ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 242号

お越しいただきありがとうございます。お疲れ様です。

今回は、友人の言葉の引用で締めくくらせてもらってます。このお便りで、ほとんど誰かの言葉を引用したことないんですが、
なんかもう文面も限られている中でこれ以上の言葉が絶対見つからない、それくらい素敵な言葉だと思ったので、使わせてもらった。文面が足りなくて一部削ってるのがもったいないのでここに紹介しておきます。このポレポレツアーの感想とか、フェイスブックでやりとりしてた中での友達の言葉。
「人間に必要な、一番大事なものは、心のなかに入るもの、お金と交換できないもの、店に無いもの。
たったひとつでもあれば、生きる力になるもの、いつまでも腐らず誰にも盗まれず、いくつでも誰かに分けられるもの。」
すごくいいなと思います。それをきちんと知っていなくては、書けない言葉だと思います。

ポレポレツアーは、僕もサブニュマの一員で踊ってきましたが、心の深いところから楽しめた、ものすごいパワーを感じたステージでした。キベラ・スラム(ケニア)から来た、マゴソ・スクールの発起人リリアンは、「私はアフリカ人だけどこんなに素晴らしいステージ見たことありません」って、言ってくれていました。それを聞いて、すごいことだなと思うけど、あぁきっとそうだよねと納得する気持ちもすごく大きいです。たぶん人生で何度も味わえるようなものではない、愛と熱気に包まれたステージでした。楽しかった!!

では前置きが長くなりましたが先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 242号(2016年6月24日便)
 いつもありがとうございます。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 梅雨ですね。雨は割と降りますが、これまでがだいぶ雨が少なく畑が乾燥していたこともあって、畑は程よく湿っている、という感じの時が多いです。草取りなども難なく入れるくらいの土の状態。雨が降って、暑くなって、というのを繰り返せば、野菜も大きくなりますが草はもっと大きくなります。この時期、一週間で草がどわーっと伸びて別世界のようになります。この勢い、ほんとすごいです。
 僕らの農園も、刈り払い機とかトラクターとか、そういう機械がないとやっていけない規模ですが、そういう機械を使う作業よりも(べつに嫌いとかではなくそれはそれで好きですが)、ホーとか鎌とかで野菜の周りとかをちょこちょこ刈ったり削ったりするのが好きです。農作業の中でもそういうのが特に好きです。ずっとやっていたいと思うのはそういうこと。「農作業」といっても本当に多岐にわたって、各農家、それぞれ好きなこと、得意なこと、全く異なるはず。有機農業の世界、僕らみたいに個人に販売するのが主な人たちは特に、化学合成農薬、化学肥料、遺伝子組み換え技術を使わないこと、以外は、それぞれ実に個性的にやっています。各々の持っているもの、能力、思いなどなど色々を駆使して、農業をして、生活をしています。栽培にしろ経営にしろ、答えがないどころかヒントすらない、みたいな部分だって結構あるので、それぞれが試行錯誤しています。何か道しるべが無いと、辛いだけの旅になると思うし、実際そうなってしまっている人も多いように見えます。野菜もお米も、かかる経費、支出と比べてすごく安いから、それを売った収入で暮らしていくのは楽なことではありません。僕らはたぶん、数ある農家の中でも特に、経営も栽培もヘタクソ。冬の酒蔵の収入には大変助けられていますが、それにしてもまぁなんでやっていけてるのか、よくわからないような農家ですが、目指す方向、向いている方向は夫婦で共有できていると思うし、何が大切にすべきものか、この7年でだいぶわかってきた気がするし、心持ちはすごく安定感あります。何より基本になるのは自分たち家族の幸せ。もっと言うなら僕自身の幸せ。
 多くの日本人が持っている、「自分を犠牲にして他人を幸せにする」ことが良いことだという思想、間違いだと思います。誰かに騙されているのかもしれません。「誰かのため」といって誰もがそう行動し、実際は誰も幸せになっていない、ということになっていませんか?これはおかしいと思います。自分の幸せを追求することは、他者の幸せを追求することの妨げにはなりません。妨げにならないどころか、自分の幸せを追求することは、他者の幸せを追求すること、そのものだと思います。自分の身体と心、それは何よりもまず大切にするべきもの。僕はそれまでの人生でわかっていなくて、この7年で、わかったことです。

今週のお野菜
 まだまだ葉っぱの緑がたくさんですが、大根やキャベツ、ブロッコリーなども育ってきて、だいぶ春先のセットとは内容も変わってきました。春の名残の野菜たち、夏の初めの野菜たち、が重なってくる時期で、葉っぱはそれぞれあまり値段もいかない関係で、何か物量が物凄い感じになっていますが、もりもり食べていただければ幸いです。僕らも家族みんなでもりもり食べています。

ポレポレツアー2016
 僕は4年前くらいからアフリカン・ダンスをやっているのですが、最近も楽しくやっています。長野県の、僕が住む場所よりだいぶ南の方にある中川村というところが本拠地の、「サブニュマ」という、アフリカの太鼓とダンスでつながるコミュニティの一員として踊っています。東信州では上田が盛んで、佐久も集まって踊っています。今夜(22日)も佐久で練習会があったので家族みんなで出かけてきました。4月、5月、6月あたりは特に、畑も田んぼもやることが集中している時期なので、どの農家さんも基本的に休みなく働いていて、僕らも基本的にそうですが、アフリカン関連のことはなんだかんだよく出かけています。場合によっては週に何度もその用事で出かけているなんて、大きな声では言えません(笑)。これまでは僕が長女・葉菜ちゃん、次女・花野ちゃんを連れて出かけて、ゆっこさんは農作業に集中する日、みたいな感じでしたが今年は、はるちゃんが産まれ、ゆっこさんはそもそもあまり農作業をしていないという状況なのでいっそ全員で出かけてしまえ、という感じで行くときはみんなで出かけることが多いです。楽しいです。18日には「ポレポレツアー」というのが安曇野の方であって、サブニュマの仲間が主催だったのでそのステージもあり、それに参加してきました。2時間半くらいかけて家族5人、安曇野まで行ってきました!もう本当に楽しく、暖かく、美しい場でした。みんなにありがとう。
 ポレポレツアーは「ケニアでスラム街の孤児や貧困者の救済活動を行っている早川千晶さんと、ケニアで伝統音楽修行を行った太鼓奏者の大西匡哉さんのチャリティートーク&ライブ」というのがざっくりした説明。早川千晶さんはケニア、ナイロビにあるアフリカ最大のスラム、キベラスラムでマゴソ・スクールという学校を設立し、運営しています。学校には現在子どもが600人。毎年やっているこのツアーは、マゴソ・スクールの運営費を集める、という目的はもちろん大きいのでしょうが、こちらがどれだけお金を払ったとしても絶対に得られないものを、僕たちに伝えてくれるお話と音楽がそこにあります。千晶さんたちが全国のみんなに届けているものは、全国のみんなが彼女たちに渡しているものより、遥かに大きいと思います。生きること、愛すること、それがどんなに素晴らしいか。命の輝きがどれほど美しいか。僕の言葉ではとても表現しきれませんが、そういうものをまざまざと見せてくれます。
 いつもは早川千晶さんと大西匡哉さんのステージのようですが、今年はさらに、マゴソ・スクールから、発起人でみんなのお母さん、リリアン、自分もマゴソ・スクール出身で現在教頭先生をしているオギラ、という2人も来ていて、彼らの話も聞けました。オギラの最高に素敵なダンスと歌もありました。
 19歳のとき、両親(一夫多妻なので母2人)を失った、18人兄弟姉妹の長女リリアン。8歳の時、母を失い、命がけの危ない仕事、時に盗みみたいなことをしながら生き延びたオギラ。その2人の話で共通していたのは、母からもらった言葉や愛情を頼りに、たぶんほとんどそれだけを頼りに、力強く、たくましく、心と身体を穢さず、生きてきたということ。表現力が乏しくて、言葉にすると軽すぎて悔しい。
 どんな状況になっても、たとえ家族を失い友達を失い、誰も助けてくれないような状況になったとしても力強く生きていける力を、自分は持っているだろうか。子どもたちにそれを持たせられているのだろうかと、考えずにはいられません。愛情をたっぷり受けて育つことのできた子どもはきっと、何があっても、どんなふうになっても、自分は大丈夫だと思えるのですね。佐久から参加した友人の言葉を借りるなら、「人間に必要な、いちばん大事なもの」は、「たったひとつでもあれば、生きる力になるもの、いつまでも腐らず誰にも盗まれず、いくつでも誰かに分けられるもの」。それを、育てていきたいです。 健
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ひとつぶ便り 241号

お越しいただきありがとうございます。
すごくやることいっぱいな時期だけど、アフリカンダンス関連のことにはよく出かけています。割と異常な農家だと思います(笑)。
18日もそれ関連で、家族5人で安曇野の方まで行ってました。そのへんはまた次回書くかな。とてもとても楽しく、美しい時間でした。

では、先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 241号(2016年6月17日便)

 いつもありがとうございます。毎日お疲れさまです。
 長野県も梅雨に入っています。ときどき降って、あとは結構晴れている、というのが僕が経験した8回のこの地域の梅雨の印象ですが、今年はどうでしょう。今のところ、ほどよく降っている、といったところかな。今夜(14日)は予報にない雨が降っています。結構降ってるなぁ。去年は4月とかからよく雨が降り、梅雨もよく降って、そのあと9月も結構降って、雨が多い年でしたが毎年基本的には雨の少ない地域です。他の場所に比べて農家たちは畑の乾きすぎに悩まされることが多いと思います。
 今年は早くから真夏のような日が多いですが、最近も昼間はかなり気温が上がります。でも夜は結構下がります。3日には0度近くまで下がって、それはまぁ特殊なケースではあるものの、僕らの住んでいるところは全国的に見てもかなり寒い場所。一口に長野県といっても広いですが、長野県の中でも僕らの住むあたりがいちばん寒い場所。佐久穂町は長野県の東の方にありますが、標高が高いから寒い、ということなので、このあたりは北へ行くほど暖かいです。
農作業は色々遅れ気味ではあるもののまぁなんとかやっています。ゆっこさんが動けるときは、この時期は僕はもう畑の管理とか草刈りとか、トラクターの仕事とかにある程度専念できるのですが、今年のひとつぶ農園には0歳児のはるちゃんがいてゆっこさんはほぼ畑に出られないので、いつもは主に彼女がやっている種まきとか植え付けとか、そういう作業も僕がやっていて、なかなか手が回りません。まぁ、考えてみれば、7年くらい農業やっていて3人子どもがいるとなれば、0歳児が生活の中にいるのはそう珍しいことでもなかったりします。前のことはよく覚えてないけど(笑)。

 毎年のことですが、今年もよく僕の両親が休日に日帰りで手伝いに来てくれます。母がはるちゃん(4か月)を抱っこしたり、葉菜ちゃん(小学校1年生)と花野ちゃん(3歳、もうすぐ4歳)と遊び、父が農作業を手伝ってくれる、というのが最近の分担。毎回子どもたちは大喜びだし仕事もはかどるし、とても助かります。また、出荷の日は近くに住む義父・祐二さんに葉菜ちゃんと花野ちゃんを見てもらっていて、それも助かっています。また、今年は5月の初めくらいから大体毎週、僕らと同年代のYさんという女性が手伝いに来てくれています。4月の「アースデイin佐久」で、別の件(アフリカンダンスとか)で声を掛けてくれたのですが、うちが有機農家だと言ったらむしろそっちに喜んでくれて、それから来てくれています。パートナーはアメリカの人で、彼女自身も英語が堪能。今年からそのパートナーの仕事の関係で佐久穂町に来ています。有機農業、オーガニック、食、もともとそういうことに興味が深く、自分でも畑をやりたい思いもあって実際家の近くに少し畑を借りられたものの、こういう農業についてやり方を聞く人もまだいなかったところで僕らと出会ったので、こうして時々うちの畑に来てくれる流れになりました。まぁうちの農園は技術力の低さでは佐久穂町トップ(ボトム?)レベルなので、農業研修のような目的で来るのはたぶん間違っています。が、感覚としてお互いにすごく共通する部分があって、気の合う友人が増えた、という感じ。海外の生活に触れてきた中で育んだ視点を持っていて、それを感じられるのがすごくおもしろいです。
 といった人たちの手助けもあって、この野菜たちが育っています。また、野菜を届ける先があるから僕たちは野菜をこれだけの量、育てているし、皆さんが野菜を食べて、送ってくれたお金と色々な思いで僕たちは農業をし、生活をしています。皆さんに届くこの野菜は、皆さんの手助けで育った野菜でもあります。いつもありがとうございます。
 紙が足りず、野菜セットのこと全然書いてませんが(笑)一つ言っておくと今年の大根美味しいです!

かたちだけ うわべだけ
 ところで野菜を直接売ったりしていると時々野菜の虫食いを見て、「虫が食べるほど美味しい野菜なんですね」とか言ってくれる方がいますが、これはちょっと間違いだと思います。これはハエがたかっているものに対して「ハエがたかるほど美味しいものなんですね」と言うような感じかと。人間と、虫たちの好みは違うし、虫たちは、僕たちの視点から見れば「不健康」なものを好む傾向が強いと思います。
 では、僕たちの野菜に虫食いがあったら、それは虫食いのない一般市場に出回っている野菜より不健康なのか?ということになりますが、そうではありません。一般の市場にあるもの、化学肥料や農薬を使って育てられた野菜たちは、ほとんどがたぶん、とても不健康。基本的に肥料が多すぎたり、そのバランスが悪ければ、野菜は虫がつきやすく、病気にもなりやすい。消費者、市場には大きく育てることを求められる上、命による土の調整作用を減らしてしまう化学的な農業で、健康な野菜を育てることはすごく難しいと思います。野菜たちは虫がつきやすい状態になり、病気が出やすい状態になる。だから、農薬を撒くわけです。虫がつきやすくても虫を皆殺しにすれば虫には食べられない。病的であっても「発症」させない。僕らの住む場所は冷涼で、高原野菜の産地でもあります。農家の皆さんは、時期によっては毎日大きなトラクターで大量の農薬を撒きます。毎日、毎日の不断の努力(皮肉ではないです)によって、不健康だけど不健康に見えない野菜が出来上がります。
 つまり、少し深く見る目で見るのなら、どちらが「虫食いの多い野菜」なのか、わかると思います。僕たちの野菜の方が、遥かに虫食いが少ないんです実際は。スーパーの野菜のほとんどが、農薬を使わなかったとしたら、形を保ってなどいられないほどに虫に食われているか、病気で溶けているのです。大きくて見た目がきれいならいい、というものを求める社会の目があるから、農家もまた、それに従うしかありません。そうでなくては売れないから、一般の農家さんにはそれ以外の選択肢は無いに等しい。その結果、本当は病気なのに、見た目はとても健康に見える。そういうものばかりが市場に出回っています。
 虫や菌の力によって土の上で「清算」されていたはずの不健康さが、そのままスーパーに並び、食卓に並ぶ。それを人が食べる。不健康であれば虫がくる。病気になる。という当たり前のプロセスを踏んでいない野菜たちは、その中に不健康さを抱えたままです。それは隠されただけで解決されていないのだからどこかで必ず何かの形で表れます。それは僕ら人間たちの体の中かもしれません。自分の子どもたちの体の中かもしれません。僕らの野菜が完全に健康、とか、環境に全く負荷をかけない栽培とか、全然そんなことはありませんが、恐らくスーパーにならぶほとんど野菜よりは遥かに健康に、そこで生きるものたちに優しく育ったものです。同じ野菜を食べていると思っても、内容は全く違います。
 見た目だけ、うわべだけのものが溢れています。野菜だけの話ではありません。うわべに惑わされず本質を見極める目を、養っていきたいです。深く見ていくことができたなら、あとは選ぶだけです。 健

ひとつぶ便り 240号

お越しいただきありがとうございます!今日は一日雨だった。
ハウスの中で作業したり、土手草刈ったり、のんびりしたり。

まーやることめっちゃあって大変!な時期です。が、こつこつとやっています。いやこつこつというより、ぐだぐだとかそういう方が自分のペースを表すのに正しい気もする。がーっ!!と一気にやれない。器用でもない。軽くもない。重く、低く、粘り強く、的な感じ。たぶんそんな感じ。長くなれば短くなくなる、重くなれば軽くなくなる、小さくなれば大きくなくなる、そういう特徴を持つ、それぞれの持つ「部分」があると思う。性格とかの。たぶんすごく小さいときに選んで強めて、どれかのかたちを今持ってる。
例えば「器が大きい」って褒め言葉に使われることが多いけど、大きい利点を持つ器は小さいことの利は失ってる。大きい、小さい、どちらがいいとか、そういう話では決してない。食卓に並んだ食器や台所の鍋に向かって「お前は大きい」と言ったところで、ただそれは事実を表すだけ。それだけ。
状況によってどちらが良い、ということはあるけど、だからといって、「小さい器」の人が大きくなろうとしたり、「大きい器」の人が小さくなろうとする必要はないし、そもそもできないと思う。やろうとすれば、割れます。壊れます。優劣で見ることが本来できないものを、優劣で見る習慣が誰の中にもあると思います。そのへん、もっとフラットに見ていくといいと思います。難しいけど。

では先週のひとつぶ便り。上の内容はほとんど関係ないでーす。

ひとつぶ便り 240号(2016年6月10日便)
 いつもありがとうございます。6月に入りましたが3日、霜が降りました!びっくり!まぁ寒さに弱い夏の野菜たちも枯れることなく問題なく生き残っているようなので一安心。ここまで真夏のように暑い日が多かっただけに、驚きましたが、何が起こるかわからないですね。この日は0℃くらいまで下がったってことですが、これ東京の1月の最低気温の平均くらい。僕らの住んでいるところは寒いんですねほんと。真冬はマイナス15℃とかよくあるところです。それでも6月に霜、ってのは結構珍しいみたいですが、集落の集まりでそういうことが話題にのぼると長老たちが言うのが「二八(ニッパチ)冷害はもっとすごかった」という話。詳しくは知りませんがこのあたりでは「8月に霜が降りた」という衝撃の事実が語られます。まぁ色々と想像もつかないことがありますが、なんというか、十年に一度のことは十年に一度、百年に一度のことは百年に一度は起こるんですよね。
 梅雨入りしたそうですね。僕らの住む佐久地域は割と空梅雨のこともよくあり、意外と降らないことも多いです。逆に雨が少なくて困ることすらあります。今年はどうでしょう。ここのところだいぶ雨が少なかったので、少しまとめて降ってくれるとありがたいなー。とは思います。
 
 2月に産まれたはるちゃん(4か月になりました)がいるため、ゆっこさんはほとんど畑に出ない状態で、作業は遅れ気味ですが毎日こつこつやっています。大豆と小豆を播いたり、田植えしたり、キュウリ苗を植えたり、人参とゴボウの種播いたり、育苗ハウスを片付けてミニトマトの苗を定植したり。春先から種を播いて大事にハウスの中で育ててきた苗たちが、ほぼ畑に植え付けられました。畑に行ってからはまた違う手がかかるものの、苗の管理の時とは全然気分は違います。(うちの場合は特に)畑よ、あとは任せた。という感じ。

 今年はだいぶ暖かいので実もの野菜が採れだすのも早いかもしれませんが、それにしてもまだまだです。野菜セットは今週も葉もの祭りです。よろしくお願いします。特に今回はレタス祭りですか。うちも家族でレタス類をむしゃむしゃ食べまくっています。リーフレタス、サニーレタスなどは大体何かに敷かれたりする脇役かと思いますがうちではメインディッシュにもなります。

田植え
 霜の降りた3日でしたが、昼間はふつうに気温は上がりました。その日、うちの田植えをしました。二条植えの歩行機械を使っての作業。いつも田植え機は先輩農家か誰かに借りてやっていましたが、去年農機具屋さんで中古を手に入れたので、今年は自分のところの機械。で、この機械がポット式といって、今までやっていたトレー式という方式と違います。だからそれに伴って、播種する手回し機械とか、ポット式のトレーとか、そういうものを揃えなければいけず、春先から色々大変でした。機械は安くすんだものの、周りのものを揃えるのにお金も少しかかりました。あと、こういうとき大変なのはノウハウ。これで大丈夫なのか、と心配になりながらの作業が続きましたが、苗は去年と比べればすごく順調に育ってくれたし、無事に田植えの日を迎えることができました。一度機械に苗が入っていかないトラブルがあったものの原因を突き止められて自分で簡単に直せるところだったので直して、予定通り一日で終わらせられましたー!まだ手での追い植えもしますが、一応田んぼ一面に苗が植わって、ほっとしています。
 
「田植え」というのは稲の苗を田んぼに植える作業、でこれはやっぱりすごく特別な感じがすることですが、そこまでたどり着くまでに、色々なことをしています。僕は東京の練馬出身で、周りに田んぼのある環境で育ってもいないし、全く知らないことばかりでした。例えばそこが田んぼだからといって、水を入れたら水がたまるわけではありません。畦(あぜ)シートを張ったり、畦塗りをしたりすることによって、畦から水が抜けるのを防ぎ、田んぼの底は「代かき」という作業をすることによって、水がたまるようにします。田んぼに水をのせた状態で、トラクターなどで浅く耕していく、みたいな感じです。田んぼの土が粘土質で、そもそも水がたまりやすい地域も全国には多くあるのだと思いますが、僕らの住んでいるあたりはもともとそういう土ではないので、基本的に水はけがよく、田んぼとしては水が抜けていきやすい。なので、丁寧な代かきが必要になります。「水が抜けないと水が新しく替わっていかないから代かきはやりすぎないように」みたいなことが書いてある本もありますが、とんでもない!僕らの住む場所では、やってやりすぎることはありません。こういう感じで本によって全く逆のことが書いてあることがありますが、それはその土地のよって土質、気候など様々な条件が違うためで、そのどちらも正解、というのがざらにあります。「○○って人がこんなこと言ってた」と聞けば「どこの人?」とまず確認するのがよくある流れです。人によって、本によって、言っていることが全く違うように見えて、実は理解は同じところにあったりします。
 話逸れました。田んぼにきちんと水がたまるようになるまで、毎年やる作業が色々あるということです。「田んぼを平らにする」というのも結構大変なことで、僕らの住むような山間の田んぼはほとんどのものがきれいな四角をしていないので、より大変です。そもそも田んぼが平ら、っていうこと自体、すごいことだと思います。むかしは人と家畜の力だけで、山の斜面を、平らにしていったということですよね。あと、水路について見ていけば、それを拓いた人、受け継いできた人たちへの感謝が湧かずにはいられません。水利権、僕らはよく知りませんが、昔はそれこそ命を左右する問題だし、今でもものすごく重要視されます。僕らの集落は、川のかなり上流から引っ張ってきています。水利権がフリーなところが他になく、そこからしかひけなかった、ということみたいですが、他にもそういうことが結構あるみたいです。田んぼがそこにあり、水がそこにある。これはすごくすごく、ものすごくありがたいことです。
 
 水路を拓き、田畑をつくり、そういう中で子どもを育んできた全ての過去の世代があるから、僕らは今この場所にいます。森の樹々、田畑にいる小さな生き物たち、微生物たち、草たち、そういう存在があるから田畑にお米や野菜が育ち、それがあるから僕らは今この場所にいます。僕らの体も心も、過去の人やものたち、今ある全ての人やものから独立して存在してはいません。太陽の光、地球の回転、そういうものが無かったら、僕らは今この場所にいません。当たり前のことだけど、とんでもない奇跡です。そういう命を、僕らは今生きています。ありがとう。今とても、嬉しい気持ちです。          健 

ひとつぶ便り 239号

お越しいただきありがとうございます。
やたら暑い日が続いてると思ったらこの前急に寒くなって0℃近くなって霜降りたり。まぁ、色々ありますなぁ。
田植えは終わりましたが(追い植えはまだ)、他のことはまだ色々、例年以上に遅れてますがそんなスピードアップできるわけでもなく、自分のペースでやっております。

では先週のひとつぶ便りです。


ひとつぶ便り 239号(2016年6月3日便)
 いつもありがとうございます。6月に入りましたね。畑や田んぼで農作業をしていると、カエルや虫、鳥たちの声が大合唱でにぎやかです。この時期は水路の水も勢いよく流れているので、流れの音もよく聞こえます。自然の音は心地よく感じます。ここ一週間はカボチャやピーマンを植えたり、田んぼの代かきをしたり、色々な畑の周りや土手を刈ったり、という感じの作業。他色々やっています。周りの田んぼはほぼ稲が植わってきましたが、うちの田植えはこの野菜セットが届く3日にやる予定です。毎年、初めてのことが何かしらあるし、そもそも全てにおいて経験が浅いので、田植えは毎年結構緊張します。それでも年々、気持ち的にはどんどん余裕にはなっています。ほとんど状況が変わっていないように見えて、実は結構違ったりします。自分のできることが何気なく増えていたりして。
 
 野菜セットは今週も安定して葉物祭りです。そんな中、ラディッシュとかカブとか、(葉っぱついてますが)根菜もきれいによく育っています。借りてからの年数が浅い畑ですが、カブがきれいにできているのは嬉しいです。大根もまだ主に葉っぱを食べる感じですが、根っこもだいぶ太くなってきています。大根の畑は僕らが就農して2年目から使っている、最も信頼できる畑の一つで育っています。今年はいい春大根がいっぱいとれそうです。と、先の話はともかく、今週のお野菜をお楽しみください。僕らは毎日葉っぱを食べすぎなくらい食べています(笑)。この生活をしていると当たり前のことですが、とてつもなくありがたいことですね。ありがとう。

子どもたち
 2月に産まれたはるちゃんはもうすぐ4か月になります。首がだいぶしっかりしてきました。ここまでは僕の抱っこで寝かしつけられることも割と多かったのですが、最近は僕の抱っこではダメで、ゆっこさんだと大丈夫、という時も多い。色々と、わかってきているんでしょうね。たぶん順調に、元気に大きくなっていってくれています。思えば去年の今頃からつわりが始まったんですねたぶん。もう結構忘れましたが(笑)最初はプリンしか食べられない、からだったなぁ。普段絶対買わないコンビニのプリンを買ったのを思い出します。僕も作りましたけどね。あぁ今度プリン作ろう(笑)。つわりも大変でしたが、トキソプラズマの検査で引っかかったり(結局大丈夫)、逆子で1か月ぐらいやきもきしたり(結局大丈夫)、ゆっこさんはなかなか一筋縄ではいかない妊婦生活を送ったわけですが、今、母子ともに健康で何よりです。嬉しいです。ありがたいことだと思います。
 葉菜(はな)ちゃん(小1)と花野(かや)ちゃん(3歳)は庭のイチゴを探しに行くのがこの時期の日課です。イチゴの季節です。1日に何度も見に行きます。ゆっこさんがランナーをとってだいぶ増やしたので、うちで食べるにはなかなか充分な量があります。そのままでももちろん食べますが、イチゴのタルトとか、イチゴ入りマフィンとか、ゆっこさんの手による美味しいおやつも食べられて、みんな嬉しい。イチゴは売っているものと比べればだいぶ小粒ですが、とても美味しいです。

自分を大切にすること
 前回、「愛の話」という題で色々書きましたがその続きのような感じで。
 もともと仏教用語の「慈悲」という言葉を借りるなら、「慈」は「幸せになってほしい」と思う心、「悲」は苦しみに共感したり「苦しくなくなってほしい」と思う心。こういうものが「愛」だと思いますが、これ、もっと言うなら「生きてほしい」というところからきているのかなと思います。「愛」といって思い浮かぶのが、普段は人間を怖がって人間の前に出ることなんてしない熊が、子を産み母となったとき、そばに人間がいて、その熊の子に危険が迫っていると判断すれば、ためらいなく人間を襲う、というようなこと。「この子を生かしたい」という、膨大なエネルギー。僕は母ではないから実際のところわからない部分が大きいけど、人間の母たちの多くも、そういうエネルギーを持っているように見えます。
 ディズニーの「ラプンツェル」とか「アナ雪」における愛の定義は「自分より他人を思いやること」のようだし、自分はどうなってもいいから大切な人を守りたい、というのが「愛」として描かれています。かつてI Love Youを訳しあぐねて「あなたの為なら死んでもいいわ」と訳した人がいた、とかいう話はどうやらまゆつばのようですが、まぁでもディズニーはそれと同じこと言ってるってことですね。

 と、ここまでの流れだと「愛」っていうのはすごく利他的なものと捉えそうになりますが、上記のこれは対象が「他」にあるだけで、利他的だから愛、ではありません。むしろ、「自分より他人を思いやることが愛」なんて、たぶん現代の日本人に言ってはいけない。自分を大切にすること、自分を愛することこそ、僕らに今必要だと思います。他人を思いやることが、自分を大切にする妨げになってはいけません。
 例えば学校では、規律を乱さないことが求められます。全体の為に、自分を犠牲にすると褒められます。「入学式ではよくみんな、静かにしていられましたね」とか、褒められます。特に苦もなくやれる子、静かにしていたくて静かにしている子もたくさんいるでしょうが、ものすごく我慢している子だっているかもしれません。そういう一つ一つの心に、耳を傾ける意欲も習慣も、親、教師など大人たちの間にはたぶんほとんどありません。大人たち自身がそうやって、自分の心や身体を大切にしないで生きてきているから。それを良しとして、生きてきているから。本当は辛いのに、辛くない、これは楽しいことなんだと思い込む。本当は辛いのに、テレビを見たり、甘いおやつを食べたり、感覚的快楽によってごまかす。自分の、苦しい気持ちを無理矢理抑えつけたり、無視したり、先送りしたり、無いものとしたって実際は苦しいのだから、それはどこかで破綻します。体や心の病気として現れるか、場合によっては自ら命を絶つようなことになります。「まぁそんな自殺するのは一部だから」「それは弱いその人(子)が悪いよね」といって、弱いものたちを切り捨てるのもまた、この社会の在り方です。もっと平和な社会をつくっていくことができると思います。「弱い子が悪いよね」というのは、自分の中にもあるその弱さを、認めないことです。今の状況は、平和の方向を目指してもいない、というところだと思います。自分たちの頃の小学校の在り方と、現在の小学校の在り方を比較するなら、間違いなく悪い方向へ行っています。佐久穂町の小学生たちはサラリーマン並の拘束時間で、宿題は一日に3つも4つも出て遊ぶ時間もありません。
 僕ら大人がそれを良かれと思ってやっているのだから、学校も社会も、当然そういうふうになります。そしてやがて病気になり、自ら命を絶つ。こんなこと、今すぐやめなくてはいけません。それには何よりもまず、自分が苦しんでいる、ということをはっきり認めることだと思います。自分を、大切に。   健

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