ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 186号

どうも~。今日もお越しいただきありがとうございます。
台風ですね。先週無事稲刈り終わらせて、麦も昨日播けたので、とりあえずよかった。この大雨で大きな被害がないといいなぁ。

では先週のひとつぶ便りです。おやすみなさい。

ひとつぶ便り 186号(2014年10月10日便)
 いつもありがとうございます。今夜(8日)は皆既月食。赤い月から、だいぶ明るい色になってきました。先月、家族4人で中秋の名月を見た部屋から、今日は月食を見ました。月を見るのもいいですね。ほんときれいだなって思います。言葉にしようと思うとどれも野暮になる感じがします。
皆さんのところでは台風の影響はいかがでしたでしょうか。こちらは雨の量がすごかったです。やたらと降りました。うちの田んぼ、まだもち米の1枚が残っていますがうるちの2枚は4日に稲刈りと稲架(はざ)掛けをしました。稲を刈る3週間前くらいには田んぼに水を入れるのを止めて水を切って、稲を刈るときはもちろん水は無い状態なのですが、5日、6日の雨ですっかり水が溜まっています。もち米の田んぼももちろん浸水。まぁ、金曜日くらいには刈れそう。また台風も来るかもしれないし、早くやってしまいたいな。
 今回の稲刈りも例によって(笑)、バインダーという機械の調子が悪く、最初なかなか思うように刈れなくて苦労しました。農機具屋さんに持ち込んで、見てもらって、一か所明らかにひどいところを見つけてもらい直してもらって、また使い始めたけど結局またうまく刈れず、「なんかここっぽいな・・・」というところを開いてみたらドンピシャで、そこのゴミ(おそらく何年か分)を取り除いたら非常に調子よく刈れました。借りている機械ですが、最近は使う度にどこか異常が見つかります。元研修先にあるもので、だいぶ古くかなりボロボロ。毎回違うところが調子悪くなるので、だいぶこの機械への理解が深まってきた気もします(笑)。
 
ところで今月20日には、酒蔵での勤務が始まります。今シーズンもやります。少し体制も変わったりするようで、緊張する部分もあります。新たに有機農家仲間が入ったりもするし去年よりは分かることも多いので、また楽しくやれたらいいなと思います。野菜セットの出荷は1月いっぱいくらいまで続ける予定なので、農作業と並行してやっていきます。
今週の野菜セット
 紹菜(タケノコ白菜)初登場です。カブとかもたくさんで、秋野菜どーん!!なセットです。寒い夜にはお鍋が最高です。うちは肉はほとんど食べないし、魚は月に一度くらいしか口にしないので、鍋は野菜だけ、野菜主役の野菜鍋です。4人でたーくさん、食べます。美味しい!花野(かや・2歳3か月)ちゃんは小松菜やかぶの葉っぱ、紹菜など葉っぱが大好きらしく、他の野菜よりお米より、葉っぱばかり食べているときもあります。カボチャより葉っぱを好むようです。

器の話 その2

 「ひとつぶ便り 176号」で触れた「器」の例えの話、その後また理解が深まったので紹介しておきます。これは、僕の友達の中でもとりわけ変人であり、尊敬する人間であるD君からの話。彼は幼少時代、人との関係を築くことなどが非常に苦手で、どうやったらうまくいくかを色々と考えまくり、試していった中で編み出したものの一つが人を「器」に例える方法。「何かに例えようかな」「何に例えようかな」という時に、慣用句的にも良く使われる「器」というものを選択したそうです。初めは精度も悪く、粗い例えだったのものが、時を重ねるうちに、正確ではっきりしたものになっていったらしい。別にオカルトでも超能力でもないけれど、30年の経験による技術ってすごいですよね。習慣としてそれをやり続けている何かの能力は、時を重ねれば他の人には信じられないようなレベルに達します。彼が人を「器」に例える能力は、そういうレベルのものだと僕は思っています。さらに、自分の考え、みたいなものに囚われないD君は、例えが間違っていたときにすぐ修正できるという特性もあります。純粋に深めてきたその力、とんでもないものだと思います。
 さて、D君の用いる「器」の例えは、人それぞれの持つコミュニケーションの特徴について掴むもの。だから「受け口」と「注ぎ口」がポイント。「器」の中身は、注ぐときは液体、「器」にとどまっているときは気体、のようなイメージ。コミュニケーションの上手い人は、受け口と注ぎ口が分かりやすい形の器だったりします。例えばポットや急須のような。あと、例えば蛇口のような注ぎ口がついている人は、情報の伝達が上手な人。みたいな。D君から見た僕の例えは、陶器の大皿。受けるのはあまり問題ないけど、注ぐのは苦手。って感じ。ちなみに男性で食器系は珍しいそうです。
 D君の用いるその例えはものすごく多彩です。そして、それは全く優劣の話ではありません。それぞれにそれぞれの特徴がある、ということを理解するのに役立てるものであって、いがみ合ったり蔑んだりする為のものでは絶対ありません。で、彼のようなクリアな思考を持っておらず、30年鍛錬したわけでもない僕やほとんどの人には、この例えはきっと使いこなせません。じゃあなんでこれを書いているのかというと、「人はそれぞれ、みんな違う」ってことを、この例えがわかりやすく教えてくれるから。「あの人は器が大きい」とか言うけど、D君の例えで聞いた中で大きいサイズの「器」は、大型貯水施設、みたいなものがあったりします。その人の場合は水道の蛇口、みたいなものが着いているので、受け入れられる情報量が膨大で、欲しい人は欲しいだけ受け取れる、というような感じ。ただ、小回りは利かず、自分から動くことはできない、というデメリットもあったりします。例えば「コップ」の人が、「大型貯水施設」の人を見て、「あの人は器が大きいなぁ」と言って劣等感を抱くことが、あるわけです。でも、コップの役割を、大型貯水施設がまかなえるわけがない。食卓のコップが、大型貯水施設になってしまったら困ります。そもそも比べません。そんなの当たり前なのに、僕らはしばしば間違えます。「樽」の人が「バケツ」の人に、「お前は器が小さい」って言って嘲るのも同じこと。大小、それはただの特徴。優劣ではありません。樽の役割をバケツはできないけど、バケツの役割を樽ができるはずもありません。これだけの例で少なくとも、器の大小が優劣だと思うことがいかに浅はかで愚かなことか、分かります。
 僕が彼のように例えることは無理でも、人の特徴はそれほどに多彩なんだと知っておくことはできます。役割も、使う場所も、全然違う「器」たち。例えば、コップも、ポットも、バケツも、皿も、花瓶も、樽も、貯水タンクの人もいるわけです。中には風鈴(逆さの「器」)っていう珍しいケースも。D君が人の受け方、伝え方の特徴を捉えようと思ったらそれだけの幅が必要だったということ。人はそれぞれ、みんな違います。その違いの大きさってこれ程か!!と、この話から思います。そして、そこには優劣があるわけじゃなくただ違いがあるだけ、というを感じられるのが嬉しい。それぞれの違いを無くすことではなく違いへの理解を、というか、まず違うということを理解することが、大切だと思います。  健
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