ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 255号

いつもありがとうございます。雨、すごい降りますね。今夜も強い雨降ってる!
こんなに降るのも珍しいですほんと。稲刈りしたいわ。晴れ間が本当に有り難い今日この頃です。

では、先週のひとつぶ便りです。葉菜ちゃんの運動会の日(17日)が、雨の続く直前だったなぁ。ちなみに時々書いておいた方がいいのかもしれませんが「ひとつぶ便り」というのは僕らの農園の野菜セットに入るお便りのことです。A4の裏表で書いてます。これはそのコピペ。それに、ゆっこさんが当日書くお野菜の詳細、レシピ、子どもたちの近況、などがかわいい絵と共に、別に1枚つきます。

ひとつぶ便り 256号(2016年9月23日便)

 いつもありがとうございます。台風16号の影響で、こちらもだいぶ雨が降っていました。というかこれを書いている今(21日)夜もまだ霧雨のような状態で、完全にやんでいません。僕らのあたりはそれでも被害などかなり少なかったほうだと思いますが(長野県も避難勧告が出た場所もあります)、こんなに何日も雨が降り続く、というのは経験がありません。このあと何かしら影響が出てくるかもしれませんが、今のところ野菜たちも大丈夫そうです。台風の影響がなくても既に今年はうちの秋野菜が壊滅的な状況なので、台風のダメージが少ないといいなと思います。僕らの住んでいる佐久地域は全国的に見ても良く晴れるところのようで、佐久穂町のホームページにも長い日照時間のことが書いてあります。この一週間はほとんど晴れ間が無かったのですが、この地域ではかなり珍しいことだと思います。一年を通じて良く晴れるし、空気は乾いていて、土もどちらかと言うと乾きすぎで悩まされることの方が多いのですが、今年はそうではありません。今は完全に過湿。(追記:出荷の22日もかなり降ってます。)

葉菜ちゃんの運動会
 先週の土曜日、17日が葉菜(はな)ちゃんの通う小学校の運動会でした。葉菜ちゃんの通っていた「森のようちえん ちいろば」では特に運動会をやってはいなかったので、初めてのこと。練習も色々がんばっていたようです。この日も雨マークがついていましたが、終わった直後に夕立みたいな雨が降っただけだったので、運動会自体は何も問題なくやっていました。僕らは主役の葉菜ちゃん以外の4人で見に行きました。近くに住むゆっこさんのお父さんもカメラを持って来てくれました。2年生に親しい友人がいるので、主にそこの家族と一緒にいて、花野ちゃん(4歳)も、時々退屈しながらも他の小さい子たちと遊んだりしながら、割と楽しそうにしていました。
 葉菜ちゃんの主な出番は徒競走と、ダンス+玉入れ、綱引き、といったところ。かけっこのことをこのあたりでは「とびっくら」というのを初めて知りました。それはさておき、葉菜ちゃんはリレーの選手になるほど足は速くないようですが、一緒に走った子たちの中では断トツで速く、あまり本気で走っている感じでもなく1位になっていました。こちらとしては特に順位はどうでもいいですが、楽しそうに走っていたし、やっぱり1位は嬉しそうでした。それはいいとして、どうしても勝者と敗者が出るものですが、足の速さが自分の価値だなんて、どんな子にも思って欲しくないなと思います。勝てば喜ばれ、負ければ「残念だったね」と言われたら、子どもも大人も、気にしないことなんてできないと思います。体が強いとか、努力するとか、がんばるとか、それができることは素敵なことですが、できないことがみじめなことだとは、誰も思わないで欲しいなと思います。誰よりも他人や兄弟姉妹に優しくできるような子が、足が遅くて運動会ではいつもビリで、傷つくなんてことが、ないといいのにと心から思います。テストの点数とか、陸上競技のタイムとか、分かりやすい数字によって人の価値が測られるなんてことが、ないといいのになと思います。勉強ができなくても、運動が苦手でも、全ての子も大人も、認められるべき存在です。そして、勉強より運動より、もっと大切なことがいっぱいある、ということを思います。そういうものは、数字で評価できるものじゃないからわかりにくいものだし、自分の中できちんと捉えることすら難しかったりするけど、例えば優しさ、思いやり、その一瞬を楽しむ力、物事を深く洞察する力、正直であること、素直さ、といったものを育てること、大切に守ること、何より重要なことだと思います。それは、誰のもとにもあるけど、日々育てたり、触れていなければそれは見えないくらい小さかったりするし、自分の中で無視されたり、拒絶されている場合だってあります。自分の経験上、学校で、ただ優しい子が勉強ができる子と同じくらい評価されていた記憶はありません。たぶんそれは小学校から中学校、高校と、大きくなればなるほどに顕著になります。好きな先生は何人もいたし、大好きな先生もいたし、今も昔も生徒を心から大切に思っている先生は多いと思いますが、あまりに忙しいし、政府とか文科省の人たちは、現場の先生や子どもたちを大切に思っているとは思えません。そして、子どもたちを従順で勤勉な労働者に育てようとはしても、優しい人に育てよう、という気はほとんどないと思います。子どもも大人も全ての人が、価値ある人間になろうとしないで欲しいなと思います。誰にも、既に最高の価値があり、それは能力に左右されるようなものではありません。
 
 運動会の話でしたか。まぁ僕は色んな競技やら踊りやらを見て結構楽しんでいました。葉菜ちゃんは玉入れと踊りがセット、みたいな競技で踊っていましたが、腰の動きが他の子とは全く違ってダイナミックでなかなかいい動きをしていました。僕とかのアフリカンダンスをよく見ているからかも。これも楽しそうにやっていました。
 葉菜ちゃんが登場しない種目も色々と見ていましたが、「やらされている」という感じがあると、ダンスってあんなにつまらなそうに見えるんだなぁと、ただやりたくてやっている人たちの中で踊っている者としては思わずにはいられませんでした。2年生のダンスなど、誰も楽しそうには見えなかったです。「もっとそこのその動き、楽しいのに!」みたいなもどかしさが常にありました。べつにそれがダンスでなくても、歌でも詩でも文章でも絵でもなんでもいいですが、それらは自分の普段開けない心を開いたり、ほぐしたり、普段出せない気持ちを表現したりするのにとても役立ちます。本来は。踊るのが好きな身としては、それぞれの子どもたちが「やらされている」感じがすごくするのは本当にもったいないなと思いました。

 葉菜ちゃんは、小学校の通い始めの頃の、「絶対行かなきゃ!」みたいなプレッシャーからはどこかの段階でかなり解放されて、とりあえずすごくよかったなと思っています。休みたいときは気軽に休んでいます。まぁそれでもストレスはかなりあるし、そのせいか3つ年下の花野ちゃんに意地悪ばかりしています。最も身近にいる人間の一人である僕にもできることは色々あるのでしょうが、なかなかうまいこといかないことも多く、日々反省しています。
 身近にいる人間として、今、そして今後も最もやるべきことはたぶん、愛情を伝えること。人によって愛情を感じるポイントは異なりますが、葉菜ちゃんは抱っこやハグが大好きで、そういうことでより愛情を感じるのではないかなと思います。それはなかなか難しいことだと思いますが、「もういりません」というくらい、僕ら夫婦や他の人たちから、愛情を受けて育って欲しいなと思います。葉菜ちゃんの場合は、他の何よりまず抱きしめることが重要なのかもと、この頃思います。             健
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ひとつぶ便り 254号

いつもありがとうございます。雨ですねー。結局今日も一日降ってたなぁ。

文中で、日本の自殺者が年間3万人って書いてますが、ここ数年は統計だと3万は切ってて、2015年は2万4千台だそうです。訂正。
しかし「変死」というのは15万人とか17万人とか年間にいるそうで(警視庁のホームページで数字探せなくて、ネットの色んな情報もソースも不明なんですが)、そのうちの何割かは自殺と思われるので、実際の2万4千とかより遥かに多いのは確かです。2万4千、の「自殺者」の中にも実際は他殺、事故の場合も多いみたいなので、結局実際の数字は把握のしようがないのだなぁと、調べてて思いました。あんまり数字を安易に使わない方がいいですね。それはともかく、何千、何万と、どれだけ数字が大きくなろうとも、そこには一人一人の人生があって、その亡くなった人の親や子供、家族、友人たちがその周りにはいる、ということは絶対に忘れてはいけないことだと思います。

では先週のひとつぶ便りです。書きたいことが多すぎて、まとまらなかったパターン(よくある)。

ひとつぶ便り 254号(2016年9月16日便)

 いつもありがとうございます。今日(13日)は雨で、だいぶ涼しかったですが、9月に入っても暑さがとどまるところを知らない感じです。いつもの年ならそろそろ秋の葉物が採れ始める時期ですが、何しろ今年は秋の畑の野菜たちが稀に見る壊滅的な状況で、全然ありません。夏野菜たちがまだ少しはがんばってくれているのでなんとかセットになる、という感じですが、夏野菜も時期的に終わってくるのでどうしよう、という厳しい状況。秋の野菜、播き直せるものは播き直しをしましたが、もう間に合わないキャベツやブロッコリーなどは、今年はほぼ収穫が見込めません。こんなにひどい状況は初年度を除いては初めてです。といってもたかだか7年か8年くらいのキャリアですが。少し前の暑さと乾燥が主な原因ですが、他の農家さんは問題なかったりすると思うので、僕の農家としての実力、勘その他の未熟さはもちろんのことです。と、窮状をお伝えしなければいけないのと出せない野菜があるのは大変申し訳ありませんが、先週や先々週、壊滅的な畑の様子を見て結構落ち込んだ僕の気持ちはだいぶ立ち直り、今日も元気にやっています。お米と小麦はあるし、とりあえず自分たちが食べるものには困らないのはものすごくありがたいことだと思います。

抑圧されている世界中の人たち
 9月4日にドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」の上映会を、僕ら夫婦と友人Aちゃんの企画でやりました。そこに出てくる東ティモールの人々の、大地に根差した視点、知恵、生き方、そういったものに魅せられてか、ゆっこさんが『写真集 世界の先住民族  危機にたつ人々』(明石書店 アート・デイヴィッドソン=著 鈴木清史+中坪央暁=訳 1996年)というのを図書館で借りてきました。大きくて分厚い本。世界中の先住民族の危機について写真と共に取り上げた、すごく充実の内容です。著者自身、アラスカの先住民族とこの時点で20年以上暮らしているそうなので、ただ本が分厚いだけでなく、内容も骨太で、魂がこもっています。そこには地に足の着いたジャーナリズムを感じます。が、特に興味のある人もいないらしく、20年前の本で、図書館に入ったのもそれくらい前なのかもしれませんが、借りられたのは今回が初めて。北アメリカの数々の先住民の話から始まり、アイヌのことや、東ティモールやその周辺のことも書いてあります。それぞれ土地も気候も違うし、着るものなどはそれぞれが個性的な文化を持っていますが、大地と共に生きる知恵、例えば樹々を大切にすること、採りすぎない知恵、人を含む全ての命への敬意、人々が平和的に暮らしていたこと、そういうものは共通している部分も多く、「これ他の民族でも見た」というのがよくあります。どの人たちの話だったっけ、ってなります。そしてこれは共通して欲しくないところですが、石油などの資源を狙った僕ら先進国と呼ばれる国々によって、土地と文化を非常に暴力的な方法で奪い取られているということもまた、共通しています。天然痘やインフルエンザといったものによる、結果的な大量殺りくもあったようですが、もっと直接的に侵略者たちは銃で大量に殺害する、女性はレイプする、というのがどこの民族もやられているお決まりのパターン。そして、土地に根差した文化を「劣ったもの」という「教育」が為され、その土地に育った人々は文化を、尊厳を破壊されていく。「日本人」はアイヌの人々にまさにこれを過去にやり、現在もやり続けています。全く詳しくありませんが、沖縄は特に、暴力によって土地を奪われ、人権を無視され続けている、現在進行形の場所なのだと思います。この国には「日本人」であることに誇りを持っている人はなぜか多い気がしますが、例えば東ティモールの人々にしたことに、アイヌに、沖縄の人々にかつてしたことと現在していることを知ってなお誇れる人はほとんどいないと思います。僕らはあまりに知らない。それは知らされていないからだし、考えさせないようにされているからですが、現実を直視せずして、現実の世界の美しさを知ることはできません。僕らはかなりの部分、偽りの世界を生きていると言えるのかもしれません。本当の世界の美しさを知らない。それがどういうものかすら知らない。それだけ世の中にあふれる言葉や行動には嘘が含まれているように感じます。特にテレビから流れてくる情報は、恐らくその最たるもの。うちにテレビはありませんが、それは何かを隠し、欺き、僕らを麻痺させる道具です。テレビも、新聞もそうですが、政府の、スポンサーの大企業の言い成りで、そこに都合のいいようにしているのだから、当然こちらに真実は伝わってこない。そういうものに日夜触れていたら、人は自分の本当の気持ちに気づけなくなります。それが全て嘘ではないにせよ、偽りの無い言葉を探すのは、日常の中でも本当に難しい気がします。だからこそ、偽りを含まない本当の言葉や行動に触れた時、強く心を動かされます。涙が出る。それはとても美しいものです。東ティモールの人々の言葉や歌が、そうであるように。
 
 僕らは世界中の苦しむ人たちから食べ物を奪い、土地を奪い、生活を奪い、人権を奪って生活しています。自分も含む、ほとんど全ての日本人の無関心は、恐ろしい力を持っています。僕らの払った税金が、買い物に使ったお金が、今もどこかで誰かの命を奪っています。それは構造的なものへの荷担という意味でも、直接的な意味でも。例えば東ティモールでは数十万人がインドネシアの兵士の犠牲になりましたが、資金面でそれを世界一支援していたのが日本。現在も西パプワなどでインドネシア軍は虐殺を繰り返しているようですが、その虐殺に僕らの税金が使われています。それはほんの、一例にすぎません。
 また、水と緑に恵まれ、本来食べ物に困るはずのない日本は現在、6割の食べ物を海外からの輸入に頼っています。例えばコーヒーもチョコレートを、ふつうにスーパーに並んでいるものを買うのなら、その裏には原料を生産する現場における、過酷な労働をさせられる子どもたちの姿があります。手袋も買えない、与えられない劣悪な環境で農薬を撒かされる農民たちの姿があります。食べ物だけはなく、石油、ウラン、レアメタル、そういったものを狙い、土地を追われる人たちがいます。土地を奪われ、過酷な労働環境で銃を突き付けられながら働く人たちもいます。そんな犠牲の上に、僕らは生きています。そしてその結果、僕らは幸せなっているんですか?3万人、1年間に自殺するこの国は、幸せなんですか?「勝て」、「成長しろ」、という僕らの社会が目指しているところが間違っていることに、僕らは気づけるはずです。それによって苦しんでいるのだから。「こっちの道の方がいいよ」と誘い、そこにあった大地に根差した文化は劣ったものとして扱い、消していったわけですが、これはきっと誘った側も本気でそう思っていたのです。でも、今に生きている僕らは知っています。こっちの道の方がいい、なんてことは全くなかったことを。自然を敬い、自然に寄り添い、優しく生きること。そういう、世界中で抑圧されている先住民の人々の知恵こそが、僕らが最も大切にしなくてはならないものです。それを既に僕らは知っているはずです。自分のため、世界のため、自らの生活を見直すこと、もっとやっていきたいです。 健


ひとつぶ便り 253号

いつもありがとうございます。今日は一日雨でした。連れ合いと子どもたちは出かけて、僕は家でのんびりしてました。

では、先週のひとつぶ便りです。『カンタ!ティモール』の上映会やりました。たくさん人来てくれて嬉しかったです。次回の映画はアフガニスタンで人々の命のために働き、生きている中村哲さんのドキュメンタリー映画を11月12日にやる予定です。場所は佐久穂町の茂来館。この哲さんのドキュメンタリーがつい先日NHK(教育)であって、うちはテレビがないので録画してもらったものを見ましたが、とても良かったです。今度やる映画と同じ制作会社と監督なので、内容はかなり重複していて、かつ最新情報も入っているのでこっち流したい気もするようなものです(笑)。今月17日(土)の午前0時00分(金曜の深夜)に再放送するらしいので、興味ある方は是非ご覧ください。

ひとつぶ便り 253号(2016年9月9日便)

 いつもありがとうございます。9月に入りましたがこちらも連日暑いです。例年より明らかに暑いです。巷では野菜がよくできているそうですが、うちはなんだかそうでもなくて、暑さにだいぶやられている感じです。秋収穫予定だったキャベツ、ブロッコリーなどほぼ全滅、8月半ばに播いた大根も全滅、みたいな惨憺たる有り様です。特に今までとやり方を変えたわけではないし、日陰だけ生き残っているところも多いので、主に暑さのせいだと思います。まぁ、かなりショックだし厳しい状況ですがまぁそれはそれとして、やることやっていくしかありません。播き直せるものはまた播いたりしています。
自然が相手だから全て思い通りに、なんてことはどこまでいっても無いと思いますが、自然をきちんと見られる目を養うこともまた、どこまでもやっていけるものだと思います。「目からウロコ」という言葉がありますが、ウロコを被せているのはいつでも自分。目からウロコを落ちる、というのは見事な表現だなぁ。それは何かの能力を開発する、というよりは、もともとあった力を取り戻す、というニュアンスを感じます。赤ちゃんのときには誰もが持っていた、ウロコの張り付いていない目の力を。そもそもウロコが張り付いていることに、気が付くことが一歩だなと思います。あらゆる面で僕の目にはウロコは付いているし、少しでもそこから自由になれるなら、世界はきっともっともっと美しく見えます。土の上、土の下の世界を、そのまま見通せる目が、感じ取れる力が、欲しいです。既に持っているのだろうけど、その使い方を僕や多くの人が忘れています。

『カンタ!ティモール』上映会やりました。
9月4日(日)に、僕らの住む佐久穂町の茂来館(図書館とかも併設された大きい公民館)にて、映画『カンタ!ティモール』の上映会をやりました。僕ら夫婦と、近くに住む親しい友人(3児の母)による企画。友人、知り合い、色々な人に手伝ってもらって実現しました。この映画は「日本が深く関わりながら、ほとんど報道されなかった東ティモールの闘いをとりあげた、国内初の長編」。国民の3分の1が命を落とし、ほとんどの人たちが家族を失い、女性は日常的にレイプされる、そんな悲劇的な状況を生き抜いた人々の言葉が、笑顔が、歌が、心の奥底に響いてくる映画です。これ、今回の感想を見ていても、観た人の多くが本当に深く深く感動し、観てよかったと思う映画なのだけど、観るところまでもっていくのが難しい、というところがあります。ものすごくおススメなのだけど、どうすすめていいかがわからない、みたいな。映画の持つ視点が広く、そして深いから、この映画の持つ魅力のうち、どの部分も勧められるし、どこかだけ勧めるというのも難しいというところかなと思います。他にも色々、ドキュメンタリーでいい映画はたくさんあるし、それほど多く見ているわけでもありませんが、僕が今これ以上にすすめたい作品はありません。自主上映によってしか見られないので、近くでやっていたら、是非お出かけください。自分たちで上映会をやるのも比較的簡単にしてくれてあります。今回、僕らは初めてやった上に、特にそれほどがんばってもいないし(笑)、誰かをやたらがんばらせてもいないと思いますが、赤字を出さずにできました。上映会やるのもおススメです。まぁ、とにかくおススメです!(笑)
今回は午前中が上映会、お昼を挟んで午後が座談会、という流れでした。友人がランチを出してくれて、また別の友人が東ティモールのオーガニック&フェアトレードコーヒーの出店もしてくれました。こういう自主上映会を佐久穂町でやる、というのはかなり珍しい試みのようで、だからこそ僕らもやりたかったところがあります。ドキュメンタリー映画などの自主上映会、御代田とか上田がこのあたりだとよくやってくれます。例えば鎌仲ひとみ監督の映画ができた、となるとまず御代田のお母さんたちが上映会をやってくれます。監督も来てくれるのが恒例で、僕らも上映会があれば足を運びます。お隣の佐久市も時々何かやっているし、『カンタ!ティモール』も7月に佐久で友人たちがやっていました。反対隣の小海町も、時々何か、上映会などやっています。佐久穂町も色々と何かしらイベントごとはあって、地有機農家を含め色々がんばってくれている人たちがいますが、なんというか、僕ら好みのイベントが少ない。これ楽しそう、と思う上映会なりイベントは、大体よその市か町でやっている印象。まぁ佐久穂町に無いなら無いで、自分たちがやってみようという思いもあって、今回の上映会をやってみました。
こういう上映会が今まであまり無かったのは、そういうことに興味がある人が少ないからだと思ったし、東ティモールに起こった悲劇は知っている人も少ないことなので、「佐久市なら人は集まっても、佐久穂だと集まらないだろう」と思っていたのですが、上映会をやった視聴覚室がいっぱいになるほど来てくれました。前売りが20人弱の売れ行きで、当日は2~3人来ればいいか、と思っていたら意外や意外、当日券でも前売りと同じくらいの人が来てくれて、40人近くの人が見てくれました。前売りは僕らの友だちが多かったので、比較的若い人が多かったのですが、当日はどこかで情報を聞きつけたおじいさん、おばあさん世代が多かったです。もともと企画する前に、「自分たち2人しか来なくてもやろう」と僕ら夫婦で話していて、それでも意味はあることだという思いはあったし、数の大小が成功とは関係ない、という思いもあったので、あまり人が集まらなくても気にはするところではありませんでしたが(お金の問題はある)、実際にたくさん集まってくれたら、それは嬉しかったです。受付や託児のスタッフ(ボランティア)も、快く受けてくれた人がたくさんいて、それも嬉しかったです。託児スタッフの手厚さが素晴らしい会でもありました。
午後の座談会にも20名ほど残って、この映画のスチール写真担当で、監督の兄である直井保彦さんを囲んでの会でした。そこにいる一人一人が心からの言葉を紡ぐ、素敵な場になりました。映画上映だけでなく、それを観た感想や思いを共有する場こそむしろ望むものだったので、そういう場ができてよかったです。他の人の言葉の中で、色々と「はっ」とさせられるようなものがありました。
こういう、平和を主なテーマとした小さな映画上映会や、学習会などをやっていきたいと思っています。今回はその第一歩。今僕らがこの場所で何ができるのか、知り、考え、行動していく為の場をつくりたいなと思って、まずやってみました。次回の映画上映は11月12日(土)の予定。上映するのは『アフガニスタン 干ばつの大地に用水路を拓く』という映画で、アフガニスタンで人の命の為に働く医師、中村哲さんが現地の人たちと協力して、今まで様々な事情で難しかった、大規模な水路を作っていく様子を記録したもの。その他にも近々、実際に沖縄の高江に行った友人たちと沖縄の勉強会なども企画中。
丁寧に日々を生きること、お金の行く先を知って使い方を考えること、知ること、物事を深く見る力や優しさや愛を養うこと、「本物」に触れること、人と人が集うこと、僕らが暮らしの中で、平和の為にやっていけることが無数にあると思います。「何ができるのか」、問うことそのものも行動の一つです。健

ひとつぶ便り 252号

今日もお越しいただきありがとうございます。
9月だけどずいぶんとまぁ暑いですね。この時期窓なんてあけて寝たら風邪ひくのになぁいつもなら。

さ、先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 252号(2016年9月2日便)


 いつもありがとうございます。皆さんのところは台風はどうだったでしょうか。僕らの住んでいるあたりはたいした被害もなく、ただ少し雨が続いたという感じでした。
 30日は夕方からかなり冷えてきて、夜は久しぶりに窓を全て閉めて寝ました。31日はだいぶ暑くもなりましたが、夜はまただいぶ涼しくなっていて、また台風が秋を少し運んできてくれた感じです。例年、このあたりは夜はいつでも涼しくなるので、こんなにずっと窓を開けっぱなしだった年は今までなかったような気がします。むしろ夜に窓を閉めない日が数日、みたいな年もあります。たいてい、夜を窓を閉めないと、風邪をひくぐらい寒いのです。それが今年はだいぶ暑い。畑にも色々よからぬ影響もあって、植えたキャベツがほぼ全滅とか、悲鳴をあげるほどショッキングな部分もありますが、まぁそれはそれとして受け止めて、過ぎたことなので今できることをがんばります。

はるちゃんの最近
 はるちゃん(もうすぐ7か月)は元気に育っています。サイズは小さめのようです。ちなみに僕の父や兄はそれなりに大きいし(兄は180超)、僕は大体平均くらいで、ゆっこさんは小さめなので、どんなサイズになっても不思議ではありません。
まだそんな時期じゃないような気がしていたのですが、このところ明らかに「おっぱい」という言葉を、しかるべき時に発音しています。どうやら欲しい時に言っています。これが、他のときには出さない音なのです。ちなみに普段は「て」とか「た」という音と、「あ」行の音が言いやすいらしく、よくその音で喋っています。その組み合わせで「イテテテ」とか「イタイ」とか言っているのがおもしろいです。「て」という音が得意なのは葉菜ちゃん(小1)や花野ちゃん(4歳)の小さいときもそうだったので、僕らとしては赤ちゃんはそういう発音をよくするものなんだろうなと思っていたら、そうでもないようですね。伝統の謎言葉として「オテテイテイ」というのがあって、葉菜ちゃんも花野ちゃんもよく言っていたし、はるちゃんも言います。どういうわけか葉菜ちゃんも花野ちゃんも言葉の喋り始めが早かったですが、はるちゃんもそうなのでしょうか。まぁ、喋らないというのはまた赤ちゃんのかわいさの一つでもあるので、そんなに早く喋らないでもいいです(笑)。言葉の真似がすごく上手な気がします。「はるちゃん」らしき音もよく出しています。
 寝返りはだいぶうまくなって、もう割と自由自在です。本当に取りたいものがあったりすると、うつぶせで前進する時もあって、はいはいの予兆が見えます。結構力強い。座るのもなかなか上手になってきました。日々、すごいスピードで色々なことを学び、成長していっているのですね。この0~3歳くらいの時期の成長の幅は、その後の人生全ての成長の幅よりも遥かに大きいのではないかと思います。僕たちは誰しも、このものすごいスピードの成長を体験したことがあるのです。だから、こうしてここにいる。僕らが日々、当たり前だと思ってやっていることのほとんどが、実はすごく膨大な情報処理のもとに成り立っています。その基本全てを、3歳くらいまでに身に着けたのだと思います。座る、立つ、歩く、喋る、そういった一つ一つが、ものすごいこと。これだけの吸収力、学習力を持つ時期だからこそ、愛情とか、家族内の平和な空気とかの中で育って欲しいなと思います。そういうものは、言葉の意味がわからないこの人たちに対しては特に、余計にごまかしが効かないものだと思います。愛してると言って、本当に愛していないのなら通じるものではないし、みせかけの平和も、ただそういうものとして伝わってしまうと思います。取り繕うことが不可能、というのはむしろ安心感があるものですが、日々、試されるものがあるのを感じます。表面上取り繕うことが不可能で、なお問題を抱えているのならどうすればいいのか。僕にできるのは、やる必要のあることは、地に足をつけて、日々を、一呼吸を、歩く一歩を、もっともっと丁寧に生きていくことだと思います。

ピッピが好き。リンドグレーンが好き。
 先日のキャンプの夜、みんなで軽くお酒を飲みながらゆっくり話してたんですが、その中で『長くつ下のピッピ』やロッタちゃんシリーズの著者、リンドグレーンの話題も出ました。「アスドリッド・リンドグレーンが大好き」と友人が言いだして、「いいよね!」と僕が乗り、2人で他の友人たちに強力プッシュする展開がありました(笑)。その友人は自分が小学生低学年の頃からのファンだそうです。僕もどうやら子どもの頃母に読んでもらったことがあるようだけど現在記憶になく、ここ数年で大ファンになった感じです。まだ読んでいないお話もたくさんありますが、リンドグレーンを読んでおけば間違いない。という安心感、信頼感が強くあります。彼女はいつも子どもの目線から物語を紡ぎ、だから絶対に子どもを裏切りません。ほんと好き。今は『ちいさいロッタちゃん』が、図書館から借りられてきて、あります。
 で、そのとき僕らに勧められた友達2人が早速図書館でピッピとかを借りてくれて、子どもと読んでいるのを今日知って嬉しかったので、またピッピたちに思いを馳せたりしていました。本は三部作ですが、「ごたごた荘」に一人で住むピッピと、その隣の家に住む兄妹のトミーとアンニカの3人が中心の物語。ピッピは誰にも負けない怪力(馬を軽々と持ち上げます)と驚異の身体能力を持った9歳の女の子。その力が彼女の最もわかりやすい特徴だと思いますが、彼女の魅力が、物語の魅力がそこにあるわけでは無いと思います。ピッピは徹底して優しい、子どもたちの味方。ピッピを読んでいると、子どもが本来持っている、でも現実には与えられていない権利(僕ら大人が制限しているもの)が、見えてくる気がしています。例えばピッピの腕力は物語の上で、腕力で言うことを聞かそうとする大人たちから自由であるためのものです。力持ちで、金貨をたくさん持っていて、父親は遠くに住んでいる(母は亡くなっている)ピッピは腕力による暴力で、お金で、子どもだからという理由で、抑えつけられることがないのです。あとそう。ピッピは学校に通っていません。たまに遊びに行くことはあるけど。今の日本のように、「子どもは大人に従うもの」「大人に都合のいい子が『いい子』と呼ばれる」というのが当たり前の世の中では、ピッピは受け入れがたい存在でしょう。実際発表された当時のスウェーデンでも、批判的な論調もすごくあったそうです。しかし圧倒的に支持したのは、子どもたち!
 リンドグレーンの深い愛情と、自らの中にいる子どもへの深い理解が、素敵な人を、物語を描ける要因だと思います。それこそ、ごまかしは効きません。「美しい物語を書こう」と思っても、その人が自分の中の美しさに触れられなかったり、そもそも育てていないなら、表面上どれだけ美しい言葉を並べたとして、それっぽい話を書いたとしても、本当に美しい話は書けません。どんな絵も歌も詩も、ダンスも、僕のこの短い文章だって、良くも悪くも、その人のそのままが表れるだけのこと。自分の中の良い部分を表現しようとは思うけど、自分を良く見せようと思わなくていい安心感の中で、これを書いています。健

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