ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 180号

今日もお越しいただきありがとうございます。

先週に引き続き、マインドフルネス〈気づき〉の話が主。
先月の29日の夕方から30日午前中まで、ゆとり家の島田啓介さん(だーさん)家族がうちに泊まっていってくれました。すごく、いい時間が過ごせました。色々、勉強にもなった。確認できた、実践をする中でとても大切なことは、微笑むこと。微笑みと瞑想はセット、むしろイコール、みたいなのが、ティク・ナット・ハンの言葉に触れていると当然のこととしてあるんだけど、べつに一般的な認識ではないんですね。その効果は絶大だし、瞑想をする中で、はまり込んだり、自分の心の癖を強化したり、っていう危険もかなり少なくなりそうです。微笑んでますか?今。

更新遅くなりましたが先週のひとつぶ便りでーす。

ひとつぶ便り 180号(2014年8月29日便)
 いつもありがとうございます。ずーっと雨の予報だった割には晴れが結構続いて、葉物の種まきや白菜の苗の植え付けなどもできました。そしてその後雨も降り、作業的にはなかなか良い感じ。しかし!もうだいぶ涼しくなったからか、先々週の長雨の影響なのか、野菜たちはなかなか大きくならず、熟さず、という感じで収量がすごく少ない。毎年野菜が余って大変な時期なのに、今年は全然余らない感じ。まぁ、自分たちで食べる分には困りませんが、今年は凶作って感じです。売るものがない!という状況。なかなか・・・。今日(27日)は、昼間も20℃を超えないくらいで、肌寒かったです。

今週の野菜セット
 というわけですが、今週も採れた野菜をお届けします。
 少しジャガイモの話でも。ジャガイモは毎年たいてい種イモを買って、それを植えて育てていますが、今年のアンデスレッド(赤い芋)とオオジロは、全て去年の僕らの畑で採れたイモが種イモです。昨年、天候不順のため種イモ農家さんが思うように育てられなかったようで、いつも買っている種屋さんでほとんど扱いが無い状態でした。で、うちのジャガイモも春まであったので、じゃあうちのイモでやろうか、ということで、やってみました。毎年、自家採取の種イモを使ったりもしますが、今年ほどの量をまいたことはありません。キタアカリは買うことができたので、買って植えましたが、これがほとんど発芽せず土の中で腐ってしまう始末でした。なので、結局キタアカリも自分のところのイモを植えなおしました。そうしたらほぼ発芽。今年に限って言えばうちのイモの方が買った種イモより断然よかったです。

ゆとり家への旅 その2
さて、先週も書きましたが、毎週お送りしている方がほとんどいない為、また始めから書かなければいけないような気もしますが(笑)、前回書けなかったことを中心に書こうかな。前回と重複する内容もありますが、コピペはしないでまた書きます。書く時によって、たぶん全く異なる表現になるし。
今月10日、台風の中、神奈川にある「ゆとり家」というところへ行ってきました。そこは、僕の大好きな禅僧、詩人のティク・ナット・ハンの翻訳をよくやっている島田啓介さん(通称「だーさん」)家族の家です。その家を開放して、ヨガや瞑想会、農業体験、などなど色々なワークショップを開いている場所。僕は今回、「気づきの日 一日瞑想会」というのに参加してきました。すごくよかった!

僕が5年前に出会い、人生を救われた〈気づき〉の瞑想と呼ばれるこの手法は、仏教の最も古い教えの一つです。それは、「今ここ」を生きる実践。サティ=マインドフルネス=念=〈気づき〉という言葉は、数ある経典の中で最も多く登場する言葉の一つだそうです。それが、苦しみを少なくし、無くす為の最重要項目ということ。仏教に、四念処経(4種の〈気づき〉の確立についての経)と、安般守意経(呼吸への完全な〈気づき〉についての経〉というお経があって、それは抽象的に何かを説明したものでもなければブッダの行動などについて述べられたお経でもなく、ただ具体的な実践についてのみ述べられたもの。神様も宇宙も出てこないし、「こう考えろ」みたいな話でもありません。例えば「息を吸っている時は、息を吸っていることに気づく。息を吐いている時は、息を吐いていることに気づく。」というようなことが書かれています。
僕らが生きている一瞬一瞬、例えば呼吸をしていることに、座っていることに、歩いていることに、食事をしていることに、会話をしていることに、パソコンで文字を打っていることに、気づくということ。自覚的、無意識でなく意識的でいるということ。僕らは1%程度の自覚で何かを行えるそうですが、それを100%に近づけていくということ。また、自分の快・不快・中性(どちらでもない)という感覚や、怒っている、喜んでいる、悲しんでいる、楽しんでいる、平静である、というような心の状態に、自覚的でいる、そういう実践です。
強烈な体験を味わうような瞑想を知っている人には、この〈気づき〉の瞑想は「地味」と言われることがあるようです。現実をありのまま見るだけのことだから。でもやっていけば、「現実をありのまま見るだけのこと」が、どれだけの奇跡か、わかります。臨済宗の祖、臨済はこう言ったそうです。「奇跡とは空を歩くことではない。大地を歩くことだ」と。今、目の前にあるもの、自分、全てが奇跡です。
 と、まぁ先週と同じく〈気づき〉の説明で紙が埋まっています(笑)。とにかくまぁ、何か特別なことをするわけじゃなく、全ての瞬間を特別にする、という感じ。今回ゆとり家でやったのも15分沈黙し、食べる為だけに食べる、食事の瞑想とか、どこも目指さず一歩一歩に気づきながら歩く、歩く瞑想とか、座る瞑想とか、普段やっていることを、より自覚的に、意識的に行う、ということです。みんなで〈気づき〉の実践をすることは思いのほか楽しかったし大きな優しい力を感じました。

一日瞑想会が終わったあと、ゆとり家のだーさんとは、同じくらいの子どもを持つ親として、子どもと〈気づき〉の話で盛り上がりました。いかに子どもたちに実践を伝えていけるか、とかいう話で。
うちの子、花野ちゃん(かや・2歳)は、すごく「今ここ」を生きている感じがします。そして、すごく楽しそう。その姉の葉菜ちゃん(はな・5歳)も、楽しいし幸せだと思うけど、僕ら大人から良いことも悪いこともいっぱい学び、「今ここ」にいることに関しては既にかなりできていません。僕と同じく、よく過去や未来、ここではないどこかに、意識を飛ばします。それはべつに何も変なこととかではなく、とても一般的なことだと思います。子どもも大人もそのほとんどが、「今ここ」をほとんど自覚せず、意識せず、気づかずに生きています。でも、幸せは「今ここ」を生きる中にこそある、というのが体験からの実感。僕はこの実践においてまだまだ入口に立ったばかりの初心者だけど、それでも奇跡と呼べるくらいの良い変化を感じています。もちろん現在進行形で。だから、子どもたちにも、どういう形ででも「今ここ」を生きる実践を伝えたいと思う。それは誰もがもともと持っている力だけど、そこから引き離すものが圧倒的に多い社会です。その社会の中で生きる大人たちは、ほとんど「今ここ」を生きていません。子どもは大人から学ぶわけで、そんな大人を見ている子どももまた、「今ここ」を生きられなくなります。うちの場合は、5歳で既にそうだと感じます。僕ら大人としてはいかに、その感覚を忘れさせないか。邪魔をしないか、そういう話だと思います。僕が実践を続けることも、娘たちにとって極めて重要。
そんなことで、だーさんと「八ヶ岳〈気づき〉の瞑想会 子どもプログラム」みたいなのを来年やろうかと言っているところ。ティク・ナット・ハンのフランスの共同体「プラム・ビレッジ」には子どももたくさんいるし来るし、対子どものノウハウもどうやらすごく豊富です。そのへんも参考にしながら。健


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://hitotsubufarm.blog.fc2.com/tb.php/212-c5a88486
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad