ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 156号

こんばんは。今日もお越し頂きありがとうございます。
12月ですね。畑にはほとんどものが無くなってきて、貯蔵してある野菜たちの出荷がほとんど。
酒蔵の方では新酒を搾りはじめていまーす。

では先週のひとつぶ便り。(更新遅れました。)

ひとつぶ便り 156号(2013年11月29日便)
 いつもありがとうございます。ここのところ寒いは寒いですが、霜が降りない日が続いたりもして割と過ごしやすいです。今夜(27日)は現在雨が降っています。雪ではなく。先週のこれを書いているときもそうでしたが、今日もかなり風が強いです。
 畑にはほとんどものが無くなり、収穫して保存してあるものが中心の出荷です。種類もだいぶ少なくなってきますが、今シーズンも最後までよろしくお願いします。12月の最後の2週は例年通り、うちのもち米でお餅をついてお届けします。

秘密保護法のこと 戦争のこと

 昨日、秘密保護法案が衆議院を通過(強行採決により)したそうですが、今後どうなるのでしょうか。僕らの知る権利はどうなってしまうのでしょうか。そもそも現在、隠されていることがたくさんあって、知る権利なんてたいして大切にされていないんじゃないかと思いますが、それがこの法律によりもっと隠しやすくなりそう。ってことです。原発事故後、当時の政府はSPEEDIの放射性物質拡散予測を公表せず、それによって大量の被爆を負った人がたくさんいますが、秘密保護法があれば、隠したことも被爆者が出たことも、たやすく隠せるのでしょう。「原発の情報の公開はテロにつながる恐れがあるので秘密です」と。「その秘密を探ろうとしたら逮捕です」と。
 僕らの生活に、どのような影響を及ぼすのかなかなか想像できませんが、とにかく戦争をする国にしたい(実際に戦争したい?)首相が率いる政府で、秘密保護法はたぶん、そこへ直結する法律なのだと思います。やめてください。首相は戦争をできる国が「普通の国」という表現を使うそうですが、大事なのは普通かどうかではありません。普通が正しいわけではありません。戦争をできる国が普通なら、是非とも普通じゃない国を目指しましょう。そして、「普通」なんてものは流動的で不安定で実体のあるものではありません。つい50年前の「普通」と現在の「普通」は、全く別のもの。例えば家電製品で見たって明らか。もうちょっとさかのぼれば、今僕らが「日本」と呼んでいるこの国の中はいくつもの国に分かれていて、その国同士が戦争していたわけですよね。今僕らは日本国内で戦争が無いことが「普通」。でもつい何百年か前の人たちは、日常の中に戦争があることが「普通」で、国と国の境界が無くなって一つの国になるなんて、想像もできなかったと思います。僕らが「普通」と思っていることは、何年後かには全然違うだろうし、想像もできません。例えば10年後、日本はどこかと戦争しているかもしれない。日本という国自体が有るか無いかもわからない。または世界がもっと平和になっているかもしれない。「普通」なんて、何の当てにもなりません。重要なのは、どこを目指すのか。今、何をするのか。今、どうするのか。僕は戦争する国じゃなくて、世界の平和に貢献できる国を目指して欲しい。もっとマシな日本を、平和な世界を、想像することが難しいなと思うけど、僕の想像を超えることなんて日々起こります。想像することは難しいけど、自分の中にある平和を、生物の中にある平和を実現する能力を、信じています。それは、僕の中に怒りや暴力があるのと同様に、確かなものとしてここにあるものだと思っています。

 「戦争」ということも、なかなかリアリティを伴って想像できませんが、一つ、戦争という言葉を聞いたりこうして書いていたりすると思い出すことがあります。
高校のときの修学旅行(うちではホームルーム合宿という名称)、うちの高校は毎年沖縄へ行きます。観光の要素ももちろんありますが、「平和学習」というのが主題で、戦争体験者の話を聞くとか、資料館に行くとか、班によっては「集団自決の起こったガマ(洞窟)」に行って、そこでの生き残りの人に話を聞くとか、東京で気楽に生きてる高校生たちには結構衝撃的な内容も盛り込まれていました。僕はガマは行かない班でしたが、体験を話してくれたおじいさんの話は覚えています。といっても本当に一部分しか覚えていませんが、それが「爆撃されて、さっきまで話していた友人がバラバラになり、内臓(腸とか)が木に引っかかっていた」という部分。その時、想像してみたんですよね。その時近くにいた自分の友達の内臓が木に引っかかっている様を。高校時代の僕は、それ嫌だなって単純に思ったし、それは戦争に反対する理由として充分なんじゃないかって、思いました。今でもそう思います。事が起これば、飛び散るのは子どもたちかもしれません。
戦争を美化する人たちがいるし、戦争に反対する人たちですら、戦国時代の武将とか戦とかを美化していたりします。でも今も昔も、美しかった戦争なんて一つも無いと思います。少なくとも、血が流れず内臓も飛び散らない世界しか想像できない人が、「戦争は美しい」とか「正しい戦争もある」なんて言うのはきっと間違っています。

娘たちのこと
花野(かや・もうすぐ1歳5ヶ月)ちゃんの成長や変化を日々感じますが、最近彼女はよく笑い、そしてよく怒ります(笑)。喜怒哀楽という言葉がありますが、「哀」という感情はあまり見えません。他の3つは最近またすごくはっきりと表現するようになってきたように思います。「いやだ」とか、上手に発音するようになってきました。花野ちゃんのストレートな感情表現はなんだか憧れます。あと、連れ合いの名前「ゆっこちゃん」はマスターしたようです(うちでは「お母さん」とか「ママ」の通称が採用されておりません)。
葉菜(はな・4歳半)ちゃんもぐんぐん成長中。どんどんと、大人の持つ価値観を吸収していっている時期だと思います。それが決して良いものではない場合も多いでしょう。何かができるとか、どこがすごいとかではなく、自分をありのまま、まるごと受け入れられる力を、育てて欲しいなと思います。身をもって、それを示せるようになりたいです。健
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