ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 178号

今日もお越しいただきありがとうございます。今日、久々に一日晴れてくれました。台風が行ったあと、梅雨みたいな天気で毎日雨。晴れ間もないので気温もなかなか上がらず、野菜もなかなか大きくならんです。例年、供給過剰になるくらいのこの時期なのに、今年は不足気味。色々ありますね。

では今週のひとつぶ便り!

ひとつぶ便り 178号(2014年8月15日便)
 いつもありがとうございます。台風が過ぎて、静かな夜です。今回、僕は個人的な用事で台風の最中、神奈川まで出かけていましたが、行く先々でたいした風と雨に見舞われず、傘もいらないときもあり、かなり幸運だったように思います。運に頼って旅をしたりしては行けないと強く思うし、今回は本当なら行かない方が賢明だったのかもしれませんが、どうしても今行きたい場所だったので、行っちゃいました。行って本当によかったです。そのことはまた後で少し書きます。と書いたけど、書いていたら書くスペースなくなっちゃったので(笑)、また次回かそのうち書きます。

今週の野菜セット
 夏野菜真っ盛りのシーズンです。が、このところ少し涼しいので先週に比べれば少し育ちが低調です。僕らもどれもとても美味しく食べています。これを食べている今夜は天ぷらを食べましたが、ナスと油は本当に相性がいいですね。ナスの天ぷら、本当に美味!ちなみにうちで今使っている油は、佐久市の有機で菜種を使い、低温圧搾という方法で搾っているすごい油です。お値段もお手頃。というか安い。何より、すごく美味しい。こんな油が使えるのは本当に素敵なことだと思います。ちなみにスーパーなどに売っているキャノーラ(菜種)油とか、サラダ油(大豆由来が多い)とか、色々あると思いますがそれに使われている材料はほぼ全て遺伝子組み換えのものです。菜種にせよ、大豆にせよ。で、搾り方も、たいていは薬品を使った方法で油にされているそうです。
 ちなみにナス、市場に出回っているのはほぼ100%、雑種第一代(F1)と呼ばれる交配種ですが、うちのナスは全て固定種です。紫で丸いのは、「小布施丸茄子」という長野県の伝統品種。緑で巾着みたいな形のは埼玉の伝統品種「埼玉青」。ヘタが緑色っぽいのは米ナスと呼ばれる「ブラックビューティー」。ブラックビューティーがアメリカから日本に来て改良されたものを米ナスと呼ぶらしく(今調べました(笑))、元祖米ナスってことですね。これは自家採取。そして、中長ナスは今年初めてやる品種の「橘田中長」という品種。という感じの今年のナスのメンバーです。この中から何種類か入ります。ナスも僕らはそこまで得意ではなく、品種も毎年色々試していますがなんだかんだで最初の頃から作り続けているのは「埼玉青」。ヘタのトゲが痛いのでちょっと気を付けて欲しいですが(トゲだけじゃなく茎も、葉っぱの葉脈からもトゲ出ています(笑))、それは強さの表れなのか、結構育てやすくて、味も揚げ物がよく合う美味しいナスです。

8月といえば
 8月といえば毎年、特に戦争と平和ということを意識させられる月ですが、今年はちょっと感じ方が違う気がします。安倍首相率いる政権が、秘密保護法や集団的自衛権の行使容認とか、とにかく戦争まっしぐらで、8月になる前から戦争について意識せざるを得ない状況だったので、特に今月が、って感じがしないのかなと思います。今月の10日は長野県知事選でした。こんな状況だから、自民党が推す人にはノーと言わなければいけないのだと僕は思っていますが、共産以外の全政党が推した現職の阿部さんが再選。その結果もさることながら、投票率が過去最低の50%割れ。台風が重なったから、というのもあるみたいですが、こんなの悲しい。50%割れたらもう一回、とかいうルールあればいいのにと思う。今回はどう転んでも阿部さん、みたいな選挙だったのだと思うし、それで支持する人もしない人もどちらも「行かなくていいや」になったというのもあると思います。なんでしょうね。自らの意思で行かなかった人。は、自分の持ってる一票の重みについて、深く考えて欲しい。「結果」って、勝ったか負けたかだけの話ではありません。知事に成る人が同じだったとしても、長野県は投票率100%!ってなったらすごくかっこいいって僕は思うし、その為の工夫が少なすぎると思います。投票させない為に、わざとなのかもしれませんが。たぶん、市民に無力だと思わせるのが権力者たちの思惑。乗ってたまるものですか。そして事実、僕らは無力ではありません。行動の一つ一つが、戦争にも平和にもつながっています。目の前の物を深く見ていくだけで、それを想像することができます。今目の前にある紙でも、パソコンでも、食べ物でも、人でも、服でも、何でも。それはどこで、どのような関わりによって作られているものですか?

 僕らは戦争を体験したことがない、と言われる世代だけどじゃあ平和はどれほど体験したことがあるのかなと、今思いました。日本と他の国が交戦状態にない、ということは素晴らしいことなのだろうけど、だから平和なのかと問われれば、そんな気は全くしません。今、この日本という国、僕らの生きる社会は平和ではないと思います。差別に、搾取に、そして争いに満ちています。差別とか搾取とか書けばちょっと遠い話のように聞こえるかもしれませんが、日常に、僕の目の前に、それは溢れています。毎年3万人を自殺させる国が、平和なはずはありません。日常にあるちょっとしたからかい、いじめ、言葉の暴力、蔑み、妬み、色々あると思いますが、それはちょっとしたことだと思うものでも、一つ一つ、恐ろしい力を持ったものだと思います。人ひとり、殺す力だってある。逆に、日常にあるちょっとした優しさ、思いやり、楽しさ、共感すること、理解するとこ、そういうものの持つ力っていうのも、すごいものなのだと思います。それが人の命を救います。
 ついさっき浮かんだイメージなのですが、国と国が、人と人が命を奪い合う、おびただしい暴力と暴力のぶつかり合いを戦争と呼ぶのなら、その全く反対の状態であるはずの平和は、ただ「戦争をしていない」という状態ではなく、国と国、人と人が命を救い合う、おびただし優しさと優しさ、愛と愛、理解と理解の重なり合い、みたいなものなのではないかと。つまり、戦争という状態が特異な状態であるのと同様に、平和という状態も似たように特異な状態ではないのかと。そして、戦争状態が実現するのに比べて、その平和という特異な状態を実現するのはきっと難しい。けど、可能だと僕は思うし、国という単位でなくても、実現しているコミュニティは今も世界にたくさんあると思います。例えば国という単位でそれが実現するのなら、すごいこと!想像すると、わくわくします。
 平和なんてきれいごとだとか、世界平和なんて実際無理、とか、僕もかつて思っていたけど、それは自分個人の平和を信じられなかったからだと思います。今も、自分の中にはたくさんの暴力があるし、差別もあるけど、それと向き合い、より平和なエネルギーに変えていくことも、少しずつできるようになってきました。それは家族と、ティク・ナット・ハンという禅僧・詩人(筆舌に尽くしがたくおススメ!)のおかげ。今やるべきことは、今この場所を目いっぱい、自覚的に、意識的に生きること。皆さん。今、呼吸をしていることに気が付いていますか?ちょっと思考を休めて、ただ呼吸を楽しんで、微笑んでみてください。奇跡って、超常的な何かのことじゃなく、今この瞬間のことです。           健

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://hitotsubufarm.blog.fc2.com/tb.php/210-8f727538
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad