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ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 378号(2020年9月11日便)

ひとつぶ便り 378号 (2020年9月11日便)
 いつもありがとうございます。今年はまだまだ暑い日が続いていますが、そんな中でも秋の風を感じる時が増えてきました。朝晩はかなり肌寒く感じるようになってきて、日中でも曇っているとかなり涼しいです。午後6時半くらいには日が暮れて暗くなるようになって、夏至の頃からしたら1時間以上、夜がくるのが早くなりました。夏から秋へ、季節の移り変わりを感じます。キュウリとかインゲンとか、夏野菜たちの勢いもやや落ちてきて、次の葉物などはあまり育ってきていない、というような今週の状況です。そもそも今年は落ちるほどの勢いが出ていない野菜も多いですが。8月はなにしろ暑く、雨が降らない期間が長かったので、8月に播いた葉物野菜たちはあまり発芽がよくなかったり、発芽してもダメになってしまったりといった感じですが、大根はなかなか好調で、元気に育っています。今回はそんな大根たちの間引き菜をお届けします。塩もみでも食べられる柔らかさで、とても美味しいです。
 8日に、高校時代の友人がうちを訪ねてきてくれて、一日滞在していました。畑を手伝ってもらったり、子どもたちと遊んだり、一緒に食卓を囲んだり。満喫していたと思います。実に11年ぶりくらいの再会でした。懐かしさとかはあまり感じず、自然に「久しぶりー」みたいな感じでした。でも前回会った時とはお互いだいぶ状況が違って、この間にあったこと、その上で今思っていることを色々と語り合うことができて楽しかったです。前に会ったときは、長女・葉菜ちゃん(現在11歳)が産まれたばかりで、僕らは農業を始めたばかりでした。何もかも初めてで、何もかもうまくいかない感じがして、自分としては、このままじゃもたないと感じていたし、かなり苦しい状況だった覚えがあります。農の世界の奥深さも、自然の神秘や驚異も、人それぞれが一人一人全然違うということも、今この瞬間の幸せを生きることも、わかってはいなかった。今だって色々な苦しさを抱えてはいるけど、当時とは比べ物にならないくらいの軽さだと思います。と、当時を思い出して少し話が逸れましたが、その今回訪ねてきた友人も、その頃は今の仕事(ピザ屋)を始めてはいなかったし、確か結婚もまだでした。高校時代、2年生と3年生で同じクラスで、卒業したあとも何度も会っていますが、こうして色々経験して再会した今回がいちばん話しやすいと思ったし、今までより遥かに仲良くなれた感じがしました。僕は高校時代はとても楽しかったし、そこにはそれぞれが個性を発揮できる環境があったと思いますが、その頃よりも遥かに今のほうが自分らしく生きているように感じます。その友人もきっとそうです。
 高校時代はとても楽しかったし、「学生時代が人生で一番楽しかった」みたいなことを言う大人の話も聞いていたし、それは嫌だけどそういうもんかなと思っていましたが、全然違いました。比べるなら今の方が絶対楽しい。あと、今の僕が高校時代に戻ったら、そこにいる友達とか先生とかの魅力はもっともっとわかると思うし、他にも色々な面で、当時の自分よりももっと高校生活を楽しめる自信もあります。こんなふうに今思えるのは、とても有り難く、幸せなことだなと思います。今回、友人と話している中で、「この仕事は楽しいか?」とか、「この仕事は天職か?」というようなことを聞かれて、改めて考えたことがあります。まず畑も田んぼも、大変なことも多いけど、今、楽しいとすんなり言えるし、天職かどうかはよくわからないけど、というか、仕事としてというか、畑も田んぼも暮らしそのもの、という感覚です。その後、ゆっこさんとその話をしていて、「農業を辞めるようなことがあったら、家庭菜園をがっつりやりたいね」とか2人で話していました。天災もあるし、今回のウイルスのこととか原発事故のようなことだってあるし、今日だって今だって何が起こるかわからないから、今後どうなるかなんてわからないけど、どこへ行こうと、仮に別の仕事に就くようなことがあったとしても、畑や田んぼのない暮らしは考えられないなと思います。お金では買えない、豊かな暮らしをしています。健
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ひとつぶ便り 377号(2020年9月4日便)

ひとつぶ便り 377号 (2020年9月4日便)
いつもありがとうございます。8月は、30℃を超える、ものすごく暑いと感じる日が多かったし、9月に入ってもまだまだ暑いです。まとまった雨が3週間以上降っていませんでしたが、月末から降ってくれて、その後は割といい感じで降ってくれています。毎週書いているような気がしますが、春の乾燥から、梅雨の長雨、低温、日照不足、そのあとは高温と雨不足、と、なかなか野菜の生育にとって良くない天候が続いているので、畑のもっている力からするとだいぶ収穫が少ない状況が慢性的に続いていますが、とにかく採れたものを採れただけ、お届けします。今年は、枝豆とかトウモロコシとか、うまくいかないことが多いものが、(うちとしては)うまくいっていたりもします。天候とか、去年のゆっこさんのつわりとか、今年は0歳児がいるとか、大変なことも何もかも毎年違うし、この暮らしの中で、畑を畑として回していく、というのはそんなに簡単なことではありません。畑は、土は、生き物だから、毎日どんどん変化していくし、草をとった次の瞬間には草が生え始めます。うちはビニールマルチを使わないということもあるし、野菜が草に埋もれず、畑が畑らしくあることは、僕らにとってはそう当たり前のことではありません。僕もゆっこさんも、10年ちょっとやったからといって経験も技術も足りないし、自然を感じる感覚ももともと優れたほうではないと思います。でも今年はなんとか畑が畑らしくある状態がある程度続いていて、この天候にしては、うちとしては、いい感じな部分がかなりあります。
 長野県は毎年8月20日前後に夏休みが明けるので、うちの3姉妹の通う小学校と幼稚園はそれぞれとっくに始まっています。行きたくないとか疲れた時は時々休んだりしつつ、それぞれのペースで通っています。4人目、麦ちゃんは先月末で生後7か月になりました。毎日はいはいを上達させていて、だいぶ自由自在になってきました。周りの人の真似をして覚えるものが多いかと思いますが、はいはいに関しては周りの人がしているわけではないので、ほぼ独自の研究なのでしょうね。色々と試行錯誤を繰り返して、より自由に動くために、日々研究を重ねているようです。すごく楽しそう。こういう、純粋な好奇心で、探求心で、誰もが生きていけたらいいのになと思います。大人も子どもも、やらされるのではなく、ただやりたいからやる、この赤ちゃんたちの試みに近いほど、学びは深まるし、持っている力を発揮できると思います。結果がどうとか、何かを残そうとか、誰かの為にとか、そういうことではなく、やっていることそのものが目的で、終着点。いやーそれにしても、僕らがこうして座れることも、歩けることも、赤ちゃん時代にこういう試みを重ねたからできることで、すごいことだなぁと思います。
 こうして赤ちゃんと共に暮らせるというのはものすごく貴重な体験で、それを4回も経験できているのは、すごく幸運なことだと感じています。日々、本当に色々なことを学ばせてもらっているし、そんなことより何より、麦ちゃんを見ているだけで心が温まるし、幸せを感じます。この、心が温まることは、人が生きる上でものすごく重要なことだと、最近よく思います。例えばどんな言葉を使うとか、どんな行動をとったらいいとか、学校でも大人のいる社会でも色々と言われますが、基本的に表面的な技術のことが語られているだけで、心の部分、ハートの部分に関する話はあまりされないか、ものすごく軽視されている気がします。でも、技術云々より、ハートの部分の方が、遥かに大切だと思います。誰かが、何かが、苦しくなくなるように、幸せに、生きていてほしいと願う心。それは人を含む動物や植物、その命にもともと備わっている力。長い歴史の中、生き物たちが生き延びてくるのに必要だった能力。人に優しくないこの社会で、それに慣れて放っておけば心は冷える一方だけど、もともと、自分で自分を温められる愛情の灯は、誰の心の中にもあります。日々、一瞬ごと、その灯に触れ、自分の心を温め、目の前にいる人、特に今は家族一人一人の心を温めることができたらいいなと思います。  健

ひとつぶ便り 376号(2020年8月28日便)

ひとつぶ便り 376号 (2020年8月28日便)
いつもありがとうございます。カンカン照りの30度越え、みたいな日が続いています。梅雨が長く、おまけに気温も低かったので、7月31日くらいからやっと夏になった感じがしましたが、短い夏はまだ続いています。ここはお盆を過ぎれば秋の風も吹いてくるような地域ですが、今年はまだまだ暑いです。朝晩は肌寒いくらい涼しく、快適です。このお便りも涼しい夜に書いています。暑いのはまぁいいのですが、雨が降らなすぎて、畑がカラカラです。かれこれ3週間くらい降っていません。種を播いても出てこないものもあるし、ナスなどもなかなか実ってくれず、色々と困った状況です。雨が欲しい。と、1か月前とは真逆の言葉が出てきます。1か月降り続けたり、1か月晴れ続けたり、みたいな極端な天気は、畑の野菜たちにとってなかなか厳しい環境です。もう少しバランスよく晴れたり降ったりして欲しいなぁ。土の湿り具合で言うと、冬から春先の乾燥、梅雨の過湿、そしてまた8月の乾燥、みたいな両極端な状態を行ったり来たりしています。野菜の出荷とか、収量とか、そういうことを考えると今年はまた非常に厳しい状況です。ま、どんな状況であれ、目の前の状況に向き合い続けるだけだし、採れたものをお届けします。なんだかんだで毎週、素敵なセットが出来たなと思っています。
 野菜の調子だとか収量だとか、そんなことは僕の目の前にあることのほんのほんのごく一部のことなのに、頭がそれでいっぱいになることがあるし、畑にいて、畑のことではないことを考えていることもよくあります。息を呑むような青空と雲がそこにあるのに、それに気づいていないこともよくあります。野菜の生育がどうであれ収穫がどうであれ、そこには空があって太陽があって雲があって土があって、無数の生き物がそこで生と死を繰り返していて、そんな中に自分もいる。それはどんな言葉でも言い表せないものだと思うけど、自分の持っている言葉の中でこれがいちばん近いかな、と思うのは、「驚異」。カタカナで言えばワンダー。自然の中に満ちている驚異。どんなところにいたって、都会の雑踏でだって、それは感じられるものだろうけど、土の上はやっぱり感じやすいだろうし、田んぼの上、畑の上は、それを感じやすい場所。なんとも恵まれた環境にいさせてもらっています。
 特に人は不安とか後悔とか怖れとかいったものに頭を占められやすいし、良いことと悪いこと(というのも自分が決めたことですが)があったら悪いことに焦点を当てる傾向が強いと思いますが、実際はそれは起こっていることのほんの一部だし、自分としてももっとフラットに物事を見ていけたらいいのになぁと思います。それと、何かに頭の中が占められてしまえば、目の前にある喜びとか幸せとか、そういうものを見逃してしまいがちです。こうして家族みんなが元気で暮らしていることだって当たり前のことではないし、ものすごくありがたいことなのに、その喜びや幸せを、いつも感じているわけではありません。自分がこうして一つの命として生きていることもまた、色々なことがとんでもない確率で重ならなければあり得ない事柄ですが、多くの人がきっと、当たり前だと思っています。忘れるし、慣れるし、当たり前だと思うのもまた自然なことだと思うから、いつだって思い出すことが必要なのだと思います。目の前にある喜びを。幸せを。全てのもののありがたさ(在ることの難しさ)を。
 例えば野菜とか、稲とかの辿ってきた長い、長い歴史を想像するのが好きです。何千年も、何万年も、もっともっと前から、種(たね)が受け継がれてきて、目の前にある野菜もお米も、全てがその歴史の全てを含んでいます。あぁなんとも壮大。今、生きている僕ら人間たちも同様に、それぞれの一人一人が、膨大な歴史を含んでいます。直接血のつながった先祖も、そうではない全ての人たちも、僕の中に何らかの形で、すべて含まれています。そして、自分の子どもたちや自分が関わった全ての人の中に、僕が含まれてもいる。誰も、一人じゃない。孤独じゃない。お互いに、関
わり合ってここにいます。健

ひとつぶ便り 375号(2020年8月21日便)

ひとつぶ便り 375号 2020年8月21日便
 いつもありがとうございます。連日暑いですね。炎天下の中でも作業していますが、夕方にはだいぶ涼しくなってくるし、朝晩は肌寒さを感じるくらいでかなり快適です。昼も、ここは湿度が低い土地なので、東京などとは比べ物にならないほど過ごしやすいです。僕の実家は東京の練馬で、ものすごく暑いところだし、中学も高校も運動部(バスケ、ラグビー)だったのでそのどうしようもなく暑い中を駆け回っていました。それと比べると快適すぎて、外で体を動かしていても懐かしくなりません(笑)。
 お盆とか夏休みとか、畑としては全く関係ないし、出荷も普段と変わらずやっています。最近は、秋冬ものの大根とか葉物を蒔いたり、共同でやっているひまわり(油用)の収穫を子どもたちも一緒にやったり、草とりはいつでもあるし、他にも色々やっています。7月の長雨、低温、日照不足などの良くない影響が、8月に入って夏らしくなったからといって、全部オッケー、とかそういうことになるわけではなく、相変わらず色々と収穫が少ない状況が続いています。いつでもそうですが、採れたものを、送ります。収穫はなかなか芳しくない状況ですが、色々な野菜たちの草とりはうちとしては結構できている方だし、去年の、ゆっこさんが激しいつわりでどうしようもなかった状況からすればかなり、「畑がやれてる」という感じがあります。収穫だけ見ると全くうまくいっていないわけですが、この天候としてはとか、うちとしては、うまくいっていることがあります。うちの枝豆がまともに採れて出荷しているのは実は初めてだし、トウモロコシも去年、一昨年とほぼ採れなかったので、それと比べればだいぶいい感じです。大きく言えばたまたまで、他の人から見たら大したことではないでしょうが、やろうと思ってちゃんと手がかけられている過程であり結果で、ここで感じる喜びは、きっと僕だけが感じられます。
ところで、例えばこうして書いたところで、写真や動画に残したところで、その時その場所で感じること、味わえることを残しておくことはできません。「今」はいつだって「今」感じるしかない。「今」は「今」しか使えない。「残しておきたい」と思うことが、「今」を感じることを妨げていることがよくあります。そんなふうにできないことの方が多いけど、どんな農作業も、こうして書く作業も、残しておこうとするものではなく、ひたすらに「今」を感じながらやっていたいです。何かのためではなく、「そのもの」として、あらゆることに臨みたいです。書くために、書く。生きるために、生きる。みたいに。
 畑に夏休みはありませんが、うちの3姉妹は小学校と幼稚園がそれぞれ夏休みでした。長野県の夏休みは元より少なく、今年は20日から2学期です。新型コロナウイルスの影響で、8月1日から夏休みで、元々短い長野の夏休みがさらに短かったです。特に後半、友達とキャンプしたり、プールにいったり、という予定が重なり、かなり怒涛のスケジュールでしたが、なかなか楽しそうでした。子どもも大人も、気の合う友人がいるというのは本当にありがたいことだと思います。僕は畑と家の往復が主ですが、こうして友達が遊びに来てくれたり、時々は一緒に農作業をする仲間もいたりして、人と会わないわけではありません。人と会うこと、話すこと、そこで伝わること、伝わらないこと、色々ありますが、そういうことが、こうして書くことにもつながっています。家族との会話はもちろんとても大切なものですが、家族だけでいたら出てこない言葉がいっぱいあります。ゆっこさんには伝わっても他の人には伝わらない、と感じることは、あらゆる分野でありますが、そういう伝わらなさとか、逆に相手の言っていることがわからないとか、そういうことも、言葉が出てくるきっかけになります。
出会う大人も子どもも、それぞれが本当に全く違う人だなと思います。例えば子どもたちが通う学校とか、この国の社会全体も、「人はみんな同じ」という前提で物事を進めている気がしますが、それが間違いや苦しみのもと。きっとこの社会に今必要なのは、「みんな違う」というメッセージ。体や顔の形がみんな違うように、心、感受性、感じ方、見え方、何もかもが違います。誰のいる場所も、その人がその時だけいられる場所だし、
その人に見えている世界はその時のその人だけが見られる世界です。  健

ひとつぶだより 374号(2020年8月14日便)

ひとつぶ便り 374号 (2020年8月14日便)
 いつもありがとうございます。先週に引き続きパソコンの調子が悪く(先週は手書きでした)、別のパソコンから書いているので、書式がこれまでと違います。だからどうということもありませんが(笑)。
 暑いですね。といっても僕らの住むこのあたりは湿度がとても低い場所なので、東京とかと比べれば同じ30℃でもだいぶ快適です。標高が高いので、日差しの強さはすごいです。梅雨はさんざん畑が湿って「もう降らないでくれー」と思いましたが、晴れが1週間も続けば、水はけのよい土とカラっとした気候で、土はだいぶ乾いてきます。そうなると今度は「ちょっとくらい降ってくれー」という感じになっていて、今日(12日)は久しぶりに、割といい感じの量が降ってくれて嬉しくなりました。それと、これは何度か書いておきたいこととして、あんまり梅雨が長かったので忘れそうになりますが、梅雨に入る前は、冬の雪、春の雨はとても少なくて、畑がカラカラでした。ちょっとやそっとの雨ではどうにもならないくらい乾燥していて、それで春の葉物などがうまくいかなかったこともあると思います。梅雨が長すぎて野菜にも良くない部分が大きかったし、気分的にも雨にうんざり、というのは当然のこととしてありましたが、こうカンカン照りの天気が続くと、雨のありがたさを改めて思います。これで梅雨が空梅雨で、あまり降らずに8月を迎えていたとしたら、その方がよっぽど由々しき事態だったと思います。あの長雨も、間違いなく恵みでもあったし、あの雨で、今育っている野菜たちがあります。
 7月末で生後6カ月となった麦ちゃんは、今日も元気です。超かわいい。つい先日、8月9日頃に前進しているのを初めて確認しました。その後、前に進むのがだいぶ上手になってきて、どんどん動き回るので、床に紙などを散らかしておけなくなりました。まぁ、散らかっていますが(笑)。寝返りをすることに関してはあまりやる気を感じなかったし、でーんと寝ていることが多く、あまりチャレンジしないで徐々にやれるようになりましたが、進むこと(はいはい)に関してはだいぶやる気が見えます。色々、試みています。そういう試みの時も、休んでいるときも、泣くときも、どんな時も、麦ちゃんや他の赤ちゃんも皆そうですが、その表情、動き、たたずまいなどの「当然さ」を見るのがとても好きです。ためらいなく、全くの嘘がなく、何もかも、当然のこととして。自信に満ち溢れているというか、いやそもそも自信があるとかないとかそんな次元ではなく、「当然」な感じ。当然、生きている。その感じがたまりません。逆に、大人はもちろん、もう少し大きくなって赤ちゃんから「子ども」になったら、その感じがだいぶ薄れてくるような気がするし、それは周りの環境が、無条件に生きていることを肯定してはくれないからかと思います。でも本当は、誰もがどんな状態であれ、ただ生きていることを尊重されるべきだし、べきというか、だって、それは当然なんだから。って、麦ちゃんを見ていたら思います。僕らは当然生きていていい。当然生きているのだから。麦ちゃんや、他の赤ちゃんに会う機会もありますが、赤ちゃんと過ごせるのは本当に貴重な時間です。100%まるごとの自分で、一緒にいたいです。日々、麦ちゃんの、この命まるごとの存在からとてつもなく多くのことを学ばせてもらっています。
 8月、戦争と平和について考える月。誰の心も体も、その命も、大切にされることを願います。世界中の色々なところで今この時も、銃を向けあっている人たちがいるのだろうし、暴力の形は様々な形で僕らの住むこの国にも蔓延しています。僕らが住んでいるのが平和な社会だとは思えないし、僕らの暮らしが、払うお金が、直接的に戦争へとつながってもいます。戦争へとつながっているのは、自分たちの心もそうです。それぞれが今この瞬間に、幸せであるかどうかが、とても重要だと思います。幸せだったら、過度に物を欲しがることも、誰かを傷つけることも、必要ありません。誰の中にもある、自分の中の喜びの種を、幸せの種を、大切に、日々育てることが、世界の平和にとって必要なことです。  健