ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 219号

今日もお越しいただきありがとうございます。雨ですね~。

先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 219号(2015年9月4日便)

 いつもありがとうございます。このところ、晴れ間すらほとんどない日が続いていましたが、今日9月2日、久々に晴れました!晴れればまだ結構暑くて、ほっとします。それでも風は涼しく、すっかり秋の空気です。野菜セットはまだまだ夏の野菜たちです。だいぶ勢いはなくなってきましたが、まだまだ元気。その環境に合わせて、野菜たちはいつでも全力です。子孫を残すために。その営みのどこかの部分を、僕らはいただいています。

差別的な意識
 8月30日は、全国一斉に「安保法案(戦争法案)反対」の行動が行われた日でした。僕らの住む佐久地域でも、デモなどやっていました。今回は一か所に集まる、というより細かく色々な場所で、集まりがあったようです。佐久市だけでも何か所も集まりがあって、参加したい人は近いところに参加できる、割と参加しやすい感じでした。一か所に集中的に集まるのではなく、こういう分散して小さく集まるのもいいなと思います。「一丸となる」とか「一枚岩」とか、そういう感じがいいものとされることも多いですが、それはちょっと違うと思っています。小さい単位でまとまり、それぞれが独立しつつゆるやかにつながる感じ。そんな感じが、健全で優しく、強いものである気がします。土の、団粒構造のように。
 安保法案に、賛成か反対か、だけで区切る線を引こうとする人たちがたくさんいます。僕は反対ですが、ただ、「反対」という分類に入れられ、こっち側とあっち側に分けてしまうのは、違うと思います。賛成の人たちも反対の人たちも、それぞれがそれぞれ、持っている知識が違い、考えが違います。表現する方法、手段などもそれぞれ異なります。僕は「反対」の立場だけど、ただ日常の鬱憤を晴らす為にデモに参加し、口汚く安倍首相たちを罵る反対派の人より、自分の頭で考え、真摯に話す姿勢を持った賛成派の人の方が、共感できることは多い、というようなこともあるわけです。ただの二項対立では行く方向を間違えると思います。たとえ、自分たちの目先の目標を達成したとしても。

 ネットでの書き込み、日常での会話、そういう中で、一人ひとりの心の中にある差別意識が見えてきます。性別、年齢、民族、障害、政治、いつでも様々な分野で僕らの多くはある特定の人たちを蔑視したり攻撃したりしています。今回の安保法案のことについても、賛成派は反対派を差別し、反対派は賛成派を差別しています。どちらも、大いにやっています。こういうことを言うのはもちろん全員ではないけど、ごく一部というわけでもないと思います。「反対」を表明すると、「賛成」の人たちの中に「非国民だ」「韓国人だ」「中国人だ」と言って、攻撃を始める人たちがいます。べつに韓国や中国の人に何の悪感情も持っていない人が言ったら差別発言でもなんでもないし、そもそも僕はちょっと意味がわからないですが、この場合は明らかに悪感情のこもった差別発言。そして同様に、「反対」の人たちは安倍首相を指して「人間じゃない」「ネトウヨだ」「精神病だ」とか、やっています。ヘイトスピーチ合戦とでも言うような感じ。これ、やめた方がいいと思います。
誰もがここまで過激に言ったり書いたりするわけではありませんが、程度の差こそあれ、心の中に何の差別意識も持たない人なんて、いないような気がします。僕自身の中にも色濃くあるものもあるし、それは他の人の中にも見えます。そういう意識と、自分の中の不安とか不満とか怒りとか、様々な条件が整って複雑に絡み合って、差別的な行動や言動が生まれてくるものと思います。
日常的に、「悪口」ってあると思います。自分が言うことも、誰かから聞くことも。僕は自分のことで思うのですが、誰かを悪く言おうと思って実行する時の基本は、その人を理解しようとしないこと。その人との直接の対話をせず、その人を良く言う人の意見などを聞かず、自分が差別的な意識を向けている何らかの分類に押し込めて、「あいつはダメだ」と言うわけです。逆に言うと、そうしなければ悪口は言えません。その人を理解しようと努めるなら、その人の人格を攻撃するようなことはたちまちできなくなります。と、僕にとっては口で言うほど簡単ではありませんが、目指すべき方向は理解する、という方向だということははっきりしています。自分の中の、うまく対処できない感情を表に出したいがため、誰かに罪をなすりつけ、非難をする。こういう場合は相手を理解しようとしてしまっては非難をできなくなるから、積極的に「理解しない」という行動をとります。だから、相手を理解する為には、自分の中の、不安や恐怖に、正面から向き合う必要もあります。僕が今までやってきたことだし今もやることがあって、改めたいと思うところです。僕だけではなく、すごく多くの人が似たようなことをやっていると思います。
 
 他の国がどうかはわかりませんが、日本の人は対話が下手なのではないかと思います。意見をぶつけ合うことが苦手というか。多くの人がすごく、対話を恐れていると思います。波風を立てず、同調しているふりをすることが、「平和的」と呼ばれることもあります。でも、例えば言いたいことを言えず、その裏でお互いに恐怖を感じているという状況は、とても危険です。いずれ爆発するか、すごく嫌な感じが続くことでしょう。平和どころではありません。
 それぞれの違いを受け入れる、ということもとても苦手だと思います。「みんな同じだよ」と言う言葉を慰めとして使われることに、違和感とか怒り、恐怖を感じたことはありませんか?実際はみんな、違います。僕が例えば「戦争に反対です」と言えば、多くの人に「共産党」(違うけど)、あるいは「左翼」とかいうレッテルを張られるわけですが、その人たちの指す共産党の人も左翼の人も、それぞれ一人ひとり、考え方も信じるものも、違います。と、今回のお便りの最初の方の話に戻りました。ここはすごく重要だと思います。「右翼」「左翼」「賛成」「反対」、そのそれぞれの中にも様々な考え方があります。個人個人で異なるし、個人の中でだって時と場合によって変化します。誰かをカテゴリー(分類)で呼ぶ時は、よくよく注意しなければいけないと思います。むしろ、そういうふうに誰かを呼ばない方が賢明かもしれません。例えば「男はこういうもの」、「女はこういうもの」、「子どもはこういうもの」、「日本人はこういうもの」、みたいな考えがそこにはあります。ある程度の傾向、というのはあると思いますが、ほとんどの人がそう断言できるほどの経験を持っているわけではないし、突き詰めて探求しているわけでもありません。むしろ探求していたら、言えないことがほとんどだと思います。
 ほとんど全ての人の中に、「こういう人は許してはいけない」という基準があると思いますが、その行動自体は許せなくとも、愛してはいけない人なんていません。「汝の敵を愛せ」という聖書の有名な言葉がありますが、愛そう、理解しようと思った瞬間に、もうその人は敵ではありません。       健

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://hitotsubufarm.blog.fc2.com/tb.php/251-f05dada0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad