ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 257号

いつもありがとうございます。急に寒くなりましたねー!
雨続きでやっと晴れたと思ったら、秋を通り越して冬の足音。

先週のひとつぶ便りです。稲刈りは先週の出荷のあとの金、土曜日に無事終わりました!

ひとつぶ便り 257号(2016年10月7日便)
 いつもありがとうございます。ここのところ、晴れ間も少しはありますが、やはり雨が多い天気です。他にもやりたいことはありますが、何しろ稲刈りを早くやってしまいたいのですが、田んぼに水がたまっているような状態だと機械が入れません。稲刈りのあとは稲架(はざ)掛けをして、天日干しにするのですが、この天気では乾くどころの話ではありませんね。9月中頃にはだいぶ、稲が刈られ、天日干しにされている田んぼを多く見かけるのですが、今年はその時期から雨続きのため、まだまだかなりの田んぼの稲が収穫を待っている状態です。僕らの住んでいるあたりは山間部で、一枚一枚の田んぼは小さいし、標高も高いので水温も上がりません。稲の栽培、そしてお米の販売には適した環境ではないので、ほとんどの人が自分の家で食べる分と、少し売る分、という感じで稲を育てていると思います。他に仕事を持っていて、週末農業でお米だけやっている、という人も多い。その場合、土・日など休日で作業しなくてはいけないため、そこで天候に恵まれないと、また一週間先送りということになります。こんな天候の時は特に苦労するのだと思います。僕も10月後半から冬にかけては一時的にそういう時期がありますが、どこかに勤めながら田んぼや畑をやる、というのもまた大変なことだと思います。そういう人たちによって、こうした田畑の小さい、経済的に見ると効率の悪い中山間地などでの農業が支えられています。

 お伝えしている通り、秋のキャベツやブロッコリー、大根、葉物など、壊滅的な状況で、キャベツなどはもう今年は収穫が見込めない、という状況ですが、播き直した葉物たちがこの長雨の中ですが育ってきてくれています。夏野菜も終わってきてなかなかセットが充実していませんが、今年の秋はこんな感じです。今年は暑さなどの要因により、ジャガイモやニンジン、カボチャなど保存の効くものたちもかなり不作で、本当に出すものが無くなりそうです。いつもよりだいぶ早く、今シーズンの出荷を終えることになるかもしれませんが、その時はまたご連絡します。
 土の力、野菜たちの力をしっかり引き出せていないのをもどかしく感じます。そこにいる小さいものたちが活き活きと躍動できる環境を、育んでいけたらなと思います。天候はどうしようもないことですが、今回秋野菜がうまく育たなかったのはもちろんそれだけが原因ではありません。土や野菜を見る力がもっとあって、やるべき時にやるべきことをやれたらなら、より健康でたくましい土と野菜を育てることができると思います。土を、自然を、もっともっともっと、理解していきたいです。それは何より楽しいことだし、理解すればするほどに、見える世界は広がり、深まり、より美しくなります。今、全然理解は深くはありませんが、それでもこの農業の世界に足を踏み入れた9年前よりはかなり深まっているし、それによって自分の見えているものが、生きている世界が、広がって、深まって、美しくなっているから、この道を行くならこれからもきっとそう。なんとも素敵な日々。
 少し前、畑がだいぶ壊滅的になったときはそれはだいぶ凹みましたが、それはそれできちんとショックを受けてきちんと立ち直りました。野菜は少なくてもまぁあるし、お米も小麦もあるし、家族は元気だし、今日見た空もきれいでした。とても、ありがたい。ありがとう。

自然に触れる
 緑に囲まれ、土の上で仕事ができるのは素敵なことだし、たまに都会からこういう場所に体験に来るような方は、すごく気持ちよく畑仕事や自然を満喫している印象があります。テレビとか雑誌とか、メディアはきれいなところばかり切り取るから、都会の人は農業に対するイメージがそこまで悪くないような気もします。でも農家の多くは自然を満喫してなんかいないと思うし、土の上で働く喜びだって、どこまであるのか疑問です。ビニールで全面を覆った畑に、虫や菌を殺す薬剤を、大型トラクターに乗って毎日毎日撒く仕事は、自然を敬うものではなく、自然に寄り添うものではなく、それを征服しようとする姿勢です。それはたぶん、先進国と呼ばれる国のほとんどが持っている姿勢であって、僕らの生きている社会の基本方針。完全に間違ってますが。
 そういうのが有機農業だったらだいぶマシなのかと言ったらそれもわかりません。僕らも含め、少なくとも「野菜を売る」という時点でやらなければいけないこと、考えなければいけないことは増えます。目の前に自然が広がっているのに、それが目に入らない、それに触れられない、というのはこんな小さな農業をしている僕らですらあります。例えばジャガイモを掘っていれば目の前に土があり、足は土の上、手は土に触れている状況ですが、ある程度慣れていればそこまで集中していなくてもできてしまう作業。ジャガイモを掘ることではなく他の、例えば自分の不安から逃れるための思考を頭に巡らせていたりするし、食べるためのものとしてというよりも売るためのものとして、収量を気にしていたりもする。よくあることですが、これこそ本当に、もったいないことだと思います。その時、目の前には奇跡が広がっているのに、それをきちんと見ていない、触れていないのだから。「土」と一言で言うけれど、虫やミミズやもっと小さいものたち、草、鉱物、色々なものたちが生きたり、死んで他の形になったり、ということを繰り返してそれはそこにある。というより、その命たちのダイナミックな動きそのものが「土」という方が、より真実に近いかもしれません。そしてその命たちは、例えば太陽や地球の回転があるからそこにいる。きちんと見ていくのなら、そこに関係のないものは何もありません。あるものは、他の全てのものからできています。僕らの細胞一つ一つだってそうだし、心もまたそういうものです。他のものから独立して存在するものも、形を変えずに存在しているものも、決してありません。それは、当たり前のことなのだけど、この国ではほとんどの人が忘れているような気がします。それは、ただ目の前のものを見られるのなら、いつでも見られるのだけど、それは自分の中の不安や怖れとも向き合わなければいけないことであるし、そこから目を逸らしたいというのも当然のこと。そして、テレビもパソコンもスマホも、そこから目を逸らすのに最適な道具。でも、そこから目を逸らすのは、自分自身から目を逸らし、自然から目を逸らすこと。それはたぶん結局、生きる喜びから目を逸らすことでもあります。
 緑に囲まれた環境、土の上にいたからといって必ずしも自然を感じられるわけではないし、都会の雑踏にいながらなお、自然を感じることができると思います。僕らがきちんと目の前にあるものを、見つめられるのならば。一歩一歩、大切に歩けるのならば。一息一息を、大切にできるのならば。僕らは息をしようと思ってしているわけではないし、心臓を動かそうと思ってそれが動いているわけではありません。今ここでこの体に起こっているのは奇跡そのものだし、今ここにあるのは自然そのものです。例えばお金はただの幻想ですが、僕らの体や呼吸ははっきりとした現実です。幻想の世界ではなく現実の世界にこそ楽しさがあるし、幸せがあります。今、生きている誰もが呼吸しています。ありがたいです。 健
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