ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 176号

今日もお越しいただきありがとうございます。

今回の通信の「器」の話、あくまでたとえだし、それが誰かや自分の理解の為に使えるのなら使ってもらえばいいし、もし他者への差別や蔑み、自らの劣等感を増す為に使おうとするなら、決して使わないでください。
それと、食器の話ばかり書いたけど、食器に限らない方が考えやすいかも。

では先週のひとつぶ便りでござる。


ひとつぶ便り 176号(2014年8月1日便)
 いつもありがとうございます。梅雨が明けて、とても暑いですね!やたら暑かった26日、長野県でも65人の人が病院に搬送されたそうです。日蔭でも暑いって、この八千穂ではそうそう無い気がするんですが、その日は暑かった!その日の昼間は、八千穂の駅前の通りにある小さな雑貨屋さんの駐車場の一角で野菜市を開いていて、いちばん暑い時間帯は僕もそこに顔を出していたので畑にはいなくて、農作業もしませんでしたが、それが良かったかも。水、欠かしちゃいけないって良く言われますが、ほんとこういうとき大事なんだろうなと思います。でも、それでもなるときはなるらしいし、それに加えて、というかそれ以上に、涼しい場所に籠って何もしない、というのができるなら、それがいちばん有効な対策だと思います。「駅前食堂」は古い土蔵を改装した建物ですが、中がすごく涼しかった。蔵すごい。
 27日も暑かったですが、木陰は涼しく、太陽が雲に隠れれば涼しく、夜は肌寒いくらいになり、その前の日とは全然違いました。26日、ほんと暑かった。でも!故郷、練馬とかと比べたら、遥かにマシですね。湿度が全然違います。こちらはかなり湿度が低い。炎天下、東京都の中でも特に暑い練馬で、グラウンドを駆けずり回っていた時代もあったので、そんなのと比べればへっちゃら・・・でもないけど(笑)。
そういえば、練馬は暑くて風がないと、光化学スモッグ出て苦しいんですよね。毒の霧が出て、注意報か警報が出て、外で遊んではいけない。ってすごいことですよね。今住んでいるところでは、想像できません。それってありがたいことなのか。練馬は生まれ育ったところだし、全然嫌いではありませんが、空気はもうちょっときれいだったらいいなと思います。フクシマの事故があって、放射能の汚染も各地でありますが、あういうことが起こる前からずっと、空気も水も土も汚れ続けてきているのですね。小学生の頃から記憶がありますが、光化学スモッグは直ちに健康に被害があります。息を思い切り吸うと、喉がかゆくなるし、運動したら呼吸が困難になることもあります。東京都のホームページによれば昨年の光化学スモッグ注意報の発令回数は17回。信州にいると全く忘れそうになりますが、都会の人たちはこれが当たり前なんですよね。本当は、とんでもないことだと思います。

今週の野菜セット
 トマト、インゲンはやばいほど採れるし、ナスもやっとこ調子が出てきて、だいぶ実がなっています。夏真っ盛りで、猛暑を感じさせる気温が毎日続いていますが、いつまで続くのでしょうか!一年で一番華やかなこの時期の野菜たちをお楽しみください。うちは毎日野菜祭りです(笑)。


 ところで、この前友達と話していて、おもしろいなと思ったこと。その友達D君は、とりわけ人の感情とか読み取るのが子どもの頃、得意じゃなかったので、自分で色々と試し、訓練した結果、例えば人の存在やその感情を、言葉ではなくイメージ(雲のようなものらしい)で捉える技術を確立しました。当然、間違えた捉え方もするのでしょうが、そもそも彼は、自分についても周りについてもすごく客観的に見られるので、僕の中の信頼性は高い。別にスピリチュアルな能力とかそういうわけでは決してなく、誰でも多かれ少なかれ、自覚なしでやっていることを、より自覚的に具体的に形にしている、ということだと思います。すごく、おもしろい。
 で、そのイメージを使って、実際にその人にどう対応したらいいか、などを考える材料にするみたいです。その人を見て、話を聞いて、「雲みたいなもの」を描く。ちなみに僕は丸っこく、少し平べったく、動きはゆっくりの、そういうもの。みたいな感じで。で、この前話していたら、人を捉えるときに使うそれは「器」とも言えるようです。「中身もある」らしい。僕の場合は、平たい大きなお皿、みたいな感じだそうで。中身の話はあまり深めてないな。とにかく、それぞれがそれぞれ、形や大きさ、材質の異なる「器」だということ。この捉え方、すごく分かりやすいし、示唆に溢れている気がしました。
 
「器量」だとか「大器晩成」だとか、「上に立つものの器」とか、人を表す言葉にそういうふうにそもそも結構使われているもので、人を「器」と捉えること自体は、珍しくないのかもしれません。でも、たいてい使い方を間違えている気がします。例えば「あの人は器が小さい」というのを悪口として言いますが、器の大小に優劣なんかありません。例えばそこが食卓で、色々な料理があるとすれば、大きい器も、小さい器も、どちらも必要。全部大きい器だったら、邪魔なだけです。「器が小さい」って、何も悪いことじゃない。「もうちょっと小さい小鉢が欲しいなぁ」とか思いますもんね。大小は優劣とは違います。
器の大小、形、色、それぞれにそれぞれの役割があります。僕ら全員がそれぞれ器だとして、今、僕らの生活の中で起こっているのはこういうこと。例えばコップがお皿に向かって、「私は水が入れられて素晴らしい器だ。お前は水が入れられない愚か者だ。もっと努力すべきだ」とか言ったり、お皿がお茶碗に「お前はご飯しか入れられない。もっと色々なものを入れられる形になるべきだ」と言ったり。って、おかしな話じゃないですか?コップもお皿もお茶碗も、誰がいちばん偉いとかいうことありません。それぞれの形と大きさがあって、適した中身があるってだけのこと。自分の大きさや形や色、相手の大きさや形や色を理解せず、お互いの違いを理解できないということ、多い気がします。その違いはただの違いなのに、そこに劣等感や優越感をくっつけて、上に書いたような傷つけあいをしていることがきっとよくあります。相手に自分の特徴を強要したりもします。そしてまた、現在のこの国は、「なんでも入れられる便利なお皿」ばかりにしようとはしていませんか?それ、便利でもないし、それぞれも苦しいはず。
あと、これはあくまでイメージの話、たとえ話だし、真実そのものではなく真実を見る為の手掛かりとして使うものです。人という「器」は、本当の器とは違い、形が変わったり材質が変わったりということも随時しているものだと思うし、変えることもできるのかと思いますが、例えば平たいお皿がちょっと深くなったり、のような変化ではなく平たい皿がコップになる、みたいな自分の形とは全く異なる無理のある変化を強要されたりする時、その器は歪んだりひびが入ったりしてしまうのだと思います。
どの器が正しいなんてことはなく、どの器がどの器より偉い、なんてこともありません。全ての器が大切に扱われたらいいなと思います。僕らはしばしば、自らがコップなのにパンを入れようとがんばったり、相手がお皿なのに水を入れることを強要したりしてはいないでしょうか。それで、それぞれの器が、苦しんではいませんか?例えばそこにパンと水がある時、コップとお皿がそれぞれ自分の形と特徴を理解しているなら、やるべきことはとても簡単です。そういう、それぞれの理解こそ大切だと思います。健

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コメント

いいね!が多すぎる件

これはどうやら、フェイスブックでこのブログについてコメントすると、「いいね!」が増えるっていうちょっとしたエラーかと思われます。お客さん自体がこんなに来てないはず(笑)

  • 2014/08/11(月) 22:58:20 |
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