ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 247号

お越しいただきありがとうございます。いつもありがとうございます。8月ですね。

ちょっと遅くなりましたが先週のひとつぶ便りです。


ひとつぶ便り 247号(2016年7月29日便)

 いつもありがとうございます。ここのところ、涼しい風が吹く日が結構あって、秋の風?みたいに感じます。去年の後半から今年に入ってからずっと、気温がだいぶ高い状況が続いていて、夏も暑い、という予想が出ていますが、どうなるでしょうか。暑すぎるのも野菜にとってよくないのですが、まだもう少し暑さが持続して欲しいところ。まぁ元よりこのあたりは8月中旬にはかなり涼しくなってくるのですが。

野菜たち
 インゲン、キュウリなどは例年より元気な感じですが、ズッキーニ、ミニトマトが今年はうちは調子がよろしくありません。ズッキーニもミニトマトも、この時期は毎年採れすぎて困るほど採れるんですが、今年は落ち着いたものです。今日はたくさん入りますが。天候などにもだいぶ左右されますが、まだ付き合いがだいぶ短い畑でやっているので、それも影響しています。今住んでいる家には3年半前に引っ越してきて、この周りで新たに借りたりした畑は、それからの付き合いです。
化学肥料や農薬を使えば基本的に、土は固くなり生き物たちの力は衰え、土はどんどん消耗していきますが、僕らのやっているような農業だと、どんどん土は元気になっていきます。雑草の根が土を耕し、地上に生えた草は小さな生き物たちの住処となったり、枯れてまた土に還ることで土のバランスを調えます。土の中でも外でも虫やみみずが生活することで土を耕し、その糞や死骸もまた土となり、土を豊かにしていきます。何らかの理由で表土をはぎ取ってしまったような畑とか、造成したての畑などは、土が力を得るのに100年とか、もっと長い時間がかかる場合もあるだろうから、そこで農業をやろうと思ったらある程度人為的な土や肥料の投入などが必要になってくると思いますが、幸い今やっている畑はどこもそうではないので、毎年野菜を育てながら、土も順調に育っていってくれていると思います。ちなみに、ひとつぶ農園は肥料としては平飼いの鶏ふん(飼料は非遺伝子組み換え)を使っています。ほぼそれだけ。義父が家(近くの集落)で鶏を飼っていて、最近はそこから鶏ふんを分けてもらってきています。卵も頂いたりするので、お菓子に入れたり料理に使ったり、重宝しています。
基本的に、土の持つ、自然の持つ力に頼りっきりのひとつぶ農園です。

葉菜ちゃん1学期お疲れさま!
長女、葉菜(はな)ちゃんは26日が終業式で、小学校1年生の1学期が終わりました!お疲れさま!
楽しみにしながらも、かなり緊張しながら通っていた4月、5月をくぐり抜けた後は、だいぶ自分の意志で休んだりすることができるようになってきて、力の抜き方を覚えてきたかな、という感じ。僕ら夫婦は、葉菜ちゃん自身が行きたくなかったり、何か他にしたいことがあったり行きたいところがあったりすればどんどん休んでいい、という方針です。こんなことを書くと問題になりそうですがむしろ、無理して通うような場所に通うことはないと思っています。もっと、個人個人が尊重される、楽な環境で、楽しく学べたらいいのになと思います。やりたい時にやりたいだけやれたら、学ぶことは楽しいこと。全国どこもそうでしょうが、かなり過酷な環境だと思います学校って。「無理をする」「我慢する」、ということを乗り越えたら良いものが得られる、という考えが、日本中にまん延していると思います。が、間違いだと思います。そこから生まれるのは苦しみが主かと。自分の体や心を大切にすることは、今の学校における無理や我慢とは、逆のところにある気がします。何よりもまず、自分の体や心を大切にすること、言い換えるなら自分を愛すること、これが何より基本にあって欲しい。自分が自分を大切に思えない人たち同士の、誤った自己犠牲的な精神による助け合いは、結局誰も救っていないという悲しい状況を生み出し続けているように見えます。このあたり、すごく、勘違いが大きいように感じます。
「勉強」って言いますが、これもともと「無理強いする」とか「無理する」って意味の言葉で、学習することにそれが用いられるのは明治以降とか、結構最近のことのようです。「勉強」は、してはいけない気がします。学ぶことは楽しいことだし、楽しくないことは頭にも体にも入っていかないから、そういう「勉強」は、学ぶこととしては完全に無駄になる。そこで覚えるのは主に「無理をすること」だと思います。それが重要、ってすごく多くの人が思っているのかもしれませんが、それは違うと思います。それは幸せになる方向ではないし、学ぶって、もっともっと!すごくいいもののはずです。楽しいことのはず。

クモの巣
今日、家から割と近い畑に、葉菜ちゃんと歩いてズッキーニを採りに行きました。帰りがけに鹿よけの電気柵の、張ってある線と線の間にクモが巣を作っているのを葉菜ちゃんが発見。その仕事ぶりに感心しながら2人で完成まで眺めていました。見ていてすごくおもしろく、楽しかったです。僕らが見たときは既に縦の糸(放射状)は張ってあって、横の糸を張っている最中でした。で、なにか空中を歩くような動作をしているから、どうしてそんなことできるのかなと思ったら、横糸も既に何周か張ってありました。それを足場として伝いながら、その間に糸を足していく。という作業をしていました。と書いても全然わかりませんね(笑)。外側から内側に向かって一周ずつ作っていました。その仕事ぶり自体も、完成した巣も、本当に美しかったです。しかし、僕らが見たときに既に張ってあった部分はどうやって張ったのか、ちょっと想像できません。ちょっと気になる。今ネットで動画を検索もしてみましたが、僕らが見たあたりからのものが多くて、最初の方はわかりません。誰か、クモが巣を作り始めているのを見かけたらその過程を教えてください(笑)。
例えばこういうことに興味を持てば、必要なものは自分の五感と心だけです。自然を探求することには限界もありません。それはどこまでも深く、広く、美しい。自然、それは例えば自分の体だってそうです。植物とか虫とか自分の体、自然のことに興味を持ち、それを探求するとき、お金はほとんどかかりません。遠くまで出かける必要もありません。現代社会は、消費し、消費されることで成り立っているので、例えば虫捕り好きの少年少女は、ポケモンGOで遊ぶ少年少女より望まれない存在です。おかしな話だと思います。目の前に奇跡が広がっているのに、見ようとしない、見せようとしない、そういう社会です。僕もその中の一人だから、よくわかります。現実は恐いもの、逃げるものとして扱われているように思います。テレビ、パソコン、嗜好品、ゲーム、あらゆる力が僕らを現実から遠ざけています。そしてそこには消費があり、お金が発生する。今この瞬間に僕らが満足し、楽しむのなら、必要なくなるものばかりなのです。今、目の前にある奇跡を感じられる目を、耳を、心を育てていけばいいのだと思います。幸せは、いつか、どこかで手に入るものではありません。今、ここにあります。生きましょう。今を。現実を。 健
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