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ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 333号

こんばんは。いつもありがとうございます。
今シーズンも野菜の出荷が始まって、お便りも書き始めたので、すごく久しぶりに投稿します。
改めて説明しておくと、このブログであげている文章は、ひとつぶ農園の野菜セットに印刷して入れている紙のお便りのバックナンバーです。

では今シーズン最初、先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 333号(2019年5月17日便)
 いつもありがとうございます。お久しぶりです。今シーズンもよろしくお願いします。
 今年も3月から育苗ハウスの中で種をまき、苗を育てたり、ハウスの中や路地の畑に直接種を蒔いたり、植えつけたり、色々な農作業をしながら、野菜たちの成長を見ています。稲も育苗中です。3月、4月と寒い日が多く、野菜たちは成長がゆっくりです。また、4月28日と5月6日の霜がかなり強烈で、割と寒さに強い、発芽したての大根たちがほぼ全部やられるなど、今年の春先はなかなかの寒さだと思います。ここ一週間くらいは暑いくらいの日もあってそろそろ霜の心配もないかな、というところですが、このあたりの霜の降りない目安とされるのは二十四節気の一つ「小満」(5月21日頃)です。霜に弱い夏野菜などはそれ以降に育苗ハウスから露地の畑に一斉に植えつけていくことになります。
 標高1000メートルくらいのこの土地は、冬がとても寒く(いちばん寒い時はマイナス20℃くらい)、とても長いところです。こうして長い冬を乗り越えて、春に種をまき、新鮮な野菜を食べられるようになるこの時期の喜びは、とても大きなものです。僕らは基本的に自分たちの田畑でとれたものを食べているので、冬の食卓はご飯とみそ汁と、梅干か漬物があれば豪華、みたいな感じです。冬のそういう食卓も、それはそれで好きだし、また、新鮮な野菜がほぼ食べられない時期があるからこその、この春の嬉しさがあります。この野菜セットが始まる、という連絡をすると、「待ってました!」と喜んでくれる人たちがいて、それは本当にありがたいことですが、この野菜をいちばん喜んでいるのはたぶん僕ら家族です。
 おかげさまで人間5人とヤギ1頭、概ね元気に生きています。本当に、ありがたいです。食べるものがあり、住む場所があり、着る服があり、自分や家族が元気でいて、空から爆弾が落ちてこない、とかいうことは決して当たり前のことではなく、ものすごくありがたいことだと、日々感じています。この日本でも、様々な理由で苦しんでいる人がたくさんいるし、自然災害等も色々とありますが、世界を見渡せば、食べ物も飲み物もろくに手に入らず、住む家もなく、着る服もなく、貧困や飢餓や戦争によって家族も失ったような人が、無数にいます。その主な原因が、この国で暮らす僕ら日本人一人ひとりの暮らし方だったりするわけですが。この国でだって、例えば90年前とか100年前くらいに生まれていたとすれば僕は戦争に行って直接誰かの命を奪ったり、奪われたり、家族を失ったりしていたかもしれません。「ありがたい(有り難い)」の逆は、「有って当然」とかそういうことになると思いますが、有って当然のことなど、自分の内にも周りにも、世界にも、一つも見つけられません。目の前にあるもの、この環境、全ての自然、僕らの心も体、人と人の縁、どれもこれも本当に「ありがたい」と感じます。こうして野菜を送れる皆さんとのこの縁にも、心より感謝しています。ありがとうございます。
 この農園を始めた年に生まれた葉菜(はな)ちゃんはこの前10歳になりました。次女・花野ちゃんは今年4月に小学校に入学し、葉菜ちゃんと楽しそうに通っています。三女・はるちゃん(3歳)もすくすく育っています。ヤギのすみれちゃんは4月で1歳。厳しい初めての冬を無事乗り越えてくれました。それと、僕とゆっこさんのメンバーで、今年も暮らしています。日々の暮らしが何より大切だと思っているし、その暮らしの中に畑もあります。この暮らしの中から、たくさんの感謝と野菜をお送りします。健

ひとつぶ便り 329号

いつもありがとうございます。去年の記事で、まだアップしていないのがたくさんあるので、まぁ気が向いたら何かアップします(笑)。今回は12月1週目のやつを。

ひとつぶ便り 329号(2018年12月7日便)
 いつもありがとうございます。今週末はかなり冷えてくるようですが、この一週間も暖かい日が続いています。全国的なことだと思いますが、12月4日は暖かいを通り越して暑かったですね。この時期はもう畑の土が凍ってしまって、寒さに強い野菜たちもダメージを受けているのが毎年のことですが、今年は全く例外です。とても12月とは思えないような12月です。
先日、僕の母方の祖母が亡くなり、4日、5日は実家のある練馬に帰省していました。祖母は今年の夏で97歳。大往生、というやつですね。僕の母(祖母から見たら娘)に看取られながら、最期の最期まで意識もあったようで、穏やかに息を引き取ったようです。棺の中で横たわっている祖母の顔はとても安らかで、きれいでした。そのたくましい生命力で、命を全うしたのだと思います。あっぱれです。葉菜ちゃん(9歳)が、棺に入れるお手紙の中に97という数字のついた誕生日ケーキのようなものを描いていて、それを見たらなんだか、きっとこれはおめでたいことなんだなと思いました。事故や病気や災害や戦争、どんなことが起こるかわからないこの世界で、97年も生きられるということはそれだけでものすごく奇跡的です。祖母は僕の実家の隣に住んでいて、ご飯は一緒に食べていたので、僕が生まれてから大学を卒業して家を出るまで、生活の中に当たり前にある存在でした。僕と祖母が特に仲がよかったとかではないし、最近は物理的に距離も遠かったのでなかなか会う機会もなかったし、大往生だったのもあって、特に涙は流さないかと思っていたのですが、ふとした瞬間に不意に、かなり出てくるものでした。この間、祖母の世話で母がだいぶ忙しい生活になっていたようで、かなり大変だったと思います。お疲れさまでした。おかげできっと、祖母は素敵な最期を迎えられました。ありがとう。おばあも、ありがとう。
祖母の体は火葬場で燃やされたから、一部は灰や骨として、一部は水蒸気などの気体となって、この97年とはだいぶ違う形でまた続いていきます。その小さなそれぞれのひとつぶたちは、様々なものと出会い、時には雨となったり川となったり、風となったり土になったり、植物や動物になったり人になったりすることもあるでしょう。物質としての部分だけ見たって、その存在が無くなることはありません。何か違う形になって、続いていきます。僕のこの体だって、どこかの誰かが燃やされて、風にのって運ばれてきた一部が含まれていたりするでしょう。死んだら、意識とか心とか、そういうものは消えるのではないかと思っていたこともかつてはありましたが、そもそも今ある思考や意識自体が、無から発生したものではなく、他の人や周りにあるものや環境によって存在するもの。それは常に変化し続けているものだし、それが自分ではないし、自分のものでもありません。人も動物も植物も、全てが関わりあってそこに存在しています。人間一人の体も心も、全ての関わりがあって、そこに現れています。だからそれは、死んだら消えるとか、そういう性質のものではありません。物理的というか遺伝的に見ても、僕の中には祖母がたくさん含まれていますが、そんなものは祖母から受け取ったもののうちのほんの一部にすぎません。20年以上すごく近くで暮らしていたわけだし、その行動や言動や存在そのものから、様々な影響を受けています。僕を見れば、今この場所の僕の心や体にもたくさんの祖母を見つけることができるでしょう。そうやって、これからも色々な人やものの中に、祖母を見つけることができるでしょう。  健

ひとつぶ便り 322号

いつもありがとうございます。先週のお便りです。
だいぶ寒くなってきたけど、それでも例年と比べるとだいぶ暖かいような気がします。


ひとつぶ便り 322号(2018年10月19日便)

 いつもありがとうございます。10月としては比較的暖かい日が続いていましたが、ここのところだいぶ冷えてきました。毎年たいてい9月にも寒くてストーブを焚く日がありますが、今年はそういうこともなく、やっと数日前に今シーズン初めての火を入れました。9月からそうですが、最近も天気はすかっと晴れることが少ないです。ここは晴天率が高いと言われる地域なので、やや珍しい感じだと思います。空気がまた変わった感じで、そろそろ霜が降りそうです。ズッキーニやトマトなど夏野菜たちはもう勢いはありませんが、暖かかったおかげでまだ少しは採れたりもします。それでも霜が降りれば枯れてしまうので、そういうものたちの今シーズンの収穫はもうすぐ終わりです。夏野菜は採れる期間が短いし、冬が長く厳しいこの土地では、寒さに強い野菜も真冬には収穫することはできません。冬は冷凍した野菜とか漬物などの保存食を食べて春を待ちます。野菜が採れない冬は新鮮な野菜が恋しくなりますが、そんな気持ちが春をより豊かにしてくれます。こんな僕らの生活を「ストイック」だとか言われることがありますが、僕ら夫婦は我慢して苦しい生活をしているなんていう感覚は一切ないし、そうするつもりもありません。子どもたちも食べることが大好きだし、日々の食事を喜んでいます。スーパーなどに行けば一年中なんでも、どこのものでも買えることは、それはそれでものすごくありがたいことだと思いますが、それで失っているものもたくさんあると思います。暖かい地域で重油を燃やしてハウスを暖めれば冬にもトマトが採れるかもしれませんが、それは夏に初めて採れたトマトを食べる喜びを、味わえなくするものだと思います。健康に生きられるだけの食料は、誰にも必ず行き届く必要がありますが、あればあるほどいい、ということはありません。いつでもどんなものでも手に入ることは、「無い」ということの無い状態であって、「あり過ぎる」ということは「ある」の仲間ではなくて「無い」の仲間なのではないかとこの前ふと思いました。季節に合わせて、自然に合わせて暮らすなら必ず、手に入らない時期とか、場所とか、そういうものと常に一緒です。それは、すごく豊かなものだと思います。例えばトマトを食べられない期間、というのが、豊かさそのものだという感覚。一年中フルーツが採れるような温暖な南国の豊かさも、それはそれでいいなぁと思います。でも春は、冬のある国にしかやってこないし、それもまたすごく豊かなことだと思います。確かに冬は厳しいし、標高の高いこの場所はなおさらですが、冬そのものの豊かさというのを感じるし、冬もまた好きな季節です。春も夏も秋も、それぞれ好きです。
 今日食べるものの心配をしなくていい、ということはすごいことだし、僕らもお米でも野菜でも、できるだけたくさん獲れてほしいと思ってやっています。だから、「あればあるほどいい」という気持ちはとても自然な気持ちとしてあるものだと思いますが、それをどこかの土地から、どこかの誰かから奪ってまでやっていいはずはありません。でもこの国の政府や、そこに住む僕ら市民は、平然と世界中から水や食べ物や様々な物資を奪い続けています。差別も、搾取も、戦争も、全てオーケーだという価値観のもとに、僕らの暮らしが成り立っています。日本に暮らしていたら、誰もが世界の強盗です。世界中に貧困と争いを撒き散らし、その結果得たもので豊かになろうなんて、絶対に間違っています。そんなの、豊かさでもなんでもありません。僕の生活もそんな間違いに満ちているから、日々改めていきたいです。 健

ひとつぶ便り 321号

いつもありがとうございます。先々週のひとつぶ便りです。稲刈りの記事。はざがけしてありますが、また現在も雨が降っているし、脱穀できておりません。なかなか晴れませんなぁ。

ひとつぶ便り 321号(2018年10月12日便)

 いつもありがとうございます。9月からずっと雨続きで田んぼが乾かずなかなか稲刈りができませんでしたが、このところ少し晴れが続いてくれたので、10月6日と8日で稲刈りと稲架(はざ)掛けをすることができました。6日はちょうど花野ちゃん(6歳)が通う森のようちえんも稲刈りの日で、ようちえんの田んぼが僕らの田んぼの隣の田んぼなので、そこでは大人と子どもとたくさんの人手で稲刈りをしていました。そちらは手刈りですが、僕らの田んぼはバインダーという機械を使ってやります。これは稲を刈って、ひもで縛ってくれる機械です。そのバインダーが刈って結束してくれた稲の束を、田んぼの中に木で組んだ稲架棒に掛けていく、というのが一連の作業です。こういう作業のとき、最近は葉菜ちゃん(9歳)や花野ちゃんもだいぶ「一人前」に働いてくれます。今回は特に葉菜ちゃんがなかなか素晴らしい働き手でした。花野ちゃんはやる気があると持ち前の根気強さと集中力を発揮しますが、今回は作業にそれは発揮してはいませんでした。稲刈りの時などは、誰か友人の予定が合えば来てもらうこともあって、今回も一週間ほど前に友人に来てもらいましたが、ちょうど台風で雨が降っていたので稲刈りは手伝ってもらうことはできず、今回はうちの家族のみでやる予定でした。が、隣のようちえんの田んぼの作業はすごい人数なので早めに終わり、なんとそこから数家族がうちの田んぼに来て稲架掛けを手伝ってくれました。ただでさえ人手はありがたいですが、それがさらに隣の田んぼで既に同じような作業をしていた人たちなので説明もほとんどいらず、非常にありがたい助っ人たちでした。僕らは3枚の田んぼをやっていて、この日は他にもう1枚の田んぼで作業しましたが、あと1枚はまだ田んぼから水がひけずにできませんでした。で、そこは2日後の8日にやりましたがその日はちょうど僕の両親が来ていて、手伝ってもらいました。それも本当に助かりました。今年はお米にとっては気候が良かったのだと思うし、草取りにたくさん入れたので、出来はいつになく良い感じです。ありがたいです。
こうして自分たちの田畑で収穫できる命を食べて暮らせることに大きな感謝の気持ちがあるし、この暮らしが好きですが、深く見ていくならこうした稲の収穫だって、心温まる事実ばかりがそこにあるわけではありません。例えば軽トラやバインダーという機械を使うことや、石油を使うということは、世界中の搾取や差別や戦争や環境破壊などを引き起こす仕組みの中にいて、それに加担しているということです。隣のようちえんの田んぼのように手刈りするにしても、その人たちは車に乗ってそこまでやってくるし、鎌一本、どうやって作られたものか分かりません。分からないけどホームセンターで売っている安い鎌の原料や生産過程が、どこかの国の搾取に加担していないはずはありません。僕らが身に着けている服も長靴も、身の回りにあるあらゆるものが、同様の問題を含んでいます。それは、実に複雑で強固な問題です。何を買うか、など、より「マシ」な選択をすることは可能だし、そういう選択はとても重要で大きな力を持つものだと思いますが、そう単純にこれでOK、というような答えや結論はあり得ません。単純な結論はむしろ様々な危険を伴います。思うのは、「どうすればいいのか」と問い続けること、考え続けること大切さと、そうすること自体が持つ力の大きさ。絶望的な状況はいたるところにありますが、その中で、今自分がこの場所でやれることが確実にあります。問い続けることもその一つです。健

ひとつぶ便り 319号

いつもありがとうございます。急に寒くなりましたね。
先々週のお便りをアップします。「田島征三 森の祭り」に行きました。という話。


ひとつぶ便り 319号(2018年9月28日便)


 いつもありがとうございます。晴れ間が出ればまだまだ暑い日もありますが、それでももう夏のようだとは感じません。日暮れもどんどん早くなっていて、いちばん日の長い6月下旬頃は午後7時半くらいまで明るかったのが、この時期になれば6時にはもう暗いです。季節は日々どんどん移り変わっています。ここからは、どんどん寒くなります。今年は夏が長かった感じがしましたがそれでももう夏は終わり、秋もすぐに終わって冬に入っていきます。僕らの住むこの土地は、標高1000メートルくらいあって、冬がとても長く、何段階にも強まりながらやってきます。春夏秋冬冬冬冬冬とか、言いたくなります。-5℃くらいでも充分寒くて冬と感じますが、-20℃もまた冬であって、それを同じくくりにはとてもできません。まだ秋、と言いたいですが、もうすぐ冬がやってくる気配があります。稲刈りの時期になりましたが、雨続きで田んぼがなかなか乾かないのでなかなかできず、やれるのは10月になりそうです。
 ところで先週の土曜日(22日)、小諸市にある「茶房 読書の森」にて、「田島征三 森の祭り」というのがあったので、僕と子ども3人で行ってきました。ゆっこさんは別の場所でイベント出店があったので、そちらに行っていました。僕らが行ったこのイベントは、ここのところ毎年この時期やっているもので、僕らは去年初めて行って、とても良かったので、今年も行くことにしました。絵本とか絵とか造形とか色々で活躍している田島征三さんとその仲間たちによる、絵とか、お話しとか、音楽とかをやるイベント。そのメンバーには、おおたか静流さんもいて、僕は彼女の歌とか声が聴きたいのが一番大きな目的でした。それと、子どもたちに本当にいいものを見せたいなということもあります。11時ごろから始まって、17時くらいまでやっているイベントでしたが、色々な面で満たされていて、うちの子どもたちはほとんど退屈することもなく楽しんでいて、終わったあとも素敵な満足感があったように見えました。出演者たちの見せてくれるものが良かったことももちろんですが、読書の森という場所の力もすごく感じました。うちと家族ぐるみで親しい友人家族がいたので、そこの姉妹とうちの3姉妹でよく遊んでいましたが、それ以外の知らない子たちとも友達になって遊んでいました。特に次女・花野ちゃん(6歳)はその場ですごく仲良しになった子がいて、2人で最高に素敵な笑顔を交換しながら遊んでいました。花野ちゃんは友達と遊んでいる時などはしばしば、これ以上顔は笑うことができないだろう、というぐらいの笑顔をしますが、今回も遊んでいるとき、音楽に触れているときによくそんな顔をしていました。最高!読書の森はステージといっても特に段が設けられたり線が引かれたりもしていないので、長女・葉菜ちゃん(9歳)はこんな時、当たり前のようにステージに乱入します。友達と花野ちゃん、はるちゃん(2歳7か月)を伴ってしれっとステージの一員になり、ものすごく特等席で音楽を聴いたり、踊ったりしていました。はるちゃんはおおたか静流さんに抱っこまでされて、それは流石に迷惑かなと思って迎えにいったら「私はここでいい」と言う視線をはるちゃんに送られ、静流さんも大丈夫そうだったので、そのまま抱っこされていました。うちの3姉妹は三者三様、その場を楽しんでいました。世界中の抑圧された民族たちの苦しみを知り、小さな声を聴き、平和への強い想いを持って歌を歌い続けているおおたか静流さんの存在とその歌は、そういうことを直接語らずとも、強く、暖かく伝わってきます。  健