ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 229号

今日もお越しいただきありがとうございます。
更新遅れたのでまたまとめてあげようかと思いまーす。いっぽんめー。

ひとつぶ便り 229号(2015年11月13日便)

 いつもありがとうございます。雨が多い一週間でした。もう雪が降ってもおかしくはない時期ですが、ここのところ割と気温が高く、雪になりそうな気配はありませんでした。と、また今夜(11日)はかなり冷え込んでいるようです。日によっても、一日の中でも、寒暖差が激しいです。皆さんも体調にお気を付けください。
 僕は毎日酒蔵へ通っています。今期で3回目の作りです。毎日大量のお米を蒸したり洗ったりしています。お米を蒸したり洗ったりするところが担当なので、基本的に午前中は大きな釜でお米を蒸し、午後は機械でお米を洗います。そのお米を次の日にまた蒸します。その繰り返し。1トンとか2トンとか、そういう単位のお米を毎日扱っています。蒸されたお米は放冷機という機械を通ってある程度冷まされたあと、麹の室へ飛んで行ったり(エアシューターという機械で)、もろみのタンクの中に飛んで行ったりします。台車で人が運ぶこともあります。僕は基本的に釜場というところの担当なので、蒸して送るところまでが主な仕事。使う機械も道具も大きいので、それを準備したり洗ったりするのにも時間がかかります。何か高度なことをするわけではなく、お米を蒸したり洗ったり、というのは家庭でもできる簡単なこと。それが大規模になっているだけの話、という感じ。家で、お米を炊くのはいつものことだし、蒸したりすることもあるけど、そんなとき、酒蔵でやっていることとのサイズの差が感じられてちょっとおもしろいです。酒蔵が台所だとすれば、酒蔵で働く僕らは台所の小人だし、台所が酒蔵ならば、僕らは酒蔵の巨人です。この前、家の台所でお米をよそう時、ちょっと巨人の気分になった瞬間がありました(笑)。
 今年は10月の19日から働いています。午後は休みをもらったりしながら畑と並行してやらせてもらっています。11月から新たに加わったメンバーもいて、今年のメンバーがいよいよ揃いました。昨シーズンは途中で一人、頭の怪我で入院する人が出たのとトラブルで辞めた人もいて、欠員2人の状況が長かったので、今年は人が多く感じます。冬期、酒造りをする「蔵人」は、リーダーの杜氏を含めて9人。今年も美味しいお酒ができるといいなと思います。僕も3シーズン目なので、ある程度信頼されている部分もあるし、ダメな部分も含めて色々分かってもらっているので、だいぶやりやすい気がしています。お酒造りには「和醸良酒」(わじょうりょうしゅ、和は良い酒を醸す)という言葉あって、とてもいい言葉だなと思います。和が良いものを醸すのは、お酒に限った話ではありません。
 と、書いていて思いますが、それぞれが力を抑えあい、我慢し合ってできる「和」のようなものは、ちっとも良いものではないし、良いものも生まないと思います。それぞれがそれぞれの特徴を認め、力を発揮し合うような「和」こそ、望みます。僕の行っている黒澤酒造は結構個性派揃いの職場な気がしますが、それはそういうのを認めてくれる社風があるからかなと思います。僕はそれほど人間関係が器用な方ではありませんが、結構楽しくやっています。

信頼できるもの
 ところで何週間か前に図書館で借りてきて、リンドグレーンの『さすらいの孤児 ラスムス』というのを読みました。とてもよかったです。これは、僕が会津にいたときにお世話になり、今もお世話になっているパン屋さん「食工房」の真知子さんが教えてくれました。僕は全く予備知識なく読んで、とてもよかったので僕も特に内容をここには書きませんが、とにかくまぁおススメです。あぁやっぱりリンドグレーン!って思いました。「ピッピ」シリーズとか、他の何作品かを読んで、リンドグレーンの書く話への、信頼感というのがあって、『さすらいの―』には色々緊迫した場面も出てくるのだけど、その信頼感があったから全く安心して読んでいました。リンドグレーンが子どもを不幸にするわけがない、という強い信頼。どの作品でも徹底的に子ども目線なんです。子どもの目から見た、子どもの幸せを、知っているんですよね彼女は。子どもの心を持ち続けている人なのだと思います。僕の予想や感覚など簡単に超えていくリンドグレーンの深い愛情に今回もやられました。うちの子たちのような姉妹が出てくる『おもしろ荘の子どもたち』というのも読みたいのですが佐久穂町の図書館にはないようなので、今は『やかまし村はいつもにぎやか』を読んでいます。「日常」ってこんなに楽しいってことを見せてくれます。
 リンドグレーンの作品なら、どれでも大丈夫だと思います。自分が読んで、子どもが読んで、何か間違ったことを教わることはありません。こういう信頼できる人やものに出会えるのは本当に嬉しいことです。本当に、これなら間違いない、と思えるものはそれほど多くはないし。少し前にはムーミンのシリーズを色々読んでいたけど、トーベ・ヤンソンとムーミンの仲間たちもすごく信頼しています。
 信頼できるものは少なく、逆に言えば、すごく信頼できないものが、世の中に溢れています。大人が見るものはもちろん、子ども向けのものにも暴力的、差別的な情報がいっぱい詰まっています。それを、問題とも思わない社会があり、そういう社会がまたこういう作品を生んでいるのだと思います。少数であるものたちは差別し、蔑み、いじめるのが当たり前。「悪い人」はこらしめて当たり前。命まで奪ってもオーケー。という価値観が、一般的な気がします。これは間違っています。誰かを差別した先に、暴力で誰かを排除した先に、幸せはやってきません。「少数派」を排除する「多数派」の人たちは幸せになれると思ってそれをやるわけですが、誰かを苦しめて、自分が苦しまないなんてことはありません。アンパンマンがバイキンマンにアンパンチをし続ける限り、アンパンマンは幸せにはなれません。原作者のやなせたかしさんの意図と、今アニメでやっているアンパンマンを制作している人たちの意図には結構開きがある気もしますが、現在のアニメは子ども達に見せたくないものです(義父の家に行けば見ていますが)。図書館に、アンパンマンのアニメを絵本にしたシリーズがあって、子ども達は自分たちで絵本を選んでくるのでこの前借りてきましたが、その話が、もう読めたものではありませんでした。こんなもの、テレビで流すのかと。子どもに見せるのかと。ジャムおじさん、アンパンマンたちのバイキンマンへの対応が、明らかに間違っています。その気になればアンパンマンとバイキンマンは、すぐ和解できると思います!アンパンマンは最初の目的のとおり、ひたすらにお腹のすいた人に顔を食べさせて欲しい。「パトロール」にいったら毎回顔は無くなっていていいはずです。毎回入れなくてはいけないシーンはアンパンチではなく、自分の顔を困った誰かに食べさせるシーンだと思います。「アンパンマンはいつも顔がなくってアンパンなのかどうなのかわからないよね」ぐらい言われて欲しいと思っています(笑)。
 子ども達が愛や理解を育てることより、子ども達の感覚的快楽を刺激し、それによってお金を得ることの方が大切にされている社会なのだと思います。大切なものを強く意識しておかなければ、簡単にその社会の波にのまれます。何を見るのか、聞くのか、食べるのか、僕たちは選ぶことができます。 健
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