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ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 306号

いつもありがとうございます。久々の更新。だいぶ記事がたまっております。まぁ、もうすぐ寝るので今日はとりあえず2つあげておこうかな。

ひとつぶ便り 306号(2018年6月29日便)
 いつもありがとうございます。いつもはたいてい出荷作業の前日にお便りを書いていますが、今日は当日書いています。現在は収穫してきて大根などを洗い、お昼を食べたあとです。この、木曜日の出荷の作業は大まかに言えば2人で収穫して、袋詰めなどをして、箱詰め、という感じです。それを車で近くのクロネコヤマトさんに夜の7時までに持ち込んで、皆さんのもとに運ばれます。佐久方面には、直接お届けもしています。ゆっこさんは毎回その日にお便りを書くので、そういう作業や色々と事務作業もあります。週によって出す箱数が違うし、野菜の内容も毎週どんどん変わっていくので、例えばただ「収穫」といってもかかる時間も違えばやる作業も違います。手間がかかったり、かからなかったりも色々です。天候によっても作業が大変だったり楽だったり、何かと違います。今日の明け方は強い雨でしたが、そのあとはだいぶ弱まって、お昼過ぎの現在は雨が上がって曇りの状態。曇りの日は動きやすいし、野菜もしなびたりしにくいので、出荷の日に曇りはありがたい感じがします。子どもたちは、葉菜ちゃん(9歳)は小学校へ行き、花野ちゃんは幼稚園に、はるちゃんは近くに住むゆっこさんの父(僕の義父)に見てもらっています。幼稚園が終われば、花野ちゃんも一緒に見てもらっています。子どもたちは喜んで行くし、僕らとしても本当に助かります。葉菜ちゃんは学校から帰ってくるのが4時くらいなので、そのままうちで1人、本を読んでいたり、宿題をやったり、気が向けば「葉菜ちゃん通信」を書いたりします。
 ところで、こうして野菜を育てて売っている僕やゆっこさんは「生産者」と呼ばれることもありますが、この呼び方はものすごく違和感があります。「私が作りました」という文言と共に農家たちの顔写真が並んでいるようなカタログや、直売所も見たことありますが、僕の感覚としては自分が野菜を生んだとか、作ったとか、そんなことはとても言えません。確かに畑で何かを育てるには、そこで働く人たちの多大な労働が伴います。特に、大きな機械、よそから買ってきた肥料を使い、一面にビニールを張り、薬剤を散布しながら行う現在の一般的な農業は、「私が作った」とか「人間が作った」という錯覚を起こしやすい気がします。ひとつぶ農園の畑も、人も大きく関わって、そこにあります。畑には農家だけでなくその周りにある様々な産業に従事する人、そこで採れるものを買う人、遥か異国の地で石油を掘削する人、官僚や政治家、密接なところだけ挙げてもとても挙げきれないほど様々な「人間」が関わっています。そのように、そこには人間の存在もありますが、まず何よりそこには、土があります。虫や草、微生物、土の中、土の上で生き、死に、それぞれが関わり合い、依存しあいながら存在する命の姿があります。空には太陽があり、雲があり、雨が降ってきます。それが、その命たちを支えています。その命たちが、土になり、その営みが土そのものであり、土が野菜を育て、土が野菜そのものになります。野菜を作る、野菜を育てる、それが主に人間によるものだという考え方は、あまりに狭い物の見方だし、本当の現実と大きく異なっています。僕がお便りの中で「僕らが育てた」と書く時、その「僕ら」は、僕とかゆっこさんとか、畑を手伝ってくれた人たちだけを指しているわけではありません。土、虫、草、雲、雨、風、太陽、全ての自然を含めての意味です。この体も心も、そういう自然から、できているもの。「私が作りました」ではなく、野菜やお米に「私が作られました」という方が、遥かに現実に近い気がします。     健
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