ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 254号

いつもありがとうございます。雨ですねー。結局今日も一日降ってたなぁ。

文中で、日本の自殺者が年間3万人って書いてますが、ここ数年は統計だと3万は切ってて、2015年は2万4千台だそうです。訂正。
しかし「変死」というのは15万人とか17万人とか年間にいるそうで(警視庁のホームページで数字探せなくて、ネットの色んな情報もソースも不明なんですが)、そのうちの何割かは自殺と思われるので、実際の2万4千とかより遥かに多いのは確かです。2万4千、の「自殺者」の中にも実際は他殺、事故の場合も多いみたいなので、結局実際の数字は把握のしようがないのだなぁと、調べてて思いました。あんまり数字を安易に使わない方がいいですね。それはともかく、何千、何万と、どれだけ数字が大きくなろうとも、そこには一人一人の人生があって、その亡くなった人の親や子供、家族、友人たちがその周りにはいる、ということは絶対に忘れてはいけないことだと思います。

では先週のひとつぶ便りです。書きたいことが多すぎて、まとまらなかったパターン(よくある)。

ひとつぶ便り 254号(2016年9月16日便)

 いつもありがとうございます。今日(13日)は雨で、だいぶ涼しかったですが、9月に入っても暑さがとどまるところを知らない感じです。いつもの年ならそろそろ秋の葉物が採れ始める時期ですが、何しろ今年は秋の畑の野菜たちが稀に見る壊滅的な状況で、全然ありません。夏野菜たちがまだ少しはがんばってくれているのでなんとかセットになる、という感じですが、夏野菜も時期的に終わってくるのでどうしよう、という厳しい状況。秋の野菜、播き直せるものは播き直しをしましたが、もう間に合わないキャベツやブロッコリーなどは、今年はほぼ収穫が見込めません。こんなにひどい状況は初年度を除いては初めてです。といってもたかだか7年か8年くらいのキャリアですが。少し前の暑さと乾燥が主な原因ですが、他の農家さんは問題なかったりすると思うので、僕の農家としての実力、勘その他の未熟さはもちろんのことです。と、窮状をお伝えしなければいけないのと出せない野菜があるのは大変申し訳ありませんが、先週や先々週、壊滅的な畑の様子を見て結構落ち込んだ僕の気持ちはだいぶ立ち直り、今日も元気にやっています。お米と小麦はあるし、とりあえず自分たちが食べるものには困らないのはものすごくありがたいことだと思います。

抑圧されている世界中の人たち
 9月4日にドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」の上映会を、僕ら夫婦と友人Aちゃんの企画でやりました。そこに出てくる東ティモールの人々の、大地に根差した視点、知恵、生き方、そういったものに魅せられてか、ゆっこさんが『写真集 世界の先住民族  危機にたつ人々』(明石書店 アート・デイヴィッドソン=著 鈴木清史+中坪央暁=訳 1996年)というのを図書館で借りてきました。大きくて分厚い本。世界中の先住民族の危機について写真と共に取り上げた、すごく充実の内容です。著者自身、アラスカの先住民族とこの時点で20年以上暮らしているそうなので、ただ本が分厚いだけでなく、内容も骨太で、魂がこもっています。そこには地に足の着いたジャーナリズムを感じます。が、特に興味のある人もいないらしく、20年前の本で、図書館に入ったのもそれくらい前なのかもしれませんが、借りられたのは今回が初めて。北アメリカの数々の先住民の話から始まり、アイヌのことや、東ティモールやその周辺のことも書いてあります。それぞれ土地も気候も違うし、着るものなどはそれぞれが個性的な文化を持っていますが、大地と共に生きる知恵、例えば樹々を大切にすること、採りすぎない知恵、人を含む全ての命への敬意、人々が平和的に暮らしていたこと、そういうものは共通している部分も多く、「これ他の民族でも見た」というのがよくあります。どの人たちの話だったっけ、ってなります。そしてこれは共通して欲しくないところですが、石油などの資源を狙った僕ら先進国と呼ばれる国々によって、土地と文化を非常に暴力的な方法で奪い取られているということもまた、共通しています。天然痘やインフルエンザといったものによる、結果的な大量殺りくもあったようですが、もっと直接的に侵略者たちは銃で大量に殺害する、女性はレイプする、というのがどこの民族もやられているお決まりのパターン。そして、土地に根差した文化を「劣ったもの」という「教育」が為され、その土地に育った人々は文化を、尊厳を破壊されていく。「日本人」はアイヌの人々にまさにこれを過去にやり、現在もやり続けています。全く詳しくありませんが、沖縄は特に、暴力によって土地を奪われ、人権を無視され続けている、現在進行形の場所なのだと思います。この国には「日本人」であることに誇りを持っている人はなぜか多い気がしますが、例えば東ティモールの人々にしたことに、アイヌに、沖縄の人々にかつてしたことと現在していることを知ってなお誇れる人はほとんどいないと思います。僕らはあまりに知らない。それは知らされていないからだし、考えさせないようにされているからですが、現実を直視せずして、現実の世界の美しさを知ることはできません。僕らはかなりの部分、偽りの世界を生きていると言えるのかもしれません。本当の世界の美しさを知らない。それがどういうものかすら知らない。それだけ世の中にあふれる言葉や行動には嘘が含まれているように感じます。特にテレビから流れてくる情報は、恐らくその最たるもの。うちにテレビはありませんが、それは何かを隠し、欺き、僕らを麻痺させる道具です。テレビも、新聞もそうですが、政府の、スポンサーの大企業の言い成りで、そこに都合のいいようにしているのだから、当然こちらに真実は伝わってこない。そういうものに日夜触れていたら、人は自分の本当の気持ちに気づけなくなります。それが全て嘘ではないにせよ、偽りの無い言葉を探すのは、日常の中でも本当に難しい気がします。だからこそ、偽りを含まない本当の言葉や行動に触れた時、強く心を動かされます。涙が出る。それはとても美しいものです。東ティモールの人々の言葉や歌が、そうであるように。
 
 僕らは世界中の苦しむ人たちから食べ物を奪い、土地を奪い、生活を奪い、人権を奪って生活しています。自分も含む、ほとんど全ての日本人の無関心は、恐ろしい力を持っています。僕らの払った税金が、買い物に使ったお金が、今もどこかで誰かの命を奪っています。それは構造的なものへの荷担という意味でも、直接的な意味でも。例えば東ティモールでは数十万人がインドネシアの兵士の犠牲になりましたが、資金面でそれを世界一支援していたのが日本。現在も西パプワなどでインドネシア軍は虐殺を繰り返しているようですが、その虐殺に僕らの税金が使われています。それはほんの、一例にすぎません。
 また、水と緑に恵まれ、本来食べ物に困るはずのない日本は現在、6割の食べ物を海外からの輸入に頼っています。例えばコーヒーもチョコレートを、ふつうにスーパーに並んでいるものを買うのなら、その裏には原料を生産する現場における、過酷な労働をさせられる子どもたちの姿があります。手袋も買えない、与えられない劣悪な環境で農薬を撒かされる農民たちの姿があります。食べ物だけはなく、石油、ウラン、レアメタル、そういったものを狙い、土地を追われる人たちがいます。土地を奪われ、過酷な労働環境で銃を突き付けられながら働く人たちもいます。そんな犠牲の上に、僕らは生きています。そしてその結果、僕らは幸せなっているんですか?3万人、1年間に自殺するこの国は、幸せなんですか?「勝て」、「成長しろ」、という僕らの社会が目指しているところが間違っていることに、僕らは気づけるはずです。それによって苦しんでいるのだから。「こっちの道の方がいいよ」と誘い、そこにあった大地に根差した文化は劣ったものとして扱い、消していったわけですが、これはきっと誘った側も本気でそう思っていたのです。でも、今に生きている僕らは知っています。こっちの道の方がいい、なんてことは全くなかったことを。自然を敬い、自然に寄り添い、優しく生きること。そういう、世界中で抑圧されている先住民の人々の知恵こそが、僕らが最も大切にしなくてはならないものです。それを既に僕らは知っているはずです。自分のため、世界のため、自らの生活を見直すこと、もっとやっていきたいです。 健


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