ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 252号

今日もお越しいただきありがとうございます。
9月だけどずいぶんとまぁ暑いですね。この時期窓なんてあけて寝たら風邪ひくのになぁいつもなら。

さ、先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 252号(2016年9月2日便)


 いつもありがとうございます。皆さんのところは台風はどうだったでしょうか。僕らの住んでいるあたりはたいした被害もなく、ただ少し雨が続いたという感じでした。
 30日は夕方からかなり冷えてきて、夜は久しぶりに窓を全て閉めて寝ました。31日はだいぶ暑くもなりましたが、夜はまただいぶ涼しくなっていて、また台風が秋を少し運んできてくれた感じです。例年、このあたりは夜はいつでも涼しくなるので、こんなにずっと窓を開けっぱなしだった年は今までなかったような気がします。むしろ夜に窓を閉めない日が数日、みたいな年もあります。たいてい、夜を窓を閉めないと、風邪をひくぐらい寒いのです。それが今年はだいぶ暑い。畑にも色々よからぬ影響もあって、植えたキャベツがほぼ全滅とか、悲鳴をあげるほどショッキングな部分もありますが、まぁそれはそれとして受け止めて、過ぎたことなので今できることをがんばります。

はるちゃんの最近
 はるちゃん(もうすぐ7か月)は元気に育っています。サイズは小さめのようです。ちなみに僕の父や兄はそれなりに大きいし(兄は180超)、僕は大体平均くらいで、ゆっこさんは小さめなので、どんなサイズになっても不思議ではありません。
まだそんな時期じゃないような気がしていたのですが、このところ明らかに「おっぱい」という言葉を、しかるべき時に発音しています。どうやら欲しい時に言っています。これが、他のときには出さない音なのです。ちなみに普段は「て」とか「た」という音と、「あ」行の音が言いやすいらしく、よくその音で喋っています。その組み合わせで「イテテテ」とか「イタイ」とか言っているのがおもしろいです。「て」という音が得意なのは葉菜ちゃん(小1)や花野ちゃん(4歳)の小さいときもそうだったので、僕らとしては赤ちゃんはそういう発音をよくするものなんだろうなと思っていたら、そうでもないようですね。伝統の謎言葉として「オテテイテイ」というのがあって、葉菜ちゃんも花野ちゃんもよく言っていたし、はるちゃんも言います。どういうわけか葉菜ちゃんも花野ちゃんも言葉の喋り始めが早かったですが、はるちゃんもそうなのでしょうか。まぁ、喋らないというのはまた赤ちゃんのかわいさの一つでもあるので、そんなに早く喋らないでもいいです(笑)。言葉の真似がすごく上手な気がします。「はるちゃん」らしき音もよく出しています。
 寝返りはだいぶうまくなって、もう割と自由自在です。本当に取りたいものがあったりすると、うつぶせで前進する時もあって、はいはいの予兆が見えます。結構力強い。座るのもなかなか上手になってきました。日々、すごいスピードで色々なことを学び、成長していっているのですね。この0~3歳くらいの時期の成長の幅は、その後の人生全ての成長の幅よりも遥かに大きいのではないかと思います。僕たちは誰しも、このものすごいスピードの成長を体験したことがあるのです。だから、こうしてここにいる。僕らが日々、当たり前だと思ってやっていることのほとんどが、実はすごく膨大な情報処理のもとに成り立っています。その基本全てを、3歳くらいまでに身に着けたのだと思います。座る、立つ、歩く、喋る、そういった一つ一つが、ものすごいこと。これだけの吸収力、学習力を持つ時期だからこそ、愛情とか、家族内の平和な空気とかの中で育って欲しいなと思います。そういうものは、言葉の意味がわからないこの人たちに対しては特に、余計にごまかしが効かないものだと思います。愛してると言って、本当に愛していないのなら通じるものではないし、みせかけの平和も、ただそういうものとして伝わってしまうと思います。取り繕うことが不可能、というのはむしろ安心感があるものですが、日々、試されるものがあるのを感じます。表面上取り繕うことが不可能で、なお問題を抱えているのならどうすればいいのか。僕にできるのは、やる必要のあることは、地に足をつけて、日々を、一呼吸を、歩く一歩を、もっともっと丁寧に生きていくことだと思います。

ピッピが好き。リンドグレーンが好き。
 先日のキャンプの夜、みんなで軽くお酒を飲みながらゆっくり話してたんですが、その中で『長くつ下のピッピ』やロッタちゃんシリーズの著者、リンドグレーンの話題も出ました。「アスドリッド・リンドグレーンが大好き」と友人が言いだして、「いいよね!」と僕が乗り、2人で他の友人たちに強力プッシュする展開がありました(笑)。その友人は自分が小学生低学年の頃からのファンだそうです。僕もどうやら子どもの頃母に読んでもらったことがあるようだけど現在記憶になく、ここ数年で大ファンになった感じです。まだ読んでいないお話もたくさんありますが、リンドグレーンを読んでおけば間違いない。という安心感、信頼感が強くあります。彼女はいつも子どもの目線から物語を紡ぎ、だから絶対に子どもを裏切りません。ほんと好き。今は『ちいさいロッタちゃん』が、図書館から借りられてきて、あります。
 で、そのとき僕らに勧められた友達2人が早速図書館でピッピとかを借りてくれて、子どもと読んでいるのを今日知って嬉しかったので、またピッピたちに思いを馳せたりしていました。本は三部作ですが、「ごたごた荘」に一人で住むピッピと、その隣の家に住む兄妹のトミーとアンニカの3人が中心の物語。ピッピは誰にも負けない怪力(馬を軽々と持ち上げます)と驚異の身体能力を持った9歳の女の子。その力が彼女の最もわかりやすい特徴だと思いますが、彼女の魅力が、物語の魅力がそこにあるわけでは無いと思います。ピッピは徹底して優しい、子どもたちの味方。ピッピを読んでいると、子どもが本来持っている、でも現実には与えられていない権利(僕ら大人が制限しているもの)が、見えてくる気がしています。例えばピッピの腕力は物語の上で、腕力で言うことを聞かそうとする大人たちから自由であるためのものです。力持ちで、金貨をたくさん持っていて、父親は遠くに住んでいる(母は亡くなっている)ピッピは腕力による暴力で、お金で、子どもだからという理由で、抑えつけられることがないのです。あとそう。ピッピは学校に通っていません。たまに遊びに行くことはあるけど。今の日本のように、「子どもは大人に従うもの」「大人に都合のいい子が『いい子』と呼ばれる」というのが当たり前の世の中では、ピッピは受け入れがたい存在でしょう。実際発表された当時のスウェーデンでも、批判的な論調もすごくあったそうです。しかし圧倒的に支持したのは、子どもたち!
 リンドグレーンの深い愛情と、自らの中にいる子どもへの深い理解が、素敵な人を、物語を描ける要因だと思います。それこそ、ごまかしは効きません。「美しい物語を書こう」と思っても、その人が自分の中の美しさに触れられなかったり、そもそも育てていないなら、表面上どれだけ美しい言葉を並べたとして、それっぽい話を書いたとしても、本当に美しい話は書けません。どんな絵も歌も詩も、ダンスも、僕のこの短い文章だって、良くも悪くも、その人のそのままが表れるだけのこと。自分の中の良い部分を表現しようとは思うけど、自分を良く見せようと思わなくていい安心感の中で、これを書いています。健

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