ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 208号

今日もお越しいただきありがとうございます。昼間とはうってかわって静かな夜です。
さっきちょっくら踊ってきたのでなかなかいい気持ちです。
では先週のひとつぶ便りです。どうぞ~。

ひとつぶ便り 208号(2015年6月19日便)

 いつもありがとうございます。信州も梅雨に入っていますが、ここ一週間はそれほど降っていません。たまに降って、雲が多い日も結構あるので、畑はちょうど良い湿り具合です。4月、5月、とやたら暑い日が続いて、「4月なのに」「5月なのに」暑いと言っていましたが、「6月なのに」と言いかけて、既に当然暑い時期になっていることを思い出します。カエルも虫も鳥も、とにかくにぎやかになってきました。色々な生き物がたくさん見えるし、たくさん聞こえます。冬の静かな畑とは色も音も全く違います。極寒の冬にこのにぎやかな畑はとても想像できないし、今、冬の真っ白な景色を想像することなんてありません。でもどちらもつながっていて、夏があるから冬があり、冬があるから夏があって、どちらかが無ければまたどちらかもありません。静かな静かな冬の、土の中とか木の中、家の周り、どこかでこの賑やかな命たちが命をつないでいるわけですね。種とか卵とか胞子とか、様々な形で。「ひとつぶ農園」という名前は、まだ自分がどういう暮らしをしたいかとか、今ほどはっきり見えていなかった頃につけたもので、割と漠然とつけたものですが、その頃から持っているイメージとして、「冬」というのがあります。なんというか、春、「一粒の種から始まる」というところより、秋、「たくさんの種をつけて命を終える」という部分を大切にしたい気持ちがありました。そして浮かんだのは雪に閉ざされた世界と、その中で命をつなぐ種たちの姿。だから、僕の中で「ひとつぶ農園」という名前には「冬」のイメージがついてきます。そこの「冬」の部分は、僕の中でもともと意識しにくかった部分なのかもしれません。そこの部分さえつながれば、命の流れが感じられる。冬も夏も、分かれてはいません。それを感じるとき、なんだかうきうきするような、わくわくするような気持ちが湧いてきます。今これを書いていても湧いています(笑)。
 
「ひとつぶ」という言葉を出したついでに、もう一つ書いておきたいことはこの「一粒」のイメージは無数の粒の中の一粒、という感じだということ。「一粒」には「種」という意味も大きく含まれていますが、僕の中では「土」の粒子のイメージもあります。その一粒一粒、その感じ。無数の粒が集まって、土というものができています。
ふかふかの、水はけがよく、保水力もあり、通気性の良い「団粒構造」というのは土の細かい粒子がある程度集まった1センチくらいの塊、が大小様々集まった状態。「とても小さい粒」がある程度集まってできた、「小さい粒」の集まり、があるのが団粒構造。逆に、雨が降ればカチカチに固まってしまうような土は、そういう集まりがなく、「とても小さい粒」がそれぞれ分かれて存在する土で、これは単粒構造と言われます。水はけが悪く、通気性が悪く、植物が育ちにくい土です。田んぼの土とか、焼き物とかにはいいのでしょうが。
「良い土」と呼ばれる土の条件に、団粒構造というのはとても大切なわけですが、これは草や虫やミミズなど、土の中や上で生活する無数の生き物たちが生きて、死んでいく中で育っていくものです。単粒構造の土を人がいくらトラクターで耕しても、団粒構造が発達するわけではありません。生き物たちの様々な営みの中で、その構造は育ちます。土の上、土の中の生き物たちを根絶やしにするような農業をしていると、土はどんどん固くなっていきます。有機農業を長年やっている畑の土はふかふかですが、農薬をガンガン使う農業を長年やっている畑はとても固い。団粒構造の発達した土は本当にふかふかで、耕したあとなどは歩きにくいほどなのですが、そうではないところは耕してから少し経てば、歩いても深く足跡がつきません。そして植物は育ちにくい。農業を行う上で、トラクターはとても大事ですが、それ以上に雑草、ミミズ、無数の虫、彼らが「耕す」力が必要です。農薬などにより命の営みを奪ってしまった土はどんどん固くなります。そこには例えば堆肥を入れたりして、土壌改良しましょう、とか言われるわけですが、本来あるはずの土の働きを壊しておいて、そこに結局生き物たちの力によって作られた堆肥を入れる、というのはもう、滑稽ですらある気がしてきます。
 
幼稚園の田植え
 先週の土曜日(13日)には上の子、葉菜(はな)ちゃん(6歳)が通う「森のようちえん ちいろば」で田植えがありました。ゆっこさんの具合があまり良くない日だったので、僕が葉菜ちゃん、花野ちゃんと共に参加してきました。小さい田んぼ(2aほどかな)で、人数はたくさん!で、子供たちもたくさん!いました。全面手植えですが、何しろ人数が多いので午前中の2時間くらいで終わりました。
 子供たちは田んぼの一角に「遊んでいい場所」を確保され、服を全部脱いだりして泥まみれになって存分に遊んでいました。一部の大人も。で、植えたい子供と大人は稲を植えていきました。僕は専ら植えていました。手植え、楽しいので割と好きです。面積が広くて一人、とかだったらまぁそんなこと言ってられませんが。
 葉菜ちゃんも裸になり、泥まみれで遊んでいましたが、途中で稲を植えにきて、少しの時間一緒に植えました。なかなかきれいに植えていました。下の子、花野(かや)ちゃん(もうすぐ3歳)は泥につかって、誰か近くの大人に構ってもらいながら楽しそうに遊んでいるようでした。最後の方は彼女も少し植えていました。普段もそうですが、一度始めれば集中力があるので頼もしく作業してくれます。楽しい田植えでした。
 
 ここの幼稚園でもそうですが、「田植え」と「稲刈り」というのはイベントとしてやりやすく、「大事な作業をした」という達成感もあるものかと思いますが、田植えの前、田植えから稲刈りの前、稲刈りの後、ももちろん色々な作業があります。例えばこうして「田植え」というのがみんなで滞りなくできるためには、きちんと水の張れる、きちんと平らにならされた田んぼが必要です。そういう田んぼを作るためには、畦を作ったり畦シートを張ったり、丁寧に代掻きという作業をする必要があります。特に、僕らの住んでいるこのあたりは、水はけが良い土が多いので、念入りに代掻きをしないと水が田んぼにたまるようになってくれません。田んぼというのがいきなりできるわけではなく、一度作ったらずっと田んぼなわけでもありません。そこに田んぼがある、ということ自体がすごいことだというのは、自分が色々ヘタだということもあって、よく分かります。そもそもそこに田んぼがあるのは、誰かがそこを切り拓き、平らにならしたから。太陽や雲や雨があるから。一粒のお米を深く深く見つめれば、悠久の歴史も大いなる自然も、全て感じられます。それがいかに、僕たち一人ひとりとつながっているかということも。 健
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