませんでしたが、新たに手に入れたこのパン焼き器はむしろ弱火でないと焦げます。熱効率がとてもいいので、同じ量の生地を焼くのに、オーブンに比べてだいぶ少ない熱で焼けます。この時期、部屋を暖める為のストーブの上で焼けるのはとてもありがたいです。生地は、小麦粉と塩と水だけのシンプルなもの。酵母も小麦と水のみからおこしたもので、現在は前のパン生地の一部をとっておいて、それを次の生地に練りこむ、というふうに酵母をつないでいっています。もう1年以上かけついでいます。
 パン焼き器では、生地は全く同じですがカンパーニュとは形も食感も全く違ったパンが焼けます。どちらかというと食パンに近いものが焼けます。で、子ども達はこちらの方が好きなようです。特に下の子、花野(かや)ちゃん(2歳4か月)は、こちらの方が断然食いつきがいいです。自分たちの畑でとれた小麦で作るパンは、最高に美味しいです。健

ひとつぶ便り 189号

今日もお越しいただきありがとうございます。酒蔵で米を蒸す日々です。なかなか楽しい。麹とか、うちでも日常的に使えたら楽しそうだなと思ったりします。で、家でも甘酒作ったりして遊んでいます。家に帰っても米蒸したりしています(笑)。

では先週のひとつぶ便りっす。
ひとつぶ便り 189号(2014年10月31日便)
 いつもありがとうございます。だいぶ寒いです。朝は霜が当たり前、みたいな時期になってきました。今夜もストーブ焚いています。僕らの住む佐久穂町はとても寒いです。現在の冷え込みが、東京などでは一年で一番冷えているときの気温にあたると思います。1月、2月の最も寒い時期は-20℃近くまで下がります。昔は-20℃より下がることもざらだったそうですが。まぁ、ここはとにかく寒い場所。今の寒さはまだまだ、動ける寒さで、まだ余裕があります。
お酒造り
 僕は冬期間の仕事として去年に引き続き家から10分ほどの黒澤酒造という家から車で10分ほどの酒蔵で働くことになって、今月20日から通っています。出荷の日は午後に休みをもらったりさせてもらったり、土日は午後があいたりするのでそういう時に畑の片づけや、まだ残っている収穫などの作業をしています。僕が畑に行けなくてもゆっこさんがいてくれるので、なんとかできる感じです。初出勤から一週間が経ち、農業をしているのとは全く違う環境にまだ体も心も慣れないところがあって、疲れているなと感じます。徐々に慣らしていきたいです。2度目のシーズン、忘れていることも、そもそもわかっていないこともたくさんありますが、去年より自分の持ち場の楽しさがわかるような気がします。僕がやるのは去年に引き続いて「釜場」というところで、主にお米を洗ったり蒸したりするところ。作業についていくだけで精一杯だった去年より、多少なりともできること、わかることは増えました。酒母、麹、もろみ、全てに関わるお米を蒸す作業は、蒸したあとのことがしっかり想像できたり実際見たりできると、全く違った見え方がしてきます。やっていること、やれることはほとんど変わらなくとも、楽しさの感じ方が全然違うように感じます。
今シーズンも、美味しいお酒を造って、飲みたいものです。自然の恵みに感謝しながら。日本酒はお米から作られます。酒造りをやっていればそれはものすごく実感を伴いますが、大量のお米から、作られています。僕の働いている蔵はそう大きなところでは無いようですが、それでも多い時は一日に合計3トンくらいのお米を蒸します。お酒を飲む時は、日本や世界の飢えている人たちのこととか、頭に置いておかなきゃなと思います。先進国の人がお酒を飲む量を少し減らせば、世界から飢餓は無くなるそうです。お酒を飲む時も、一粒一粒のお米に感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。
 食べ物を浪費し、容赦なく捨てるのが僕らの生きている社会です。どうやって生きていても何かしらの搾取への加担をしています。どうあっても誰かに迷惑はかけるけど、そこに無意識でいるか、はっきりと意識しておくかだけでも、大きな違いがあると思います。自分の中でも、世界に対しても。
今週の野菜セット
 霜に当たってより柔らかく、より甘くなった葉ものたち。美味しいです。お楽しみください!ブロッコリー、カリフラワーなども絶品です。この時期にしかない味わいを、感じてみてくださいね。煮物やお鍋が美味しい季節になってきました。
 寒くなってくるこの季節、太陽の暖かさにありがたさを感じます。また、冷たい風が野菜の味を良くしてくれたりもします。北風と太陽、この場合は協力的な感じがします。
ものの見え方
 子どもが両親のどちらに似ているとか、よく出てくる話ですが、それぞれ全く見え方が違うということが良く分かります。例えばうちの場合も、葉菜ちゃんは母親のゆっこさんに似ていて、花野ちゃんは父親の僕に似ている、という人もいれば、全く逆の人もいます。どちらもゆっこさんに似ているという人もいます。当の僕やゆっこさんは、娘2人が自分たちに全く似ているように見えません。姉妹が「似ている」と言われることもありますが、全く似ているようにも見えません。誰が正しいなんてことはなく、その人にはそう見える、というだけの話だと思います。こういう「誰に似ているか」の話を聞くたび、それぞれの見え方が違うということの、その違いの大きさに驚かされます。同じものを見て、同じようには見えていません。それは、他の物事についても同様なのだと思います。自分にはそうとしか見えないことでも、他の人から見たら全く違って見えることが、よくある。同じように見えている人なんて、むしろいないのかもしれません。子どもがどちらの親に似ているか、ってのは挨拶みたいな話題で、内容に深い意味はない場合がほとんどだと思いますが、そうではない話題の場合、そこの見え方の違いは、争いの火種にすらなりかねません。自分の見えている世界、自分の思う「普通」や「常識」というのがいかにあやふやなもので、他の人と共通のものではないということを、よくよく知っておく必要があると思います。
 同じものを見たら、同じように見えるわけではありません。というか、たぶん誰も、同じものを見ていないということだと思います。
娘たちのこと
 花野(かや)ちゃんは現在2歳5か月。よく喋ります。だいぶ滑舌よく話せるようになってきたので、遠くで声だけ聞いているとお姉ちゃんの葉菜(はな・5歳)ちゃんと間違える時があります。言葉がなかなか上手になってきました。意思を伝えるのがスムーズにできるし、会話もできます。言葉の返し方とかにセンスも感じるし、表現が素直なぶん、僕なんかよりよっぽど言葉で伝えるのが上手だなと思います。
 その姉、葉菜ちゃんは、花野ちゃんとは全く性格が違って表現の仕方も異なりますが、言葉で素直に伝えてくれます。ちなみに花野ちゃんは不満があれば怒り、葉菜ちゃんは嘆きます。娘たちや僕自身が、どんな感情であれ、気持ちであれ、感覚であれ、それを素直に受け止められるといいなと思います。例えば怒りも悲しみも、それは排除すべきものでも戦わなきゃいけない相手でもありません。認めて、見つめて、微笑みかけるべき相手。そうやって向き合うことができたなら、変えようとしなくてもそれは変わっていきます。もっと、平和的で建設的なエネルギーに。葉菜ちゃんが泣きわめき、理由を聞いたら「そういう気持ちなの!!」と答えることがあります。この捉え方、すごくいい感じなのではと思います。泣いてはいけないなどと思ってしまえば、泣くのにいちいち理由が必要になります。でも、そんな理由は後付けしたものにすぎません。実際は多くの場合、「そういう気分だから」という説明の方が正しい捉え方のような気がするのです。
 色々な事情から、普段僕らは自分の気持ちをごまかしたり、見ないようにしたり、抑えつけたりすることにとても慣れていると思います。でもそうやって遠ざけられたりした気持ちは自分の一部。それを避けることは自分を避けることで、それはとても苦しいこと。もっと素直に、向き合いたい。子どもたちにも、今のように素直に自分の気持ちを捉えることを、忘れないでいて欲しいなと思います。    健

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