ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 260号

いつもありがとうございます。少し前に風邪ひいて、喉の痛みとかは昨日おさまったけど、今度は微熱。まぁ、酒蔵も行ってるし、割と元気ではあります。

先週のひとつぶ便りです。


ひとつぶ便り 260号(2016年10月28日便)
 いつもありがとうございます。夜は結構冷え込むし、軽い霜は時々降りています。そして25日は強い霜!降りました!季節の変わり目で、体調を崩しやすいですね。うちはみんな風邪気味です。はるちゃんも先週あたり風邪をひいて、顔を赤くして苦しそうにしていましたが、一日でだいぶ回復し、もう元気です。強い霜が降りたので、畑もだいぶ様変わりしました。寒さに弱いズッキーニなどは葉っぱが全てやられました(株自体はまだ生きているようです)。今回も葉っぱもの中心のセットですが、葉物たちは霜に当たると柔らかさと甘みが増していきます。葉っぱに関しては、これからがいちばん美味しい季節です。

『月刊たくさんのふしぎ』

 『月刊 たくさんのふしぎ』(福音館書店)という雑誌をご存知でしょうか?これがすごくおもしろい!僕らの住む佐久穂町の図書館に、バックナンバーもたくさん並んでいて、ゆっこさん達が最近よく借りてきます。色々な「ふしぎ」について、毎回違う著者(専門家など)が、一つのテーマについて、写真や絵をもとに、伝えてくれます。描く人によっては一冊まるまる絵本、みたいな感じの時もあります。ジャンルは多岐に渡り、どれも読みたくなります。タイトルを見ているだけで興奮のあまり鼻息が荒くなります(笑)。小学校3年生から、ということですが、小学校1年生の葉菜ちゃんも自分で読んでいたりするし、4歳の花野ちゃんが楽しめるものもあります。僕もゆっこさんもとても楽しんでいます。ほんとおもしろい。2000年、とかの本もあるのでかなり前からやってるなぁと思って今調べていたら、第一号は1985年!30年以上前!僕が産まれた次の年!現在も継続中。ちなみに第一号は『いっぽんの鉛筆のむこうに』。文は谷川俊太郎さんです。「子どもたちに身近な鉛筆。その鉛筆ができる過程と、その過程にたずさわるスリランカ、アメリカ、メキシコ、日本など、各国の人びとの労働と生活、考え方を記録したユニークな絵本。」ということだそうです。これも見てみたい。この雑誌はこういう、深く、広く、好奇心にあふれた視点を、30年、一貫して持ち続け、表現している感じがします。内容がすごく多彩で、書いている人も色々なのに、底に流れているものが、どっしり安定している感じ。世界の広さとか、自然の素晴らしさとか、色々なことを教えてくれる素敵な雑誌です。最新の2016年11月号は『わたしたちのカメムシずかん』だそうです。岩手県の全校生徒29人の学校で起こった実話と、カメムシに対する最新知見を盛り込んだ内容だとか。いちいちすごくいいとこついてくる感じがたまりません。

『わたしのスカート』
で、まだ『たくさんのふしぎ』の話を続けますが(笑)、この前ゆっこさんと子どもたちが借りてきたのは『土の家』、『サーカスの学校』そして、『わたしのスカート』で、どれもおもしろいですが、中でも『わたしのスカート』はおススメです。機会があれば是非。2004年の11月号。これは、東南アジアの内陸国ラオスの、モン族という民族(ラオスは他民族がそれぞれの言語、文化で暮らしているようです。)の一人の女の子が、お母さん、お婆さん、お父さんに、自分も手伝いながらモン族の民族衣装であるスカートをつくる話。これ、たまらんです。
おさがりではない、自分用のスカートをつくることになったマイという女の子がまずお母さんに「麻の種をまくのよ」と言われるところから、スカートづくりが始まります。麻を育て収穫し、麻の糸をつくり、麻の糸から布を織っていく。刺繍をしたり、お父さんが採ってきたハチの巣のミツロウでろうけつ染めをしたり、細かい装飾もしていきます。やっていることは「スカートをつくる」ということ。それはこんなにも、すごいこと。何という言葉を使えばいいのかわかりませんが、こういうことだよな、と思います。
つくるための道具、麻などの材料、藍などの染料やそれを発色させたりするための石灰など、全てその土地にあるものです。人が手と心を尽くし、大地に、自然に感謝しながらそれをつくっていく。そして何か月もかけてつくった色とりどりのスカートを、正月に着て、みんなで遊ぶ。本当に、素敵。

この、モン族の人たちがやっていることは、例えば現在の日本の価値観からすれば、非効率、非経済の、バカげた行動、ということになるのだと思います。あとがきに書いてありましたが、村までの道路が通り、古いスカートは買い付けられ、村ではプリント地のスカートをはいている子が多くなったようです。2004年の時点だから、今はどうなっているのだろう。この時点ではスカートづくり自体は受け継がれている、ということは書いてあります。あとがきは今読みましたが、悲しいような、ものすごい怒りのような、なんともいえない気持ちになっています。これは本来、お金で買えるようなものではないのです。「このスカートは高く売れるから、これを売ったお金で楽に暮らせばいいよ。スカートだって安いのを買えばいい。」というのが「文明的」な「先進国」の考え方です。そうやって、世界中から文化が失われ、人は肉体的にも精神的にもどんどん飢えていっているのだと思います。それは日本でも起こっていること。
僕らが着ている服だって、自然の恵みです。綿であれ、化学繊維であれ、元は自然にあるものです。それは太陽や大地や植物、それをとりまく動物、様々な環境全てから、できたものです。でも、それを意識することはとても難しい。どこで誰がどのように作ったのか、材料はどんな植物や物質なのか、どんな道具や機械が使われたのか、どんな歴史があってそれがここにあるのか、自分の着ているものについて、きちんと説明できる人が今の日本にどれだけいますか?自分の食べているものについて、きちんと説明できる人が、今の日本にどれだけいますか?よくわからない服を着て、よくわからないものを食べ、よくわからない家に住んでいる。少し前までは、特に農村ならば、この絵本のように麻や綿を育てるところから服をつくっていたろうし、自分たちの田畑のものを食べ、そのへんの木で家を建てていたのに。
現在、「自分の田畑のものを食べる」ということは、ある程度やっている人は多いですが、そこにかつてあった、自分たちの集落内で循環し、持続していくシステムは失われています。現在の一般的な農業においては化学肥料や農薬、そして種子など、どこかから買って来なくてはいけないし、昔は多くの人手でやっていたことを1人とかでやらなくてはいけなくなり、トラクターや軽トラなどの機械も必須。「自給自足」と言うけれど、さてどのあたりが「自給」できているのか、と、自分たちの農業を見ても思います。色々とできないこと、難しいことはありますが、目指すことは可能だし、できることもたくさんあります。日々、僕は喜びと楽しさを感じて暮らしていますが、身の回りのものが、どこからきたものか、誰がつくったものか、もっともっとわかるのなら、その楽しさも喜びも、もっと深くなっていくでしょう。
色々な著者たちが『たくさんのふしぎ』には登場しますが、彼らは自分の興味ある分野を、ひたすらに愛しています。世界はこんなにも広く、深く、楽しく、美しいんだということは、何からでも、どこからでも知ることができるというのを教えてくれます。世界はふしぎ。自然はふしぎ。どこまで行っても。健
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