ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 251号

お越しいただきありがとうございます。
台風は僕らのあたりはそれほど強烈な感じではなく、雨が続いただけという感じ。それもそれほど強くなく。
やっと雨のターンが終わって、明日からはちょっと晴れが続くかな?

では先週のひとつぶ便りです。


ひとつぶ便り 251号(2016年8月26日便)


 いつもありがとうございます。台風の影響などで、ここのところ雨が多い天気です。今年の夏はだいぶ暑い印象ですが、このところ空気がだいぶ秋めいてきました。台風が来るたびに涼しくなるというのは毎年ある気がします。今(23日夜)なんだかバケツをひっくり返したような雨降ってきました。すごい降ってるなぁ。畑に秋の葉物を播きたい時期ですが、湿りすぎていて耕せないので、なかなかできません。種まきできなくても草刈りその他、やることはいっぱいあります!焦りみたいなものもあるけどまぁ、一つ一つですね。

佐久サブキャンプ
 と、言いつつ21,22日は家族全員で出かけ、アフリカンダンスの仲間たちとキャンプしてきました。当然、仕事しろという声が聞かれるところだと思いますが、子どもたちと共に楽しむ時間は、何より優先したいと思っています。特に、今回の仲間は、自分の子も他人の子もとても大切にしてくれる、とりわけ信頼している人たちなので、葉菜ちゃんたちにとって間違いなくいい時間になると思っていたし、実際そうでした。このキャンプは去年もやりたいねと言っていたもので、今年こそやろうということで実現しました。僕は「サブニュマ(みんなの幸せ、素敵な出会い、何かいいことがあるなどの意味があるギニアのマリンケ族の言葉)」という集まりで踊っていて、これは長野県内や周辺の県に広がる大きなコミュニティですが、僕らの住む東信地区では上田が盛ん。で、佐久でも時々小さく集まっていて、今回のキャンプはその佐久の仲間たちが主です。「佐久サブニュマ」といいます。今回のキャンプはうちの家族以外は大体お母さんと子どもたち、という構成で、大人も子供もそれぞれ10人ちょっと、計20人くらいの規模でした。1日目は朝から雨で、予定変更は色々とありましたが特に問題にもならず、楽しい時間を過ごせました。
場所は僕らの家から1時間ほどのところにある「望月少年自然の家」というところでやりました。1日目も2日目も炊事場にいる時間が結構長くて、僕は主に火の周りで火と遊んでいました。ドラム缶の簡易ピザ釜(置いてあった)でピザ焼いたり、かまどでピタパン焼いたり。冬は毎日薪ストーブを使っているから火には比較的慣れているし、パンも日々焼いているしピザやピタパンも時々焼くので、僕らは生活の延長みたいなものでしたが、それが結構役に立っていてよかったなと思いました。子どもたちは粉をこねたり伸ばしたりしていたら必ず寄ってきて自分たちで作っていました。火の周りも誰かしら子どもがいて、薪を足したりしてくれました。ピザやピタパンを作った小麦粉はうちで育った小麦の粉で、ピザソースもうちで余っていたトマトでゆっこさんが作ったもの。僕らがいつも美味しいと思って食べているいつもの食事ですが、他の家の子どもたちもすごく喜んで、「美味しい!」とたくさん食べてくれて嬉しかったです。大好評!
子どもは0歳から小学校2年生まで、色んな子がいました。うちは3人女の子ですが、他も姉妹が多くて、女子率が高かったです。大人も子どもも含めて、全体の雰囲気がすごく良く感じました。居心地が良かった。基本的に子どもたちは子どもたち同士でずっと遊んでいるし、僕が一緒に遊ぶ時も自分の子どもと接する時間より他の子と接する時間が長かったりして、「自分の子」というのが薄れる感覚がありました。こういうの、子どもにとっても大人にとってもいいことだろうなと思いました。大人にとっては子どもたちみんなが自分の子で、子どもにとっては大人たちみんなが親。そして子どもたち同士はみんな兄弟姉妹。親同士は親しい友人。子どもたちは退屈しないし、親たちはすごく余裕が生まれます。子どもが集まると熱狂的に盛り上がることもよくありますが、今回はそういう感じでもなくすごくいいペースで楽しんでいたように見えました。うちの葉菜ちゃん(小1)も花野ちゃん(4歳)も、楽しそうでした。はるちゃん(6か月)は大人にも子どもたちにもとてもかわいがってもらっていました。僕ら夫婦も子どもたちも、すごくいい時間が過ごせました。ありがとう子どもたち、仲間たち!

『みずたまのたび』
今日、ゆっこさんが他の用事で出かけたついでに、図書館に寄ってきて、色々借りてきました。花野ちゃんも一緒でした。佐久穂町図書館は1人5冊まで借りられるので、葉菜ちゃんや花野ちゃんは図書館に行けば自分で5冊選んで借ります。たいていは絵本を。花野ちゃんなどは特に、字はまだあまり読めないので絵の感じとか、勘で選ぶこともあって、そんな時は僕らも全く知らなかった絵本との出会いがあります。今日はアンヌ・クロザというスイスの女性作家さんの本を借りてきて、これがとても素敵でした。『みずたまのたび』(アンヌ・クロザさく、こだましおり やく 西村書店)という本。猫が飲んだ水のボウルの底に残った一滴の水(みずたま)が、蒸発して雲の一部となったり、雪の結晶となったり、また「みずたま」になったり、川を流れて海に至り、また空に昇り、という、シンプルで壮大なお話。これ、ただ当たり前に、世界のどこでも、今この場所でも起こっていることをただ書いているだけなんですよね。今この場所で起こっていること全ての素晴らしさ、それが奇跡としか呼べない、ということを教えてくれる絵本です。『ぼくはここで、大きくなった』というのもクロザさん作であるようですが、これもおもしろそうです。ただ事実を見つめていく。それがどれだけ楽しいか、知っている人ですきっと。
僕らの飲む水、その一滴を深く見つめていくのなら、こういうことが見えるのです。僕らの食べるお米一粒を見つめていっても、自分の体の細胞一つを見つめていっても同様です。そこには遥かなる旅路が見える。悠久の歴史も見える。他の全てのものとの関わりも見えます。生と死ということに対する誤解、あるものは他のものから独立して存在しているという誤解はいつでも僕らを苦しめますが、それはどこまでいっても誤解です。理解すれば、いいのだと思います。ただありのままを。
これ、すごく楽しいです。何か一つのものの来た道を、深く見ていく。そこには膨大なものが関わっているのがわかります。膨大というか、全てなんですが。僕らはしばしば自分が他から独立したものだと思いがちですが、例えば太陽が、雨が、土が無ければ生きていません。また、自分や誰か、何かが死ねば0になると思っている人は多いですが、有から無に、無から有になるものなどこの世には一つもありません。僕がいつか命を全うしたとして、この体は何か他の形になって、続いていく。心もまたそうです。そもそもこの体と心は何かの続きであり、何かの表れです。よく、見つめるのなら、何も無くなってなどいません。0から現れたものもありません。僕らの体の中に含まれる一滴の水も、壮大な旅を経てここへ来ました。僕らを構成するあらゆる要素が壮大な旅をしてここへ来て、その旅は常に、今この瞬間も続いています。ありがとう。僕も皆さんも、何もかも奇跡でしかありません。ただ見つめればわかります。健
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