ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 260号

いつもありがとうございます。少し前に風邪ひいて、喉の痛みとかは昨日おさまったけど、今度は微熱。まぁ、酒蔵も行ってるし、割と元気ではあります。

先週のひとつぶ便りです。


ひとつぶ便り 260号(2016年10月28日便)
 いつもありがとうございます。夜は結構冷え込むし、軽い霜は時々降りています。そして25日は強い霜!降りました!季節の変わり目で、体調を崩しやすいですね。うちはみんな風邪気味です。はるちゃんも先週あたり風邪をひいて、顔を赤くして苦しそうにしていましたが、一日でだいぶ回復し、もう元気です。強い霜が降りたので、畑もだいぶ様変わりしました。寒さに弱いズッキーニなどは葉っぱが全てやられました(株自体はまだ生きているようです)。今回も葉っぱもの中心のセットですが、葉物たちは霜に当たると柔らかさと甘みが増していきます。葉っぱに関しては、これからがいちばん美味しい季節です。

『月刊たくさんのふしぎ』

 『月刊 たくさんのふしぎ』(福音館書店)という雑誌をご存知でしょうか?これがすごくおもしろい!僕らの住む佐久穂町の図書館に、バックナンバーもたくさん並んでいて、ゆっこさん達が最近よく借りてきます。色々な「ふしぎ」について、毎回違う著者(専門家など)が、一つのテーマについて、写真や絵をもとに、伝えてくれます。描く人によっては一冊まるまる絵本、みたいな感じの時もあります。ジャンルは多岐に渡り、どれも読みたくなります。タイトルを見ているだけで興奮のあまり鼻息が荒くなります(笑)。小学校3年生から、ということですが、小学校1年生の葉菜ちゃんも自分で読んでいたりするし、4歳の花野ちゃんが楽しめるものもあります。僕もゆっこさんもとても楽しんでいます。ほんとおもしろい。2000年、とかの本もあるのでかなり前からやってるなぁと思って今調べていたら、第一号は1985年!30年以上前!僕が産まれた次の年!現在も継続中。ちなみに第一号は『いっぽんの鉛筆のむこうに』。文は谷川俊太郎さんです。「子どもたちに身近な鉛筆。その鉛筆ができる過程と、その過程にたずさわるスリランカ、アメリカ、メキシコ、日本など、各国の人びとの労働と生活、考え方を記録したユニークな絵本。」ということだそうです。これも見てみたい。この雑誌はこういう、深く、広く、好奇心にあふれた視点を、30年、一貫して持ち続け、表現している感じがします。内容がすごく多彩で、書いている人も色々なのに、底に流れているものが、どっしり安定している感じ。世界の広さとか、自然の素晴らしさとか、色々なことを教えてくれる素敵な雑誌です。最新の2016年11月号は『わたしたちのカメムシずかん』だそうです。岩手県の全校生徒29人の学校で起こった実話と、カメムシに対する最新知見を盛り込んだ内容だとか。いちいちすごくいいとこついてくる感じがたまりません。

『わたしのスカート』
で、まだ『たくさんのふしぎ』の話を続けますが(笑)、この前ゆっこさんと子どもたちが借りてきたのは『土の家』、『サーカスの学校』そして、『わたしのスカート』で、どれもおもしろいですが、中でも『わたしのスカート』はおススメです。機会があれば是非。2004年の11月号。これは、東南アジアの内陸国ラオスの、モン族という民族(ラオスは他民族がそれぞれの言語、文化で暮らしているようです。)の一人の女の子が、お母さん、お婆さん、お父さんに、自分も手伝いながらモン族の民族衣装であるスカートをつくる話。これ、たまらんです。
おさがりではない、自分用のスカートをつくることになったマイという女の子がまずお母さんに「麻の種をまくのよ」と言われるところから、スカートづくりが始まります。麻を育て収穫し、麻の糸をつくり、麻の糸から布を織っていく。刺繍をしたり、お父さんが採ってきたハチの巣のミツロウでろうけつ染めをしたり、細かい装飾もしていきます。やっていることは「スカートをつくる」ということ。それはこんなにも、すごいこと。何という言葉を使えばいいのかわかりませんが、こういうことだよな、と思います。
つくるための道具、麻などの材料、藍などの染料やそれを発色させたりするための石灰など、全てその土地にあるものです。人が手と心を尽くし、大地に、自然に感謝しながらそれをつくっていく。そして何か月もかけてつくった色とりどりのスカートを、正月に着て、みんなで遊ぶ。本当に、素敵。

この、モン族の人たちがやっていることは、例えば現在の日本の価値観からすれば、非効率、非経済の、バカげた行動、ということになるのだと思います。あとがきに書いてありましたが、村までの道路が通り、古いスカートは買い付けられ、村ではプリント地のスカートをはいている子が多くなったようです。2004年の時点だから、今はどうなっているのだろう。この時点ではスカートづくり自体は受け継がれている、ということは書いてあります。あとがきは今読みましたが、悲しいような、ものすごい怒りのような、なんともいえない気持ちになっています。これは本来、お金で買えるようなものではないのです。「このスカートは高く売れるから、これを売ったお金で楽に暮らせばいいよ。スカートだって安いのを買えばいい。」というのが「文明的」な「先進国」の考え方です。そうやって、世界中から文化が失われ、人は肉体的にも精神的にもどんどん飢えていっているのだと思います。それは日本でも起こっていること。
僕らが着ている服だって、自然の恵みです。綿であれ、化学繊維であれ、元は自然にあるものです。それは太陽や大地や植物、それをとりまく動物、様々な環境全てから、できたものです。でも、それを意識することはとても難しい。どこで誰がどのように作ったのか、材料はどんな植物や物質なのか、どんな道具や機械が使われたのか、どんな歴史があってそれがここにあるのか、自分の着ているものについて、きちんと説明できる人が今の日本にどれだけいますか?自分の食べているものについて、きちんと説明できる人が、今の日本にどれだけいますか?よくわからない服を着て、よくわからないものを食べ、よくわからない家に住んでいる。少し前までは、特に農村ならば、この絵本のように麻や綿を育てるところから服をつくっていたろうし、自分たちの田畑のものを食べ、そのへんの木で家を建てていたのに。
現在、「自分の田畑のものを食べる」ということは、ある程度やっている人は多いですが、そこにかつてあった、自分たちの集落内で循環し、持続していくシステムは失われています。現在の一般的な農業においては化学肥料や農薬、そして種子など、どこかから買って来なくてはいけないし、昔は多くの人手でやっていたことを1人とかでやらなくてはいけなくなり、トラクターや軽トラなどの機械も必須。「自給自足」と言うけれど、さてどのあたりが「自給」できているのか、と、自分たちの農業を見ても思います。色々とできないこと、難しいことはありますが、目指すことは可能だし、できることもたくさんあります。日々、僕は喜びと楽しさを感じて暮らしていますが、身の回りのものが、どこからきたものか、誰がつくったものか、もっともっとわかるのなら、その楽しさも喜びも、もっと深くなっていくでしょう。
色々な著者たちが『たくさんのふしぎ』には登場しますが、彼らは自分の興味ある分野を、ひたすらに愛しています。世界はこんなにも広く、深く、楽しく、美しいんだということは、何からでも、どこからでも知ることができるというのを教えてくれます。世界はふしぎ。自然はふしぎ。どこまで行っても。健
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ひとつぶ便り 259号

いつもありがとうございます。今日は記事2つアップしました。
これは先週のひとつぶ便りです。

キシャヤスデ大発生中!!

ひとつぶ便り 259号(2016年10月21日便)
 いつもありがとうございます。冷え込んだり、暖かくなったり、季節の変わり目の真っただ中ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。こちらも、7℃とか、一けたまで下がる日があったり、昼間は半そででも暑い日があったり、色々です。ここ一週間くらいは割と暖かく、夜もストーブをつけないでいられます。とは言え、空気は秋です。山も色づいてきました。このあたりはカラマツがたくさん植わっていますが、カラマツは杉や他の松などと違って紅葉するし落葉もします。「カラマツ」を「落葉松」と表記する場合もあるようです。「唐松」が一般的な表記だと思いますが。全国各地の杉林のように、もともとは木材用に植えられて、現在は放置されているカラマツ林がたくさんあります。間伐もろくにされず、荒れているところがほとんどなのでしょうが、紅葉はなかなかきれいです。緑から、茶色っぽくなり、オレンジというか黄色というかに色づいていきます。ちなみに、うちで使っている薪ストーブは「カラマツストーブ」というもので、ストーブでカラマツを燃料として使うことで、荒れた森を手入れしよう、というようなコンセプトのもとに作られたもの。針葉樹は広葉樹に比べて燃やすと高温になりやすいそうですが、その中でもカラマツは特に温度が高くなって、ストーブが傷みやすいのだとか。それが、シンプルで頑丈に作られているこのストーブは大丈夫、というのが売り。まぁ何十年も使っているわけではないので実際のところわかりませんが(笑)、僕ら夫婦が暮らし始めた時から使っている、生活の中に無くてはならないものです。特にこれがいい、と選んだわけではなく、縁あって出会い、使っているものです。

 今週も、葉物を中心にお送りします。色々育たず、播き直し、その後長雨もありましたが、ラディッシュがほとんど割れてしまった以外は特に問題も無く育ってくれている感じです。今シーズンはいつまで出荷が続けられるかわかりませんが、11月いっぱいくらいはやりたいなと思っています。

酒蔵始まりました。
この冬も、近くの酒造会社「黒澤酒造」で働くことになり、月曜日から働きにいっています。酒造りをする蔵人たちは基本的に決まった休みはないので(希望を出せばどうにかしてくれる)、しばらくは時々休みをもらいながら、畑と並行してやっていく感じです。今年で4年目。メンバーは毎年少しずつ変化がありますが、大体はおなじみのメンバーという感じなのでそういう慣れもあり、仕事もそれなりに覚えてはいるので、そういったことは特に問題を感じませんが、ただ「勤める」というだけで、自分の畑の上で働いている時にはないストレスを感じます。普段は感じない自分の心の動きに気づく機会があったりもします。まぁ、毎年結構楽しくやらせてもらっているので、今年もそんな感じでやっていけたらなと思います。

キシャヤスデ大発生中
 家のすぐ近くの畑に、ムカデのような虫が大量にいて、なんだこれ!と思って調べたら、ヤスデの一種で、どうやら「キシャヤスデ」という種類のようです。虫の大発生なんて、あまり良いことではない場合が多いですが、ヤスデは、基本的に8年に1回の間隔で大発生するような生態だそうです。ひとつぶ農園は8年目ですが、いま大発生中の畑は8年前には使っていなかったので、8年前このあたりでどうだったのかは知りません。大発生は成虫になったヤスデたちが交尾の相手を探す「お見合い」みたいな感じだそうです。キシャヤスデの成虫は、オレンジに黒い縞が入っています。これがうようよしているのは虫嫌いの人は卒倒しそうな光景だし、この文章でも恐ろしいのでしょうね(笑)。しかし大好きで研究していたり情報を集めている人もたくさんいて、ネットで少し探しただけでも愛のあるヤスデ情報をたくさん目にすることができます。このヤスデという生き物、野菜などを食害することはなく、人を刺したりすることもなく、枯れ葉などの有機物をたくさん食べ、分解するそうです。そして大量の糞を残す。「森の掃除人」と呼んでいる人たちもいるようです。さらに、土の中を移動することによって、土の物理性も良くしてくれるとか。こういう役割を聞いていると、分解者の代表格、ミミズ様の存在が頭に浮かびますが、この大発生時の分解能力は、ミミズをも凌駕するようです。ちなみにそのミミズは、10アールあたり10万匹もいれば、年間一トンの土を耕し、5トンの糞土を残すとか。すごい!!
ちなみに「キシャヤスデ」というのは、僕らの最寄り駅「八千穂駅」も通っている鉄道「小海線」の列車が、1976年の大発生時に線路上で踏まれたヤスデの体液で列車がスリップしたことに由来するそうです。1984年と書いてある記事もありましたが、ちょうど8年後ですね。僕らは電車はほとんど乗らないので知りませんでしたが、時々小海線を利用する友人によると、今もヤスデによって電車が止まることがあるそうです。列車のスリップはどうやら僕らの住んでいる場所よりもっと標高の高い、車で行けば30分~1時間くらいのところの話で、勾配の強い坂が、止まれなくなる、という感じのようです。
色々な生き物たちのおかげで、そこに土がある。自然がある。ヤスデはそういうことを特に意識しやすい生き物かもしれませんが、それぞれの生き物が、深いか浅いかの差はあれ、それぞれ関係し合いながら、依存し合いながらそこにいます。一般的に、農業では農作物を食べるような虫、病気を媒介するような虫は「害虫」と呼び、そういう虫を食べたりしてくれる虫を「益虫」と呼びますが、それぞれの関わりを深く広く、しっかり見ていくのならば、その呼び方はあまり適切ではなくなっていくと思います。表面的な害と益にとらわれ、全体として破綻の方向へ向かっているのが現代社会であり、その中にあるのが現代農業です。また、特に目に見える害も益ももたらさない虫たちによって、色々なことが担保され、支えられているのだと思います。そういうものたちは害も益ももたらさないという理由から、研究されることが少なく、研究に対してお金も出ない。だからといって、そのものたちの働きは間違いなく僕らと関係があるし、そのものたちが理解されようとされまいと、その命の価値は変わりません。いつでも最高です。僕らに必要なのは虫や菌を殺戮する技術ではなく、土や全ての自然に対する感謝と、大切にする心。そしてそれに伴う行動だと思います。その行動は、僕ら人間の命を大切にすることそのものです。
化学肥料を使えば、野菜は大きくなるそうです(使ったことはありません)。そうして大きくなって野菜の大部分は、化学肥料によって成り立っています。例えばそれは、元はどこかの鉱物なわけです。それが掘り出される場所は自分の国の中であることもあるし、どこか外国であったりする。鉱物そのものはもちろんのこと、その場所に暮らす動植物、場合によっては人への配慮も為されず、それは掘り出されます。世の中に出回っている野菜のほとんどが、そういう肥料で育ったものです。「国産野菜」と言いながら、他の国から奪ってきた何かが、その野菜の多くの部分を占めています。もっともっと、動物にも植物にも、虫にも人にも、優しい世界であって欲しい。やれることを精一杯、やっていきたいです。  健

ひとつぶ便り 258号

いつもありがとうございました。
先週、アップできなかった先々週のひとつぶ便り。稲刈りのこと書いてあるけど、もう昨日脱穀した!
このあと先週のお便りもアップする予定。

ひとつぶ便り 258号(2016年10月14日便)
 いつもありがとうございます。急に寒くなりましたね。9月後半はほとんど雨でしたが、それでも気温自体はそこまで低くなく、たまに晴れればやたらと暑い、という感じだったので、突然寒さがやってきた感じです。寒くなったのは9日ごろですが、はっきりとその日に季節が変わった感じで、おもしろいです。上半身に来ている服は、1枚から3枚に増えました。ここまで半日で発酵していたパンは、1日がかりでやっと発酵するようになりました(常温で発酵させています)。11日は薪ストーブを今シーズン初焚き。暖かい料理が美味しくなりました。やっと秋がやってきました。というか冬の足音も聞こえます。現在(12日夜)外は一ケタの気温。近いうちに、たちまち霜でも降りそうな勢いです。寒いのは何かと大変ですが、シンとした寒い冬の空気も好きです。そういう空気を少し感じる最近です。

 お伝えしている通り、今年は色々と育たなかった野菜があり、播き直して育ってくれている葉物たち中心のセットです。葉っぱものはなんといっても秋から冬にかけてのこの時期が美味しいです。体も欲しているように感じます。色々と入りますが、それぞれの個性があります。お楽しみください。

稲刈りと稲架掛け、やりました。
 雨続きでなかなかできなかった稲刈りと稲架(はざ)掛けを、7日一日と8日の午前中でやることができました!現在はコンバインという、刈って脱穀までする機械で稲刈りをして、そのあと籾を機械で乾燥、というのが一般的な方法なのだと思いますが、僕らの住むこのあたりでは、バインダーという、刈って結束する機械を使い、その束を一つ一つ、木で組んだ稲架に掛けて天日干しする習慣が残っています。佐久平の方の大きい農家さんでも結構やっています。僕らもバインダーで刈って、稲架掛けしています。
 今年はまず、田植えに使う機械を中古で去年手に入れた関係で、それに合わせて苗づくりの方式が変わったり、今年から借りた田んぼがあったり、いろいろと初めてのことがあった春先でした。まずちゃんと植わるのか、植わっても育つのか。そんなところから心配だった春でしたが、収穫までこぎつけることができました。ありがたい。ありがとう。見る限り今年は豊作と言うにはほど遠い収量ですが、間違いなく僕らの命と生活を支えてくれるお米たちです。

 稲刈りや稲架掛けは、親戚総出でやっているようなところも結構見ます。一人では大変なので、うちも誰かしら来てくれた時は手伝ってもらいますが、毎年基本は夫婦でやります。今年は葉菜ちゃん(小1)が結構手伝ってくれて、だいぶ助かりました。こういう時はいつもなら花野ちゃん(4歳)の方が根気強く手伝ってくれて助かるのですが、今回は稲がかゆかったりして集中できなかったようでした。はるちゃん(8か月)はゆっこさんにおんぶされ、参加していました。子どもたちは当然飽きてくるので、田んぼからすぐ近くに住んでいるゆっこさんのお父さんに一時的に3人預かってもらったりもしました。後で聞いたらその日、坐骨神経痛でかなり痛かったそうですが、預かってもらってかなり助かりました。その時間、ゆっこさんが自由にバリバリ働けたので、だいぶはかどりました。
 毎回バインダー(機械)は僕らの研修先だった織座農園から借りてきますが、これがなかなかオンボロで、織座も含めて他にほとんど使う人もいないので、何か不具合があれば僕が農機具屋さんに持ち込んで直してもらっていますが、今年は7月の麦刈りも今回の稲刈りもなかなか調子がよく、特に農機具屋さんに持ち込むこともなかったので、助かりました。去年だったか、農機具屋さんがエアフィルターを正規品ではないものに交換してくれてから非常に調子がいいです(笑)。バインダーの調子は良かったのですが、僕がその日、朝に軽くぎっくり腰(?)みたいな感じになって、腰曲がりながら作業していました。痛いけど別に動けないこともないし、重いものが持てないわけでもないのですが、腰が立たなくなる感じ。まぁ、軽かったのでよかったですが、1年に1回ぐらいあるのがよりによって稲刈りの日だったのに焦りました。(12日現在、もうほとんど治り、今日はダンスの練習会でふつうに踊っても問題ありませんでした。)こんな時は特に、自分が体をうまく使えていないことを感じます。一部分に負担をかけるようなことを、平気でやってしまっているのだろうなと思います。長年の習慣を変える、というのは本当に難しいことだと思いますが、心にせよ体にせよ、もっといたわっていきたいなと思います。特に体については、まだ若いからなんとかなる部分があるのだろうけど、当然どんどん年をとるので、もっと優しい使い方を覚えたいです。イチローぐらい大切にできたらなぁと思います。
 ともあれ、稲刈りは終わりました。ありがとう、自然!これから天日干しして、2~3週間くらい後に、脱穀です。もち米も収穫できました。野菜セットは野菜が少なくて早めに終わりそうですが、年末はお餅をついて、お餅便をお届けできるかと思います。詳しいことはまた連絡します。

 自分たちで育てた野菜やお米、小麦、豆などを食べて生活できるのは本当に豊かだと思います。すごく、贅沢なことだと思います。今の生活ではこれが当たり前だから忘れそうになるけど、これが当たり前、というのは実はすごくありがたいことなのだと思います。米一粒の中に、太陽も、雲も、雨も、風も、土も、流れる川も、僕ら家族も、全て含まれています。そういうことが想像しやすい、感じやすいというのもありがたいことです。米一粒の中には自然の全てが含まれています。人間も含めて。少し深く見ていくのなら、そこには太陽や土の中の生き物たちの存在だけでなく、機械や車を動かす石油の存在もまた、見えてきます。石油にまつわるお金の流れの中で、搾取され、差別され、苦しむ人たちの姿が見えてきます。自分たちの畑で育ったものだからと言っても、実際はどこか遠い国から運ばれてきた石油に依存して、それが育っている部分があります。軽トラ、トラクター、田んぼの機械、僕らが使う機械は小さいですが、機械がなくては畑や田んぼはとてもできる気がしません。生活の中でもそうですが、農業の様々な部分でも、世界の色々な搾取や貧困に加担しています。それは例えば農薬や化学肥料を使う農業と比べればものすごく環境への負荷は少ないですが、僕らが例えどんな生活をしようとも、その構造から逃れることはできません。でもそれは、搾取の無い世界を諦めることの理由にはなりません。よりマシな選択を常に考え行動し、より優しい世界を、平和な世界を目指すことは可能です。そして、世界のどこかの人を苦しめることは、自分たち自身を苦しめるのと同じことです。世界のどこか知らない人を助けることは、自分の目の前の愛する人を助けるのと同じことです。世界の搾取や貧困、差別を無くそうとすることは、一部の立派な聖人君子だけの神聖で特別な行為ではなく、目の前で赤ちゃんが泣いていたら抱っこする、というような、僕らの中に当たり前にある気持ちによって当たり前にできることだと思います。健

ひとつぶ便り 257号

いつもありがとうございます。急に寒くなりましたねー!
雨続きでやっと晴れたと思ったら、秋を通り越して冬の足音。

先週のひとつぶ便りです。稲刈りは先週の出荷のあとの金、土曜日に無事終わりました!

ひとつぶ便り 257号(2016年10月7日便)
 いつもありがとうございます。ここのところ、晴れ間も少しはありますが、やはり雨が多い天気です。他にもやりたいことはありますが、何しろ稲刈りを早くやってしまいたいのですが、田んぼに水がたまっているような状態だと機械が入れません。稲刈りのあとは稲架(はざ)掛けをして、天日干しにするのですが、この天気では乾くどころの話ではありませんね。9月中頃にはだいぶ、稲が刈られ、天日干しにされている田んぼを多く見かけるのですが、今年はその時期から雨続きのため、まだまだかなりの田んぼの稲が収穫を待っている状態です。僕らの住んでいるあたりは山間部で、一枚一枚の田んぼは小さいし、標高も高いので水温も上がりません。稲の栽培、そしてお米の販売には適した環境ではないので、ほとんどの人が自分の家で食べる分と、少し売る分、という感じで稲を育てていると思います。他に仕事を持っていて、週末農業でお米だけやっている、という人も多い。その場合、土・日など休日で作業しなくてはいけないため、そこで天候に恵まれないと、また一週間先送りということになります。こんな天候の時は特に苦労するのだと思います。僕も10月後半から冬にかけては一時的にそういう時期がありますが、どこかに勤めながら田んぼや畑をやる、というのもまた大変なことだと思います。そういう人たちによって、こうした田畑の小さい、経済的に見ると効率の悪い中山間地などでの農業が支えられています。

 お伝えしている通り、秋のキャベツやブロッコリー、大根、葉物など、壊滅的な状況で、キャベツなどはもう今年は収穫が見込めない、という状況ですが、播き直した葉物たちがこの長雨の中ですが育ってきてくれています。夏野菜も終わってきてなかなかセットが充実していませんが、今年の秋はこんな感じです。今年は暑さなどの要因により、ジャガイモやニンジン、カボチャなど保存の効くものたちもかなり不作で、本当に出すものが無くなりそうです。いつもよりだいぶ早く、今シーズンの出荷を終えることになるかもしれませんが、その時はまたご連絡します。
 土の力、野菜たちの力をしっかり引き出せていないのをもどかしく感じます。そこにいる小さいものたちが活き活きと躍動できる環境を、育んでいけたらなと思います。天候はどうしようもないことですが、今回秋野菜がうまく育たなかったのはもちろんそれだけが原因ではありません。土や野菜を見る力がもっとあって、やるべき時にやるべきことをやれたらなら、より健康でたくましい土と野菜を育てることができると思います。土を、自然を、もっともっともっと、理解していきたいです。それは何より楽しいことだし、理解すればするほどに、見える世界は広がり、深まり、より美しくなります。今、全然理解は深くはありませんが、それでもこの農業の世界に足を踏み入れた9年前よりはかなり深まっているし、それによって自分の見えているものが、生きている世界が、広がって、深まって、美しくなっているから、この道を行くならこれからもきっとそう。なんとも素敵な日々。
 少し前、畑がだいぶ壊滅的になったときはそれはだいぶ凹みましたが、それはそれできちんとショックを受けてきちんと立ち直りました。野菜は少なくてもまぁあるし、お米も小麦もあるし、家族は元気だし、今日見た空もきれいでした。とても、ありがたい。ありがとう。

自然に触れる
 緑に囲まれ、土の上で仕事ができるのは素敵なことだし、たまに都会からこういう場所に体験に来るような方は、すごく気持ちよく畑仕事や自然を満喫している印象があります。テレビとか雑誌とか、メディアはきれいなところばかり切り取るから、都会の人は農業に対するイメージがそこまで悪くないような気もします。でも農家の多くは自然を満喫してなんかいないと思うし、土の上で働く喜びだって、どこまであるのか疑問です。ビニールで全面を覆った畑に、虫や菌を殺す薬剤を、大型トラクターに乗って毎日毎日撒く仕事は、自然を敬うものではなく、自然に寄り添うものではなく、それを征服しようとする姿勢です。それはたぶん、先進国と呼ばれる国のほとんどが持っている姿勢であって、僕らの生きている社会の基本方針。完全に間違ってますが。
 そういうのが有機農業だったらだいぶマシなのかと言ったらそれもわかりません。僕らも含め、少なくとも「野菜を売る」という時点でやらなければいけないこと、考えなければいけないことは増えます。目の前に自然が広がっているのに、それが目に入らない、それに触れられない、というのはこんな小さな農業をしている僕らですらあります。例えばジャガイモを掘っていれば目の前に土があり、足は土の上、手は土に触れている状況ですが、ある程度慣れていればそこまで集中していなくてもできてしまう作業。ジャガイモを掘ることではなく他の、例えば自分の不安から逃れるための思考を頭に巡らせていたりするし、食べるためのものとしてというよりも売るためのものとして、収量を気にしていたりもする。よくあることですが、これこそ本当に、もったいないことだと思います。その時、目の前には奇跡が広がっているのに、それをきちんと見ていない、触れていないのだから。「土」と一言で言うけれど、虫やミミズやもっと小さいものたち、草、鉱物、色々なものたちが生きたり、死んで他の形になったり、ということを繰り返してそれはそこにある。というより、その命たちのダイナミックな動きそのものが「土」という方が、より真実に近いかもしれません。そしてその命たちは、例えば太陽や地球の回転があるからそこにいる。きちんと見ていくのなら、そこに関係のないものは何もありません。あるものは、他の全てのものからできています。僕らの細胞一つ一つだってそうだし、心もまたそういうものです。他のものから独立して存在するものも、形を変えずに存在しているものも、決してありません。それは、当たり前のことなのだけど、この国ではほとんどの人が忘れているような気がします。それは、ただ目の前のものを見られるのなら、いつでも見られるのだけど、それは自分の中の不安や怖れとも向き合わなければいけないことであるし、そこから目を逸らしたいというのも当然のこと。そして、テレビもパソコンもスマホも、そこから目を逸らすのに最適な道具。でも、そこから目を逸らすのは、自分自身から目を逸らし、自然から目を逸らすこと。それはたぶん結局、生きる喜びから目を逸らすことでもあります。
 緑に囲まれた環境、土の上にいたからといって必ずしも自然を感じられるわけではないし、都会の雑踏にいながらなお、自然を感じることができると思います。僕らがきちんと目の前にあるものを、見つめられるのならば。一歩一歩、大切に歩けるのならば。一息一息を、大切にできるのならば。僕らは息をしようと思ってしているわけではないし、心臓を動かそうと思ってそれが動いているわけではありません。今ここでこの体に起こっているのは奇跡そのものだし、今ここにあるのは自然そのものです。例えばお金はただの幻想ですが、僕らの体や呼吸ははっきりとした現実です。幻想の世界ではなく現実の世界にこそ楽しさがあるし、幸せがあります。今、生きている誰もが呼吸しています。ありがたいです。 健

ひとつぶ便り 256号

いつもありがとうございます。また雨降ってるし、風が何しろ強い夜です。
先週のひとつぶ便りです。今日、友人がガンジーの「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」という言葉を引用しているのを見ましたが、この文章の最後の方で書きたかったのはそういう感じのこと。この言葉に沿うなら、今の日本は偉大ではないし、道徳的に後退し続けている国です。
「動物扱い」「家畜のような扱い」というのが「ひどい扱い」と同じ意味になりますもんねこの国。

では先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 256号(2016年9月30日便)
 いつもありがとうございます。皆さんのところでもそうかと思いますが、雨、雨、雨の日が続いています。25日、27日はありがたい晴れの日でしたが、それ以外は基本的に雨、という感じです。僕らの住んでいるあたりは長い日照時間が自慢されるような場所で、梅雨でもよく晴れているようなところです。一年を通じてよく晴れています。そして大体いつも湿度が低く、夏も冬も空気はカラっとしています。それがここ10日ほどは雨続きで、非常に湿っぽいです。農作業においても生活においても、晴れが本当にありがたいです。晴れて洗濯物が乾くことが本当に嬉しいですね。お日様が出ていてくれれば半日で乾くものが、雨が続いていたら2日も3日も乾かなかったりして。三女・はるちゃんは現在7か月で、うちは長女から布おしめだけでやっていますが、乾かないのはなかなか困ります。こんなとき、薪ストーブをつけると一発で乾いてくれるのですが、今年はまだ結構暖かく、雨が降ってもそれほど肌寒く感じないのでストーブもつけられません。もうすぐ10月なんですよね。そんな感じがしない暑さ、暖かさです。
 今回の長雨で、畑に一時水たまりができていたりして、野菜大丈夫かなと思っていましたが、それによる深刻な影響は特になさそうです。今のところ。このあたりの土は基本的に水はけがいいのだと思います。水をためなくてはいけない田んぼにはあまり向かない土ですが、こんな大雨の時などは逆に水はけがいいというその特性は非常にありがたいものだと感じます。
 
前にもお伝えしているとおり、葉物やブロッコリーなどそろそろ採れだす時期なのですが今年は本当にもう壊滅的な状況(主に天候が原因かと思われます)で、葉物は次に播いたものが育ってくれていますが、キャベツやブロッコリーなどはもう間に合わず、今年は収穫が見込めません。いつもの年であれば、秋野菜の採れ始めと、夏野菜もまだまだがんばっているこの時期は、セットが最も充実しているのですが、夏野菜も割と不調だし、今年はなかなか野菜が揃いません。それでもがんばってくれているもの、今あるものをお送りします。よろしくお願いします。今年は例年よりも早く、お野菜セットを終了しなくてはいけないかもしれませんが、その時はまたご連絡させていただきます。

はるちゃん食べ始めました!
 現在生後7か月のはるちゃんは、離乳食を始めました。下の前歯はもうしっかり生えているし、少し前から食べたそうにしていたものの、まだいいかなとか言いながら始める時期をちょっと引き延ばしていましたが、ついに先週から始めました。おかゆとか、つぶしたカボチャとかを食べています。始めた途端にすごい勢いで食べています。次から次へと「ハルチャン!」と言って要求してくるので、食べさせている時はこちらは食べる隙がほとんどありません。はるちゃんは「ハルチャン」と「おっぱい」は既に割とはっきり発音していますが、ご飯の時は「ハルチャン!」というのを多用します。それ以外の時は色んなことを発音していますが、ご飯の時は「ハルチャン!」とばかり言います。まぁ実際に見ないと伝わらないと思いますがその感じ、すごくおもしろいです(笑)。
 おっぱい以外のものを摂るようになったので、便は固くなり、においも変わってきました。そして、最近やたら重たくなった気がするのもたぶん離乳食が主な要因かと思います。時期的なものもあるかもしれませんが、がっちりしてきました。ここまで、産まれた時は大きめ(3500ぐらい)だったものの、大きくなるのがゆっくりな感じでしたが、ここへきてグンと大きくなりそう。最近急に、ズシリと重さを感じます。長時間抱っこするのがちょっと大変に。まぁ元気に成長してくれていて何よりです。本当に。
そういえば何度か「離乳食」と書いていますが、おっぱいを離れることが目的の食事ではないので、その表現はちょっと違いますね。本人がおっぱいをやめるという意志を示せばやめればいいと思いますが、やめることを目的に食事を始めているわけではない、ということ。ある友人の子は「世の中にはおっぱいより良いものがたくさんある!」と言って1歳でおっぱいを卒業したそうですが、うちは特に何もなければいつまで飲み続けるかわからない人々です。できれば本人の意志でそうやって卒業してもらえたらいいと思いますが、うちはその前に、ゆっこさんが妊娠するとおっぱいを飲ませたくなくなるため、次の子を妊娠したときにやむを得ず断乳、みたいなパターンです。はるちゃんはどうなるかなー。
 はるちゃんは、はいはいもますます上手になってきて、ぐいぐい進みます。葉菜ちゃん、花野ちゃんはそれぞれ、よくかわいがっています。葉菜ちゃんと花野ちゃんは、はるちゃんかわいさによく抱っこしてくれますが、はるちゃんは2人の抱っこには慣れたもので、落ち着いた表情で抱っこされています。

バカにしているもの
 ところで、世の中には様々な差別があり、そこからくる侮辱的、差別的な言葉がありますが、どれも物事をきちんと見ていない、間違ったものだと思います。例えば「猿」という単語が差別的に使われることがあります。日本人などが白人の人に「イエローモンキー」と言われるのもその一例ですが、これ、他の人間を猿扱いすることよりも、猿を人間より下等なものとして扱っていることの方が問題なんじゃないかと思います。猿のことをよく知り、猿が大好きという人、もしくは神として信じている人からすれば、「あなたは猿のようだ」というのは差別する言葉であるどころか褒め言葉でしかありません。虫や獣が人間より劣ったもの、という勘違いに由来する差別用語はたくさんあると思います。そこには人が人を差別することの問題だけでなく、人が自然を差別することの問題がかなり大きく横たわっています。
 知るべきことは、見るべきものは、僕らがそれぞれお互いに、依存し合ってここに存在するということ。他の何かが苦しめば僕らもまた苦しむということ。土に触れる仕事をしているとわかりますが、僕ら人間がいくらすごい機械を発明しようと、土を良くするということにおいて、ミミズ一匹の力にも敵いません。大型トラクターで何度も耕しても、植物にとって魅力的な、土の団粒構造は発達しません。雑草の根やミミズ、土の中の虫たちが動き回ることによって、それは発達します。例えばそれを知っているのなら、「虫けら」なんて言葉を侮辱に使うことは無くなるでしょう。
 しっかり見れば見るほどに、自分たちが他の人、動植物、鉱物、太陽など宇宙の星、ありとあらゆるもののおかげでここにいることがわかります。自分もまた、他の人やものたちを生かしている部分がある、ということもわかるはず。その関係が深いか浅いかはあるとしても、この世界にあって、僕と全く関係のないものなど一つもありません。例えば僕が他の誰かを、何かをバカにするとき、差別するとき、それは自分自身をバカにし、差別していることと同じなのだと思います。逆に僕が他の誰かを、何かを大切にするときは、自分自身を大切にしているということ。そして自分自身を大切にすることは他の誰かを、何かを、家族を、社会を、自然を大切にすることになります。自分を、自然を、大切にしていきましょう。健

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