ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 278号

いつもありがとうございます。今週の出荷も終わっているので、今週のお便りも書いてありますが、先週のをまだアップしていなかったので、アップします。小麦は昨日、脱穀をして、途中で夕方結局雨が降ってきたのでまだ少し残っていますが、だいぶできました。心配していた穂発芽はほとんどしていないようで、よかったです。そして今年も自分のとこの小麦が食べられそうで、ありがたいです。
では先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 278号(2017年8月4日便) 
 いつもありがとうございます。ここ2週間ぐらいほぼ晴れていません。雨もよく降ります。先月末の30日は本当に久しぶりに晴れて嬉しかったですが、その一日だけで、またそのあと雲が多い天気です。僕らの住んでいる長野県の東のあたりは大平洋側の気候に近くて、基本的には一年を通してよく晴れている場所です。そろそろ晴れて、続いてほしいです。2週間前に刈って、はざにかけて干してある小麦が全然乾かなくて、脱穀できていません。他、いろいろと雨のためできない作業があります。あとまぁ春からの疲れもあってか、こう重い天気だと特に動きにくいです。いや晴れて暑くても動けないな(笑)。畑の中も周りも、草の勢いがものすごいですが、僕は割とスローペースな今日この頃です。こんな雨続きの天候の中であろうがなんだろうが、野菜たちはいつでも、今も、たくましく生き抜いています。その時おかれた環境で、命をつないでいくのに最善の方法を、ためらわず選択しているように見えます。すごく、かっこいい。種を残すために大切に育てた実を人間にとられたその瞬間に他の実に全力を注ぎ、大切に大きくした葉っぱと茎をことごとく鹿に食べられたその瞬間に、脇芽を出して新たな形に再生することを始めます。めげることなく、あきらめることなく、ためらうことなく、たぶん恨むことも怒ることもなく、彼らはいつでもその時するべき最善のことを全力で行います。次の世代に種を残すために。命をつなぐために。それは、子どもを自分の命を投げ出してでも守り抜こうとする動物や人に備わっているものと、同じものである気がします。野菜や豆、穀物と呼ばれる植物たちが、そうやってひたむきに、懸命に生きているそのどこかを、僕らは毎日いただいています。ありがとう。

 先週の出荷の日、佐久と小諸まで野菜を直接届けにいく車の運転中、雲の多い空がとてもきれいで、色々と巡るが頭の中の考えが一つ一つくっきりと見えて、そういう思考の一つ一つが、全部誰かか何かにもらったもので、「自分のもの」なんて一つもないことも見えて、他の人やものの集まりが「自分」と呼んでいるこれなんだというのを強く感じられた時間がありました。それはそれは、いい感じのする時間でした。言葉で説明しにくいのですが続けます。今いる人たちの存在もよく感じたけど、特に感じたのは過去の人たちの存在。遺伝的なものだけ考えたとしても、例えば僕の親は2人、おじいちゃんおばあちゃんは4人、その上の世代は8人、とたどっていけば膨大な数の人たちの続きとして自分がいることは明らかですが、べつに血縁が関係なくとも、人それぞれが持つ様々なものが言葉や経験、行動、歌や踊り、多種多様な伝達方法をもって、太古の昔から受け継がれてきています。そういうものがなかったら、僕が日ごろ「自分の考え」と思っている何一つ、存在することはできません。真面目な考えからどうでもいいと思う考えも全てが、誰かか何かにもらったものです。もちろん考えだけではなく一つ一つの仕草、表情、姿勢、歩き方、そういうものも全てそうです。今、はるちゃん(1歳5か月)がやっているように、もともとは誰かの真似をしたり、教えられたりして身についたもの。それを教えてくれた親や他の人たちもまた、親か他の誰かに教わったのです。僕の中にはそういう過去の人も、今世界中にいる人も、野菜もお米も小麦も、みんないる、というのを理屈ではなく実感として味わう時間はいいものです。   健

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