ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 238号

お越しいただきありがとうございます。
色々と植えなきゃいけない苗あり、播かなきゃいけない種あり、田植えもまだ、ということで色々とやってます。今日はカボチャとかピーマンの定植。午前中は苗間にしていた田んぼの最後の代かきをしたんだった。今年の田植えは6月入ってからやることになったなぁ。
草もどんどん刈らなきゃなー!という時期です。今年は0歳児が生活の中にいることもあるし、作業はあんまり間に合ってもいませんが、体も心も基本的にそれほど強くもないのでそれに合わせてやっております。

では先週のひとつぶ便りです。愛の話!

ひとつぶ便り 238号(2016年5月27日便)
 いつもありがとうございます。毎日暑いですね。僕らの暮らしているところは標高1000メートル近いので、夜はそれでも肌寒くなりますが、昼間はとても暑い。湿度は低く、カラっとした暑さが特徴です。  
うちの田植えはまだですが、だいぶ僕らの住む地域の田んぼにも、稲が植わってきました。週末は多くの農家が田植えをしています。うちもそろそろやりたいところですが田んぼの代かきなどの準備もまだ全部できていないので、もう少し先になりそうです。
 トマトやナス、カボチャ、ズッキーニなど夏野菜たちを順次植えていっています。田んぼの準備、畑の準備、色々とやることが集中している時期です。一つ一つしっかりやっていきたいなと思います。春先に播いた露地の葉ものたちもだいぶ大きくなってきました。農作業は夏野菜のことや秋に収穫するお米のことが多いですが、野菜セットはまだまだ葉もの祭りです。よろしくお願いします。

 この春は、2月に三女・はるちゃんの誕生、3月、4月は長女・葉菜(はな)ちゃん卒園と入学といった大きなイベントがありましたが、次女・花野(かや)ちゃんは年少の年ではありますが、まだもう一年家で見たいなと思って、幼稚園入園ということもなく、特にこういった大きな出来事がありません。はるちゃんは無条件にかわいがられ「おめでとう」と言われるし、葉菜ちゃんは入学祝で色々もらうし、「おめでとう」も多く言われる中、自分は?という感じが少し前にはありました。「花野ちゃんは花野ちゃんのときに」と説明しようと、今感じる寂しさのようなものは、簡単に消化できるようなものではないと思います。何かの出来事は、何かを、例えば愛や感謝を伝えるのにすごく適した機会であったりしますが、そういう事がなくてもきちんとこちらの愛を伝えていきたいし、感じて欲しいなと強く思います。そこに愛があるのなら、何もかも大丈夫だという気がします。「ありがとう」「おめでとう」「大好きだよ」「あなたがいてくれて嬉しい」、そういうことは日常、惜しみなく言っていっていいことだと思います。
そういう言葉を伝えること、抱きしめること、贈り物をすること、100%一緒にいること、要求に応えること、など愛を伝える手段、感じ取るポイントは色々ありますが、その人それぞれに違うようです。チャップマンというアメリカの結婚カウンセラーの方が、「お互いに愛があるのにうまくいかない」というような夫婦の状況を臨床の中で探っていった結果、たどり着いたのが、5つの愛の伝達手段。言葉、スキンシップ、贈り物、一緒にいる時間、サービス(して欲しいことをしてもらう)。その5つの中で、特に感じやすい1つか2つがあって、他のものではあまり感じられないというわけです。これは親子でも、兄弟姉妹でも違うもので、例えば上の子には言葉によってとてもうまくいった愛の伝達が、同じことをしても下の子には全く伝わっていなかった、というようなこともあるようです。自分が言葉で感じやすいからパートナーに言葉で愛を伝えていても、そのパートナーが贈り物で愛を感じる場合、「あの人は何もプレゼントしてくれないから私を愛していないんだ」と、いうことになったりする、という話。
 これに照らすと僕自身は「言葉」で感じるところが強い。好きなら好きと言葉で伝えてもらうのがいちばん効きます。ゆっこさんは「時間」っぽいです。葉菜ちゃんはスキンシップが大好きだから、もっと事あるごとに抱きしめればいいかもしれません。というように、うちの家族もそれぞれ違います。子どもの場合はどこかで変化する場合もあるらしいし、勘違いして的外れなことをする、みたいなことがあるだろうからあまりこれに頼り過ぎてはいけないし、慎重に見ていかなくてはいけませんが、自分とは異なる方法で愛を感じる人がいる、というのは確実に知っておいたほうがいいことだと思います。

愛の話
 娘たちのこと、自分たちのこと、社会のこと、色々考えたときに、最近は必ず「愛」にたどり着きます。愛ってすごく大切だなと思います。とかいきなり書いたら何言ってんのという話ですが、ほんと大切だなと思います。そもそも僕らは愛という言葉をだいぶ使い慣れていないので、急にそんな言葉を使われたら「気持ち悪い」と感じる人すらいるかもしれませんが、きちんと見ればそんなことはないと思います。例えば愛について、愛とは何か、学校でも真っ向から教わることはないと思います。でも、人生においてたぶん、いちばん重要なもの。読み書きそろばんや、体を鍛えることもとても重要なことですが、それぞれの中の愛を育てること、何より大切なことのはず。
 「慈悲」という言葉があって、これはもともと仏教用語ですが、英語だとこれにLoveとかCompassionという言葉があてられます。これで言うと「慈悲」=「愛」です。「慈悲」という言葉は、愛と言う言葉を理解するのにとても役立ちます。仏教では、「何かを所有したい」「独占したい」といった欲望、Desireも「渇愛」とか「愛」と呼ばれることがありますが、今回したいのはその話ではなく、「慈悲」の方の愛です。「慈悲」は「慈」と「悲」の組み合わせの熟語ですが、それぞれ、ざっくり言うならば「慈」は「幸せになってほしい」と思う気持ち。「悲」は「苦しみに共感する」気持ちや「苦しみがなくなってほしい」と思う気持ち。これ、自分の中には全くない、なんて人はいないと思います。今までの経験から、例えば子どもに対してだけ、動物に対してだけ、自分の好きな人に対してだけ、などなどかなり範囲を限定されてしまっている場合も多いと思うのですが、全くそれが無い、と言う人はいないと思います。できれば今確認してみてください。自分の心や体の中の、どれが慈悲であるか。愛であるか。「幸せになってほしい」「苦しくなくなってほしい」と思う相手がいると思います。それは、自分自身かもしれません。とにかく愛は、誰のもとにもあります。それを大切に育てていなければ、その種は弱っているかもしれないけど、いくら弱っていても無くなることはありません。愛を持っていない人など見たことありません。
 愛を育てていくこと、大切だと思います。どうやったら育つのか、このお便りの前半に書いたような、色々な手段を通して愛を伝えること、受け取ることが基本になるのかなと思います。愛を受け取っただけ、それを糧に自分の中の愛の種は育つと思うし、愛を伝えることもまた伝える側にとって、愛の種を育てることになります。「無償の愛」という言葉がありますが、そういう愛が、「無償」であることは決してありません。愛を誰かに与えるとき、自分にもまた与えないでいられるはずがないのです。忘れていることも多いかもしれないけど、誰もが知っていることではないのでしょうか。自分の中のこの感情の、気持ちよさと美しさを。この感情を抱いたときに自分の中に癒しと変容の力を。
 僕はおよそ、これまで愛をより育ててきたような人間ではありません。特に男の人の中では育っていないようなこともない気はしますが、もっともっともっと、育てていきたい。その方法は、僕が経験の中で知っているだけでもまだまだ色々あります。愛の話は次回も続けてまた書こうと思います。    健
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