ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 179号

今日もお越しいただきありがとうございます。雨マークしかない予報だった割に実際はかなり晴れてくれてて助かります。ちょっと雨欲しいぐらい晴れてくれてます(笑)。

眠いので特に補足なしで寝まーす。おやすみなさい。

ひとつぶ便り 179号(2014年8月22日便)
 いつもありがとうございます。台風が過ぎたら晴れが来るのがいつものパターンですが、今回はなんか台風のあとに梅雨みたいな天気が来ました。毎日雨。実際天気図見ると、梅雨前線みたいのありますよね。「これ、晴れたら暑いんだろうなぁ」って日もありますが、結局晴れないからそこまで気温も上がらず、野菜たちが大きくなりません。うちはもともと栽培が上手な方ではないのでそのせいもあるかと思われますが、この辺で最強クラスの有機農家さんが「この時期はいつも野菜が余って困るのに、今年は欠品だらけだよ」と言っていたし、19日の信濃毎日新聞の一面には「夏の荒天 野菜高騰」という記事。どこも苦労しているようです。ちなみにうちは野菜の値段いちいち変えたりすることはしていないので、野菜が高騰していると相対的に安かったりします。逆もあるってことなので、結局ならせば同じことかもしれませんが。
 18日、19日、20日と、やっと晴れてくれて、気温もかなり上がってくれたので、なんとも嬉しい。雨続きで畑が耕せず、種まきもできなかったので、この晴れ間にカブや玉ねぎなどの種まきをしました。しかし週間予報を見れば、この後また雨が続くようですね。ひぃぃ。
 
今週の野菜セット
 そんなわけでトマトもなかなか赤くならず、ズッキーニはほとんど採れない日もあり、みたいな状況ではありますが、採れた野菜をお届けします。生育はゆっくりですが、台風で何かが倒されたとか、雨で何かが致命的に腐っちゃったとかそういうわけでは全くありません。売る、という行為がそこに入るので問題も出てきますが、野菜たちにとっては少しゆっくりするか、ってぐらいな感じで全く問題はないし、僕らがやっているのが家庭菜園であったら全く問題ないんだなと思います。

「ゆとり家」への旅
 先週の日曜日(10日)、まさに台風接近する中でしたが、かねてから行きたかった神奈川にある「ゆとり家」というところへ行ってきました。ゆとり家は、僕の大好きな禅僧・詩人のティク・ナット・ハンの本の翻訳をよくやっている、島田啓介さん(だーさん)家族の家で、「2008年8月7日に開所してから、いくつものワークショップ、講座、個人セッション、コンサートや瞑想会、自然を生かした季節の散策や子どもの遊び会、農業体験、そしてパーティや貸しスペースも行っています。」(「ゆとり家」ホームページより引用)。というところ。僕が今回参加してきたのは、そこで毎月一回やっている「気づきの日 一日瞑想会」というもの。すごく、刺激を受けたし、素晴らしく楽しかったです。

 「瞑想」とかいうと人それぞれ色々なイメージがあると思うし、実際に色々な種類があるのだと思いますが、僕が5年前くらいから実践しているこの〈気づき〉の瞑想と呼ばれる手法は、仏教におけるもっとも伝統的なものです。ブッダ(お釈迦様)が語った話(お経)の中で最も多く登場する言葉がサティ=〈気づき〉=マインドフルネス、だそうです。そしてその〈気づき〉こそが、苦しみを無くす為の最重要項目の一つであるということ。それは、超能力とか、祭祀的な何かではなく、ただ「今ここ」を生きるという実践。例えば今、呼吸をしていることに、今、食事をしていることに、座っていることに、歩いていることに、車を運転していることに、話したり聞いたりしていることに、文字を読んでいることに、パソコンで文章を打ち込んでいることに、気づくということ。それを自覚するということ。無意識でなく、意識的でいるということ。また、自分が今、快か不快かどちらでもないかの感覚や、喜んでいるかとか怒っているか、平静か、とかの心の状態を、自覚する。意識的でいる、ということ。これは、いつでもどこでもできる実践です。今回、ゆとり家の島田さんも言っていましたが、座禅=座る瞑想だけが瞑想ではないし、座る瞑想、歩く瞑想、食べる瞑想、食器を洗う瞑想、いつでも何をしてても瞑想ができるわけですが、どの瞑想が上、とかいうこともありません。どの瞬間、どの場所における瞑想も、同じように重要。
と、ここまで読んで簡単そうに思うかもしれませんが、僕らは現在ではなく過去や未来に、今いる場所ではなくどこか別のどこかに、意識を飛ばすことに慣れています。今ここにとどまる、というのは自分を癒し、苦しみから救ってくれるもので、楽しいものでもあるのですが、実際はなかなか難しい。だから、例えば呼吸や歩行を使いながら、今ここにいる力を養っていく必要があるのだと思います。
 ちなみに日本にはこの〈気づき〉という言葉は正しく訳されて入ってきていなかったようで、仏教者でも直接知らない場合が多いのではないかと思います。でも、どの宗派であってもそのエッセンスは受け継がれているものだと思うし、日本では武道、茶道、華道などの中にも深く息づいているものだと思います。最近は、ちょっとマインドフルネス(〈気づき〉)のブームらしく、本も色々出ていて(すごく少数派ではあるのだろうけど)知っている人も多くなってきたようです。

 僕は5年前、ゆっこさんが持っていたティク・ナット・ハンの『ビーイング・ピース』という一冊の本に救われました。5年前は、研修先から独立し、結婚して葉菜ちゃんが産まれ、農業も家の中も自分のことも全く何もうまくいかない時期。自分はこのままじゃ絶対もたない、っていう思いが強くあって、何かにすがりたかったけど、宗教は嫌だなって思いがあったり、頭だけで考えてどうこうなるものではないと思っていたりでどうしたもんかなと思っていたときに出会ったのがその本。宗教や哲学が欲しかったわけではなく、「実践」が欲しかった。ティク・ナット・ハンの説く仏教はまさに、宗教ではなく、哲学でもなく、実践そのものでした。最初、ほとんど〈気づき〉についての意味もわからなかったけどとにかく、やってみました。呼吸をしていることに気づき、微笑むことを。その効果は絶大!それ以来、実践し続け、まだまだ「今ここ」に100%いられることなんてほとんどないくらいだけど、それでも奇跡と呼べるような変化があります。今、苦しんでいる人も、幸せな人も、どちらとも言えない人も、どんな人にも、どんな状況にも役立つ〈気づき〉の実践です。最近のおススメ本はティク・ナット・ハン著、島田啓介・馬籠久美子訳の『ブッダの幸せの瞑想(サンガ)』。具体的な実践方法を集めた本。わかりやすいです。
 個人としても、一緒に実践する近くの仲間との共同体としても、実践を深めていくヒントや新たな出会いを求めて今回、ゆとり家に行ってきました。やったのは、15分沈黙し、食べ物のことだけを感じながらゆっくり食べることとか、一歩一歩、どこも目指さず歩くとか、座る瞑想とか、あと歌を歌ったりとかもしました。みんなが普段していることとほとんど変わらないことですが、そこにいる全員が一つ一つの行動に〈気づき〉がある共同体の、すごく優しく大きな力を感じました。あぁ書ききれない(笑)健
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