ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 287号

いつもありがとうございます。まとめてアップの3本目です。稲刈りしました!の回。

ひとつぶ便り 287号(2017年10月6日便)

 いつもありがとうございます。毎日、朝晩はだいぶ冷えます。晴れているとなおさらで、今夜(4日)はお月見にバッチリの天気なのでだいぶ寒いです。昼間は晴れても涼しい感じで、キュウリやトマトなどはもうほとんど採れません。ズッキーニは例年この時期はもうほとんど採れないのですが、今年は先週と今週あたり、かなり勢いがあって驚きます。1日に3本~5本とか、9月の初めごろはそんな感じでしたが、盛り返していて最近はコンスタントに1日10~15本とか採れます。まぁ、そろそろ霜が降りそうなので、その前の最後のがんばり、といったところでしょうか。そして、葉物が育ってきて、とても美味しい季節です。今は品種改良などで一年中出回りますが、葉っぱものの旬はなんといってもこの寒い時期です。季節によって、食べたい料理も、食べたい野菜も、変わってきますね。今夜は栗ご飯とかぼちゃ団子汁。最高でした。日が昇るのが遅くなり、日が落ちるのが早くなり、気温は低くなり、見える景色も、聞こえる鳥や虫たちの声も、何もかも日々変化して、冬に向かっていっています。僕らの住んでいるところは、標高が高いし(1000メートルぐらい)冬がとても長いのです。つい1か月前は暑かった、なんてことはもう信じられないくらい、涼しかったり寒かったりする今日この頃です。
 
 10月1日、2日と、うちの稲刈り&はざ掛けをしました。家族総出(7か月のはるちゃんも出動)でやりました。あと高校時代の友人が一人手伝いに来てくれました。まずバインダーという機械で刈っていきます。この機械は刈ってヒモで束ねていってくれる小さな歩行機械です。エンジンのピストンの運動を回転の動きにするのはわかるけど、それを利用してどうやって「束ねる」ということができるのか、不思議です。これ開発した人、かなり天才なんじゃないかといつも思います。刈る、まとめる、束ねる、って動きを一つのエンジンの動力でやれるんです!と、いう小さい機械を使って束ねたあとは、木で組んだ「はざ」に掛けていきます。はざが立っているところまで稲の束を運ばなくてはいけないので、人数はいればいるほど助かります。花野ちゃん(5歳)はこの日少し体調を崩していて作業はあまりしませんでしたが、葉菜ちゃん(8歳)はたくさんやってくれました。完全に大人一人分の働き、「一人前」の仕事をしてくれていました。また、草がすごかったり、日照不足で病気(いもち病)のところがあったりしたので、そういうところは機械がうまく刈れなかったり束ねられなかったりなので、そこでも人手が必要です。全国的には圧倒的にコンバインという機械を使って刈り取りから脱穀までやってしまうところが多いのだと思いますが、佐久地域は割とはざ掛けをやっているところが多く、稲刈りはどこも大人数でやっています。家族総出とか、親戚とかも来ているのだと思います。長い間続いてきた伝統なのでしょうが、農村部は高齢化が深刻で、このままだといつまで見られる風景なのか、わかりません。
 稲刈りをしていて思い出すのは、僕らが農園を始めた年のお米の収穫。面積的に言えば僕らの栽培方法でも120キロくらいは採れる場所で、なんと6キロしか採れませんでした。今ならその原因は色々思い当たりますが、当時は本当に何もわからなかったなぁ。今だって全然知識も技術もないし、田んぼも畑も色々と難しいですが、たくさんの失敗のおかげで、なんとかやれているんだな、と思います。   健

ひとつぶ便り 286号

いつもありがとうございます。連続でアップ中。2本目です。
一本のズッキーニを、深く見つめると・・・。

ひとつぶ便り 286号(2017年9月29日便)

いつもありがとうございます。標高が高く冷涼なこのあたりもだいぶ稲刈りが進んできて、はざ掛けされている田んぼが多くなってきました。うちは天気が大丈夫なら来月の1日にやろうと思っています。ここ一週間は割と晴れていましたが、今夜(27日)は雨が降っています。収穫の時に雨なのはちょっと大変ですが、このところの雨の降り方は、畑の潤い的には丁度いい感じでありがたいです。
夏野菜たちはだいぶ落ち着いてきましたが、霜が降りるまでその命ある限り、種を残すために全力を尽くします。だからまだ、僕らもその恵みを受け取れます。今週はちょうど気候が合ったのかズッキーニが好調で、きれいなものがこの時期としてはよく採れています。ズッキーニは、受粉していない実は先っぽから枯れてしまいます。ズッキーニの受粉は虫がするので、涼しくて虫の数が減ったり元気がなくなれば、受粉していない実も増えるのではないかと思います。花から花へ飛んでいるのを見かけるのは主にミツバチで、夏場はブンブンしていますが、この時期はあまり見かけなくなってきます。それで受粉していない実も多いのだと思いますが、逆にまだ少数のミツバチはちゃんと働いてくれているので、受粉できている実があるとも言えます。ズッキーニはそうやって虫たちの働きを前提にして、頼りにして、自分たちの命をつないでいっているのですね。その虫たちもまた、そこに花が咲くことを前提にして、頼りにして、生きて命をつないでいます。そういう分かりやすい共生関係から、すごく関係が見えにくいものもあるでしょうが、それぞれが細かに、複雑に、関わり合い、依存し合いながら、そこに存在します。一本のズッキーニの中に、何が見えるでしょうか。そこにはミツバチの存在が見えるし、太陽も、雨も、土も、土の中の小さな生き物たち、もっと小さな生き物たちも見えます。きちんと見ていくことができるなら、そこには関係のないものが無いことがわかります。色々な人の姿も見えるでしょう。僕ら家族、種やさん、農機具屋さん、流通業者で働く人、そこのドライバーさん。流通にも使われますが、僕らの使う軽トラ、トラクター、小さな管理機、刈り払い機なども石油で動きます。だから石油というものもそこには見えるし、遠くの国でそれに関わる人たちも見えます。世界中の喜びも、幸せも、悲しみも、苦しみも、そこには見えます。あらゆる人、あらゆる生き物、あらゆるもの、自然、全てが関わり合って、一本のズッキーニも、他の野菜も、一人の人間も、そこに存在しています。もうそれは、ありがたいとかいう言葉では表しようのないありがたさを感じます。ありがとうございます。
そうして何かを深く見ていくと、良い側面ばかり見えるわけではありません。ズッキーニを見て、そこに太陽の光を見ることもできれば、地球のどこか遠くで起こる戦争だって、見えてきます。僕らの日々の仕事や暮らしは、世界の搾取や貧困や戦争にも深く関わっています。今この国で、何も意識せずにものを買い、消費しながら生きていたら、世界の苦しみをただただ増大させます。無関心であるほど世界を苦しめ、自分も苦しむことになります。僕らの育てている野菜も、僕ら家族がしている生活も、世界中の色々な苦しみに加担している部分が多々あるわけですが、それをできるだけ減らす生き方、平和という道を行く生き方をしたいと思い、日々生活しています。今やれること、今やめられること、たくさんあります。命を懸けて生きるべき瞬間は、今この時。僕らの今が、世界中の誰かや何かと深くつながっています。健

ひとつぶ便り 285号

いつもありがとうございます。更新をだいぶサボっていたので記事がたまっております。まとめてアップします。1つ目。

ひとつぶ便り 285号(2017年9月22日便)

 いつもありがとうございます。涼しい日がますます多くなってきました。まだまだ昼間は暑い日もありますが、夏の実ものたちは大きくなるのがとてもゆっくりになってきました。一方、涼しいのが好きな葉ものたちは毎日ぐんぐん成長中です。葉っぱが美味しい季節です。この、採れ始めの時期の美味しさというのはどんな季節のどんな野菜であっても格別です。気分的にもすごくありがたく、嬉しいです。
 
 この前の土曜日は、葉菜ちゃん(小2)の通う小学校の運動会で、家族みんなで見に行きました。運動会の練習は色々大変な上に、リレーの選手になってその練習が毎日休み時間にあって、楽しさがないわけではないものの、すごく忙しそうだった葉菜ちゃんは、終わってほっとしたようです。運動会の後は3連休でしたが、20日は自主的に休んで、古巣の幼稚園に行っていました。今年はほとんど自主休みをとっていないので、久々です。もっと休んでもいいのに。葉菜ちゃんが運動会でいちばん楽しみなのは自分の家族と友達の家族で食べるお弁当のようで、ゆっこさんに食べたい献立をリストアップして渡し、作ってもらっていました。そして、友達のところからもたくさんおすそ分けをもらい、そんなに食べて午後大丈夫か、というくらいに食べていました。まぁ食べまくるのは家族の他の4人も同じです。
 葉菜ちゃんが出場する競技以外の時も、特に知らない子ばかりが走っていたり、ダンスしていたりするのも色々見るのは楽しいので、楽しく見ていましたが、はるちゃんがよく、ごく自然に、冒険の旅に出発するのでそんな時は同行しました。はるちゃんは、人がたくさんいる中でしたがひるむどころか全然気にしないでどんどん歩いていきます。知らない広い場所、とても楽しそうでした。グラウンド周辺をすたすた歩いたり、トイレに寄ったりできるように開放されていた校舎の中にも入り込み、自由に歩き回っていました。僕はひたすらすぐ後ろをついて歩いていきました。何のためらいもない感じ、好奇心の塊みたいな感じ、最高です。かっこいいです。何度目かの冒険の中で、はるちゃんは校舎の中で階段を発見し、上ったり下りたりをひたすらに繰り返したりもしていました。今年3月にあった有機農業関係のイベントの会場が大学の構内だったので、その時もひたすら廊下を歩いたり、階段を上ったりしていましたが、あの時は階段の下りはまだ抱っこしたなぁ。今回は手をつなげば一緒に下りられるようになっていました。とにかく上ったり下りたり、ひたすらやりました。という感じではるちゃんははるちゃんなりに、その日を最高に楽しんでいました。
 はるちゃんとの冒険の途中、葉菜ちゃんの教室の前も行ってみましたが、教室の外にクラス全員の、トマトを観察した絵が貼ってありました。葉菜ちゃんのを探すと、とてもよく見て細かく書いていて、驚きのクオリティでした。絵とか、文章とか、ダンスとか、走ることととかもそうだと思いますが、ただうまいとか下手だとか、速いとか遅いとか、良くできたとかできないとか、それだけの基準では絶対に測れないものが、ものすごくたくさんあると思います。そして、それは数字などではとても測りにくいものだけど、どれもものすごく大切なものだと思います。そこが大切にされる場所は、きっと生きやすいところです。点数とかタイムとか成績とか、ものすごく狭い価値観から、誰もが自由であって欲しいです。  健

ひとつぶ便り 284号

いつもありがとうございます。台風は特に問題なく通り過ぎてくれました。
先週のお便り、アップします。

ひとつぶ便り 284号(2017年9月15日便)

 いつもありがとうございます。すっかり秋の空気ですが、まだ暑くなる日もあります。ここ数週間は、雨は時々降って、多すぎず少なすぎず適度な感じ。近年の傾向なのか、干ばつか降りすぎか極端な天候が多いので、こういう丁度いい感じは結構珍しい気がします。7月に刈って、はざ掛けをして干したものの、雨ばかりでなかなか乾かず心配した小麦ですが、8月半ばと後半に脱穀した後、唐箕にかけ、晴れた日にまた広げて乾かし、それを隣町の小さい精米所(小麦の製粉もやってくれます)で製粉してもらい、小麦粉になりました!そして、日々のパンやおやつを焼いています。雨が長くてどうしよう、という期間が長かった分、余計にありがたみを感じます。一度に全て製粉したら保存が難しいので、玄麦のままとっておいて、少しずつ製粉していって、1年使っていきます。この後、10月にまた麦を播いて、ちゃんと実ったなら、来年の7月中旬以降に収穫します。種を播き、育て、収穫し、また種を播く。そしてまた育て、収穫し・・・とずっとつながってきたから、ここに今、小麦やお米があります。野菜も同様です。僕らは野菜も自分のところで採りやすい種は採っています。買っている種も多いですが、そういう種にしたって、何千年も、何万年も、自然に抱かれ、人の手に抱かれながら受け継がれてきたものです。麦やお米の一粒に、地球の、宇宙の、あらゆる歴史が詰まっています。本当にすごいこと。ありがとう。
 
 ところで今度の土曜日は長女・葉菜ちゃん(小2)の運動会があります。毎日色々練習しているようです。リレーの選手になったそうです。リレーの選手がタイムで速い順で選ばれるのは、僕が小学生や中学生だったときもそうだったので、そういうものだと思っていましたが、ゆっこさんは小学校も中学校も、タイムによる選抜ではなくやりたい人がやる、という形式だったそうです。関東と関西の違いとかでしょうか?僕はその、選抜ではなく任意の方がいいのになと思います。
 先日、神奈川の友人宅に家族で泊まりに行ったのですが、そこで聞いた、その友人の知り合いの、あるダウン症の子の話。すごく素敵だったので紹介します。その子はいつも運動会のかけっこで毎年ビリでしたが、ある年、一緒に走っていた子が転びました。お母さんの頭には「あ、今年はうちの子ビリにならないかも」という思いがよぎりましたが、その子は転んだ子のところに戻って、一緒に走りました。ゴールまで並走し、ゴールの直前、その子は転んだ子の背中をポンと押して、自らビリになったそうです。
 例えばこの子のやったようなこと、転んだ子がいたら心配してそばに行くとかいうことは、他人を蹴落としてでも1位になろうとすることより、遥かにいいことではありませんか?人を含む生き物の中には、暴力的な性質も、誰かに優しくしたりできる平和的な性質も、どちらも備わっていますが、そのどちらに水と栄養を与え、育てるかで、どちらが強くなるかが決まってきます。テレビで暴力シーンや差別的な言葉等を毎日毎時間見せ、学校ではただ競わせ争わせる現代の環境が、どちらをより育てるかははっきりしています。人は可能性として、どこまでも残酷で暴力的になれるし、どこまでも優しく平和的にもなれます。それぞれの中にある平和や理解や優しさの種を大切に育てることこそ、何より重要なことだと思います。その平和の種は、どんなに見えにくくなっていたとしても、誰のもとにも必ずあります。健

ひとつぶ便り 283号

いつもありがとうございます。先週のお便りをアップします。
この毎回のお便りは、A4の紙1枚に印刷して、野菜セットに入れているものです。ゆっこ氏の手書きの野菜の解説と使い方と、近況報告等がその裏につきます。あと最近はそれに加えて、葉菜ちゃんが学校から帰ってきて気が向けばお便りを書くので、それも入ります。

先週のやつは、野菜セットにはそれを入れてしまったのですが、読み返したら最後の方がだいぶ乱暴な感じだったので、その後そこは段落ごと書き直しました。言いたいことは同じようなことではあるのだけど、前のバージョンは直後に読み返して、この表現はまずかったなと、結構後悔しました。書いているときはそれでいいと思ったし、その後印刷前に読み返したり直したりもしているのですが、実際はちょっとまずかったなぁと。そんなわけで283号は2パターンありますが、改訂版の方をアップします。
これは色々と、確認できる機会でもありました。不安とか怖れとか、怒りとか、そういうものはそのまま出るし、伝わってしまうもので、そういう気持ちをそのまま書けば、やっぱり読み手にそういう感情をあおる文章になるのでしょうね。それは、すごく良くないことで、誰かを傷つけ、巡り巡ればそれは戦争とか、そういうものにつながってもいます。逆に、優しさとか愛情から書かれた文章は、やっぱり書き手にも読んでいる人にもいい影響が及ぶのだと思います。僕がティク・ナット・ハンの一冊の本に人生を救われたように、誰かの幸せを願い、苦しみを無くすことを願って発せられた言葉は、目の前の人を、どこかで誰かの命を、救うほどの力があります。なかなかそんな言葉は紡げないけど、目指すのはそういうもの。今回の後悔が、それを確認させてくれました。

では先週のひとつぶ便りです。

ひとつぶ便り 283号(2017年9月8日便)
 いつもありがとうございます。雨ばかりの日々がやっと終わって、やっと晴れて夏らしい天気が何日かあったかと思ったら、最近はもうすっかり秋の空気になって、秋の風が吹いています。朝晩は肌寒く、昼間も涼しいです。季節が変わったのを感じます。夏野菜の勢いも、雑草の勢いもだいぶ穏やかになってきました。夏野菜に夏の勢いはなくなっても、味はむしろ増してきたりもします。今回はまだあまり入りませんが秋の葉物など、これからどんどん入ります。この秋の葉物や大根、かぶなどは、春も美味しいですが、秋のそれとは比べ物になりません。葉物などは、この時期こそ旬、という感じがします。
 家族5人それぞれ、おかげさまで元気にやっています。はるちゃんは1歳7か月。日に日に成長しています。最近またぐっと、全体的に発達したような気がします。最近は会話が結構成立します。ものすごくおもしろいしかわいいです。葉菜ちゃん(小2)と花野ちゃん(5歳)の会話から、かなり色々学んでいるのがわかります。葉菜ちゃんと花野ちゃんのこの時期より、「えー?」とか「いやだ」とか、否定の答えが明らかに上手です。ノーと言える人ですね。また、このところ昼間はおしめではなくトレーニングパンツをはいていることが多いですが、そうしたらだいぶおしっこを教えてくれるようになりました。布のおしめとトレーニングパンツで、そんなに気持ち悪さに違いがあるのかわかりませんが、だいぶ反応が違います。おしっこでもうんちでも「うんち」と言って教えてくれます。葉菜ちゃんも花野ちゃんも、はるちゃんに優しいです。特に花野ちゃんはよく面倒を見てくれますが、はるちゃんの横暴ぶり(笑)や、なんでもはるちゃん優先になることなどに、複雑な気持ちも見えます。はるちゃんは、ゆっこさんや、僕ですら独占したがります。他の子を抱っこしていたらわめく、とかいうのは上2人にはあまり見られなかった気がします。まぁはるちゃんがそんな感じなので、花野ちゃんが寂しい思いをする、という場面がしばしばあります。特にものすごく心配、というようには感じませんが、意識的にフォローしていかなければいけないなと思います。家族も、常に関係は変化し続けるものだと思いますが、その時その時の関係を大切に、それぞれ一人ひとりを大切に、していきたいです。
葉菜ちゃんは、1年生のときは大体週2~3回休みながら通っていましたが、今年はほぼ毎日通っています。去年よりは遥かに楽に、楽しく通っているようですが、当然、大変そうでもあります。日々の授業に加えて宿題は毎日山のように出るし、バスで帰ってくるので帰りは4時か5時。現場の先生とかは必死に、愛情ももって日々子どもに接してくれているものと思いますが、先生が大変すぎることも含めて色々と、すごく疑問です。この国の教育。全体の為には犠牲になることがあり、犠牲になる人がいてもいい、という考え方は、完全に間違っていると思うし、そんな考え方は差別や、搾取や、戦争と、直接つながっています。目指すところは全ての人が、人だけでなく全ての命や、命でないものたちが尊重される教育であり、社会だと思います。この国はそこを目指していませんが、他の国とか、この国の中にだって、人や自然を大切にできる教育の在り方とか、社会の在り方とか、具体的な事例がたくさんあると思います。教育が、社会が、ひたすらに優しくあってくれたらいいなと思うし、また、今そうでないからこそ、自分がより意識的に、自分を、家族を、社会を、自然を、大切にしていく必要があると強く感じます。健

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