ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 279号

いつもありがとうございます。とにかく、雨ですね。よく降るなぁ。

先週のお便り、アップします。
今日は8月15日。僕は今日も自分の中の戦いを終わらせられないままですが、その努力は少しずつでもしていこうと思っています。戦争とか平和とかについて、書きたいこととか書くべきではないかと思うことは色々とありますが、なかなか書けないでいたりします。渾身の文章、書きたいなぁ。渾身の生き方をしていないと、書けないでしょうね。

では先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 279号(2017年8月11日便)
 いつもありがとうございます。台風は、僕らのところには予報ほど雨を降らせていきませんでした。雨ばかりで、1か月前くらいに干した小麦が未だに脱穀できていませんが、台風が大雨を降らせていかなくて良かったなと思います。雨、風、大変な地域もあったことと思います。僕が佐久穂町に来てから9年くらい経ちますが、ここは台風の被害を受けにくいところ、という印象があります。山のおかげなのか、過去に直撃しているのにたいしたことがない、という時もありました。
 さて、雨続きで、畑の周りも中も、草がすごいです。外から見ると、畑なのかなんなのかわからないようなところもありますが、実際草をとりに入ってみると野菜の株元だけはちゃんときれいだったりして、何週間か前かに僕かゆっこさんが草に応じたのがしっかりわかります。過去の自分たちのがんばりに感謝できる瞬間があって、嬉しくなります。この時期は毎年大体バテていて、春と比べてだいぶ動きが鈍いですが、まぁ毎日畑で何かやっています。自分の心と体のケアは、もっと丁寧にした方がいいなと思います。葉菜ちゃん(小2)、花野ちゃん(幼稚園年中)は共に夏休みです。4日からゆっこさんのお母さんが兵庫から来ていて(ゆっこさんのお父さんは近くの集落に家を買って住んでいます)、どこかへ連れて行ってもらったり、そちらの家に泊まったり、よく遊んでもらって楽しそうです。はるちゃん(1歳6か月)は、とにかくまぁ食いしん坊でよく食べています。もともとの体型もありますが、いつもお腹がポンポンです。最近は簡単な絵本が大好きで、何冊かを飽きずに楽しんでいます。松谷みよ子さんの『いないいないばあ』は特にお気に入り。本棚に入っていると、「いないばぁ」と言って要求してきます。はるちゃんのあらゆる行動が本当におもしろいです。子ども、すごい存在だなと日々思います。親がいるから子どもがいる、というのもあるけど、子どもがいるから人はお母さんやお父さんになるんですよね。

 今年も8月がやってきました。「戦争を終わらせるために原爆が落とされた」と、多くのアメリカ人や日本人が思っていますが、実際はそうではなく、あれは人体実験だったということ。アメリカは当時、被爆した人たちの治療はせず、調査だけをして、その調査結果を日本側にも被爆者本人たちにも一切伝えない。未だに、それは正しく伝わってはいません。伝わっていたなら、今、政府にしろ行政にしろ民間にしろ、フクシマの事故への対応が全然違うだろうに。あれだけ嘘はつけないだろうに。
 平和の反対は、戦争という状態もあるけど、差別、搾取、貧困、そういうものもまたその位置にあるものだし、それがまた戦争に直接的につながっているものでもあると思います。産業革命とか、その前からも色々と、人間たちは進歩してきたと思っている人が多いですが、結局それは人が人を差別し、搾取し、犠牲にすることを前提にしているもので、今ある科学技術のほとんどが、文化的でも文明的でもありません。例えば木など自然の中のものを使い、先人からの知識や技術の積み重ね、多彩な発想と工夫で作り上げられた道具、そういう誰からも何も奪わない進歩こそ、本当の進歩だと思います。どこかの土地や人から奪い、苦しめている張本人の僕ら日本人もまた、苦しんでいます。差別は、搾取は、戦争は、誰も幸せにしません。世界の平和のため、僕が今すぐにやれることも、やめられることもたくさんあります。健

ひとつぶ便り 278号

いつもありがとうございます。今週の出荷も終わっているので、今週のお便りも書いてありますが、先週のをまだアップしていなかったので、アップします。小麦は昨日、脱穀をして、途中で夕方結局雨が降ってきたのでまだ少し残っていますが、だいぶできました。心配していた穂発芽はほとんどしていないようで、よかったです。そして今年も自分のとこの小麦が食べられそうで、ありがたいです。
では先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 278号(2017年8月4日便) 
 いつもありがとうございます。ここ2週間ぐらいほぼ晴れていません。雨もよく降ります。先月末の30日は本当に久しぶりに晴れて嬉しかったですが、その一日だけで、またそのあと雲が多い天気です。僕らの住んでいる長野県の東のあたりは大平洋側の気候に近くて、基本的には一年を通してよく晴れている場所です。そろそろ晴れて、続いてほしいです。2週間前に刈って、はざにかけて干してある小麦が全然乾かなくて、脱穀できていません。他、いろいろと雨のためできない作業があります。あとまぁ春からの疲れもあってか、こう重い天気だと特に動きにくいです。いや晴れて暑くても動けないな(笑)。畑の中も周りも、草の勢いがものすごいですが、僕は割とスローペースな今日この頃です。こんな雨続きの天候の中であろうがなんだろうが、野菜たちはいつでも、今も、たくましく生き抜いています。その時おかれた環境で、命をつないでいくのに最善の方法を、ためらわず選択しているように見えます。すごく、かっこいい。種を残すために大切に育てた実を人間にとられたその瞬間に他の実に全力を注ぎ、大切に大きくした葉っぱと茎をことごとく鹿に食べられたその瞬間に、脇芽を出して新たな形に再生することを始めます。めげることなく、あきらめることなく、ためらうことなく、たぶん恨むことも怒ることもなく、彼らはいつでもその時するべき最善のことを全力で行います。次の世代に種を残すために。命をつなぐために。それは、子どもを自分の命を投げ出してでも守り抜こうとする動物や人に備わっているものと、同じものである気がします。野菜や豆、穀物と呼ばれる植物たちが、そうやってひたむきに、懸命に生きているそのどこかを、僕らは毎日いただいています。ありがとう。

 先週の出荷の日、佐久と小諸まで野菜を直接届けにいく車の運転中、雲の多い空がとてもきれいで、色々と巡るが頭の中の考えが一つ一つくっきりと見えて、そういう思考の一つ一つが、全部誰かか何かにもらったもので、「自分のもの」なんて一つもないことも見えて、他の人やものの集まりが「自分」と呼んでいるこれなんだというのを強く感じられた時間がありました。それはそれは、いい感じのする時間でした。言葉で説明しにくいのですが続けます。今いる人たちの存在もよく感じたけど、特に感じたのは過去の人たちの存在。遺伝的なものだけ考えたとしても、例えば僕の親は2人、おじいちゃんおばあちゃんは4人、その上の世代は8人、とたどっていけば膨大な数の人たちの続きとして自分がいることは明らかですが、べつに血縁が関係なくとも、人それぞれが持つ様々なものが言葉や経験、行動、歌や踊り、多種多様な伝達方法をもって、太古の昔から受け継がれてきています。そういうものがなかったら、僕が日ごろ「自分の考え」と思っている何一つ、存在することはできません。真面目な考えからどうでもいいと思う考えも全てが、誰かか何かにもらったものです。もちろん考えだけではなく一つ一つの仕草、表情、姿勢、歩き方、そういうものも全てそうです。今、はるちゃん(1歳5か月)がやっているように、もともとは誰かの真似をしたり、教えられたりして身についたもの。それを教えてくれた親や他の人たちもまた、親か他の誰かに教わったのです。僕の中にはそういう過去の人も、今世界中にいる人も、野菜もお米も小麦も、みんないる、というのを理屈ではなく実感として味わう時間はいいものです。   健

ひとつぶ便り 277号

いつもありがとうございます。基本ずっと雨、です。疲れもあるし、心身共に少し落ち気味です。

先週のお便り、アップしました。成長そのものが悪い、といっているのではなく、否定や蔑みを土台にした成長が、いけないものだと思うという話です。ありふれすぎてて気づいてもいない、そういう類の苦しみが、そこにもたくさんあると思います。

ひとつぶ便り 277号(2017年7月28日便)

 いつもありがとうございます。今年の関東甲信の梅雨明けは7月19日という発表があって、その少し前から実際晴れが続いていましたが、ここ一週間はずっと雨模様で、梅雨が戻ってきた感じです。その梅雨明け少し前はすごく気温が高く雨が少ない状態で畑がだいぶ乾いていたので、恵みの雨という部分もありますが、せっかく刈って、はざ掛けしてある小麦が全然乾かないのと、鹿よけの電気柵(ソーラーで充電)の充電が減ってくるのがちょっと困ります。これだけ日照がないのも珍しいかなと思います。晴れ続きだと、どんな作業でもできるので優先順位づけに迷うところがありますが、雨が降ると畑の中は収穫以外では基本的に入らないし、ハウスの中とか土手草刈りとか、やることが限られてくるので、それはそれでやりやすい部分もあります。気分も晴れ続きより少し落ち着きます。まぁでもそろそろ晴れてほしいです。とか言っていると今度は晴れ続きで雨がほしいです、とかいう感じになったりするし、なかなかちょうどいい天気というのはありませんね。今やれることをやります。

 葉菜ちゃん(小2)、花野ちゃん(幼稚園年中)が共に26日が1学期最終日で、夏休みに入りました。好評いただいている「はなちゃん便り」は、葉菜ちゃん本人が「夏休みは休む」と言っていたのでしばらくお休みのようです。ちなみにあれはもともとこちらから書いてと言ったわけではなく、自分で書きだしたものです。いつもは学校から4時くらいに帰ってきて、書いています。葉菜ちゃんは絵を描くとか、文章を書くとか、そういうことは好きだし、得意でもあるのかなと思います。たまに学校の宿題で出るのか、日記を書いていることがありますが、この前読ませてもらったら文章がとてもおもしろかったです。なんというか、軽妙な語り口。どこで覚えたのそんな言い回し、みたいなものがいろいろ出てきて、なんてのは実際に読まないとわからないのでぜひ皆さんにも見てもらいたい気分です(笑)。大人にせよ子どもにせよ、学校のテストの点数に表れないような、体育の何かの測定の結果に表れないような、いろいろなすごいものをそれぞれが持っていると思います。音楽とか絵とか詩とか文章などの表現する活動は、そもそも誰かと比べることはできない気がするし、評価とか、恥ずかしいという意識とか、そういうものからもっと自由であったなら、もっともっと、素晴らしいものが世にあふれかえると思います。
例えば子どもの絵を見ていると、本当に誰の絵も最高だと思うし、大人には絶対に書けない良さが詰まっていますが、その感性をそのまま持ち続けるのが非常に難しい社会環境である気がします。うまくなれ、強くなれ、成長しろ、というメッセージが、世の中にあふれていると思います。その裏には多くの場合、ヘタな自分、弱い自分、未熟な自分への見下しと否定があります。そうである限り、成長すればするほど、苦しくなります。成長すればするほど、自分の一部を強く否定するのだから。ありのままを認め、受け入れ、理解し、愛する、なんて言葉で書くのは簡単だけど、それはとても難しいし、難しいけど全力で取り組むべきことだと思います。例えば弱さを否定することより、弱さを受け入れることの方が、遥かに勇気がいることです。前進すること、行動することより、立ち止まること、行動しないことの方が遥かに勇気がいることだったりもします。そういう勇気を持ちたい。自分のために、家族や誰かのために。健

ひとつぶ便り 276号

いつもありがとうございます。今日が出荷だったので、今週のお便りももう書いていますがまだ先週のやつをアップしていなかったので、アップします。

梅雨、戻ってきましたね。毎日のように雨です。麦、乾かないなー。


ひとつぶ便り 276号(2017年7月21日便)

 いつもありがとうございます。ここの夏はこんなに暑かったっけと思うほど暑い日が続いていましたが、ここ数日はだいぶ湿度が低めで、晴れていてもそこまで汗をかかない感じでした。このあとどうなるかはわかりませんが、このくらいが仕事しやすくていいなぁと思います。16日と17日に、小麦刈りをしました。バインダーという、稲や麦などを刈ってひもで縛って束にしてくれる機械を使い、そうしてできた束を稲と同じように、その畑の中に組んだ「はざ」に掛けていきます。その2日間滞在していた僕の両親にも手伝ってもらってだいぶ助かりました。人ひとりの力はとても大きいと実感します。最近来るときは主に母が子どもたちと遊んでいてくれて、父が農作業を手伝ってくれる、という感じですが、子どもたちを安心して任せられる人がいて、ゆっこさんが自由に動ける、というのはうちの農園としてはすごく助かります。この麦を、1週間~数週間(天気による)乾燥させて、脱穀して、隣町の小さな精米所で粉にしてもらえば、日々のパンやお菓子に使えます。ありがたい、1年間の大事な大事な食糧です。
 なすやキュウリ、ミニトマト、ズッキーニなどなど、野菜セットの内容はだいぶ夏!な感じになってきました。野菜の採れない冬を越えて、春の野菜が採れ始める時期はなんとも嬉しいものですが、この時期の、夏野菜が色々とどんどん採れるようになっていく時期の喜びもまた、とても大きいものです。「初物」を収穫して家に帰っていけば絶対みんなに喜ばれるのでそういう時はいつもよりうきうきして帰ります。
はるちゃん(1歳5か月)は野菜大好きでよく食べます。僕もゆっこさんも、葉菜ちゃんも花野ちゃんも、とても食いしん坊ですが、はるちゃんもすごい食欲です。大根なども好きですが、それが登場してからは特にズッキーニが大好きで、ズッキーニを見れば「うまい」と言います。自分のお皿にズッキーニがなくなると怒って要求します。お米も結構好きなのだと思いますが、ズッキーニがあるときは、それを食べつくすまでお米には手を付けません。ジャガイモも掘り始めて、食卓に登場するようになりましたがこれもだいぶ気に入ったようでたくさん食べます。最近明らかに体や顔が大きくなってきた気がします。あらゆる行動がおもしろいですが、食事中も何かとおもしろいはるちゃんです。

18日が僕の誕生日で、33歳になりました。2007年に大学を卒業して、福島県、会津の山都町のとある農家に研修に行ったので、そのときからちょうど10年経つわけですか。本当に多くの人に支えられていたから生きてこられたし、今、支えられて生きているのを感じます。ありがとうございます。
 僕は高校時代、いい友達に出会えて、ラグビーに出会えて、楽しい日々を送ることができましたが、なんとなく「人生でこんなに楽しいことはもう今後ないんじゃないかな」という思いがありました。が、まったくの勘違いでした!有機農業に出会い、心から信頼できるパートナーと出会い、子どもたちと出会い、心から尊敬できる友人や先輩に出会い、ティク・ナット・ハンと仏教の実践に出会い、アフリカンダンスに出会い、高校時代の楽しさよりも遥かに地に足の着いた、確かな楽しさの中にいます。僕の中にあるもの、周りにあるもの、物質的なものも精神的なものも全て、誰かか何かにもらったものです。色々な巡り合わせが、一つ一つ本当にありがたいです。おかげさまで今日も僕は生きています。ありがとう。健

ひとつぶ便り 275号

いつもありがとうございます。昨日、今日は割と良心的な暑さ(?)でだいぶ働きやすかったです。

先週のお便り、アップします。
そういえば、内容と関連していま思い出したけど、東日本大震災のときボランティアに行った友人の話で、津波で農薬とかそういうものも大量に流されて、水たまりがすごい危険だったり、そういうのが乾いたものが舞い上がったりして、放射性物質以外に「ただちに健康に影響がある」ようなものがたくさんある環境だったとか。あと、がれきとかゴミとか、それがすべて木とか石とか自然物だったら、片付けはものすごく簡単なんだろうなと思います。仮に放射性物質は考えないとしたって、災害時、技術の進歩によって防げるようになったものよりも、より大きな被害を生む原因になるようなものの方が、増えているのではないかと思います。

ひとつぶ便り 275号(2017年7月14日便)

 いつもありがとうございます。毎日暑いですね。こちらも昼間は動きたくないくらいの暑さです。僕らの住んでいるのは標高1000メートル近いところで、夜はかなり涼しくなりますが、昼間の気温は東京などと同じくらい上がります。普段は湿度がかなり低く、カラっとした暑さの日が多いのですが、今は雨も多い時期なので湿度も高くてなかなか重たい暑さです。先週の木曜の出荷作業が終わったあとに、ゲリラ豪雨というのか、ものすごい雨が何時間も降り、土曜にも降りましたが、その後はよく晴れています。今日(12日)は雨の予報もありましたが、僕らの方では降りませんでした。5分くらい下ったところでは強い雨が降ったそうです。先週木曜日は、土砂降りの佐久穂町を出発して野菜を届けに佐久方面まで出かけたら、そちらでは全く降っていなくて驚きました。こっちで降っていてあっちで降っていない、あっちで降っていてこっちは降っていない、みたいなことがよくあります。天気は市とか町とか村とか、県とか国で区切られているわけではないのがよくわかります。
 福岡や大分は記録的な大雨で、大変な被害が出ているようですね。現地の方々の多大な苦しみは、想像もつきません。江戸時代に、この佐久地域では台風が原因と言われる、「戌の満水」と呼ばれる大水害があり、多くの方が亡くなったそうです。今でもその被害のあった8月1日(当時は陰暦ですが)に、佐久地域では墓参りをする習慣があります。同じ千曲川流域で、被害のあった上田などではこういう習慣はないそうで、この地域だけで残っているみたいです。僕らの住んでいる旧八千穂村の、集落の一つは全戸が流されたと聞きました。千曲川(県外に出ると信濃川)流域で起こった大災害ですが、この流域全体で2800人以上が命を落としたそうです。これを書いていても、どこか他人事のように思ってしまいますが、べつに今だって、18世紀のその時と同じような大雨が降れば、同じように被害が出るのでしょう。広葉樹の森に比べ、保水力の劣る針葉樹の人工林が増えていて、さらに洪水の緩衝機能を持つと言われる水田の多くが放棄されている現在は、むしろ洪水に関して耐えうる力がかなり落ちているかもしれません。2011年の地震と津波を見ていれば、九州での今回の雨を見ていれば、自然の前で僕らができることは、きっと100年前とも、200年前とも、1000年前ともそう変わりはしないのだと思います。結局、津波に対して有効なことは「とにかく高台に逃げる」とかそういうことであって、何百年も前と何も変わってはいません。どれだけの安全対策をしたって、想像を絶する大災害は、しょっちゅう起こります。そんな中に、原発なんてものがあるということは、本当に恐ろしいことです。
 僕らが当たり前と思っている日常は、大雨が降るだけで流されてしまいます。昔も今も、変わりません。自然災害だけでなく、色々な危険が生活や仕事の中にはあって、明日も、この次の瞬間も命があるということは、誰にも、何にも保障されてはいません。災害などへの対策は、それはそれで全力でやったらいいと思いますが、今を大切に生きることを、自分はどれだけできているのだろうかということを思います。僕らはいつだって「今」しか生きていないのに、いつだってそれを忘れています。この、今を、もっと大切に生きたい。この今を。と、思った次の瞬間に、僕は「今」から離れていたりするわけですが、何度でも何度でも、思い出していきたいなと思います。必要なものは、全て今この場所にあります。健

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