ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 235号

まとめて更新、3つめ。今シーズンのラストでーす。今年も読んでいただきありがとうございました。皆さんよいお年をお迎えください。

ひとつぶ便り 235号(2015年12月25日便)

 いつもありがとうございます。先日マイナス10℃くらいまで気温が下がった日がありましたが、そのあとはまた雨が降るなど、暖かめの日が続いています。今夜も雪ではなく雨が降っていて、かなり珍しい気候です。この時期に雨が降るということ自体、僕がこの町にいる8年くらいの中であまり経験がありませんが、今年は12月に何度も雨が降っています。毎年たいていクリスマスの前後は一度雪がどかっと降ります。今年は畑には雪もなく、凍り付いてもいません。色々な年があるものだと思いますが、いつもと極端に違う気候の時があれば、その後も当然何かしら極端な天候がやってくるものなので、来年はより注意が必要かなと思います。とはいえ自分たちのやることはあまり変わらない気もしますが。
 今回が今シーズン最後の出荷となります。今シーズンも本当にありがとうございました。皆さん一人一人がいるおかげで、助けてくれるおかげで僕ら家族は今生きています。僕らのもとから届く野菜たちは、皆さんのおかげで育ったものでもあります。頂いたお金は直接僕ら家族の生活のため、農業の為に使われています。直接的に生かしてもらっています。ありがとうございます。また来シーズンもよろしくお願いします。来年は2月の初めに新しい家族も増える予定で、春の準備がいつもよりだいぶ大変そうですが、例年通り5月の後半には出荷できるようにがんばります。

今週のセット
 先週に引き続き、毎年恒例のお餅便です。僕らの田畑で育ったもち米と大豆(くらかけ豆)と、自然海塩(海の精)が原材料です。お米の表面に傷をつける程度削り、薪の火で蒸して、家庭用の機械でついて、作っています。もち米からお餅を作るのは、水を漬けるところから餅を切るところまで3日でできますが、もち米を育てるのはそれより遥かに長い時間と手間がかかっています。よくよく見ていくのなら、お米の育ったこの1年だけが見えるわけではありません。田んぼは、毎年の積み重ねによって田んぼとしてそこにあります。太陽、土、水、風、生き物たち、生きていないものたち、全ての自然と、受け継がれてきた人間たちの手の働きが見えてきます。農産物、加工品、工業製品、どんなものも、自然からの恵みであることに変わりはありません。一切れのお餅、一枚の紙、どこからでも全ての自然とその恵みを感じることができます。それがそこにあるまでに来た道を、感じることができます。そういうものを感じることは何よりも楽しいことだし、幸せそのものだと思います。僕らはそれぞれが自然の「表れ」。全ての自然と自分との関係を、感じていきましょう。食べることは、その一つの重要な入り口だと思います。

クリスマスと神と仏と
 うちは誰もクリスチャンではありませんが、僕はキリストと呼ばれた彼のファンではあります。まぁそれとはあまり関係なく、ケーキ、シュトーレン、クッキーなどなどでお祝いするのはとても楽しいことなので、この一週間くらいはせっせと色々お菓子製作をしています。
 釜ヶ崎の本田哲郎神父の『聖書を発見する』の中に描かれた聖書とイエスの姿が、僕の今持っている認識の土台です。何年か前に図書館で借りただけで、手元にあるわけではないので内容も正確に覚えてはいませんが、要点はある程度理解しているつもりです。聖書の主要メッセージの一つが「小さくされたもの(抑圧されたもの)と一緒にいなさい」というもの。「神は小さくされたものと共に働く」から。そして、イエスは自分がその「小さくされたもの」だと言い、「私と一緒にいなさい」と言っています。「あのマリア」と地元の人たちから蔑まれる母から、父親不明の子として生まれ、石を切り出したり形を整えたりする石工(いしく・粉塵も吸い込むので長生きできない、過酷な日雇い労働者)として生活していたその人。「血を扱うから」という理由で当時最も忌まれる職業の一つだった漁師たちを従え、社会のおかしさと真っ向から戦い、そして罪人とされて死んでいった人。彼は一貫して「救う側」ではなく「救われる側」にいた人。その立場から、言葉を発し、行動した人。僕はイエスの姿を想像すると、ものすごくエネルギッシュな、人を惹きつけてやまない熱い男、というイメージが浮かんできます。日本ではお釈迦さまと呼ばれることも多いブッダ(目覚めた人)は、富も地位も全て持っていたところから、全てを捨てて乞食(こつじき)になりますが、イエスは初めから最後まで何も持っていません。聖書は世界一のベストセラーだとか言われますが、何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいく人の物語は、そう一般的ではないし、輝いているものだと思います。

 「小さくされたものと一緒にいなさい」というメッセージを聞くと僕が必ず思い出すのが大乗仏教の架空のブッダ、阿弥陀仏のこと。特に詳しくもないのですが、阿弥陀仏は「全てのブッダ(目覚めた人)が見捨てた者をも見捨てないで救うブッダ」だそうです。なにか、この文言がイエスを思い描いた時に、浮かんできます。
 自分や他人の中の絶対に許せないと思うような、または「くだらない」と蔑んでいる、考えや言動、行動、習慣、誰しもそういうものがあると思います。自分の内にも外にも、認めたくない、認められない、そもそも見ようとすらしないものが誰しもあると思います。それが、「小さくされたもの」であり、「全てのブッダに見捨てられたもの」。そしてそういうものを抱きしめ、変えていく力もまた、僕ら一人一人の中に確実に備わっています。体験の中で僕もそれは知っています。自分が「悪い」と思う自分の中のある部分を、「いけないもの」として消そうとしたり、力ずくで直そうとしたり、無視しようとしたりすることはいずれも苦しみを増すものです。それは「はい、やって」と言われてすぐできるものではないかもしれませんが、「受け入れる」ということなしに、幸せにはなれません。やってしまった何かの行動が、周りの誰も認めてくれないことだとしても、それがどんなことだとしても、それすら優しい微笑みで包んでくれる存在が、そういう力が、誰の中にもあるはずです。それをもっと、信じていいと思います。それがすごく限定的になっていたり、少なくなっていたりすることはあっても、優しさが全く無い人に出会ったことはありません。そこにある優しさの種を、育てるかどうかを僕らは選べます。もっともっと育てていきたいと思っています。
今しているこの呼吸に気づくこと、それが仏教における実践の基盤です。どんな息をしていようとも、その息をそのまま見つめるということ。僕はこの実践に救われ、今なお救われ続けています。いつでも、どこでも、何をしている時にも呼吸はいつでも寄り添ってくれる友です。呼吸に気づき、微笑んでいきましょう。幸せはいつでも今ここにあります。それでは、よいお年をお迎えください!       健
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ひとつぶ便り 234号

まとめて更新2つめ。

ひとつぶ便り 234号(2015年12月18日便)
  いつもありがとうございます。ここへきてまた少し暖かい日が続いていて、先日も雪ではなく一日雨が降っていました。今年は例年に比べてだいぶ暖かい感じです。僕が冬場、酒蔵に勤める前まで3シーズン働いたスキー場も、今年は雪がなく、気温が下がらず人工雪も作れず、オープンが予定より2週間遅れました。長年やっていれば時々あることなのでしょうが、僕が知っているこの5年くらいでは初めてのことです。もうマイナス10℃まで冷え込んでも驚かない時期なのですが、まだそんなこともなく、夜マイナスにならない日も多いです。とにかくまぁここまでのところ、かなり暖冬の傾向です。冬は冬らしく、寒く、雪も適度に降ることが、次の春、夏にとってもいいことなのだと思いますが、何しろここは冬が恐ろしく寒いところなので、少し暖かいぐらいが過ごしやすいなと感じます。
 来年2月の初めにはゆっこさんの出産が控えていることもあり、今シーズンの出荷は年内で終わりとさせていただきます。1月の便も楽しみにして頂いている皆さんには申し訳ありません。2015年も皆さんに支えられてここまでやってこられました。金銭的な面ではもちろん支えられていますが、暖かい励ましや応援にも、大きな力をもらっています。心より感謝しています。今回が今シーズン最後になる方々、今シーズンも本当にありがとうございました。来年もまたよろしくお願いします。

今週のセット
 今回と次回は、毎年恒例となっているお餅便です。玄米餅と玄米豆餅の2種類つくりましたが、僕らの田んぼで育ったもち米、僕らの畑で育った豆(くらかけ豆という大豆)が原材料です。豆餅は塩(海の精)も入っています。それを薪の火で蒸して機械でついて、作っています。玄米はそのままだと蒸すのが大変なので、玄米の表面に傷をつける程度、削っています。ちなみに「玄米餅」として自然食品店などで売っているお餅は、「白米」まで精白したお米に、糠を混ぜて作るそうです。その場合も玄米と中身は同じでしょうが、食感とか味とか、色々違いは出てくると思います。
お米を準備し、もちづくり、もち切り、袋詰めなどそのあたりの作業も大変ですが、まずお米を作るところからやっていることを考えると、もちろんそちらにかかった時間と手間の方が遥かに大きいです。料理や加工品を見る時に、どうしてもその料理をした人、加工をした人に目が行きがちだと感じます。それはそれで大切なことですが、もっと農家など、原材料を育てている人たちなどにも目を向けてくれたらなと思います。僕は今、毎日お酒造りに携わっていますが、お酒について考えるときも、杜氏や蔵人の姿を想像することがあっても、農家のことを「造り手」として考えてくれる人はほとんどいないと思います。でも、どんなもの、食べ物に限らず工業製品などであっても必ず原材料があって、それは例外なく自然の恵みであり、それを育むためには多くの人の手が必要です。そこが意識すべき世界の終点ではありませんが、まずはその人たちの姿を想像できたら、見える景色はだいぶ変わります。
春に苗を作り、田んぼの準備をし、田植えをし、毎日水の管理をし、草をとり、稲刈りし、脱穀し、もみすりをして・・・とか書いていれば一行ぐらいで終わってしまうものですが、その一つ一つが、何かしらの失敗があったり、それを補う誰かの助けがあったり、色々なことを乗り越えて収穫までこぎつけています。僕らはもとが素人だから毎年試行錯誤で、地元の人は決してしないような失敗もするし、そもそもわかっていないことも多いです。今年は特に稲の苗づくりがうまくいかず(おそらく原因は気温の高さ)、近くに住む頼りになる米農家の友人夫婦に苗をわけてもらい、もち米の田んぼも苗で埋めることができました。本当にありがたいことです。
どんなものも、それ以外の全てが関わってそこにあります。お餅は、お餅以外の全てからできています。食べ物を見るときはまず料理した人を、そして原材料を、それに関わった農家を、その畑の生き物たちを、というように限りなくたどることができます。空間においても時間においても。これは実に楽しいことだし、感謝を限りなく広げることにもなりますが、しっかり見ていくのなら、良い面ばかりが見えるわけではありません。搾取される農家や家畜の姿が見えることもあるでしょう。農薬によって殺められる命、それを撒くことで苦しむ農民の姿も見えるかもしれません。そしてそういうものと自分とのつながりが見えるなら、自分に何ができるかも自ずと見えてくるはず。一つの言動、行動が、世界の暴力や搾取、差別につながっています。平和にも、つながっています。今この場所を、意識的、自覚的に生きることが何より大事だと思います。
 
また、今回はひとつぶ農園として初めてうどんの乾麺が入ります。これも、僕らの畑で育った南部小麦を、栃木県にある「黒澤製麺」という、無農薬・無化学肥料の小麦だけを扱う製麺所に送り、加工してもらったものです。僕らはもう何度も食べていますが、とても美味しいです。「くろうどん」として作ってくれるものなので、黒っぽいのは仕様です。ふすまもある程度含まれているのだと思います。その他、花豆の甘煮や、根菜類、ハウスの中の葉物たち、と色々入って豊かなセットです。存分にお楽しみください!

近況など
 おかげさまで今年も家族4人、仲良く楽しく生きてきました。来年になれば5人目の家族が加わる予定です。楽しみです。ゆっこさんはいまいちすっきりはしないようですが、お腹の子は順調に大きくなっています。葉菜(はな)ちゃん(6歳)と花野(かや)ちゃん(3歳)は毎日仲良く遊んでいます。ぬり絵とかお絵かきとか、大好きです。何やら2人でふざけあって喋って絡んでいることも多いです。あと絵本も大好きで、図書館で色々借りてきて、一緒に読んでいます。何度も読むものに関しては2人、もしくは僕も含めて3人ともある程度暗記していたりして、絵本を見なくても言えるセリフがたくさんあったりします。『ねぎぼうずのあさたろう』シリーズが最近お気に入りらしく、よく借りてきては何度も読んでいます。これは飯野和好さんの、ねぎぼうずが主人公の時代劇風の絵本ですが、悪役のセリフを読むのが楽しいです(笑)。
長い長い、生物や人間の歴史を経て僕らは今こういう形をしてここにいるわけですが、その中で家族として出会えるということの奇跡を感じます。そのありがたさを感じます。僕が最も影響力をもって、助けることのできる相手が今ここで一緒に暮らしている家族だと思います。言うほど簡単ではないけど、僕は全力をもって、自分を含むこの家族の幸せを日々実現していきたいです。            健

ひとつぶ便り 233号

今日もお越しいただきありがとうございます。
今シーズンの出荷も終了。ここの更新はできてなかったのでまた3本たまっています。
年を越す前にまとめて更新しておきます。1本目っす。

ひとつぶ便り 233号(2015年12月11日便)
 いつもありがとうございます。ようやく本格的に寒くなってきた感じです。8日の朝はマイナス6℃くらいまで下がりました。そんな朝は畑や土手などが霜で真っ白です。このお便りを書いている現在は夜で、今夜も外はかなり冷え込んでいますが、家の中は薪ストーブがあるので割と暖かいです。思えばこのストーブは僕ら家族が暮らし始める時に買ったものなので、もう7年近くの付き合いです。前に住んでいた家にまずつけていて、今住んでいる家に引っ越す際に、一緒に引っ越してきました。カラマツストーブという、だいぶ高温まで耐えられるシンプルで頑丈なつくりが特徴のストーブです。基本的に薪ストーブは広葉樹を燃やすようにできていて、より高温で燃える針葉樹を使うと割とすぐ傷むようですが、これはその点が大丈夫。僕らの住んでいるあたりは少し昔、木材用に杉よりもカラマツが多く植えられています。全国の多くの場所の杉林と同様、外国産の木材の安さに対抗できず、結局木材として使われることなく、手入れされることもなく荒れたカラマツの林がたくさんあります。そういうところの間伐材も薪として使えるストーブです。うちは縁あって、そのカラマツストーブと共に森を守る活動をしている大丸家具というお店に出会って、このストーブを買って使っています。
 僕らの研修先だった織座農園にも立派な薪ストーブがあったこともあり、この寒い地域に住むにあたって、「薪ストーブは欲しいよね」って感じのノリで、お金も(今以上に)あまりない僕らでしたが、導入しました。今ではこれが無い生活はあまり考えられません。僕らの住んでいる場所は北海道より寒い時がしばしばある、くらいの場所で、とにかく寒く、ひたすら寒く、もうやってられないくらい寒くなるところなので、薪ストーブ一台の代わりをさせようと思ったらファンヒーターが何台も必要だと思います。長野県は北海道などに比べて家の造りが粗末らしく、朝の家の中の温度の低さが全国1位という数字があるそうです。うちは使っていませんが、こたつ使用率も全国1位だとか。つい4,50年前はこたつ一台でそんな極寒の冬を乗り切っていたそうで、人もなかなかタフですね。
 うちはこの一台で冬を過ごしています。うちが薪ストーブを使っているということは当然近所には知れ渡っているので、今年は近所で薪になる木をくれるという話を多くもらって、割と近場で調達できて助かっています。家を壊したり、小屋を壊したりしたあとの柱などの廃材ももらって刻んで使っています。最終的には全部燃やしてしまえばいい、というのは木の文化の一つのすごさだと思います。

 暖かい地域と違って、寒い地域は何かしら暖をとらない限り命に関わります。木には様々な場面でお世話になっているけど、こういう火とか熱とかでも大いに助けてもらっています。今、僕の背中の方でストーブがついていて、その上ではヤカンのお湯が沸いています。木を燃やしてお湯を沸かすというのはとてもわかりやすい話だと思いますが、これを例えば電気でやろうと思うと、石炭とかウランを燃やしてタービンを回して電気をつくり、それを送電線で長い距離を運んできて、それを使ってお湯が沸きます。で、原子力発電の場合はこの「沸かしたお湯」が汚染されるので火力発電のように排熱を他のところで利用できず、海に捨てます。少し前まで京大で研究していた小出裕章さん(現在は長野県の松本に移住してきたそうです)は著書の中で原発を「海温め装置」と言っていました。彼の先生がそう言っていたとか。お湯を沸かして電気をつくり、お湯自体は海に捨ててしまうため、原発は作るエネルギーの3分の2を海に捨てることになるわけです。この、お湯を沸かした副産物の電気で、お湯を沸かすということの全体を想像してみると、はっきりおかしさが見えてきます。
 もっとも、ガスを使うから、発電した熱まで利用できるコジェネを使うから、薪を使うからといって、そういう「おかしさ」から完全に自由であるわけではありませんが、特に原発という海温め装置による発電は、事故が起これば致命的だし、事故がおこらなくともその発電の過程においても大量の被爆者も生み、エネルギーは無駄になり、ウランという燃料はべつに安くもなく、何もいいことはありません。もともとは核兵器を持ちたい人たちがやっているということなのかもしれませんが、それにしたってプルトニウムはもう充分足りているから、自分は原発に反対だ、と言っている右翼の人の記事も読んだことがあります。(僕は核兵器にはもちろん反対です。)それは個人でだってあることだけど、絶対にやめた方がいいのにやめられないことは、関わる人が多くなればなるほど、より強化されていくものかと思います。でも、原発をやめるということ、やってやれないことはないし、やらなくてはこの国にも世界にも未来はありません。
 僕らもまた石油に頼り、電気にも大いに依存した生活を送っています。農業に関してもそうです。そういう依存、減らせるところはもっと減らしていきたいなと思っています。どういう生活を送るにせよ、僕は僕以外の全てからできているわけだし。誰かを苦しめるのなら、僕も苦しみます。誰か、何かを深く傷つけて得られた何かで、なるべく暮らしたくありません。例えば薪を切るチェーンソー、薪を運ぶ軽トラ、そういう機械なしに、薪ストーブの生活を送ることもまた難しいわけで、そこにもまた色々な良くないことへの加担がありますが、原発の電気でお湯を沸かすより、薪の火でお湯を沸かすことの方が遥かにマシなのは間違いありません。日々、僕らは何かを選択することができるし、実際選択しています。自分の行動に、言動に、心に、意識的であること、自覚的であること、とても大切だと思います。

今週の野菜セット
 かなり暖かかった11月が終わってだいぶ寒くなってきて、畑も日陰は一日霜で真っ白、という時期になってきました。そういう場所は土も凍っています。冬ですね。ということでもう露地の畑にはほとんど収穫できるものもなく(まだ生きてはいますが)、既に収穫して倉庫や家の中などで貯蔵してあるものたちと、家の前のハウスで育っている葉もの野菜たちのセットです。このハウスは春は育苗、その後から秋まではミニトマトが植わっていたハウスです。その後、10月に葉ものを播種して、それからも暖かかったこともあって、だいぶ大きく育ってくれました。お楽しみください。
区の忘年会
 僕らの住んでいる柳沢区の忘年会がありました。佐久穂町内(といってもここから30分くらいかかる)の温泉施設で、お風呂に入ってお昼を食べながら一杯、という感じの会です。夫婦や家族での参加が多く、うちも4人全員で行ってきました。ここは10数戸しか家がない小さい集落ですが、子ども含め16人が参加して、楽しい会となりました。最後はカラオケ大会みたいな感じでしたが、はじめ恥ずかしがっていたうちの葉菜ちゃん(6歳)も、曲がかかったらもうすっかり曲に入り込んで、楽しく歌っていました。僕としては葉菜ちゃんが楽しんでくれたのがいちばん嬉しい忘年会でした。         健

ひとつぶ便り 232号

どうも~。まとめて更新の4本目ですがこれは最新号。先週のやつです。

ひとつぶ便り 232号(2015年12月4日便)
 いつもありがとうございます。だいぶ暖かかった11月でしたが下旬になってやっと寒くなってきて、ここのところは強い霜も連続で降りています。畑も凍り始めました。昼間は晴れれば結構暖かい日もありますが、朝はマイナスの日が多いです。12月ですね。あと今年も一か月。一日、一瞬、より大切にいきたいです。今夜(2日)はやたらと強い風が吹いていますが気温はそこまで下がっておらず、穏やかに燃えている薪ストーブの火が暖かいです。
 木枯らしが吹いて、木の葉が落ちる季節。落ち葉が森の地面に積もって、木の根を暖めたり、乾燥を防いだり、生き物の住処となったり、下からゆっくり分解されていき、また木の養分としても使われていきます。落ち葉の場合は、木自体は生きているけど、木がそこで朽ちた場合だって、同じようなことが起こります。枯れること、死ぬことは、命の終わりではないことを、冬という季節は他の季節よりも遥かに鮮明に教えてくれる気がします。畑にも土手にも実に様々な雑草がありますが、どれも同じようには枯れません。野菜もまた同様。地面を覆うように枯れるものもあるし、木のように立っているものもあります。種は落とすものあるし、そのまま木につけているものもあります。それは短期的に見れば、それぞれが、自分の種(しゅ)の存続に適するように、枯れていくようになっているということだと思います。そしてもう少し長い期間で見ていくなら、どの植物たちも土へと還り、その誰もが皆、他の動植物たちの恵みとなります。
「土」と一言で表現するそのものは、色々な鉱物や、無数の動植物たちの死骸、その他色々の集まりです。土の上で、中で、絶えず生き物が生き、死んでいきます。雑草などは数か月で跡形もなくなり、動物たちもまた、土の上の他の動物、土の中の小さい動物、微生物などによって分解され、やはり短期間で跡形もなくなります。土の上で、中で、多くの虫やミミズ、ネズミなどの動物が日々、死を迎えているはずですが、例えばジャガイモを掘っていて、これはそういうものの死骸だ、というものに出会ったことがありません。それだけ、分解が早いのだと思います。土の上で動物が死ねば、たちまちカラスが食べに来るし、何かが腐っていればたちまちハエがたかってそこをきれいにしてくれます。コンクリートやアスファルトの上で何かが腐ればたちまち異臭を放ちますが、森の中の土の上や中で同じものが腐っても、たちまち誰かが「掃除」してくれて、分解されていきます。僕らが「土」と呼ぶそのものをよくよく見ていくのなら、それは無数の命の集まりです。そこには数えきれない命が生きているし、死んでいっています。例えば人間はこの星に70億人くらいいるそうですが、僕らの狭い一枚の畑にだって、それより遥かに多い命が息づいています。むしろ70億なんてすごく少ない数字に思えるほどの命が。その一つ一つの命の力を心から信じているから、70億分の1の人間である自分の持っている力もまた無力なものには思えません。
 と、まぁ何が言いたいかと言えば、米も野菜も土からできています。土は無数の命からできています。そして僕らは僕らが食べたものからできています。僕らが野菜を食べるなら、僕らは野菜からできています。身近に土のある環境にいなくても、誰も土から離れて生きてはいません。この土とのつながりを感じること、すごく楽しいと思います。僕らの中に無数の命があります。
 どんなものであれ、それは何かの「表れ」だと思います。何か一つのものを見ていけば、それ以外の全てが見えてきます。野菜が育つ為には土も水も太陽も、風も人も必要だし、それら全ての「表れ」が野菜とも言い換えられます。僕らの体も心も、何かの表れです。僕が母から生まれる前だって、何らかの形でどこかに存在していました。今ある僕の体のどこかの部分は少し前まで野菜だったし、ある部分はお米でした。もうそれはもう少し前は土だったのだし、土はもう少し前は落ち葉か、動物か植物だったかもしれません。僕らはどうやったって自然と離れて生きてはいけないのに、自然との深いつながりを意識していないことことも多いです。もっともっと意識して、感じることが大切だと思います。そこには楽しさと、幸せがあります。

今週の野菜セット
 畑が凍る時期なので、根菜などは既に畑から収穫して倉庫などに取り込んでおいてあるものを送らせてもらっていますが、葉物やブロッコリーなどはまだ畑でがんばっているものたちです。また今週は、家の前のビニールハウスで育った葉物たちも入ります。このハウスは春は育苗に使い、その後ミニトマトが植わり、そして秋から冬は葉物をまいてあります。たいした面積ではないので葉物は主に自家用、という感じですが立派に育ってくれているのでお送りします。
 八千穂はすっかり冬の空気ですが、まだ色々と野菜が豊富で嬉しいです。我が家でも毎日美味しく食べています。

林弘子さん
 ところで今、パンが焼き上がったところですが、今日もなかなかいい焼き上がりです。うちは小麦粉と水だけで起こした酵母でパンを焼いています。はじめは粉と水をそれぞれスプーン一杯ずつから少しずつ増やしていき、一か月くらいかけてじっくり育てていくやり方でした。それをかれこれ3年以上かけついで、パンを焼いています。このやり方はパン生地そのものが酵母で、それを次の生地に混ぜてこねればいいだけ、という感じです。
 このやり方は林弘子さんという人の書いていた雑誌の記事から。林さんは若くして亡くなったようで今は故人です。うちには2冊、パンづくりの本がありますが、パンやお菓子が専門、というわけではなくて、漬け物や味噌、醤油など、発酵食をこよなく愛した人。その発酵食の一つとしての、パンという感じです。「パンを作る前に味噌や漬け物作りなさい」みたいなことがパンの本に書いてあります。パンやお菓子の本も色々出ていますが、発酵食の本も色々出ていて、自分で色々体当たりで試行錯誤して得たその体験談はもうたまらなくおもしろい。自称「肉体派料理人」(笑)。文章を書くのがとても好きで上手で、彼女の本でただレシピとその説明だけ載っている、という本は無いと思います。
 最近ゆっこさんが林さんの『酵母でつくる焼き菓子レシピ』という本を図書館で借りてきて、この「酵母」が僕の使っているパン生地のことなので、色々試し中です。クッキーの食感もすごく良くなるし、パンケーキもベーキングパウダー無しでふわふわに膨らむので、とても具合がいいです。ちなみに林さんはレシピの中で卵や牛乳は使うけど、ベーキングパウダーや重曹を使わない主義。そして彼女にとってとにかく何が目的かと言えば、発酵の世界の楽しさを感じることと、美味しいものを食べることに尽きるのではないかと思います。そんな姿勢がとても好きです。                  健

ひとつぶ便り 231号

どうも。そしてまとめてアップ3本目。

ひとつぶ便り 231号(2015年11月27日便)
 いつもありがとうございます。11月はここまで、いつになく暖かい日が続いていましたが、今夜(24日)はなかなか冷えています。10月末と11月初めの数日だけ、かなり冷え込んで強い霜が降りた日がありましたがその後だいぶまた暖かくなり、それから霜も降りていません。最近は雨が多いです。それでも今日は冷えているし、季節は真冬へと向かっています。週間予報を見ても、ここからだいぶ寒くなる予報です。
 ここのところ毎年、1月まで何かしら送らせてもらっていますが、ゆっこさんの出産が2月の初めの予定ということもあり、今年は年内で出荷を終わる予定です。1月まで楽しみにしてくれている皆さんには申し訳ありません。年末にはお餅をついて送ります。今シーズンも最後までよろしくお願いします

酒蔵とお酒のこと
 僕は10月末から毎日酒蔵へ行っていますが、先日いよいよ新酒ができて、今シーズン最初のしぼりがありました。暖かいから発酵は早めだったようですが荒れたわけではなく、まずはなかなかいい出来のようです。僕は主にお米を洗ったり蒸したりするのが仕事で、その後の管理はまた他の人たちがやります。僕の働く黒澤酒造は佐久穂町(旧八千穂村)の老舗で、江戸時代からある酒蔵。それなりに大きな機械なども入っていて、精米、麹、もろみ、酒母、釜、それぞれ分業でやっています。それぞれ基本的に1人で担当しています。僕のいる釜場は2人です。麹、酒母、もろみのあたりは菌たちと共に色々やる仕事なので、入った当初は「そっちのがおもしろそう」とか思っていたところもありましたが、結局どの工程もいかにお米を水に漬けるか、いかに蒸しあがるか、に依存するところが大きいわけで、そこがわかってきたら釜場の仕事はなかなか楽しくなりました。冬場の現金収入を得る為に勤めてはいますが、それだけの為に働きたくはないので、こういう仕事に就けていることはありがたいです。やるからには、よく蒸して、各場所へ送りたいと思ってやっています。また、黒澤酒造は現在、社長と杜氏(造りの総監督)が兄弟です。2人とも、酒造りに情熱のある素敵な人たちです。経営を担う社長も、お金儲けより遥かに「良い酒を造る」ということを目指しています。それでいいのかは知りませんが(笑)、僕はそんなところがすごく好きだし、その点もありがたいなと思います。色々なお酒を造るけど、純米酒とか生酛(きもと)づくりを看板にしている会社です。ただ看板にしているわけでなく、それが好きな感じがします。

 日本酒はお米のお酒。僕も多い時には連日トン単位のお米を扱います。日本人は現在、1年に約60キロくらいで1人が一年食べていけるそうですが、酒蔵にいると60キロのお米はすごく少なく感じます。それほど、多くのお米を扱います。例えば1.2トンのお米を洗う場合、30キロの袋が40袋です。こういう量が毎日、という時期もあります。それだけで、20人が1年間に食べるお米の量に匹敵します。大企業のお酒メーカーなどでは日に扱うお米の量はこの比ではないでしょう。
 なかなか僕は実感として考えることが難しいのですが、世界では飢えてる人がいる中で、これだけの食べ物をお酒にするというのはとても贅沢なことであるのは間違いありません。割と楽しく働いてもいるし、そういう部分、普段あまり意識していないことも多いので、改めて何度でも思い出そうと思います。それはどんな職業も、僕らのしている農業でもそうですが、どこかの誰かに重い負担を強いずに生きることは、今の日本においては極めて難しいことだと思います。そこへの加担をなるべく減らしたいと思うし、同じことをするとしても意識をきちんと持っていたいなと思います。それが誰を喜ばせ、誰を苦しめるものなのかを。
 日本酒に限らずどんなお酒であれ、穀物を原料にしたものも多いし、「食べ物」を材料にしていないものはありません。どうか、飲む場合は大切にお飲みください。発酵の世界はワンダーランドだし、お酒を造り、飲む文化というもまた、とても深いものだと思います。お米と水と麹菌があれば、誰にでもお酒は造れます(個人の醸造は法律で禁止されているけど)。その中での、技の極みを、見てみたい。技の粋を飲みたい、そんな思いがあります。それだけの理由ではないけどそういう理由もあって、個人的には醸造用アルコールの入ったお酒は買いません。そもそも今年はゆっこさんが妊娠が分かって以来、お酒は全く買っていませんが、買う時は「純米酒」とか「純米吟醸」だけ買います。これは原材料が「米、米麹」とだけ表示されているものです。原材料の表示は同じでも、お米、水、酵母、造り手、気候、様々な要因の違いによって、物凄く多様な味の違いを見せてくれます。

今週の野菜セット

 だいぶ冷え込んだ日でしたが、まだ今日(25日)も降っているのは雪ではなく雨。まだまだ本格的な冷え込みには程遠いですが、畑のものは段々と片付いてきました。今回も、葉物などは収穫してきていますが、大根や白菜などはもう全て取り込んで保存してあるものから送っています。
 自分たちの育てた野菜、とても美味しいと思って毎日食べています。子ども達もむしゃむしゃもりもり食べています。好みでないものを無理に食べさせようという方針ではないので、うちでは苦手なものがあったら食べなくていいことになっていますが、子ども達はどんなものでも美味しそうにパクパク食べるので、お腹がいっぱいになったという理由以外では子ども達が何かを残すことはほとんどありません。葉菜ちゃん(6歳)が通う幼稚園の友達が、ブロッコリーが苦手なのに、うちのブロッコリーは喜んで食べる、という話を聞きました。寒暖差が大きいとか、土質とか、色々と野菜を美味しくする要因があるのだと思いますが、野菜の育て方の違いも大きいと思います。健康に育った野菜と、健康ではないから薬漬けで育った野菜と、どちらが美味しいのかといえば、健康な方に間違いありません。僕らの野菜が美味しい、というよりは、野菜は本来美味しいのに、不健康で不味くなってしまった野菜が世の中に多すぎる、ということかなと思います。お金を儲けようとすることが素晴らしいこととされる社会では、美味しい野菜は育ちにくいはずです。例えば会社が大きくなり、大規模に何かをやることが素晴らしいこととされていますが、大規模化には大規模な機械や大量の薬品がつきものです。これは農家でも酒蔵でも、同じようなことだと思いますが、その犠牲になるものがたくさんあります。「味」というのもその一つだと思います。食べ物を育てたりつくったりすることに、いたずらに経済を持ち込むのなら、おかしなことになります。僕らは食べたものでできています。食べるものは、土からできています。僕らはいつだって土とつながっているのに、それを忘れているのなら不幸なことです。僕らは土からできているという当たり前の事実を、もっと当たり前に知ることが大切だと思います。                健

ひとつぶ便り 230号

どうも。まとめて更新、2本め~。

ひとつぶ便り 230号(2015年11月20日便)
 いつもありがとうございます。雨音の中書いています。この前の土日降り、火水と降り、雨の多い一週間。気温はこの時期にしてはかなり高く、過ごしやすくはありますが、気持ちが悪いくらいです。11月も後半に入れば霜が降りない日の方が珍しく、畑は昼間にならなければ凍り付いて融けない、という年がほとんどだと思いますが、今年はそんな感じではありません。雪が舞ってもおかしくない時期ですが、そんな気配もなく当たり前のように雨が降っています。畑のブロッコリーやカリフラワーも、もう凍って終わりになる時期ですが、今年はまだ畑で元気に生きていて、一週間でだいぶ大きくもなります。暖冬の予報が出ているようですが、ここまでのところ確かに暖かいです。雪の量は多いのでしょうか。
今週の野菜セット
暖かいおかげもあって、今回もバラエティー豊かな野菜たちです。主に、僕らの家から車で10分かかる山奥(家も山奥と言えば山奥ですが違う山奥(笑))の畑で育っている野菜です。8枚まとめて借りているところで、僕らが就農して2年目から使っています。僕らは今年で7年目なので、もう6年くらい使っているということですね。最初はだいぶバランスが悪い感じがして、うまく育たない野菜もたくさんあったのですが、今では何でも育つ頼れる畑です。僕らは特に、畑に何かを大量に投入したりすることは基本的にするつもりはないし、実際したことがなく、この畑もしていません。表土を削ったりされてでもいない限り、土は人の手によってそれが乱れていたとしても、数年で自然にバランスをとってくれます。極端にその力が削がれていなくて、僕らが邪魔をしない限り、土には必要なものが補われ、物理性も良くなっていきます。草や虫の働き、そのなきがら、また山であれば落ち葉が降り注ぐこともあるなど、様々なものの働きによって、土は変化していきます。放っておけば時間の差こそあれ、いずれたいていの場所が森へとなっていくわけで、そこへ向かって土の栄養のバランスは整い、雑草の根やみみずなど小さい動物たちによって土が耕されてふかふかになっていきます。色々なケースがあるし、そこで食べ物を作ったり売ったりするという事情も絡んでくるから、「ただ自然に任せておけば全てうまくいく」なんてことは決して言えませんが、その自然の力はもっと信じられていいと思うことが多いです。
 僕に必要なのは新しい機械より、技術より、自然をきちんと見ることのできる目ではないかなと思います。見えないけど確かにそこにあるものを、もっと見られるようになりたいです。見えれば見えるようになるほど、楽しくなるのは確かです。

家族の近況
 僕は冬の仕事の酒造りに毎日通っています。今年で3シーズン目。主に僕はお米を蒸したり洗ったりしています。先月の19日から行っているのでちょうど一か月経ちました。午後は休みをもらったりしながら、畑と並行してやっています。朝7時半前後に出勤して、午後5時まで。基本的に午前中が忙しく、午後は基本的に余裕があって、5時には必ず帰れます。子ども達に昼間会えないのは寂しいところはありますが、夏場は夜7時半くらいまで畑にいることを思うと、実はこの時期の方が一緒にいる時間が長いのかも。仕事自体も、割と楽しくやっています。
パートナーのゆっこさんはもう妊婦生活も後半だけどまだだいぶ具合が悪そうな日も多いです。未だお米は食べられず、味噌や醤油もダメなようです。最初プリンに始まりパスタなどイタリアンやタイ料理など、変遷してきた食べ物のブームですが、今はイタリアンもタイ料理もブームは去り、今やそれはほとんど食べられません。初期の頃から安定して食べられるのは卵とか、魚、豆腐など。タンパク質ですか。あとパンも安定して食べられるようで、今もパンなら問題なく食べています。大体2日に一度、僕が仕込んで焼いています。野菜も今はそれなりに食べられます。とまぁゆっこさんは調子がいまいちですが、お腹の子は元気に順調に成長しているようです。2週間前の検査では逆子になっていましたが18日の検査では正位置に戻っていました。ゆっこさんがお腹の中から押される場所が、いつも同じではないらしく、余裕があってくるくる回っているのではないかという疑いもあります(笑)。一人目の葉菜ちゃんの時もゆっこさんはだいぶお腹が大きかったですが(羊水がたっぷりありました)、毎回大きくなるようです。お腹の大きい姿はとても「いい形」だなぁと思います。男はそうなれないのでちょっと羨ましく思います。比較的調子のいい日は家の周りのことを色々とやっているし、今は自分の食べられないご飯も色々と作ってくれます。味見ができないけど過去の記憶を頼りに(笑)美味しく作ってくれています。
背中や腎臓のあたりのマッサージが気持ち良いらしく、これは葉菜ちゃんの時からよくやっていましたが今回もよくマッサージしています。子ども達と協力してやったりもします。

 葉(は)菜(な)ちゃん(6歳)、花野(かや)ちゃん(3歳)とは、酒蔵や畑(今は大体5時には真っ暗)から帰った5時以降に主に遊びます。僕がそれが割と好きなこともあり、絵本とか本をかわるがわる持ってきて、それを読みます。図書館で借りてきたものを毎日読むことが多いです。あと最近は、僕の大好きなティク・ナット・ハンの著書で、邦題が『小説 ブッダ』という、ブッダの生涯がまとまった、400ページ以上の分厚い本を葉菜ちゃんと読んでいます。葉菜ちゃんにはまだ難しいかと思ってまだ読み聞かせるつもりはなかったのですが、こんな本もあるよ、と言ったら読みたがったので試しに読んでみたところ、内容はわからないところが多いもののおもしろいらしく、「読んで」と持ってくるのでここのところ毎日読んでいます。内容云々より、自分の為に親が何かを読んでくれるのを聞くのは心地いいという記憶があるし、葉菜ちゃんもそういう感じかもしれません。ちなみにこの本は僕が読んだティク・ナット・ハンの著書の中で2冊目で、京都の友人にもらいました。葉菜ちゃんが生まれ、農業と家族での生活が始まり、僕が最も苦しかった時に出会ったのがティク・ナット・ハンとマインドフルネス(<気づき>と訳されることが多い)の実践。この本はブッダの生涯を語りながら、実践の大切さが繰り返し伝わってくる内容になっていて、僕にとってまさにバイブルです。葉菜ちゃんもできればいつか読んでくれたらなと思っていたけど、今読んで聞かせています。まぁこれを読むのは内容もまだ分からないしすぐ飽きるかもしれませんが、一瞬一瞬を大切に生きるマインドフルネスの実践は、一緒にやっていきたいなと思っています。
 禅とか仏教とか、それは何か特別な、難しいものではありません。自然をありのまま見つめることが、仏教です。ティク・ナット・ハンは、「子どもと一緒に実践できないのなら、何かが間違っています」と言います。『小説 ブッダ』の中で、シッダールタが悟りを開いたその日、何よりも先に村の子どもたちを集めてみんなでみかんを<気づき>と共に食べる、「みかんの瞑想」をするんです。みかんを食べているときは、みかんを食べていることに気づく。それが、瞑想です。楽しいですよ~。        健

ひとつぶ便り 229号

今日もお越しいただきありがとうございます。
更新遅れたのでまたまとめてあげようかと思いまーす。いっぽんめー。

ひとつぶ便り 229号(2015年11月13日便)

 いつもありがとうございます。雨が多い一週間でした。もう雪が降ってもおかしくはない時期ですが、ここのところ割と気温が高く、雪になりそうな気配はありませんでした。と、また今夜(11日)はかなり冷え込んでいるようです。日によっても、一日の中でも、寒暖差が激しいです。皆さんも体調にお気を付けください。
 僕は毎日酒蔵へ通っています。今期で3回目の作りです。毎日大量のお米を蒸したり洗ったりしています。お米を蒸したり洗ったりするところが担当なので、基本的に午前中は大きな釜でお米を蒸し、午後は機械でお米を洗います。そのお米を次の日にまた蒸します。その繰り返し。1トンとか2トンとか、そういう単位のお米を毎日扱っています。蒸されたお米は放冷機という機械を通ってある程度冷まされたあと、麹の室へ飛んで行ったり(エアシューターという機械で)、もろみのタンクの中に飛んで行ったりします。台車で人が運ぶこともあります。僕は基本的に釜場というところの担当なので、蒸して送るところまでが主な仕事。使う機械も道具も大きいので、それを準備したり洗ったりするのにも時間がかかります。何か高度なことをするわけではなく、お米を蒸したり洗ったり、というのは家庭でもできる簡単なこと。それが大規模になっているだけの話、という感じ。家で、お米を炊くのはいつものことだし、蒸したりすることもあるけど、そんなとき、酒蔵でやっていることとのサイズの差が感じられてちょっとおもしろいです。酒蔵が台所だとすれば、酒蔵で働く僕らは台所の小人だし、台所が酒蔵ならば、僕らは酒蔵の巨人です。この前、家の台所でお米をよそう時、ちょっと巨人の気分になった瞬間がありました(笑)。
 今年は10月の19日から働いています。午後は休みをもらったりしながら畑と並行してやらせてもらっています。11月から新たに加わったメンバーもいて、今年のメンバーがいよいよ揃いました。昨シーズンは途中で一人、頭の怪我で入院する人が出たのとトラブルで辞めた人もいて、欠員2人の状況が長かったので、今年は人が多く感じます。冬期、酒造りをする「蔵人」は、リーダーの杜氏を含めて9人。今年も美味しいお酒ができるといいなと思います。僕も3シーズン目なので、ある程度信頼されている部分もあるし、ダメな部分も含めて色々分かってもらっているので、だいぶやりやすい気がしています。お酒造りには「和醸良酒」(わじょうりょうしゅ、和は良い酒を醸す)という言葉あって、とてもいい言葉だなと思います。和が良いものを醸すのは、お酒に限った話ではありません。
 と、書いていて思いますが、それぞれが力を抑えあい、我慢し合ってできる「和」のようなものは、ちっとも良いものではないし、良いものも生まないと思います。それぞれがそれぞれの特徴を認め、力を発揮し合うような「和」こそ、望みます。僕の行っている黒澤酒造は結構個性派揃いの職場な気がしますが、それはそういうのを認めてくれる社風があるからかなと思います。僕はそれほど人間関係が器用な方ではありませんが、結構楽しくやっています。

信頼できるもの
 ところで何週間か前に図書館で借りてきて、リンドグレーンの『さすらいの孤児 ラスムス』というのを読みました。とてもよかったです。これは、僕が会津にいたときにお世話になり、今もお世話になっているパン屋さん「食工房」の真知子さんが教えてくれました。僕は全く予備知識なく読んで、とてもよかったので僕も特に内容をここには書きませんが、とにかくまぁおススメです。あぁやっぱりリンドグレーン!って思いました。「ピッピ」シリーズとか、他の何作品かを読んで、リンドグレーンの書く話への、信頼感というのがあって、『さすらいの―』には色々緊迫した場面も出てくるのだけど、その信頼感があったから全く安心して読んでいました。リンドグレーンが子どもを不幸にするわけがない、という強い信頼。どの作品でも徹底的に子ども目線なんです。子どもの目から見た、子どもの幸せを、知っているんですよね彼女は。子どもの心を持ち続けている人なのだと思います。僕の予想や感覚など簡単に超えていくリンドグレーンの深い愛情に今回もやられました。うちの子たちのような姉妹が出てくる『おもしろ荘の子どもたち』というのも読みたいのですが佐久穂町の図書館にはないようなので、今は『やかまし村はいつもにぎやか』を読んでいます。「日常」ってこんなに楽しいってことを見せてくれます。
 リンドグレーンの作品なら、どれでも大丈夫だと思います。自分が読んで、子どもが読んで、何か間違ったことを教わることはありません。こういう信頼できる人やものに出会えるのは本当に嬉しいことです。本当に、これなら間違いない、と思えるものはそれほど多くはないし。少し前にはムーミンのシリーズを色々読んでいたけど、トーベ・ヤンソンとムーミンの仲間たちもすごく信頼しています。
 信頼できるものは少なく、逆に言えば、すごく信頼できないものが、世の中に溢れています。大人が見るものはもちろん、子ども向けのものにも暴力的、差別的な情報がいっぱい詰まっています。それを、問題とも思わない社会があり、そういう社会がまたこういう作品を生んでいるのだと思います。少数であるものたちは差別し、蔑み、いじめるのが当たり前。「悪い人」はこらしめて当たり前。命まで奪ってもオーケー。という価値観が、一般的な気がします。これは間違っています。誰かを差別した先に、暴力で誰かを排除した先に、幸せはやってきません。「少数派」を排除する「多数派」の人たちは幸せになれると思ってそれをやるわけですが、誰かを苦しめて、自分が苦しまないなんてことはありません。アンパンマンがバイキンマンにアンパンチをし続ける限り、アンパンマンは幸せにはなれません。原作者のやなせたかしさんの意図と、今アニメでやっているアンパンマンを制作している人たちの意図には結構開きがある気もしますが、現在のアニメは子ども達に見せたくないものです(義父の家に行けば見ていますが)。図書館に、アンパンマンのアニメを絵本にしたシリーズがあって、子ども達は自分たちで絵本を選んでくるのでこの前借りてきましたが、その話が、もう読めたものではありませんでした。こんなもの、テレビで流すのかと。子どもに見せるのかと。ジャムおじさん、アンパンマンたちのバイキンマンへの対応が、明らかに間違っています。その気になればアンパンマンとバイキンマンは、すぐ和解できると思います!アンパンマンは最初の目的のとおり、ひたすらにお腹のすいた人に顔を食べさせて欲しい。「パトロール」にいったら毎回顔は無くなっていていいはずです。毎回入れなくてはいけないシーンはアンパンチではなく、自分の顔を困った誰かに食べさせるシーンだと思います。「アンパンマンはいつも顔がなくってアンパンなのかどうなのかわからないよね」ぐらい言われて欲しいと思っています(笑)。
 子ども達が愛や理解を育てることより、子ども達の感覚的快楽を刺激し、それによってお金を得ることの方が大切にされている社会なのだと思います。大切なものを強く意識しておかなければ、簡単にその社会の波にのまれます。何を見るのか、聞くのか、食べるのか、僕たちは選ぶことができます。 健

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