ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 189号

今日もお越しいただきありがとうございます。酒蔵で米を蒸す日々です。なかなか楽しい。麹とか、うちでも日常的に使えたら楽しそうだなと思ったりします。で、家でも甘酒作ったりして遊んでいます。家に帰っても米蒸したりしています(笑)。

では先週のひとつぶ便りっす。
ひとつぶ便り 189号(2014年10月31日便)
 いつもありがとうございます。だいぶ寒いです。朝は霜が当たり前、みたいな時期になってきました。今夜もストーブ焚いています。僕らの住む佐久穂町はとても寒いです。現在の冷え込みが、東京などでは一年で一番冷えているときの気温にあたると思います。1月、2月の最も寒い時期は-20℃近くまで下がります。昔は-20℃より下がることもざらだったそうですが。まぁ、ここはとにかく寒い場所。今の寒さはまだまだ、動ける寒さで、まだ余裕があります。
お酒造り
 僕は冬期間の仕事として去年に引き続き家から10分ほどの黒澤酒造という家から車で10分ほどの酒蔵で働くことになって、今月20日から通っています。出荷の日は午後に休みをもらったりさせてもらったり、土日は午後があいたりするのでそういう時に畑の片づけや、まだ残っている収穫などの作業をしています。僕が畑に行けなくてもゆっこさんがいてくれるので、なんとかできる感じです。初出勤から一週間が経ち、農業をしているのとは全く違う環境にまだ体も心も慣れないところがあって、疲れているなと感じます。徐々に慣らしていきたいです。2度目のシーズン、忘れていることも、そもそもわかっていないこともたくさんありますが、去年より自分の持ち場の楽しさがわかるような気がします。僕がやるのは去年に引き続いて「釜場」というところで、主にお米を洗ったり蒸したりするところ。作業についていくだけで精一杯だった去年より、多少なりともできること、わかることは増えました。酒母、麹、もろみ、全てに関わるお米を蒸す作業は、蒸したあとのことがしっかり想像できたり実際見たりできると、全く違った見え方がしてきます。やっていること、やれることはほとんど変わらなくとも、楽しさの感じ方が全然違うように感じます。
今シーズンも、美味しいお酒を造って、飲みたいものです。自然の恵みに感謝しながら。日本酒はお米から作られます。酒造りをやっていればそれはものすごく実感を伴いますが、大量のお米から、作られています。僕の働いている蔵はそう大きなところでは無いようですが、それでも多い時は一日に合計3トンくらいのお米を蒸します。お酒を飲む時は、日本や世界の飢えている人たちのこととか、頭に置いておかなきゃなと思います。先進国の人がお酒を飲む量を少し減らせば、世界から飢餓は無くなるそうです。お酒を飲む時も、一粒一粒のお米に感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。
 食べ物を浪費し、容赦なく捨てるのが僕らの生きている社会です。どうやって生きていても何かしらの搾取への加担をしています。どうあっても誰かに迷惑はかけるけど、そこに無意識でいるか、はっきりと意識しておくかだけでも、大きな違いがあると思います。自分の中でも、世界に対しても。
今週の野菜セット
 霜に当たってより柔らかく、より甘くなった葉ものたち。美味しいです。お楽しみください!ブロッコリー、カリフラワーなども絶品です。この時期にしかない味わいを、感じてみてくださいね。煮物やお鍋が美味しい季節になってきました。
 寒くなってくるこの季節、太陽の暖かさにありがたさを感じます。また、冷たい風が野菜の味を良くしてくれたりもします。北風と太陽、この場合は協力的な感じがします。
ものの見え方
 子どもが両親のどちらに似ているとか、よく出てくる話ですが、それぞれ全く見え方が違うということが良く分かります。例えばうちの場合も、葉菜ちゃんは母親のゆっこさんに似ていて、花野ちゃんは父親の僕に似ている、という人もいれば、全く逆の人もいます。どちらもゆっこさんに似ているという人もいます。当の僕やゆっこさんは、娘2人が自分たちに全く似ているように見えません。姉妹が「似ている」と言われることもありますが、全く似ているようにも見えません。誰が正しいなんてことはなく、その人にはそう見える、というだけの話だと思います。こういう「誰に似ているか」の話を聞くたび、それぞれの見え方が違うということの、その違いの大きさに驚かされます。同じものを見て、同じようには見えていません。それは、他の物事についても同様なのだと思います。自分にはそうとしか見えないことでも、他の人から見たら全く違って見えることが、よくある。同じように見えている人なんて、むしろいないのかもしれません。子どもがどちらの親に似ているか、ってのは挨拶みたいな話題で、内容に深い意味はない場合がほとんどだと思いますが、そうではない話題の場合、そこの見え方の違いは、争いの火種にすらなりかねません。自分の見えている世界、自分の思う「普通」や「常識」というのがいかにあやふやなもので、他の人と共通のものではないということを、よくよく知っておく必要があると思います。
 同じものを見たら、同じように見えるわけではありません。というか、たぶん誰も、同じものを見ていないということだと思います。
娘たちのこと
 花野(かや)ちゃんは現在2歳5か月。よく喋ります。だいぶ滑舌よく話せるようになってきたので、遠くで声だけ聞いているとお姉ちゃんの葉菜(はな・5歳)ちゃんと間違える時があります。言葉がなかなか上手になってきました。意思を伝えるのがスムーズにできるし、会話もできます。言葉の返し方とかにセンスも感じるし、表現が素直なぶん、僕なんかよりよっぽど言葉で伝えるのが上手だなと思います。
 その姉、葉菜ちゃんは、花野ちゃんとは全く性格が違って表現の仕方も異なりますが、言葉で素直に伝えてくれます。ちなみに花野ちゃんは不満があれば怒り、葉菜ちゃんは嘆きます。娘たちや僕自身が、どんな感情であれ、気持ちであれ、感覚であれ、それを素直に受け止められるといいなと思います。例えば怒りも悲しみも、それは排除すべきものでも戦わなきゃいけない相手でもありません。認めて、見つめて、微笑みかけるべき相手。そうやって向き合うことができたなら、変えようとしなくてもそれは変わっていきます。もっと、平和的で建設的なエネルギーに。葉菜ちゃんが泣きわめき、理由を聞いたら「そういう気持ちなの!!」と答えることがあります。この捉え方、すごくいい感じなのではと思います。泣いてはいけないなどと思ってしまえば、泣くのにいちいち理由が必要になります。でも、そんな理由は後付けしたものにすぎません。実際は多くの場合、「そういう気分だから」という説明の方が正しい捉え方のような気がするのです。
 色々な事情から、普段僕らは自分の気持ちをごまかしたり、見ないようにしたり、抑えつけたりすることにとても慣れていると思います。でもそうやって遠ざけられたりした気持ちは自分の一部。それを避けることは自分を避けることで、それはとても苦しいこと。もっと素直に、向き合いたい。子どもたちにも、今のように素直に自分の気持ちを捉えることを、忘れないでいて欲しいなと思います。    健
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://hitotsubufarm.blog.fc2.com/tb.php/221-059aee03
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad