ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 183号

どうも。今日もお越しいただきありがとうございます。
現在うちはキッチンをリフォーム中。キッチンが使えない為、外で薪の火でご飯炊いたりしています。結構楽しいし、ご飯も美味しく炊けるし、なかなか良いです。

長野に来た頃から付き合いのある友達の大工さんに頼んでやってもらってます。知り合いからシステムキッチンをもらったんだけどうちのキッチンじゃ入らないので、隣の部屋との間の壁を壊そうってことになり、それなら床も張り替えるか、ってことですごく素敵なキッチンになりそうでござる。キッチンにあるもの全て他の部屋とか廊下に移動、ということで、冷蔵庫がリビングにあったり、廊下に食器棚があったりして、なかなか前衛的なお家になっています。トイレに行く廊下が食器棚で半分以上埋まっているので、トイレに行く際は横歩きをしなければなりません(笑)。

では先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 183号(2014年9月19日便)
 いつもありがとうございます。ここ一週間は晴れが続いて、昼間は気温もそこそこ上がっています。晴れていても秋の涼しい風が吹いています。朝晩は10℃近くまで下がるようになってきて、かなり肌寒く感じます。日が落ちるのも早くなってきました。6時くらいには暗くなり、6時半にはもう真っ暗という感じ。夏至からもう3か月ですか。夏至の頃は7時半くらいまで明るく、それまで畑で仕事ができるので、それと比べるとだいぶ昼が短く夜が長くなってきた感じがします。必然的に子ども達と過ごす時間も増えてきて、嬉しいです。
 この時期になるともう種まきも植え付けもほとんど終わっていますが、ニンニクは毎年9月15日頃に播きます。今年はちょうど15日にやりました。ニンニクはこれから芽を出し、長い長い冬を越え、収穫は来年の初夏。たくましい!冬を越えるのは小麦も似たような感じ。小麦は10月に入ってから播く予定で、今は畑の草を機械でバラバラにしたりして、播くところを準備中。今年は、去年に比べてだいぶ不作だったので、来年はたくさんとりたいなと思っています。たくさん使うので。パンも焼くし、おやつも作るし、料理にも使うし。たくさんとれたらうどんに加工してもらったりだってできて、皆さんにお届けすることもできます。がんばるぞー。

今週の野菜セット
 ゴボウとか人参とか、大根葉とかカボチャとか、先週と比べてがらっと秋っぽいセットとなりました。季節によって、食べたいものが変わってくるのはおもしろいなと思います。今はビニールハウスでの栽培があるからで年中どんな野菜も食べられますが、そういうちょっと無理のある栽培をされた野菜と、旬の野菜とでは味が全然違うし、栄養価もだいぶ違うようです。その季節の旬のものを食べる、というのがいちばん贅沢なことだと思います。

子どもたちのこと
 葉菜ちゃん(はな・5歳)も花野ちゃん(かや・2歳2か月)も、当然のことながら着実に成長しているのを感じます。葉菜ちゃんの物事の理解力がだいぶ育ってきて、よりスムーズに会話できるようになったなと感じます。2人で会話するのが楽しいです。今まで楽しくなかったとかいうわけではありませんが、すんなりわかってくれたり、わかりやすく話してくれたり、ということができるようになってきたので、より楽しく話せるようになったと感じます。
 最近少し、驚いたのですが、井上雄彦さんの書いている車いすバスケなどが題材の『リアル』というマンガを読み返していて、今まで主人公3人(18~19歳男子)に共感することしかなかったのに、この前読んでいたらその親たちに共感を覚えました。その視点から見えたというか。主人公の一人、高橋君の、小学校時代の回想とかを、そのお父さん視点で見ているっていう感覚。なんか、葉菜ちゃんが成長してきて、小学生の葉菜ちゃんとかも想像できるようになってきたからこその感覚かと思います。もともと、読み始めた頃はこの主人公たちと同じくらいの年齢だったし、野宮君は結構体質とか性格とか似てる部分を感じるし、高橋君は誕生日が一緒だし(笑)、戸川君は兄に似てるなって思ったりで、この物語の中で彼らにしか興味はなかった。その頃の自分には、高橋君のお父さんに感情移入できるような日が来るとは思ってもみませんでした。もともとすごくいいマンガだと思っていたしもともと大好きだけど、新しい見え方がして、ますます好きになりました。ちなみに『リアル』は一年に一冊だけ出ます。主人公たちとはどんどん年が離れる(笑)。既にたぶん、主人公達と僕の年齢差と、主人公達の親と僕の年齢差、ほぼ同じくらいになってきたのではないかと思います。そしてどんどん親たちの年齢に近づくってわけですね。学生としても、親としても感情移入できるような人物の描き方、作者の井上さんの力量というか、人としての深みというかを感じます。
 回想シーンの中だけでなく、18歳くらいの主人公達すら「子ども」として見えてくるのがまた、おもしろい。新鮮な感覚。別に普段、例えば葉菜ちゃんの将来を想像したりすることはないし、しようとも思わないけど、赤ちゃんの時や、もう少し言葉が拙かった時よりも、将来の姿は想像しやすくなっているのだろうなと思います。だから、18歳の子を持つ親の気持ちも想像できるようになったのかなと。まぁわかりませんが、おもしろいなと思います。
確かなことは、産まれた時から5年も一緒にいる葉菜ちゃんには、それだけ特別な思いが湧いています。親も子もそれぞれ感じ方は全く異なると思うし、それは誰にでも共通の、普遍的な感覚でもないだろうと思います。あと、そこに血のつながりがあるとかいうこととは全然関係ないと思います。例えば今、何らかの理由で彼女と自分の血が繋がっていないと告げられても、葉菜ちゃんに抱く感情は特に変わらないと思う。お腹の中で育てた経験もなく、産んだ経験もない僕ら男親たちにとっては産まれてから後の日々こそが大切なものだと思います。濃密だったり強烈だったりする体験をできない僕らは、子ども達とは他人とそう変わらないところからの関係から始まるわけですが、その距離感も悪くないなと思います。どこまでいっても他人、みたいな部分もより大きいと思うし、それもそれでいいなと思います。

 ある程度放っておいたって子どもは育つものだと思いますが、今のこの日本の社会のあり様が、無防備に送り出すにはあまりに厳しい、苦しい場所のような気がしています。直接的に、間接的に、差別も暴力も、溢れています。そしてありのままの命を認めてくれる場所なんて、本当に少ないと思う。例えば学校に行けば、勉強ができるからとか、運動ができるから、あるいは絵が上手いから、歌や楽器が上手いから、という理由で褒められ、順位をつけられ、そこに自分の価値を見出せなければ劣等感を抱きます。僕は、葉菜ちゃんたちに対して、自分に対して、全然それができてない現状がありますが、もっと、「全て」を受け入れたい。むしろ受け入れられなきゃおかしい!と思っています。環境が良かったら、子ども達はさほど苦しまず、身心共に健康で育つものだと思います。環境が良かったら、親が特に何かがんばらなくてもいいのではないかとも思います。でも今はたぶん違う。大人たちが揃いも揃って苦しんでいるような状況、3万人かもっと多くの人が自ら命を絶つこの社会において、「親」というポジションにいる人間が果たせること、果たすべきことが、たくさんあると思います。まずはありったけ、愛情を注ぐこと、伝えることが、大切だと思います。そこにあるものでも、伝えなければ伝わらないものかもしれないし。
 あと例えば、子ども達をまるごと認めるには、僕ら自身が自分をまるごと認める必要があると思います。子ども達が幸せに生きる為の力は、幸せに生きている人にしか伝えられないのではないでしょうか。自分自身を大切にすること、それはどんな人にとっても極めて重要なことだと思っています。   健
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