ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 192号(赤ちゃんの見ている世界)

今日もお越しいただきありがとうございます。先週のひとつぶ便りです。どうぞ~!

ひとつぶ便り 192号(2014年11月21日便)
 いつもありがとうございます。今年の11月は比較的暖かい感じでここまで来ていましたが、いよいよ大霜連発、みたいになってきました。寒いです。朝は畑など、霜で真っ白になっていてとてもきれいです。ここのところ強い風が吹き荒れる日も多く、その影響で家の前のビニールハウスの天井のビニールがビリビリに裂けてしまいました。しかしまぁ、よくここまでもってくれたなという感じです。そもそも発注を間違えた安物のビニールだったのが、6年くらいはもってくれました。今年2月の大雪にも耐えてくれたし。よくがんばってくれました。そのハウスの中で、少しだけ葉ものを育てているのと、取り入れた大豆を干していました。その大豆、全部にシートをかけるのも移動するのも大変だし、次の雨が来るまでに脱粒(さやから豆を出す)したいなと思って、酒蔵は午後の半日休みをもらい、農協で機械を借りてきて、やりました。大豆スレッシャーというこの機械、僕らは初めて使いました。農協の機械は予約制で、この時期は同じ作業をどこの人もやりたいので、なかなか予約に空きがありませんでしたが、ちょうど17日は週間予報で雨予報があった関係か、空いていました。天気予報をそんなに信頼してもいないので(笑)、その日に予約。結局17日はパラっと小雨が降った時間がありましたがほとんど降らず、無事に大豆の脱粒をすませられました。いつもはゆっこさんが冬の間、少しずつ、できる時間に作業(棒などで叩く)なのですが、2時間ほどで終了。機械恐るべし。しかし機械の中をのぞいてみれば、足踏み脱穀機みたいなもの、千歯こきみたいなもの、があるのが見えて、発想は先人にあやかっているものなんだなと思います。ちなみにお米の脱穀をするハーベスターという機械は、足踏み脱穀機と、ふるいと、唐箕を一つにしたような機械。そういう昔のものの優秀さを、機械から思い知らされたりします。実際に現在も、小規模であれば足踏み脱穀機で稲を脱穀している人もいます。よく農家の納屋に眠っていたりするし、新品でも金属製のものが売ってもいます。唐箕はもうちょっとポピュラーに使われているのではないかと思います。唐箕は義父が持っていて、うちも何かと使わせてもらって重宝しています。人力のみで動く道具は、かっこいいなと思います。石油で動く機械の力は偉大ですが、工夫された手で扱う道具や積み上げられたノウハウ、そして人の数さえ確保できるなら、割とどんなことでもできる気がします。
 今年は夏野菜がとても調子悪かったのですが、お米の出来は悪くなかったし、人参、ゴボウなどは過去最高にとれました。大豆も今まででいちばんとれて、嬉しいです。
今週の野菜
 畑がいよいよ本格的に凍り始め、葉ものやカブなど、そろそろ終わりそうです。これからは、取り入れて貯蔵しておいたものや、加工品などのセットに変わっていきますが、今週は畑の野菜たちのもうひと踏ん張り。をお楽しみください。友達とお鍋を囲むことが多いです。日々、野菜たっぷり食べまくっています。
 ちなみに今回のじゃがいもの袋は葉菜ちゃん(5歳)がせっせと作ってくれました。無理に作らせたわけではなく(笑)、ゆっこさんが作っていたら一緒に作り始めて、「もっと作る!」とどんどん作ってくれました。ありがとう~。

娘たちのこと
 と、いうように最近はよく、自発的にお手伝いしてくれる葉菜ちゃん。ほんと助かります。また、最近は平仮名ブームで、読んだり書いたりをよくしています。だいぶ前に一度、だいぶ覚えていたのですがまだそんな時期ではなかったか、忘れて、また覚えだした感じです。読むのはほとんど問題ないようで、ゆっくりならば絵本も自分で読めたりします。厚めの絵本を全部読むにはまだ大変すぎるみたいですが。僕らは特に教えもしていませんが、義父が熱心に教えてくれているようです。葉菜ちゃんも、数字とか文字とか好きなようで、どんどん吸収しています。幼稚園でも手紙をみんなで回し合うのが流行っているみたいで、それもここ最近の上達の要因でしょうか。好きであるなら、どんどんやっていけばいいと思うし、そうでもないのなら無理してやらないで欲しいなと思います。
 花野(かや・2歳4か月)はどんどん言葉が達者になっています。日々、スムーズに喋れるようになっていっています。彼女は性格が基本的に陽気で、よく笑わせてくれます。いつでも楽しませてもらっています。

 2歳ともなれば、もう完全に赤ちゃんではなく子ども、という感じです。「子ども」と呼ばれる人たちの見ている世界は大人の見ている世界とはだいぶ違うだろうけど、赤ちゃんと子ども、子どもと大人、を比べた場合、前者の方が、世界の見え方の違いが大きいのではないかと思います。赤ちゃんの見ている世界。どんなでしょうか。たぶん、見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、全ての情報が等しく存在する世界。生きていけるように、その情報を切り取り、絞り、順位をつける等々のことをしていって、赤ちゃんは子どもに成長していくのだと思います。ヘレン・ケラーの「WATER」にあたることを、誰もが経験しているのだと思います。何も手掛かりのないところから、何かを理解していくということを。覚えていますか?その感覚、今はわからなくても、僕らは忘れているだけです。
 誰が最も真実に近いものの見方をしているかと言えば、たぶん赤ちゃん。その切り取る前の情報こそが、真実に近い見え方。全くそこから離れてしまっている大人と、まだ結構覚えている子ども。僕ら大人は、子どもたちにものの見方とか考え方とか教えようとすることがあるけど、果たしてどちらが教わる方なのか。例えば言葉もそうですが、世の中を生きていく上で便利な方法がたくさんあります。その方法を教わること、学ぶことは子どもにとって大切なものだと思いますが、その方法が真実だと思ってしまったらそれは間違いです。例えば言葉は、情報を伝達する手段であって情報そのものではありません。でも誰しも常々、その手段をそのもの自体だと思い込んでいるような気がします。
 僕らの行動や言動、考え、それぞれどれも、生まれたばかりの時には知らなかったもの。できなかったこと。僕らは成長して、それができるようになったけど、その結果、切り取る前の、全てが平等に存在している、情報の本来の姿を見ること、その見方を忘れてしまっています。周りの人間を見たりして、それが必要ないと思ったから、たぶん子どもの頃にほとんどの人がその見方を忘れてしまったのではないかと思いますが、思い出すべきものだと僕は思います。僕らの目の前の世界を、いかに切り取るかは確かに大事なことですが、まず何より、「切り取っている」という事実を知った上でやった方がいいと思います。赤ちゃんの目線、大人の目線、どちらが優れているとかそういう話ではなく、どちらも大切。どちらも大切なのに、赤ちゃんの見え方は、僕らはほとんど忘れています。世界はきっともっと美しく、楽しい。健
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