ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 159号

こんばんは。今日もお越しいただきありがとうございます。
冬至ですね。「とうじ」と打つと「杜氏」が真っ先に出てくるのは蔵人ならではか!
最近知ったんですが、夜がいちばん長いのが冬至だけど、日没がいちばん早いのは冬至の日じゃないんですってね。関東とかだと11月末~12月始めだとか。今、既に夕方の日は明らかに長くなり始めてます。
って、日付け変わってるのでもう冬至の日じゃない!

まぁそんなわけで、ひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 159号(2013年12月20日便)
 いつもありがとうございます。今日(18日)は結構雪降っています。長靴じゃないと濡れてしまうくらいは降りました。また、最近寒さがまた一段階上がった気がします。今夜もなかなか寒いです。このあたりではとても寒いとき、「今日はしみるね」という表現を使います。「凍みる」自体は他の地方でも使うようですが、こういう用法で使うのは長野県のあたりの言葉らしい。そうか。東京とかだとべつに寒くてもそう「凍み」ませんもんね。

今週の野菜セット

 今年もお餅便の季節がやってきました!今シーズンは田んぼもなかなか順調だったので、もち米もよく採れました。今までがあまり良くなかったってことも言えますが、今まででいちばん採れました。そのお米を使って、薪の火を使ってせいろで蒸し、機械でついたお餅です。それをのして、次の日に切って、袋詰めして、皆さんにお届けしています。お米はほとんど搗いていないので、色は茶色っぽく、味も栄養も豊か。うちも家族みんな大好きです。お楽しみください!

もうすぐクリスマス
 うちはキリスト教徒ではありませんが、子どもたちに何かプレゼントをしたりケーキ食べたりしてその日を楽しみます。ケーキ屋さんとか、おもちゃとか子ども関連の業界はこの日に稼がないといけないのでしょうね。お金の動きがすごそう。うちも今年はおもちゃを買いますが、こういうときに子どもの健康面とか、地球の環境負荷とか、そういう部分に配慮されているのはたいていドイツとか、北欧とか、そういうところのメーカー。こういうメーカーががんばれる環境って、羨ましく思います。と、書いていて思いましたがそういうメーカーががんばれる環境って、つまりはそれを買う客がたくさんいるってことですか。いいなぁそれ。おもちゃに限らず、教育とか福祉とか、ドイツやらフィンランドやら、すごく羨ましいと思う部分があります。全てうまくいっているなんてことは当然無いでしょうが、日本はもっと学べばいいのになと思います。「文化が違うから」という人がいますが、それなら文化を変えればいい話。今までも、文化なんて10年もあればひっくり返っているではないですか。

 ところで僕はキリスト教徒ではありませんが、キリストと呼ばれた彼のファンではあります。僕のイエス像は、京都に住む友人の話と、その彼の友人の本田哲郎さんという大阪の釜ヶ崎で活動する神父さんの『聖書を発見する』という本に拠りますが、イエスという人の生き様は、胸が熱くなります。燃えます。富も権力も名声も、何も持たずに生まれ、育ち、石工という過酷な日雇い労働者の立場から、時の権力者と真っ向から戦い、そして犯罪者にされて死んでいった人。その物語は例えば「貧乏人が金持ちに」「農民が天下人に」的な話とは全く違うもの。十数人の弟子も、血を扱うという理由で当時最も忌まれる職業だった漁師が半数以上。あとは元犯罪者とか。周りから見たらただのゴロツキの集まり、みたいな感じですよねたぶん。今でいったらどういう感じでしょう。どういう職業の、どういう立場の人たちでしょうか。現代で想像してみると、ものすごいことだとわかります。
 アメリカで、「炊き出しの列に並ぶイエス」という絵を書いた人がいるそうです。イエスは炊き出しをする側ではなく、される側の人間、ということ。実際にその立場にいたし、徹底してその立場から物を見て、行動していった人。本田哲郎さんは、「最も小さくされたものたち(抑圧されたものたち)と一緒にいなさい」というのが聖書の中に一貫するメッセージと言います。そして、常にイエスは「最も小さくされたもの」が自分のことだと言っています。そして、「私とつながっていなさい」と。手元に本が無いのでどういう表現だったか今わかりませんが、それが僕らが幸せになる道、ってことだと思います。
 今、最も抑圧されている人は、どこにいるでしょう?世界中に、そして日本で、差別され、搾取され、抑圧されている人たちがいる、ということを、僕はこれを書いていて意識するってのは遠くにいるということか。もっとその人たちとつながっていけ。というのが聖書のメッセージ。シンプルで、強い。そのメッセージを、灯りとして心にともしておきたいな。メリークリスマス!

「種まき」というよりも
 ところで、ひとつぶ農園のパンフレットの中で、「次の世代へ自分たちがどんな種をまけるのか?日々考え暮らしていきたいです。」と書いていますが、最近はやや違う表現をしたいなと思うようになってきました。畑があったとして、そこにどこかから種を持ってきて蒔く、というよりも、そこの畑には既に全ての種があって、条件によって発芽する種、育ちやすい種が決まってくる、というイメージの方がしっくりくる気がするのです。その畑というのは、例えば自分たちや子どもたちの心や体。そこに外から何かの種を持ち込む必要など無く、既に全てそこにある、ということ。戦争も平和も、苦しみも幸せも、悲しみも喜びも、不安も安心も。既にそこにある、ここにある、どんな種に働きかけるのか。どんな芽に水をやるのか、それを考え、行動していきたいです。
 今この場所を意識的に生きないのならば、不安の種や怒りの種や、争いの種などに、水をどんどんあげてしまうことでしょう。世の中の仕組みが、そういう種を発芽させ、育てやすいようになっています。比べさせたり、争わせたり、例えば学校へ行けばそれが基本。それに慣れれば、自分や他人をありのまま受け入れることは困難に。育てたいのは全てを受け入れる種。それを育てる確実な方法は、微笑むこと。今、微笑んでいますか?  健
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