ひとつぶろぐ

長野県南佐久郡佐久穂町(旧八千穂村)、有機野菜の「ひとつぶ農園」のブログ。

ひとつぶ便り 300号

いつもありがとうございます。夜は結構冷えるなぁ。
先週のお便りアップします。300号ですってー。最初の頃は手書きでやってたなぁ。それはそれで、色んな意味でいいと思う。
震災と原発事故があってから、放射能の検査の結果であるとか、自分たちの立場とか考え方であるとか、そういうの色々書かなくてはいけなかったときに、パソコンで書いたのがきっかけで、それからはパソコンでのお便りに切り替えました。量を書くのが楽だし。電気や、パソコンという機械も使うというデメリットはありますが。

300号とか、何回書いたか、とかはどうでもいいことですが、このひとつぶ便りは野菜を届ける人がいなければ書いていないものだし、なんで生きているのかわからないくらいの経済状況ではあるけどそれでも農業を続けているからこその、積み重ねではあって、それはすごくありがたいことだなと思います。買って食べてくれる人たちも、友達も、田畑の生き物たちも、太陽、雨、土、全ての自然、家族、自分の命、すべてに、ありがとう。

ひとつぶ便り 300号(2018年5月18日便)
 いつもありがとうございます。今回が最初の方は、今シーズンもよろしくお願いします!また食べてもらえて嬉しいです。僕らの生活を支えてもらって、ありがとうございます。先週から出荷が始まりましたが、その収穫の日(木曜日)の午前中が前の日から続く大雨で、しかもとても気温が低くてやたら寒く、一年に一度あるかないかの大変なコンディションでした。僕らのあたりでは雨でしたが、もう少し標高が上がったところでは、みぞれだったり雪だったりしたようです。その次の日の朝は霜が降りて、あの暑かった4月からは考えられないような寒さでしたが、ここ数日はまただいぶ暑いです。天気や気温の変化がめまぐるしいですが、野菜たちは育ってくれているし、僕らも毎日畑の上で動いています。長かった冬が終わり、畑と田んぼの作業が集中するこの時期は、特に山ほど仕事があります。この5月半ばごろが、僕らの住んでいる場所ではやっと霜の心配が無くなってくる時期なので、寒さに弱い夏の実もの野菜の植え付け(それまではハウスの中で育てています)や、大豆などの豆まきなども、どんどんやらなくてはいけません。どれもこれも最優先、みたいな感じだけどもちろんいっぺんにはできないし、優先順位づけがとても難しいですが、あれもやりたい、これもやりたいとなりながら、実際に僕もゆっこさんも、あちこちちょこちょこやったり混乱しながら(笑)やっています。葉菜ちゃん(小3)、花野ちゃん(幼稚園年長)は、ときどき畑にきて、手伝ってくれたりもします。葉菜ちゃんはそれほど積極的に農作業はしませんが、やるときはすごく気合いを入れてやってくれるし、花野ちゃんはよく楽しそうに手伝ってくれます。2人とも時には大人一人分(一人前)の仕事をしてくれます。助かります。はるちゃん(2歳)は眠くならない限りは畑でもよく遊んでいます。葉菜ちゃんや花野ちゃんがいれば、家でも外でも一緒に遊んでいることが多いです。やることはいっぱいあるし、生活の中で細かいことから大きなことまで、問題がないなんてことはありませんが、僕ら夫婦も子供たちも、それぞれが毎日楽しくやっています。僕個人としても色々とありますが、個人の問題も、世界全体の問題も、それぞれのこの瞬間、この場所を、しっかりと見つめられないことや、今ここにある苦しみや幸せをくまなく感じられないことにあると思います。電子機器も交通網も発達して、僕らは「いつかどこか」へ行くことがすごく簡単になっているように見えますが、どこへ心が飛ぼうと、体が高速で運ばれようと、僕らが生きられるのは、実際は今この場所だけです。もっともっとしっかりと、畑でも家でも、どこにいても何をやっていても、「今」を大切にしたいです。今、いすに座ってパソコンのキーボードを打っているこの瞬間を。今のこの、一呼吸を。
 それは仕組まれていることだと思いますが、この持続不可能な大量消費社会の基盤は、「今を幸せと思わせない」ということにあると思います。今を幸せと思えないからこそ、人は何かを買いたがり、どこかへ行きたがり、何かをしたがります。そうやって欲望を満たすことこそ幸せだとも、多くの人が思っています。そしてそういった行動は必ず、自然環境に悪影響を与え、世界中の戦争や搾取や差別に加担し、自分の心や体を傷つけます。自分や世界のために、何かを無意識的にし続けることより、まず立ち止まって今という瞬間をよく見て、より意識的に生きることが必要だと思います。幸せも平和も、この暮らしの中にあります。暮らしそのものが幸せで、暮らしそのものが平和であることが、世界の平和への道です。健

ひとつぶ便り 299号

いつもありがとうございます。今シーズンも出荷が始まりました。今日が2回目の出荷でした。
先週のお便りをまだアップしていなかったので、アップします。
野菜を買って食べてくれる人は随時募集中なので、興味のある方は声をかけてくれるとうれしいです。なかなか、必要としている人との接近が難しいなと思います。いろんな事情で、なかなかそこに時間と労力を割けない状況がずっとありますが、必要としているところに、届くといいなと思っています。ここを読んでいるのは大体知り合いか友達だと思いますが、自分が欲しいとか、友達が欲しそうとか、贈り物にとか、定期便ではなく気まぐれに単発の注文とかもお待ちしているので、メールか電話か直接か、フェイスブックのメッセージとか、なんでもいいのでご連絡ください。

さ、今年最初のひとつぶ便りです。また、よろしくお願いします!


ひとつぶ便り 299号(2018年5月11日便)
 いつもありがとうございます。お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。今シーズンもよろしくお願いします。野菜たち(主に葉もの)がだいぶ大きくなってきて、今週から出荷を始めることにしました。我が家は基本的に自分たちの田んぼや畑で採れたものを食べていますが、僕らの住んでいる場所は標高が高く(900メートルくらい)冬が寒く長いので、春先は貯蔵していたジャガイモなども底をついてきて野菜が少なく、漬物など保存食も少なくなってきて食材が限られてきます。お米や小麦(パン)を基本として、ふきのとうやウドとかタラの芽、ヨモギなど、いろいろと山菜や野草や、冬越ししたほうれん草や冬菜、菜花を食べたりしながら、種まきした野菜たちが大きくなってくるのを待ちます。そしてやっと大きくなってきた葉ものやラディッシュが収穫できるようになってきて、それを最近僕らも食べ始めています。嬉しい。大地、空、すべての自然の恵みに心から、ありがとう。冬には冬の、春には春の、それぞれの食の良さというのがありますが、この時期になって久しぶりにたくさん食べられる葉っぱものたちはやっぱり美味しいし、本当にありがたいなと思います。田畑に仕事があふれている時期ですが、土の上で、空から爆弾が落ちてこない環境で、働いて生きていられることもまた、本当にありがたいです。
この春、長女・葉菜ちゃんは小学3年生に、次女・花野ちゃんは年長(縦割り保育なので学年はあまり関係ありませんが)になりました。はるちゃんは2月で2歳になり、ポンポコお腹で毎日元気に過ごしています。はるちゃんは一挙手一投足、すべての言葉が最高におもしろく、かわいく、楽しいです。葉菜ちゃんも花野ちゃんもそんなはるちゃんをとてもかわいがっていますが、特に花野ちゃんがよく面倒を見てくれます。はるちゃんのかなりのわがままにも丁寧に対応してくれたり、驚くほどの優しさを見せてくれたりします。花野ちゃんの笑顔はいつもものすごく素敵で、それはすごい力を持っていると感じます。彼女の存在は僕のお手本だし、尊敬しています。学ばせてもらうことが多いです。
葉菜ちゃんは基本的に楽しそうに小学校に通っていますが、毎日恐ろしい量の宿題(特に長野県の特徴なのでしょうか)が出たり、大変なことは当然のようにいっぱいあります。教育基本法とか、幼稚園とか学校とか現場でも、色々立派そうなことを言っておいて、いちばん大切なものを忘れていると思います。それは子供自身の幸せのこと。この社会では「いつか幸せになるために、今は苦労しろ」というのがきっと一般的な考えで、子供に対してもそうさせようとしているように感じますが、いつか幸せになろうとする限りいつまでも幸せはやってきません。幸せになるために学ぶのではなく、学ぶことが幸せそのものでなければいけません。ありのままを受け入れられ、安全だと思える、安心できる、愛されていると感じられる、幸せだと感じられるような時間と場所さえあれば、子供は(大人も)自ずと成長するし能力も発揮します。社会も個人もきっと、ただそういう環境を整えたらいいと思うのです。また、それは実際、現代社会の求めるような能力や成果を出すのにも効果的だと思うけれども、たとえそうではなくても、それぞれの子供(大人も)が、そのときその場所で幸せかどうかが、最も追求すべき結果であり成果だと思います。そしてその幸せは、物やお金を持つことや未来に求めるものではなく、自分の内や外で今起こっていることを深く見て、受け入れ、理解したとき得られるもの。今ここにある、暖かいもののこと。健

ひとりごと通信その1

どうも。久々の更新です。今日もありがとうございます。

種まき、苗づくり、畑の準備、いろいろやっています。野菜セットの出荷はまだあと半月くらい先かなという感じ。田んぼの作業もどんどんあって、農作業もなかなかいそがしい時期ですが、先日ベトナム戦争の帰還兵で戦争に反対し続け、日本でも何度も講演をしていたアレン・ネルソンさんの記録『9条を抱きしめて』というのの上映会と座談会をやりました。
こんなときに、なにか書いたらいいんじゃないかと連れ合い、ゆっこ氏に提案され、それもいいなと思ったので、とりあえずなんか書いてみた、という文章です。タイトルもなにも特になく、いきなり書き出した感じの文章でしたが、ゆっこ氏が「こみけんのひとりごと通信」とかいうタイトルを口走っていたので、なかなかいいなと思って、もらいました。

これはもともと紙の媒体ですが、ひとつぶ便りみたいに、アップしておきます。上映会のときとか、不定期に書く予定。最近書きたいことはたまっています。そして、ひとつぶ便りでは分量的に書ききれないことも、補足的に書いたりもしたい。書くという表現にもう少し重きを置こうかなと思ったり、思わなかったり。
あ、それと、最近、電磁波の危険性を訴える小冊子を目にする機会があって、「無線LANが危険」ってのを読んで、使わないときは無線LANの電源を切っています(うちのはコンセントを抜くことで切るやつ)。で、この文章は無線LANオフ状態で、オフライン環境で書いたもの。なにかとネットに逃避できない環境は、むしろすごく気持ちいい感じがしたのでひとつぶ便りとかでもやろうと思います。
ま、そんな感じでとりあえず、とりあえずだけどもちろん真っ向から、渾身で書いたものです。どうぞ。

ひとりごと通信 2018年4月27日 アレン・ネルソンさん上映会と座談会
 いつもありがとうございます。
前回の水野スゥさんのお話し会と座談会のあとあたりから特に、日々のことと合わせていろいろと、頭の中に、心の中に、表現したいものがあって、書くのも一つの手段かなということで、とりあえずなにか書いてみることにします。

 今回の上映は、アレン・ネルソンさんのドキュメンタリーですが、僕はこれを昨年8月の「平和のための信州・戦争展(場所は野沢会館)」で初めて観ました。映像を生業としている人たちが作ったものではないので編集などはやや粗い感じはしますが、そんなことより、平和のために、子どもたちのために、本気で伝えたいことがあって、そのためにネルソンさんの言葉や存在を見せよう!という関係者の心の奥からの熱意を感じる映像でした。大量の重たい涙と共に観ました。
 そのとき合わせて上映していた、琉球放送の『テロリストは僕だった』という25分ほどのドキュメンタリーもとても良くて、おススメです(ユーチューブでも見られます)。『9条を抱きしめて』と『テロリストは僕だった』を観て、軍隊の訓練の映像とか戦争の描写があって、憲法9条がなかったら、自分が戦争に行っていたんだな。というのをすごく具体的に想像できました。9条がなかったら、自分の親はベトナムで殺されていたかもしれないし、ベトナムで人を殺していたかもしれない。僕自身はイラクか、アフガニスタンか、他のどこかのアメリカの戦争に日本の兵隊として同行して、誰かを殺していたか、殺されていたか、生きて帰っても心身に深い傷を負っていた、ということです。親が戦争で亡くなっていれば、そもそも僕らは生まれていない命だし、今こうしてここに生きていることと、9条のこと、憲法のほかの条文のことが、実際は密接に関わっているということを、この2か月くらいの間、よく思います。
例えば24条が日本国憲法に無かったら、女性に結婚相手を選ぶ自由も、離婚する自由も、なかったということ。選挙権とかも。それまでの日本では女性の人権はものすごく制限されていたのだし、戦争のあとだって、女性の権利に日本政府は興味なんてなかった。日本で長く過ごし、日本という国が幸せになるためには女性が幸せにならなくてはいけない、という強い思いを持ったベアテさんという女性(当時22歳)が憲法の人権条項を書くチームにいたからこそ起こった奇跡。アメリカの憲法にも、男女平等はうたわれてはいないのに、日本の憲法にはっきりと書かれている、というのはまたすごいことだと思います。ベアテさんはちなみに、ロシア生まれ(ユダヤ人)の両親を持ち、オーストリア生まれ、5歳のときにピアニストの父の演奏旅行で日本に来てそのまま15歳まで日本にいて、アメリカに語学留学、で、戦争が起こり・・・という激動の人生。詳しくは『1945年のクリスマス』をお読みください。ベアテさんの書いた条項は、元はもっともっと多く、特に女性や子供の権利について、具体的にたくさん書いてありました。ほとんどが最終的にカットされましたが、本当に、もったいない!あれば今、救われている人が、本当にたくさんいると思います。ベアテさんは、条文がカットされるたび、それだけ日本の女性の幸せが奪われる気がして、泣きながら抗議したそうです。そういう人がいたから、24条があり、僕らや僕らの子どもが今こうして生きている、ということでもあります。この世界に僕と関係のない人も、ものも一つとしてありませんが、憲法というものと自分の関わりの深さ、距離の近さは、最近より強く意識できるようになったし、そのありがたみと、喜びもまた感じます。

 さて、ネルソンさんは「敵」のベトナム人たちを「人間ではない」と教わり、ベトナムへ人を殺しにいったわけですが、これこそ、恐怖や憎しみや怒りを増大させたりする最も有効な手段だと思います。自分のことも、相手のことも、それを取り巻く状況も、何も考えさせない、ただ上官の命令に従って相手を殺す。というような軍隊のやり方は、誰も幸せにしない方法であって、この逆をいけばいい、という点ですごく参考になると思います。平和の道を行くのなら、逆に「相手は人間だ」ということを徹底して教えればいいということ。例えば日本政府やその言いなりであるメディアたちが北朝鮮に関して流していることは「あいつらは対話できような相手じゃない」、それはつまり「相手は人間じゃない」というのに似たメッセージですが、それはまさに軍隊のやり方。平和を行く者たちのやるべきことは、あの国にどのような歴史や文化があり、どのような人々が暮らしているか、現在どのような状況かを知って、具体的にどう対話していくか、ということのはず。相手が人間じゃないと思うから、対話の成り立たない人間だと思うから殺しに行けるのであって、実際にその暮らしを知っていたり、対話をしている相手は、殺せない。
ネルソンさんのベトナムでの最後の「殺人」は、もう相手を「人間じゃない」とは思わなくなった体験のあと、ベトナムの若者と1対1になったとき。撃った相手のポケットから、その若者の両親(と思われる人)の写真が出てきて、それを見て「この写真の人たちは、この若者が死んだことをまだ知らないんだ」と思って、涙を流したそうです。兵隊としてこんなことを繰り返していたら絶対に心がもたないし、いずれ、相手に撃たれて死ぬかもしれません。「殺すマシーン」を作るのが軍隊なら、「殺せない人間」を育てるのが、9条を持つこの国の教育のあるべき姿だと思います。実際やっていることは真逆ですが。

戦争とか、暴力とか、非暴力とか、そういうことを考えていると、常に頭に浮かぶのは東ティモールの人たちのこと。この映画会の第1回が『カンタ!ティモール』の上映でしたが、最近も何度も何度も、彼らの姿を思い出します。今度、5月4日に読書の森で上映会があるそうなので、行けるようなら是非足をお運びください。叫びたいほど超絶おすすめです。
 3人に1人が殺されたと言われる戦争というか虐殺の中、東ティモールのゲリラ兵たちは、捕らえたインドネシア兵の武器を取り上げ、自分たちは戦争をやめてほしいだけだということ、背景にある状況などを言って聞かせ、無傷で帰す、ということを繰り返したそうです。仲間を殺され、妻や娘を日常的にレイプされ続けるという状況の中、そういうことを何十年もやり続け、ついに独立を成し遂げるのです。
 その虐殺を支援し続けたのが日本。どの国よりも熱心に、インドネシアを支援し続けました。国連のインドネシア政府を非難する決議にも反対し続けた日本。東ティモールは独立したけど、僕らのお金がきっと、今日もそうやってどこかの戦争や虐殺に使われています。直接戦争に行かないとしても、僕らは日常的に、戦争に加担しています。日本国憲法、前文にせよ、9条にせよ、人権条項にせよ、とても大切なことが書かれていますが、それを僕ら日本人が日常の中でも、世界平和のためにも生かしているとはとても言えません。世界中から恐怖と欠乏をなくそう、というのがこの憲法のはずなのに、それと逆のことばかりをしています。僕らが無関心である限り、それは今もこれからも、悪化しながら続いていきます。
 東ティモールの人たちのように戦うには、すごく多くの理解が必要。自分や、自然や、相手や、世界への深い理解が。そのとき東ティモールの一介の少年兵だった子たちが、その戦争の理由も、相手を恨まないことも、自分の頭で考えて行動することも、知っているのです。平和をつくるためには、息の長い闘いを続けるためには、深い理解とそこから生まれる深い優しさが必要。映画を観ていると端々で分かるけど、東ティモールの人たちは、日本が彼らの虐殺の支援をしていることも、よく知っていたようです。それでも、彼らは日本人を笑顔で受け入れる。僕らの中にもそういうことができる力がもともと備わっているし、暮らしの中で、そういう深い理解と優しさを育てていく必要があると思います。      健

ひとつぶ便り 298号

いつもありがとうございます。まとめてアップの6本目で、今年最後、今シーズン最後のお便りです。
今年も、読んでもらって本当にありがとうございました。

ひとつぶ便りは野菜セットに入れている紙のお便りで、これはそのバックナンバーをブログにコピーしている、というものです。そのひとつぶ便りの枠では書けない、もっとマニアックな文章とか、コアな文章とか、そういうのも書きたい気がするので、冬の期間は少しそういうのも書けたら楽しいだろうなと思います。まぁ、やれたらやります。
今年も本当にありがとうございました。どなたもよいお年をお迎えください。

ひとつぶ便り 298号(2017年12月29日便)
 いつもありがとうございます。皆さんのところでも寒いと思いますが、こちらもとても寒いです。これを書いている今は薪ストーブの割とそばにいますが、床のほうから寒さがきていて、冷えます。明日の朝の冷え込みはすごそうです。今みたいに寒波が来ると、マイナス10℃前後まで平気で下がりますが、明日はもっといきそうです。我が家で流行っていたインフルエンザと思われる風邪は全員にリレー方式でまわり、アンカーで花野ちゃん(5歳)がひいて、治って、24日には楽しいクリスマスパーティーを迎えることができました。その夜にはサンタさんから3姉妹それぞれに素敵なプレゼントが届きました。はるちゃん(1歳10か月)にはお皿とカップが届き、自分へのプレゼントだということがしっかり分かったようです。3人とも、とても喜んでいました。サンタさんありがとう。
 今シーズンも最後の出荷となりました。お餅と加工品と根菜類などをお届けします。お餅は薪の火で蒸して、機械でついています。僕はもちづくりの日は主にいつも火の番をしています。ほかの作業はゆっこさんがやっています。もち米を蒸し、もちをつくり、のして、固まったら次の日切って、袋詰めして、という作業もそれなりに大変ですが、2日間で終わります。原料のお米は2日ではもちろんできません。お餅の原料は僕らの田んぼと畑でとれたもち米とくらかけ豆(大豆)。自分がこのお米を育てるためにやったことの数々を思うだけでも壮大なスケールの物語がそこにはあって、今ちょっと振り返るだけでもなんというか、ぐっときます。自分のした労働だけ振り返ってもそうなのですが、お米や野菜が育つ、自然の働きを見ていけば、もっともっと果てしない奇跡を感じられます。宇宙空間を飛んできた太陽の光、空を流れる雲、そこから降る雨、土の中や上で生きて、死んで、土となりまた新たな命を育む無数の生き物たち、それはもう気の遠くなるような数の要因がそこに折り重なって、ひとつぶのお米がそこにもたらされています。それを、食べて、体の一部とし、エネルギーとするということも、ものすごい!ことだと思います。一つの命をいただくことは、自然界のすべてをいただくことに他ならないし、僕らもまた自然界に含まれ、自然界のすべてを含む一つの命です。「食べる」という行為は、奇跡の命どうしの出会いというか再会というか、とにかくほんとにもう奇跡だなぁと思います。時間的にも空間的にも、複雑に、何重にも重なって絡み合い、関わり合って、お米も、野菜も、僕ら人間も、ここにいます。ありがたい。
 
今年一年を振り返る、というようなことをしようと思うとすごく難しいなと思います。難しいのでやりません(笑)。その時その時で、色々とやっているし、季節とともに景色も自分の気持ちも何もかも移り変わっていきます。春には冬のことを忘れ、夏には春のことを忘れ、秋には夏のことを忘れ、冬には秋のことを忘れます。畑の土が凍りついているこの状況では、収穫するものもほとんどないし、畑を耕すことも種をまくこともできません。冬は働きにいってもいるし、この季節は半分、農家であることを忘れています。まして、寒くてほとんど動きたくないので、また自分が春から農業をできるのか、という気持ちすら湧きますが、春が来るとちゃんと動けるものです。また春がきたら、よろしくお願いします。今年も、心より、ありがとうございました。おかげさまで僕ら、生きています。よいお年をお迎えください!健

ひとつぶ便り 297号

いつもありがとうございます。まとめてアップの5本目。先週のやつです。

ひとつぶ便り 297号(2017年12月22日便)
 いつもありがとうございます。なかなか寒い毎日で、マイナス10℃くらいまで下がる日もあります。いちばん寒い時期はマイナス15℃かそれ以下まで下がります。朝が本当に寒い!僕は今年の冬は酒蔵で酒造りではなくスキー場のリフト係をしています。酒造りの前はそこに行っていたので、知っているメンバーもいるし、仕事も分かるし、基本的に仕事はものすごく楽だし、気楽にやっています。ちなみに八千穂高原スキー場は公営で、町の財政を圧迫する最悪の赤字部門であることに加え、そこで使う機械の電気や石油の消費量も膨大で、そういう意味でも自分のしたい生き方との矛盾は大きいなと思います。平日など、ほんの数人のお客さんのために、40人くらいのスタッフが働き、リフトを回していたりします。お金としては絶対に赤字だし、エネルギーとか、人的資源的にも本当にもったいないことをしていると思います。が、農業だけでやっていくこともできないので、そういう農家は限られた冬の仕事を探す必要があります。ちなみにこのスキー場には、僕ら夫婦と同じ織座農園で研修した人が僕を含めて5人います。ちなみに今年は酒づくりの方へは同門の先輩2人が行っています。そんなわけでスキー場も決して勤めたいと思って勤めている場所ではないですが、仕事としては本当に楽だし、自分1人でいられる時間というのも結構あるので、平日は読書もできるし、自分とも存分に向き合えるし、実はすごく楽しんでいたりします。そして、どんな場所にいても、どんな仕事をしていても、自分の中の平和を育てることはできるし、職場の平和に貢献することもできるし、世界の平和に貢献することも、可能だと思います。
 我が家で流行っていた高熱を伴う風邪はついに、それまで大丈夫だった花野ちゃん(5歳)にもうつり、これで家族5人全員に回りました!葉菜ちゃん(8歳)→僕→ゆっこさん→はるちゃん(1歳10か月)→花野ちゃんとそれぞれの終わりかけに発熱して順番に回っていった感じで、同時にダウンではなかったので助かった部分があります。病院に行っていないので実際はわかりませんが、インフルエンザのようです。僕ら夫婦も、大人だけど39.5℃くらいの高熱を出していたし、葉菜ちゃんの通う小学校と、花野ちゃんの通うようちえんでインフルエンザが流行っています。皆さんもどうかお体大切に。今日(20日)は花野ちゃんもだいぶよくなってきて、葉菜ちゃんがここへきて微熱がまた出ているようですがまぁ元気で、他の人たちはもう大丈夫な感じです。
 もう田畑は凍り付いていて、僕はスキー場に勤めていて、意識が田畑から遠ざかっている気がしますが、毎日食べているものも、今回お届けするものも、田畑からの、全ての自然からの恵みです。そこにいる全ての生き物や鉱物、太陽、雨、風、土、全てと関わり合いながら、お米も野菜も育ちます。僕ら人間の労働も、喜びも、悲しみも、幸せも、苦しみも、全てそこに含まれています。お米ひとつぶには、宇宙や世界の全てが含まれています。それは奇跡そのものです。それを食べて、生きている僕らも奇跡そのものです。僕らの60兆個の細胞一つ一つに、今しているこの一呼吸に、自然の全てが含まれています。また、僕らがこうして生きているのはこうしておもちや野菜を買って食べてくれる皆さんがいるからで、こうしてお米や野菜が育つのは皆さんのおかげでもあり、このおもちや野菜の中に、皆さん一人ひとりの存在もあります。今シーズンも本当にありがとうございました。よいお年をお迎えください。  健

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