ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 250号

お越しいただきありがとうございます。まだまだ暑いですが、秋の気配も感じます。
ここのところは雨が多いです。

では先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 250号(2016年8月19日便)
 いつもありがとうございます。皆さんいかがお過ごしでしょう。
 2週間近く、まとまった雨のない日が続いていて、畑がかなり乾き気味でしたが、15日午後と、これを書いている16日の夜に少し降って、結構潤ってくれました。涼しくて快適な夜です。
14日から17日の日程で、ゆっこさんと娘たちが山形(ゆっこさんの母の実家、祖母の家)に遊びにいっています。ゆっこさんは小さい時から夏休みと言えば山形へ行っていたらしく、今回も「夏休みは山形!」という気分になったようで、出かけていきました。去年、彼女はつわりがひどくて自分から出かけるなんてことはほとんどなかったので、今年のアクティブさに驚きます。ただ妊娠前に戻ったというよりもアクティブな感じがしますが。今年は、はるちゃん(現在生後6か月)がいるので、畑仕事はほとんどできない→仕事しないから出かけても同じ、というような発想により、自由に出かけています。僕が一緒のことも多いですが、今回はそういうわけにはいかないので、4人で出かけていきました。特に大きな問題もなく無事着いたようで、よかったです。トイレとか色々、途中で止まることも多く、ここから7時間以上かかって到着したようです。ゆっこさんの実家は兵庫県なので、そちらも7時間くらいかかります。そちらも一人の運転で何度も行っているので、時間的にはある程度慣れたものでしょうか。
 僕は一時的に一人暮らしですが、まぁいつも通り畑に出て、ご飯食べて、生活しています。夕方頃の家の中の静けさに、驚きます。夜はみんな寝てしまうのでいつでも静かですが、夕方に家族が揃っていないことは珍しいので、夕方がこれほど静かなことは普段ありません。時期的に、どこか遠くで花火大会の花火の音が聞こえます。子どもたちがいないと、本当に静かなんですね。まぁたった数日間だし、これはこれで楽しいし、寂しがっているわけではありません(笑)。(17日、みんな無事帰還。みんなの顔見てすごく嬉しいです。)

人の持つ可能性と、平和
 今オリンピックやっているんですね。あのイベントは利権やらお金やら、色々とどす黒いものが渦巻いているのは明らかだし、日本はふつうにナショナリズム(国粋主義)煽っているし、参加することに意義があると言いながら、そもそもお金がなければその競技できないじゃん、お金持ちの国しかその競技の設備整えられないじゃん、というものばかりだし、イベントとしては一切賛同できませんが、選手たちの努力、サポートする人たちがつくる環境、そういうものが揃った時に、どれほどまで人が力を発揮することができるか、ということを見られるのは、わくわくします。可能性の「幅」みたいなものを見られるのは楽しい。まぁオリンピックは一部の競技においては最高峰の大会なのでしょうが、多くの競技(団体の球技等)においてはそこまでレベルが高い大会であるわけではないので、選手たちの技の極み、みたいなものはむしろオリンピック以外の大会やその競技が盛んな国の国内リーグで見られるのですが。
 才能を持つ人が整った環境で最大限に努力することができると、こんなにすごいことができる、というのが、陸上とか水泳とか、数字で見えるものはより見えやすいですね。100メートルを15秒で走ろうが10秒で走ろうが、ほとんどの人にとってどうでもいいことだし、9秒90で走るか9秒80で走るかの違いなんて、もっとどうでもいいことなのだけど、その世界を知る人たちからすれば、そこには恐ろしいほどの差を感じるはず。僕はその、コンマ1秒がどれだけすごいかを知らないので、11秒台で走る人も10秒台も9秒台も、みんな「足の速い人」というくくりで終わってしまいますが、実際そこにはものすごい差があるわけです。これ、例えば、「優しさ」とか「愛情」についても同じようなことだと思うのです。そう単純に対比し、表現することは本来できないことでしょうが、「優しい人」とか「愛情深い人」でくくられるたくさんの人の中にも、陸上で言えば11秒くらいの優しさ、10秒くらいの優しさ、9秒80くらいの優しさを持つ人、みたいに、そこにはすごく大きな「幅」があるのだと思うのです。他の人にはただ、「優しい人」と呼ばれる人の優しさにもたぶん、それだけの深く、広い世界があるのです。
 僕は昔、ほんの少し将棋を頑張っていた時期があって、今も好きでタイトル戦の棋譜ぐらいは見ています。だから、将棋における人間の可能性の幅は、陸上競技よりもよく分かるし、将棋におけるその理解をもって、陸上競技のこともある程度は想像できます。人間には(人間だけではもちろんありませんが)本当に、深く、広く、まばゆいばかりの可能性があります。僕やこれを読んでいる皆さんの体にも、心にも。多くの人がもっとそれを知り、もっともっと信じていいと思います。人は誰しもきっと、もっと優しくなれるし、平和になれます。たぶんほとんどの人が思っている以上に、その道は果てしなく広く、深い。また、それは100メートル走における10秒00か9秒90か、そういうものすごいレベルの話ではなくとも、自己ベストが14秒00の人が13秒90で走れるようになる、というので既にすごい話。周りから見たら何の価値も無いような変化も、よく見てみればすごいことです。ほんの少しずつでも、優しさを育てていきたい、平和になりたい、と思っています。例えば僕の年齢で、今からスポーツのプロを目指す、なんてことは無理だと思いますが、それにしたって少しでもその競技について努力するなら、それだけの成果が出ます。経営能力とか野菜の栽培技術、どんな分野であれそれは同様。誰の中にも、僕の中にも、ものすごい可能性が詰まっています。どの可能性を花開かせるかは、自由。その可能性の幅が、どれほど広いか、深いか見せてくれる、トップアスリートのような存在は、僕をわくわくさせてくれます。

 足が速くなりたければ走り、踊りが上手くなりたければたくさん踊ればいいですが、より平和になりたい、優しくなりたいなら、何をすればいいでしょう。僕が知っている最も有効な方法は、呼吸に気づくこと。そして微笑むこと。それは禅僧ティク・ナット・ハンが教えてくれた仏教のやり方。ブッダが説いた方法。自分の呼吸に、体に、感覚に、心に、自分の中と外で起こる全てに、ただ気づいていく実践。何一つ強制せず、善悪の判定をせず、そのまま認知していく。呼吸が深いなら深い呼吸に、浅いなら浅い呼吸にただ気づく。座っているなら座っていることに、歩いているなら歩いていることに、怒っているなら怒っていることに、気づく。っていうことをひたすらブッダが説くお経、四念処経(四種の<気づき>の確立の経)というのがあります。それはお寺とか僧院の中だけでなく、座禅を組んでいる時だけでなく、日常の全ての場面で実践できるものです。簡単なことではあるけど、簡単でないことはすぐわかります。。
 それが自分の中の平和や世界の平和とどう結びついているのか、聞いただけでは全く分かるものではないでしょうが、効果は絶大です。僕がこの実践に出会っていなかったら僕ら夫婦は早々に離婚していたかも。幸せは、平和は、いつか未来に遠いどこかで手に入るものではなく、今、この場所でこそ得られます。今、呼吸を楽しみ、微笑むことができるかに、自分の、家族の、世界の平和がかかっています。健
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