ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 249号

お越しいただきありがとうございます。少し雨が降って、涼しい快適な夜です。

連れ合いが3人の子どもたちを連れて山形(連れ合いの祖母の家)へ遊びにいったので現在僕は一人暮らし中。特に何をするでもなく満喫中。
夜は普段もみんな寝てしまっているから変わらず静かなんですが、夕方頃、子どもたちがいないということはほとんどないので、夕方頃の家の中の静かさに驚きます。
野菜はあふれているけど一人じゃ食べる量にだいぶ限りがありますね。いま家の周りに既に収穫して置いてある野菜(出荷に使わなかった残りのものたち)の量からしたらほんの一部を料理しているだけでも、一人で食べるには極めて多い。今日夕飯作りすぎて食べ過ぎてお腹パンパンでした(笑)。

では、先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 249号(2016年8月12日便)

 いつもありがとうございます。暑い日が続いていますね。1週間ほど前は連日、とても強い雨が降りましたが、ここのところは晴天続きでやたらと暑いです。ただ僕らの住んでいるあたりは夜はかなり涼しくなって快適な日も多く、ありがたいです。基本的に熱帯夜はありません。もともと僕は東京の練馬出身で、夏場の特に昼間はかなり空気が悪く、夜は寝られないほど暑いのをずっと経験してきたので、こちらの夏の過ごしやすさのありがたみは良くわかります。これは夜書いていますが、今も快適です。
 すごく暑いので、ナスとかトマトとかインゲンとか、喜んでいるように見えます。どんどん大きくなったり色づいたりしています。採れすぎるぐらい採れています!

夏休み満喫中
 農家はもちろん夏休みなんて言ってられませんが、長女、葉菜ちゃん(小1)はストレスフルな小学校生活からしばし解放されて、夏休みをバッチリ楽しんでいます。去年の5月頃から今年の2月に、はるちゃんが産まれるまでゆっこさんはずっとつわりで苦しんでいたため、どこかへ出かけるどころの話ではありませんでしたが、今年は0歳児を抱えている大変さはあるものの、体も心も問題ないので割と行動的です。7月、8月は各地でお祭りやイベントがあるので、楽しそうなやつがあれば積極的に出かけています。
 7月31~8月8日は、佐久穂町の隣の隣の小諸市にて「旅人の祭り」というのがあって、ちょこちょこ参加してきました。31日にあったサーカスで使った綱渡り用ロープがその後低いところに遊ぶ用として設置されていて、子どもたちが常に誰かしらやっていました。大人も時々やっていて、僕も子どもたちに混じって結構長く練習していました(笑)。低いといっても1メートル弱の高さがあるので、飛び降りるのは結構体にも負担があるし、慣れない感覚なので最初は立つだけでもだいぶ怖かったのですが、練習しているうちにだいぶ進めるようになってきて、端から端までも2回ほど成功しました。サーカスの人たちがやれば簡単そうに見えますが、とんでもないです。あの上に立ってみれば、どれほどの努力に裏打ちされた技なのか、よく分かります。スポーツでもなんでも、当たり前のようにやっているから簡単なんだろうという誤解は常にありがちだと思うし、想像できない部分が大きいのだけど、想像すること、理解することを怠ってはいけないなと思います。例えばもし自分が同じくらい努力したことがあれば、他の分野であっても、同等の努力のことはわかるのだと思います。さて2回成功したのは僕の話で、葉菜ちゃんはもっと上達が早いしたくさん練習もしていたし、綱渡りが上手でものすごく素敵なおじさん(名前もよくわからない)が色々コツも教えてくれて、最終的にはすいすい往復できるほどになっていました。お見事。まぁ、上手くなったということより、とても楽しそうだった、ということの方が遥かに重要だと思います。自分の体や心への理解を深めるような遊びの持つ楽しさは、思考をただ停止させるような画面を見ながらやるゲーム類とは全く異なるものだと思います。自らを、他人を、自然を理解する、その楽しさをこそ、子どもたちに味わって欲しいなと思います。もちろん、僕ら大人も。

平和な暮らし、平和な日常
 広島、長崎への原爆投下、終戦記念日、8月は戦争や平和について特に考えたい時です。平和は素晴らしく、戦争はいけないもの、というのが日本に生きるほとんどの市民の認識ではないかと思います。でも、その意識を暮らしや日常に引き寄せられる人はすごく少ない気がします。どこかで起こったテロの話、どこかで起こった虐殺やレイプの話を聞いたら、「ひどい人たちがいるものだ」と思うことはあっても、「自分にもそういう要素がある」と思う人はきっと少ない。でも僕たち誰の中にも、暴力、憎しみ、怒り、そういうものの種は必ずあって、その種をどれだけ育てているかで、より暴力的か、それほどでもないか、そして環境によってそれが行動として現れる、というだけの話。差別、搾取、暴力、そういった言葉は僕たちの日常生活に対して使うにはあまり馴染まないように感じるかもしれませんが、実際は差別も搾取も暴力も、日々の暮らしの中に溢れています。例えば女性差別はこの日本の社会においてはもう当たり前すぎて、実はものすごく差別の色は濃いのに、それにほとんど気づいてすらいない場合が多い。その当たり前のようになっている、決して弱くない差別は僕が接するほとんどの人の中にあるのだけど、それが当たり前の社会だから、話題にのぼらせることすら難しい。ちなみに夫婦間が民主的であるかどうか、平等であるかに関しては、僕ら夫婦はかなりの水準だと思います。知っているどの夫婦も、それぞれにそれぞれの魅力があり、どの組み合わせも素敵だと強く思いますが、お互いの意思疎通、理解に関しては、僕らが抜群。と言えるほどの相手に出会えたのは、お互いにすごく、ありがたいことだと思います。言葉では言い表せないほどに。関係においてどちらかが我慢することなく、無理することなく、やっています。夫婦生活を始めたばかりの頃はズタボロだったので、よくこれほどの関係が築けたなと思います。言葉ではうまく言い表せないけどそれは一言で言えば自然のおかげ。僕は暮らし始めの頃はゆっこさんが言っていることがどういうことなのか、すごく理解しづらかったのですが、禅僧ティク・ナット・ハンや仏教のマインドフルネスの実践に助けられ、自然への理解が深まった結果、彼女の話が手に取るようにわかるようになりました。例えば「川の水が高いところから低いところに流れる」というのは「考え方」の話ではありません。「川の水が低いところから高いところに流れる」と思っている人が、どれほどその主張をして、「あなたとは考え方が違う」と言ったところで、高いところから低いところへ流れるという事実は変わらないし、その人はただ誤解しているだけのこと。この例えにおいて、きちんと理解していたのがゆっこさんであり、誤解していたのが僕。簡単に言えばそんな感じ。いや簡単じゃありませんか?だから僕が色々な誤解を突破し、自然を理解するだけでよかった。実際に「川が低いところから高いところへ流れる」と思っている人はたぶんいませんが、そんなレベルの誤解を、色々な分野で僕はしていたし、今もきっとしています。お互い、自然への理解が完全なわけではもちろんないので、そこへの理解が深まれば深まるほど、さらに平和な関係が築けるはず。
 世界は誤解に満ちています。人間が動物や植物より偉いだの、日本人がどこかの国の人より優れているだの、男は女より優れているだの、これは全く自然についての理解がありません。それぞれがそれぞれに依存し、それぞれ変化し続けながらそこにある。それだけのこと。全ての存在に優劣なんてありません。目の前のものを、自分の体を、よく見つめるだけで、それはどこまでも理解できます。
 夫婦関係はそんなわけでだいぶいいですが対葉菜ちゃん、対花野ちゃんに関してはダメダメです。3姉妹それぞれと平和な関係を築いていくために、もっとやるべきことをやっていこうと思います。   健
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