ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 239号

お越しいただきありがとうございます。
やたら暑い日が続いてると思ったらこの前急に寒くなって0℃近くなって霜降りたり。まぁ、色々ありますなぁ。
田植えは終わりましたが(追い植えはまだ)、他のことはまだ色々、例年以上に遅れてますがそんなスピードアップできるわけでもなく、自分のペースでやっております。

では先週のひとつぶ便りです。


ひとつぶ便り 239号(2016年6月3日便)
 いつもありがとうございます。6月に入りましたね。畑や田んぼで農作業をしていると、カエルや虫、鳥たちの声が大合唱でにぎやかです。この時期は水路の水も勢いよく流れているので、流れの音もよく聞こえます。自然の音は心地よく感じます。ここ一週間はカボチャやピーマンを植えたり、田んぼの代かきをしたり、色々な畑の周りや土手を刈ったり、という感じの作業。他色々やっています。周りの田んぼはほぼ稲が植わってきましたが、うちの田植えはこの野菜セットが届く3日にやる予定です。毎年、初めてのことが何かしらあるし、そもそも全てにおいて経験が浅いので、田植えは毎年結構緊張します。それでも年々、気持ち的にはどんどん余裕にはなっています。ほとんど状況が変わっていないように見えて、実は結構違ったりします。自分のできることが何気なく増えていたりして。
 
 野菜セットは今週も安定して葉物祭りです。そんな中、ラディッシュとかカブとか、(葉っぱついてますが)根菜もきれいによく育っています。借りてからの年数が浅い畑ですが、カブがきれいにできているのは嬉しいです。大根もまだ主に葉っぱを食べる感じですが、根っこもだいぶ太くなってきています。大根の畑は僕らが就農して2年目から使っている、最も信頼できる畑の一つで育っています。今年はいい春大根がいっぱいとれそうです。と、先の話はともかく、今週のお野菜をお楽しみください。僕らは毎日葉っぱを食べすぎなくらい食べています(笑)。この生活をしていると当たり前のことですが、とてつもなくありがたいことですね。ありがとう。

子どもたち
 2月に産まれたはるちゃんはもうすぐ4か月になります。首がだいぶしっかりしてきました。ここまでは僕の抱っこで寝かしつけられることも割と多かったのですが、最近は僕の抱っこではダメで、ゆっこさんだと大丈夫、という時も多い。色々と、わかってきているんでしょうね。たぶん順調に、元気に大きくなっていってくれています。思えば去年の今頃からつわりが始まったんですねたぶん。もう結構忘れましたが(笑)最初はプリンしか食べられない、からだったなぁ。普段絶対買わないコンビニのプリンを買ったのを思い出します。僕も作りましたけどね。あぁ今度プリン作ろう(笑)。つわりも大変でしたが、トキソプラズマの検査で引っかかったり(結局大丈夫)、逆子で1か月ぐらいやきもきしたり(結局大丈夫)、ゆっこさんはなかなか一筋縄ではいかない妊婦生活を送ったわけですが、今、母子ともに健康で何よりです。嬉しいです。ありがたいことだと思います。
 葉菜(はな)ちゃん(小1)と花野(かや)ちゃん(3歳)は庭のイチゴを探しに行くのがこの時期の日課です。イチゴの季節です。1日に何度も見に行きます。ゆっこさんがランナーをとってだいぶ増やしたので、うちで食べるにはなかなか充分な量があります。そのままでももちろん食べますが、イチゴのタルトとか、イチゴ入りマフィンとか、ゆっこさんの手による美味しいおやつも食べられて、みんな嬉しい。イチゴは売っているものと比べればだいぶ小粒ですが、とても美味しいです。

自分を大切にすること
 前回、「愛の話」という題で色々書きましたがその続きのような感じで。
 もともと仏教用語の「慈悲」という言葉を借りるなら、「慈」は「幸せになってほしい」と思う心、「悲」は苦しみに共感したり「苦しくなくなってほしい」と思う心。こういうものが「愛」だと思いますが、これ、もっと言うなら「生きてほしい」というところからきているのかなと思います。「愛」といって思い浮かぶのが、普段は人間を怖がって人間の前に出ることなんてしない熊が、子を産み母となったとき、そばに人間がいて、その熊の子に危険が迫っていると判断すれば、ためらいなく人間を襲う、というようなこと。「この子を生かしたい」という、膨大なエネルギー。僕は母ではないから実際のところわからない部分が大きいけど、人間の母たちの多くも、そういうエネルギーを持っているように見えます。
 ディズニーの「ラプンツェル」とか「アナ雪」における愛の定義は「自分より他人を思いやること」のようだし、自分はどうなってもいいから大切な人を守りたい、というのが「愛」として描かれています。かつてI Love Youを訳しあぐねて「あなたの為なら死んでもいいわ」と訳した人がいた、とかいう話はどうやらまゆつばのようですが、まぁでもディズニーはそれと同じこと言ってるってことですね。

 と、ここまでの流れだと「愛」っていうのはすごく利他的なものと捉えそうになりますが、上記のこれは対象が「他」にあるだけで、利他的だから愛、ではありません。むしろ、「自分より他人を思いやることが愛」なんて、たぶん現代の日本人に言ってはいけない。自分を大切にすること、自分を愛することこそ、僕らに今必要だと思います。他人を思いやることが、自分を大切にする妨げになってはいけません。
 例えば学校では、規律を乱さないことが求められます。全体の為に、自分を犠牲にすると褒められます。「入学式ではよくみんな、静かにしていられましたね」とか、褒められます。特に苦もなくやれる子、静かにしていたくて静かにしている子もたくさんいるでしょうが、ものすごく我慢している子だっているかもしれません。そういう一つ一つの心に、耳を傾ける意欲も習慣も、親、教師など大人たちの間にはたぶんほとんどありません。大人たち自身がそうやって、自分の心や身体を大切にしないで生きてきているから。それを良しとして、生きてきているから。本当は辛いのに、辛くない、これは楽しいことなんだと思い込む。本当は辛いのに、テレビを見たり、甘いおやつを食べたり、感覚的快楽によってごまかす。自分の、苦しい気持ちを無理矢理抑えつけたり、無視したり、先送りしたり、無いものとしたって実際は苦しいのだから、それはどこかで破綻します。体や心の病気として現れるか、場合によっては自ら命を絶つようなことになります。「まぁそんな自殺するのは一部だから」「それは弱いその人(子)が悪いよね」といって、弱いものたちを切り捨てるのもまた、この社会の在り方です。もっと平和な社会をつくっていくことができると思います。「弱い子が悪いよね」というのは、自分の中にもあるその弱さを、認めないことです。今の状況は、平和の方向を目指してもいない、というところだと思います。自分たちの頃の小学校の在り方と、現在の小学校の在り方を比較するなら、間違いなく悪い方向へ行っています。佐久穂町の小学生たちはサラリーマン並の拘束時間で、宿題は一日に3つも4つも出て遊ぶ時間もありません。
 僕ら大人がそれを良かれと思ってやっているのだから、学校も社会も、当然そういうふうになります。そしてやがて病気になり、自ら命を絶つ。こんなこと、今すぐやめなくてはいけません。それには何よりもまず、自分が苦しんでいる、ということをはっきり認めることだと思います。自分を、大切に。   健
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