ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

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ひとつぶ便り 293号

いつもありがとうございます。ものすごく更新を滞らせ、記事がたまっていたのでまとめてアップします。年内にあげておきたいので。1か月以上前の話はすごく前の話のような気がします。このときとは季節も気温も自分のやっていることも全然違うし、はるちゃんもより成長しています。「こみけんママ」はよりはっきりと呼ばれますが。
では、11月17日のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 293号(2017年11月17日便)
 いつもありがとうございます。心より。こう寒くなってくると、お日様の暖かさを、そのありがたみを今までよりだいぶ強く感じます。外の世界全てが凍り、雪が降って閉ざされるまでもうすぐですが、まだまだやること、やりたいことは色々たくさんあって、一日一日が貴重です。今年の冬はここ4年勤めた酒蔵へは行かないことにしたので、農作業がいつもよりかなりできます。その分もちろん収入はありませんが、畑と家族に向き合えるのはとても嬉しいです。しっかり稼げる農家さんたちは夏場の収入だけで食べていけますが、うちは全くそんなことはないので冬も何かしらやらなくてはいけません。今年は、酒蔵に行く前に勤めていた近くのスキー場(リフト係)に行く予定ですが、そこもあと2年くらいでなくなりそうなので何か他に、冬の収入を得る手段を考えないといけない状況です。
 10月が雨ばかりだった関係で、未だにジャガイモ掘りをしています。毎日のように掘っているのでだいぶ進んで、あともう少しというところまできていますが、まだあと2日くらいはかかりそうです。ジャガイモのように土に触れながらの収穫だと、ほかの野菜も同じことですが、「土が野菜になる」ということをより強く感じます。そこにいるネズミやモグラや虫などの生き物たち、微生物たち、雑草たち、土の一部分だけ見ても、ものすごく多くの数の生き物たちが生き、死に、そのおかげで野菜たちが育っています。そういう土の力、太陽の光、雨や風、すべての自然のおかげで、野菜や豆や穀物が育っています。それらを自分たちが食べられるように、うちの農園も電気柵を張ったりして鹿などの獣から守りますが、本来あらゆる土地も、そこの収穫も、人のものでも誰のものでもないよな、とよく思います。
 うちの三姉妹の3番目、はるちゃんは1歳9か月になりました。毎日なかなか愉快です。僕は家族全員からあだ名の「こみけん」(旧姓が小宮なので)で呼ばれていますが、最近はるちゃんは僕のことを「こみけんママ」と呼びます。はるちゃんは僕のことを「ママ」と呼ぶことがこれまでもありましたが、組み合わせてしまったようで、そんな呼び方をします。発音は少し難しいようで、「こみちぇんママ」みたいな音です。おもしろいです。ちなみに僕ら夫婦のことは基本的に全員が「こみけん」「ゆっこちゃん」という呼び方をしますが、花野ちゃん(5歳)がゆっこさんに対して「ママ」というのをいつからか多用するので(呼ばれる本人は嫌そう)、はるちゃんもゆっこさんを「ママ」と呼ぶことが多いです。言いやすいのもあるでしょうね。なので、はるちゃんは「ママ」と「こみけんママ」というふうに、呼び分けたりします。稀に、「ママー」と言ってゆっこさんを素通りして僕にきたりもします。まだまだ言葉ははっきりした発音ではありませんが、特定の言葉がやたらと上手だったりして、それもおもしろいです。
「かえるの歌」のヘビーローテーションが得意技で、ひたすら歌っている時があります。よくみんなで合唱しています。葉菜ちゃん(8歳)の真似か、「せーのっ」という掛け声から始めることも多いです。
 うちは全員大変な食いしん坊ですが、はるちゃんもなかなかです。最近はまたよく食べます。ニンジンとかカボチャとか、いかにも好きそうなものも好きですが、葉っぱ類もどんどん食べます。ごはんとジャガイモを散々食べたあとに、大根葉のおかわりをたっぷり食べたりします。時々風邪もひきますが、元気で生きていてくれて嬉しいです。おかげさまで、生きています。いつもありがとうございます。  健

ひとつぶ便り 292号

いつもありがとうございます。先週のお便りをアップします。

ひとつぶ便り 292号(2017年11月10日便)
 いつもありがとうございます。こちらは、朝は連日0℃前後まで気温が下がって霜が降りていますが、昼間はだいぶ温度が上がって農作業もしやすいです。我が家はそれぞれ風邪をひいたりお腹をこわしたりと体調を崩し気味でしたが、全員今はだいぶ元気になってきた感じです。皆さまいかがお過ごしでしょうか。どうか心も体も大切に、日々をお過ごしください。
 11月ですが、僕は連日ジャガイモを掘っています。10月はとにかく雨続きだったので、刈って稲架掛けしてある稲の脱穀は未だにできていませんが、乾かないことにはできないので、とにかくジャガイモを掘っています。ジャガイモは7月中頃から掘れるので、機械でやってしまう農家さんたちはたぶん1日とかで終わらせてしまうものなのですが、僕らのように手で掘っている半端に小さい農家たちは、毎年10月頃まで掘っています。これも雨のため、今年は10月にほとんど掘れなかったので、今やっています。だいぶ追い上げて、後半には入っていますが、まだ何百キロか埋まっていそうです。50メートル1畝で、全部で12列ほど今年はやっていますが、これだけの面積(距離)を手で掘れるのなら、たいがいのことは出来るような気がしてきます。今年は、ジャガイモ畑にだいぶ手がかけられたし(主に草への対応)、気候も合っていたのもあってか、かなり豊作と言えそうです。本当にありがたいです。うちは、現在、お米が1年間持つか持たないかギリギリの生産力なので、脱穀が遅れている今年はもうあまり在庫がなく、ジャガイモも主食として食卓で活躍しています。朝はパン(僕が焼きます)、昼ジャガイモ、夜はご飯とジャガイモ、みたいな主食ですが、子供たちもジャガイモが大好きなので、喜んで食べています。まぁしかし、小麦とジャガイモばかりだと、お米が恋しくなってきます。お米ばかりでも飽きないということを考えると、お米の偉大さを感じます。まぁ、食べ物がある、というだけでありがたいことです。
 あれだけ雨が降ったのに、ずっと土の中のジャガイモたちは、大体は無事でそこにあります。畑が冠水するほどの雨が降ったら無事では済まないと思いますが、特に水が流れ込む場所ではなく、そもそもこのあたりの土は水はけがいいのでそこまでのことにはなりませんでした。それにしても、というかそもそも、土の中で、分解されずにそこに居続ける、というのはすごいことだなと、ジャガイモを掘っていてふと思いました。種は、硬い殻とか、油を含んでいることなどで、他の大小様々な生き物や水分等から身を守っているのだと思いますが、ジャガイモなどは油らしい油は含まず、それほど硬い皮というわけでもなく、分解されずに土の中に居続けています。なぜそこに、そのままの形で居続けられるかというなら、生きているから、ということでしょうか。生命の活動が止まった時点で、土に還っていくわけだから、ジャガイモはそこで何もしていないように見えて、生きて、絶えず分解されない為の何かをし続けているのですね。僕ら人間の皮膚とか、体の中だって、変化していないように見えて、常に更新され続けているわけだし、色々な微生物とか菌とか、小さいものたちが体の内外で生きているおかげで、こうした一定の形が保たれているわけですが、生きているから腐らない、というのはジャガイモと全く同様だと思います。他の野菜も、収穫されたからそこで生命の活動が終わっているわけではなくて、確かに生きています。ジャガイモは次の年に植えたらまたジャガイモができます。命の力に、その奇跡に、ありがとう。健

ひとつぶ便り 291号

いつもありがとうございます。
11月最初のお便りで、このときはるちゃんがお腹をこわしていることが書いてありますが、もうすっかり良くなっています。
ところで10日の日に脱穀をして、その後もみすりもして、新米を食べました。とてもとても、美味しいです。ありがとう。

ひとつぶ便り 291号(2017年11月3日便)

  いつもありがとうございます。ここ数日は晴れていますが、先週末はまた台風が来て雨がたくさん降りました。10月、とにかく雨の日が多かったです。お米は、晴れの多い例年の感じなら、稲刈りとはざ掛けをした後2週間~3週間くらいで脱穀できますが、今年は本当に雨ばかりなので、1か月経った今もまだ脱穀できていません。思えば7月の梅雨明けから8月の半ばにかけても雨ばかりで小麦が脱穀できないということがありましたが、今回の稲もそんな感じです。
 こういう長い雨続きとか、逆に干ばつなど極端な天候は、野菜にももちろん色々と良くないことがあるし、(天候だけの理由ではありませんが)この時期あるはずのキャベツなどは全然うまく育ちませんでした。でも、去年は10月いっぱいで出荷を終了させなくてはならない状況だったので、それに比べればかなり色々育ってくれていてありがたいです。雨が多くて思うように農作業ができない感じですが、雨の合間を縫って大豆、花豆、パンダ豆の収穫や、ジャガイモの収穫などやっています。ジャガイモはまだまだたくさん畑にあります。今年はありがたいことに豊作ですが、当てにしていた売り先に出荷できなかったのもあって、ものすごく余っています。ジャガイモたくさんほしい方はいつでもご連絡ください。
 先月末、強めの霜が降り、それから連日で朝は畑が真っ白になっています。ずいぶんと粘り強くがんばっていたピーマンやズッキーニの木も、残らず霜にやられて枯れました。「冬がやってきた」という印象です。僕らの住んでいる地域は標高が高く(1000メートルくらい)、冬がとても寒くなる場所です。1月とか2月くらいには、マイナス15℃とか、それより下がることもあります。「四季」と言いますが、ここの冬は冬だけで何段階もある気がしています。春夏秋冬冬冬冬みたいな。暖かい時期は本当に短く、寒い時期がとても長い場所です。年によっては夏がないとか秋がないとかそういう感じのときもあります。夏野菜たちは枯れ、土に還っていく時期が来たし、雑草も霜にやられたものが多いですが、葉物などはまだまだ元気で畑にいます。葉物野菜たちは、霜に当たると柔らかくなり、甘みも増します。霜が降り、まだ全てが凍りつくまではいかないこの時期が、葉物がいちばん美味しい時期だと思います。そんな野菜たちを、ご堪能ください。僕らも毎日色々と、美味しく食べて楽しんでいます。

 季節の変わり目で、体調を崩しやすいかと思います。どうぞ、ご自愛ください。うちではゆっこさんが高熱を出したり、はるちゃん(1歳8か月)がお腹をこわしていたりしています。ゆっこさんの熱はガーっと上がって下がりましたが、はるちゃんは11月1日現在お腹の調子が悪く、行動も低調な感じです。
 そんな中ですが、昨日はハロウィーンだったので、カボチャパーティーをしました。ゆっこさんは料理をすることと食べることがとにかく好きで、他の人たちは食べるのが大好きなので、何かイベントにかこつけては、ご馳走でパーティーします。今回は、カボチャマフィン、カボチャタルト、カボチャスープなどなどをみんなで楽しみました。皮の赤いカボチャで、花野ちゃん(5歳)と僕とでジャックオランタンも作りました。素晴らしい出来でした。毎日美味しいご飯をお腹いっぱい食べられるなんて、なんて贅沢なことなんだろうと思います。世界中の多くの人にとって叶わない望みを、僕らは生きています。 健

ひとつぶ便り 290号

いつもありがとうございます。まとめてアップの2本目です。

ひとつぶ便り 290号(2017年10月27日便)
 いつもありがとうございます。なんとも、雨ばかりです。台風の日は、ちょっと今までに記憶がないくらいの雨量でした。この時期の田んぼは、通常はもちろん水はありませんが、大雨のためどこの田んぼも水がたまっている状態。ところによっては、畑が冠水して田んぼのようになっていました。僕らの畑はとりあえずはそれほどの被害は無さそうでしたが、田んぼのほうは風か、緩んだ地面のせいでか、お米をかけている稲架(はざ)が折れたり、一部はずれたりしていて、水のたまった田んぼの中でそれを直すのは結構大変でした。といったぐらいで済んだのは、かなりマシな方なのでしょう。風で稲架が完全に倒されていたところも近くにあったし、新聞には大量のリンゴが落果して大量に廃棄、という話もありました。そういう被害によるそれぞれの痛みは実際にはわからないけど、それは確実にあるものです。消費者の方たちは買う先を変えるだけで手に入りますが、それぞれの農家にとってはその育てたものが全てです。

 選挙でしたね。結果の見方は様々でしょうが、憲法を変えないで欲しい、日本に戦争に加担しないで、よその国同士の戦争を防ぐような働きをして欲しいと思っている者としては、とても良くない結果だと思います。それは、ここ最近ずっとそうですが。声を上げ続けることが必要だと思います。
 「数」のことを思います。僕らは例えば党の人数、改憲派の人数、というふうに国会の人たちなどを数で見ます。国会の人たちは、僕らを投票用紙1枚として見ます。やはり、数としてみます。何人とか、何パーセントとか。でもそこには、1人1人の思いや生活、命があります。それぞれに家族がいたり、友人がいたり、あまり仲良くない人がいたりもするでしょう。数だけを見て、その1人1人のことを見ようとしないなら、必ず間違えると思います。全員を1人1人詳しく知る、ということは不可能だとしても、そこに命が1つある、と知っていることは可能だし、必ず知っているべきだと思います。それを知らない、見ていない、意識していないと思うようなことが、政治家から市民、市民から政治家、どちらの目線においてもあると感じます。政治家から政治家、もそうなのかもしれません。安倍さんたち自民党のトップにいる人たちは例えば、比例で復活当選しかできないような、名簿の後ろの方に載っている議員のことなど、考えてはいないような気がします。今回の解散と選挙で、自民党の衆議院議員だった一人の知人は職を失いました。僕は絶対に自民党に入れることはありませんが、その家族についてはちょっと知っていて、あの家族は今どうしていて、この後どうなるのかな、というのが少しだけ頭をよぎります。
 数にすれば1としか言えないそれぞれがそれぞれ、全然違います。外見も、住んでいるところも、好みも、近くにいる人も、習慣も。「政治家」であれ「官僚」であれ、「農家」であれ「お父さん」であれ、そう定義される集団の中にいる人それぞれが、血の通った一人の人間です。それを忘れてしまうことは、忘れられた側にも忘れた側にも、苦しみをもたらすものだと思います。僕らはどこまでいっても、それぞれがかけがえのない命です。それは1つだから2つより偉くないとか、そういう類のものではありません。その1つはどこまでも大切にされ、尊重されるべきもののはず。1人の犠牲者も出さない社会を望んでいます。そういう家庭や社会を、実現するために生きたいし、その道の上にこそ幸せがあるはずです。健

ひとつぶ便り 289号

いつもありがとうございます。また更新していなかったので、まとめてアップしようと思います。一つ目。
一か月前の記事なので、まだ選挙の前ですね。
この中でも触れましたが、今年の秋冬はここ4シーズン通った酒蔵に、行かないことにしました。大変お世話になったし、うちは農業だけで食べていける状態じゃないので、そのお金でとても助けられていて、本当に感謝しています。
しかしなんというかまぁ、誰が悪いとかそういう話ではなく、おかしいことはきっとどこでも起こっていて、内部にいれば気が付かない、みたいなことがたくさんあるのだと思います。メンバーはどんどん良くなるのに一向に休みの制度はなく、意味のわからない酒の仕込みが毎年増えて、経営陣が妙な機械に手を出して仕事が増えていく。それなりに楽しくやっていましたが、僕が入った頃より明らかに条件が悪化しているし、酒造り以外の優秀なスタッフはどんどん辞めていくし、年々悪くなる環境に居続けるのは厳しいなと思いました。

ひとつぶ便り 289号(2017年10月20日便)
 いつもありがとうございます。雨続きです。僕らの住んでいる場所は全国的に見ても晴天率が高いところなので、こう雨ばかり降るのは珍しい感じがします。今日(18日)は久しぶりに晴れたので、夫婦(と、はるちゃん(1歳8か月))で、大豆の収穫をしていました。葉菜ちゃん(8歳)も花野ちゃん(5歳)も、それぞれ学校と幼稚園から帰ってきてから、人参の収穫をやってくれました。いつになく立派な人参に育ってくれたのもあってか、楽しそうにやってくれていました。久しぶりに晴れたと思ったらまた明日から雨の予報のようで。はざ掛けして干してある稲も乾きません。他にもやりたいことがなかなかできずにちょっと困りますが、今年はここ4年、冬の間通っていた黒澤酒造に行かないことにしたので、この時期の時間の余裕がこれまでよりだいぶあります。今年の蔵人の初日は10月16日。この時期に始まるのは実際農業との両立という点でかなりきついものがあったので、今年もお誘いはありましたが、断りました。他にも断った理由として、蔵人は基本的に休みが月に一日も無く、そこはふつうにブラック企業だし、酒造りの考え方もあまり共感できないところがあるし、労働条件は年々悪くなるし、等々色々あります。特に昨シーズンはとてもいいメンバーで仕事ができていたのでその点はすごくありがたいことだし、そもそも冬だけの仕事というのは貴重なので、仕事があるだけありがたいということもあるので結構悩みましたが、杜氏とメールのやり取りをしているうちに、この会社は従業員を大切にしないんだな、というのが改めてはっきり見えたので、やっぱり行かないことにしました。今いる会社の人たちが、これから入る人たちが、大切に、真っ当に扱われることを願っています。他の全ての会社で働く人たちも、会社で働いていない人たちも、誰もが大切にされる社会を願っています。

 さて、選挙ですね。誰もが大切にされる社会など、自民党も希望の党も、全く目指してはいないと思います。「国」のために国民が命を懸けろというふうに、憲法を書き換えようとしています。憲法は、国民が権力者たちを縛るためのものなのに、権力者が国民を縛るように、書き換えようとしています。自民党政権はこれまで、戦後70年かけて戦争のできる国への法整備を着々と進めてきているのですね。秘密保護法、安保法、共謀罪法などが全て成立し、残すはあと憲法を変えること、という段階になってしまっています。悪夢のような状況ですが、戦後から現在まで、憲法9条が守られてきたのは、それを守ろうとした本当に多くの人たちの力のおかげだと思います。「戦争は嫌だ」という、今生きている人たちの、既に亡くなった人たちの、心の奥の奥からの叫びが、そこには聞こえます。平和を願う声も。
 70年以上、日本は(間接的にはすごく関わっているけど)直接の戦争を体験せずにきました。それは、紛れもなく日本国憲法と憲法9条のおかげです。9条が無ければ日本は積極的にアメリカの戦争に協力し、日本の若者もたくさんの人を直接殺め、また殺されてもきたことでしょう。ベトナムで、イラクで、その他の場所で、人を殺したのは、殺されたのは、僕だったかもしれない。日本の中の戦争をしたい人たち、戦争に協力させたいアメリカ、そういう大きな力を前に誰かが抗って来なかったなら、とっくに憲法は書き換わっていて、家族か、自分か、友達か、周りの誰かが意味のない、国民にとっては何の得もない戦争によって、亡くなっているのが当たり前だったのでしょう。そんなの、絶対に嫌です。     健

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